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大団円、からの人生設計ーーサルファスーー

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 ーーー サルファスside ーーー


 『日常』とは退屈で些末なことで溢れている。
 昨日と今日の差異を見つけるためには、よほどの注意力か、どこか必ず違っているはず、という思い込みが必要だ。
 もちろん昨日着た服と今日来ている服は違えても、世界を成す根幹が変わったわけではない。
 日は東から出るし、西に沈む。
 水は高きから低きに流れ、鳥は空を飛び、馬は地を駆ける。

 しかしながら、退屈極まりなく、惰性と安寧に流されていく『日常』ですら、その維持に労力が払われている。
 いや、この労力も『日常』なのか?

 いっこうに高さが変わらない未決の書類に埋もれていると、これが『日常』と勘違いしてしまいそうになる。

 (…………いや。終わらせる。)

 サルファスは表情を変えないまま、自らに定めた。

 魔王の来襲と討伐は確かに『非日常』であった。
 交渉する気もなく、ただひたすらに自らの要求だけ突き付けてくる者を相手にするのは、精神的に疲労した。

 誰にいうつもりもないが、もし自分が魔王と同じだけの魔法力と麾下を持っていたら、人間界すべてとはいかなくとも、この王国くらいはすぐに隷下に収めることができただろう。

 だいたい、最初の奇襲を最大戦力で行っていれば、なんの備えもなかった王国など、簡単に攻め落とせていた。
 人間同士であれば、その後の統治に必要な機関を残す必要があるが、魔物たちにとっては『人間ども』は娯楽や捕食の対象として残してもいいが、『王国』などという統治機関はまったく必要がない。
 羊の群れを飼うのに、羊の階位制の秩序ヒエラルキーなど必要ない。
 必要最低限だけ生かしておき、かつ幼少期から自分たちの存在意義について教育をしていく。
 高位魔族になればなるほど寿命も長いそうだから、人間の洗脳的な育成すら娯楽になるのでは…………

 「あ、あの。皇太子殿下…………」

 思考が回りすぎて、返事が遅れてしまったようだ。
 手元に並べた2つの書類のうち、片方はそのまま可決へ。
 もう片方は修正を入れて再提出へ。
 そして読み上げさせていた案件に答える。
 「あぁ、護岸工事はそのまま進めさせてくれ。ただし工事の進捗状況とともに、予算の進捗も逐次報告を入れるように」
 魔物たちに荒らされた場所は、最優先で改修を行っている。
 人々もおおむね献身的に動いてくれているが、そんな中でも不当に利を得ようとする輩は必ずいる。
 奴らは蠅のように湧く。
 それなりの勢力を作ってくれれば、一挙に叩けるが、わらわらと湧いてこられると、良きも悪しきもまとめて押し流してしまった方が効率が良いのでは…………
 と、再び思考が回りそうになった。
 
 書類を読み上げている者も、声が枯れて聞き取りづらい。
 可決の書類を持ち出していく者たちも、なにもないところで躓き、書類をばらまきそうになっている。
 修正が必要な書類を各部署に持ち帰っている者たちも、手は動いているが、なにやらあらぬ宙を見ている者が多い。
 
 まだ今日は日の出から初めてーーそういえば昼食を無視していたなーーまだ日は傾いでいないが、そろそろ効率が悪くなっている。
 入れ替えるか。

 新たに書類を読み上げようとする枯れた声を遮ったところで、扉を叩く音がした。

 室内にいる全員の目が、扉へと注がれる。
 血走った目も、落ち窪んた目も、虚ろな目もあったが、彼、彼女らの願いはひとつのようだ。

 (無理っ! これ以上仕事、仕事を増やさないで(くれ)っ!)

 サルファスが入室の許可を出すと、扉が開かれた。

 澱んだ皇太子執務室の空気の中に、一筋の紅茶の香りが漂った。

 その文化的な香りに、みなが呆然とする中、紅茶を捧げ持って入室してきたのは、彼女だった。

 「アン…………」
 「そろそろ、お休みされてはいかがでしょう」

 彼女に微笑まれては、是というしかない。
 これも『日常』だ。


 「皇太子宮の側仕えそばづかえたちは、君に頼り過ぎじゃないかな」

 まんまと彼女に連れ出され、午後の日差しの中、中庭でアフタヌーンティーを楽しんでいる。
 久しく忘れていた、文化的な『日常』だ。

 アンの後ろに控えていた、皇太子宮の侍女たちは、可及的すみやかに、迅速に、かつ一切の妥協なく状況の改善に邁進した。
 魔窟になりかけていた皇太子執務室から人々は無事助け出され、食欲と睡眠欲という人間としての欲求を、心ゆくまで満たしているそうだ。
 もう一つの欲求は、個人に任せる。

