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第三幕 学生期

242.楽譜と手紙の字が異なる理由

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 しばらくして、ネハはカヴィタとダーシャ・カーン伯爵を連れて応援室に戻って来た。

 カヴィタは、ネハと同じ黄色味の強い金髪と紺色の瞳で現れた。服装はネグリジェのようなラフな紫色のワンピースだ。

ダーシャ
「龍人様がカヴィタとお話しをされたいと伺いました。大変、光栄です。ですが、体調が崩れた際は退室させて頂くかもしれん。ご了承頂ければと思います」

リン
「あぁ、分かっているから心配するな」

カヴィタ
「有難うございます」

 リンがどうやって話を切り出そうか考えていると、バルドが楽譜をカヴィタに渡した。

バルド
「お前の楽譜はこれで間違いないか?」

 あまりの単刀直入な問いかけに、リンとネハはギョッとしてバルドを見つめた。

カヴィタ
「はい。私が作った歌です」

バルド
「では、この手紙は誰が書いたんだ?」

 バルドは手紙をカヴィタに見せる。

 リンとネハは緊張した面持ちでカヴィタに視線を移した。

カヴィタ
「私です」

バルド
「楽譜と字がちが...」

 リンはバルドを捕まえて、お茶と一緒に出されていたニンジンケーキをバルドの口に押し込んだ。

 バルドはムグムグ言いながらケーキを食べる。

リン
「いや、すまないね。俺達は最近、ペン習字にハマっていて、字に興味があるんだ! 面白い字だから、ちょっと気になっただけだ。気にしなくていい」

 リンは体を横に傾けて、威圧しないようにカヴィタの顔を覗き込んだ。

 カヴィタは笑った。

 その笑