 かくて魔窟は光を取り戻し、魔窟の主は白日の下の晒され、大変愛らしい令嬢と文化的『日常』を過ごすこととなった。
 ちなみに、私が部屋から出た途端、役目は果たしたとばかりになぜか立ち去ろうとした彼女を引き留めて、この場にエスコートし、二人でのアフタヌーンティーとしたのは、紳士として当然のことなのだが、なぜか彼女の体が硬かった。
 おそらく疲れているのだろう。

 『いえ、殿下。
  私は、そうっ、王女様か仰せつかった仕事に戻りませんと…………』
 『おや、私を部屋から連れ出したのに、自分や仕事に戻るつもりかい?
  なら、私も戻ろうかな』
 『いえっ、殿下は、しばらくは、執務室からお離れにならないと、その、皇太子宮の執務官方の屍が累々に…………』
 『そう。なら付き合ってくれるね、アン嬢』 

 トレイには、彼女が好む甘いもの。
 紅茶には、リラックスできるよう香りづけよりも、多めのアルコールを入れておくように指示を出した。
 どうやら気に入ったらしく、ひとくち口をつけると『ほわっ』と息をついた。
 促してトレイに乗っている軽食や菓子を食べるたび、『ふっ』『んんっ』『ん~っ』と正しく声にならない感想を、体全体で表してくる。
 気に入ったようでなによりだ。

 「ほら、私の分も食べるかい?」
 本来ならマナー違反だが、彼女の表現は、癒し効果がある。
 私だけではなく、後ろに控えている侍従や侍女たちからも、なんだか和んだ気配が伝わってくる。
 あえて例えるなら、森で出会ったリスに木の実をやったら、無警戒に頬袋一杯にして食べている姿を見るよう、とでもいうのだろうか。
 実際、げっ歯類に癒されるかどうかはわからないが、彼女には癒される。
 できればこのまま、妹から譲り受けてしまいたいと、皇太子宮の女官長と、王女宮の女官長とで水面下で交渉させている。
 いずれ皇太子妃なるにあたって、早くから周りに慣れておくのは、良いことだと思うのだが。

 「あの、お心遣いはとてもありがたいのですが、これは殿下に食べていただきませんと」
 あっさり食べると思っていたので、断られたことに、少し驚く。
 皇太子の『お気に入り』として当然享受すべきドレスや宝石、領地や爵位などは頑なに受け取ろうとしないが、こういった些細なものは、比較的受け取るのだけれど。
 「いえ、殿下の前ではとりつくろうもなにもないので、できればこの極上のおいしさを、口いっぱい詰め込んでしまいたい気持ちは隠しきれないのですがっ」
 そんなに悔しさを前面に出すくらいだったら、別にかまわないのだけれど。
 「いえっ、ダメですっ。
  だいたい殿下、いつからまともな食事を召し上がっていないか、覚えていらっしゃいますか?」
 「どうだったかな?」
 少し思い返してみたが、とっさには思い浮かばなかった。
 なにか口にした記憶はあるのだが。
 「そうですっ。
  殿下でも覚えていないくらい前ですっ。
  ついでに、食堂で召しあがったのは、さらに前とのことですっ。
  魔王討伐の式典が終わって以来っ、ほぼっ、執務室でお過ごしとうかがっていますっ」
 彼女が、だいぶ語気を強めにいってくる。
 「のでっ、このトレイに乗っているのは、皇太子宮にお勤めのみなさん演出、厨房のみなさん監修による、殿下への。『しばらくまともなものを食べていなかった貴方にも、負担のかかりにくくかつ栄養満点の軽食』セットですっ。
  これはどうしてもっ、殿下に召し上がっていただかなくてはなんですっ」
 息荒くいい終わると、アンは紅茶をぐっとあおった。
 結構な酒精が入っているはずだ。
 
 「あれ? 美味しいけど、なんか暑いですね、ここ」
 顔を真っ赤にして、ストンと腰を下ろしてしまった。
 気合を入れて語った姿と、急に酔って気の抜けた姿の落差がおもしろ…………可愛らしい。
 自身は酒に強い質だし、毒慣らしもしているので、自らを制せなくなったことはない。
 代わりに様々な醜態を見せつけられてきたが、彼女が普段張り巡らせている、私への気構えを解いているのは、楽しいと感じる。
 たまに餌を食べに来る小動物が、甘えて手に擦りついてきているようだ。
 一種の達成感と、満足感、庇護欲も出てくる。
 ついでに、このまま帰さずに閉じ込めるにはどうしたらよいかという思考も出てくる。
 
 「なるほど。
  立案、制作は理解したよ。
  そして実行部隊が君というわけだね」
 「まぁ。そんなところですぅ。
  …………って、いえっ、そうですっ。
  皇太子宮の切なる願いを背負って、不肖私がきましたのですっ。
  皇太子殿下には、ぜひともっ、食べていただかないとっ。
  これから皇太子宮に来ても、お菓子のお裾分けがいただけなくなってしまうのですっ」

 …………動機が不純ではないだろうか。

 そこはせめて、『皇太子殿下のお体が心配で』云々とすべきではないだろうか。

 「まずは、皇太子殿下にご飯を食べていただき、それからお話でもお散歩でも、乗馬でもかくれんぼでも鬼ごっこでもいいので、お仕事から離れていただくのが、私の使命なのですっ」

 後半のふたつはとても興味深いが、もし実行したら皇太子宮が機能不全に陥りそうだ。

 「だいだいですね、サルファス殿下はがんばりすぎだと思うのですよ」

 常より大きな声。
 回らない呂律。
 大きめの態度。

 私の前で自分を手放して酩酊する者はいなかったので、これがうわさに聞いていた『酔っ払い』かと、興味をひかれた。

 「サルファス殿下はチートなので、ご自分でできてしまうから、ご自分でやってしまうんでしょうけど、それは一番いい手段ではないと思うのですよ」
 「ふうん。そうかな」
 後ろに控えている侍従たちに緊張が走ったのを感じた。
 やや意味不明な単語はあったが、ここまで正面から私を批判する者はいない。
 なかなか新鮮な感覚だ。
 もっとも、これが彼女でなければ、どういう対処を自分がするか、かなり明確に予想がつく。
 とりあえず、その者と一族郎党と会う機会は、未来永劫なくすだろう。

 しかし彼女がいうことならば、耳を傾けてしまう。
 我ながら、おかしなことだ。

 「あぁっ、笑ってる場合ではないのですよっ。
  サルファス殿下が全部やっちゃうので、実は周りは大変なのです。
  なぜならば、周りはサルファス殿下ではないからです」
 …………これが世いう『酔っ払いの謎理論』とやらだろうか。
 「全員がサルファス殿下だったら、サルファス殿下のスピードで周りは困らないからいいのです。
  でもっ、チガウのですっ。
  殿下以外の人には、お仕事以外にも楽しみがあったり、やりたいことがあるのです。
  でもっ、殿下は『できちゃう』からお仕事をし過ぎなのですっ。
  実はそれは、殿下の悪いところなのですっ」
 
 どうだっ、といわんばかりに彼女は胸を張って主張した。
 私の後ろの侍従や女官たちが青ざめて震えているのが、なぜか背後なのに感じられる。
 『アン様…………不敬罪に…………』

 「殿下は魔王を倒してきたばっかりなのですよっ。
  もう『どやぁ』ってしてて、『疲れたから任せる~』って休んでてもいいんですよっ。
  なので、一番がんばっちゃった人が休んでないと、他の人はもっと休めないのですよっ。
  わかってますかっ」

 素直に求めよう。
 「…………それは、気づかなかった」

 私は王族であり、王太子である。
 ゆえに国に、国民に尽くすのは当然で、やるからにはすべてを注ぐべきだと思っていた。

 「ダメダメですっ。
  もっとゆるゆるでいいんですっ。
  殿下が一時で終わらすることを、他の人が一日がかりでやっても、なんとかなることもあるのですっ。
  それが『日常』なんですよぉっ」
 どうしてわからないかなぁ、と彼女はきゅっと唇をつぼめた。
 この話が終わたら、寝台に連れ込んで、その生意気そうな唇をどうにかしてやらなくてはならない。

 あぁ、これか。
 仕事以外に『やりたいこと』がある。 
 
 「でもっ。
  どうししても殿下じゃなくちゃダメな時も、あるのですっ。
  その時のために、余力がなきゃダメなのですっ。
  そこのところを、お考えいただきたいのですっ。
  このまま、殿下だけに背負わせているのは、ダメなのですっ。
  バランスが悪いのですっ。
  のでっ、不肖 魔法士アンは『サルファス殿下をお仕事から引きはがして、なにか楽しんでいただく』係としてやってきたわけなのですっ」 

 確かに。
 これだけ尽くしているのだから、対価をもらってしかるべきだ。
 王族は国民のために尽くすが、それは無償ではない。
 国民はその対価に忠誠や税を差し出すのだ。

 そして私は、かなり国民に尽くし、その生活と安寧、『日常』の維持のため、己のほとんどを差し出している。
 ならば、その対価を得てしかるべきだ。

 そしてその対価は、こちらで選ばせてもらう。

  「ですのでっ、サルファス殿下にはっ、健康にご留意いただきっ、これからもよろしくお願いいたしますなのですっ。
   でもっ、お仕事ばかりではだめなのですっ。
   サルファス王子自身の楽しいことや、やってみたいことも実現させていただきたいわけですっ」
 なかなか難易度の高い要求を突き付けてくるね、この酔っ払いは。

 私は行儀悪くテーブル両肘をつき、組んだ手にあごを乗せた。
 小首をかしげて、下から見上げるようにアンと目を合わせる。

 「そうなんだ。
  アンは私にいろいろなことをさせたいんだね」
 「そうですっ。いろんなことを、楽しんで欲しいんですっ」
 酔っているのに、どうして力強い言葉を出せるのか。

 でも、私は皇太子だ。
 それは私を形成する根幹なので、変えることはできない。
 はらば、欲張ってしまおう。
 皇太子としての私と、男としての私。
 それを同時に満たすものを、手に入れようじゃないか。

 「だったら、手伝ってくれるかな? アン。
  私がみなのために、『日常』を取り戻し、そして続けていくための営みを」

 「な、なにをすればよいですかっ」
 アンが前のめりに聞いてくる。
 顔全体が朱に染まっているのすら、とても愛らしいと思ってしまう自分は、実は相当重症ではないだろうか。
 客観的な自分を作らなければ、いつもより赤く塗れいているその唇を、この場でデザートにいただくところだよ。
 「そうだね、今回みたいなことがないように、近くにいてくれると、とても助かるよ」
 「近くにいればいいんですかっ。
  いいですよっ、不肖 魔法士アン。みんなのために、皇太子殿下のお近くでっ、お手伝いしますっ」
 力強く宣言した後、限界が来たらしく、アンはテーブルに突っ伏した。
 侍従と侍女たちの連携で、割れるカップもなく、物質的な被害はなかった。
 (ゴン、と彼女の額がテーブルにぶつかったがが、テーブルは割れなかった。)

 たしかに紅茶に酒精を入れろと、どれだけ強いのをいれたのか。
 それとも、効きがよかったのか。
 まぁ、それはともかく。

 (……。言質はとったな。)
 背に控えている侍従に目をやると、心得たように頷いた。
 これで私が話した時に、『捏造じゃないんですかっ』と叫んだとしても、第三者(といっても、王族以外のすべての国民は臣下であり、基本、中立とはいえないだろうが)の証言があれば、この可愛らしい生き物はそれを『本当にあったこと』と認めてしまうだろう。
 
 うん。
 なかなかいいものを得た。

 私ひとりだけのモノにするには、まだ些か時間と手間がかかりそうだが、その過程すら楽しんでいきそうな自分がわかる。

 私にとって王になるのは、生まれた時から定まっている『日常』のひとつだが、彼女に『王妃』となる『日常』を受け入れられるようするには、どうするのが最善か。
 そして、

 (まずは、皇太子妃からだね。)

 自分の中で確定させた未来を実現する最適な手段を考え抜いていく。
 退屈で安寧で、なによりも愛おしい『日常』を実現すべく、サルファスは白皙のかんばせに微笑みを浮かべた。
 自らの望む『日常』のため、その豪奢な金髪の中に浮かんでくるありとあらゆる策を、紅茶の香りとともに堪能し、まずは彼女が一番おいしそうに頬ばっていたサンドイッチに手を伸ばした。


 ーーー サルファスside ーーー end
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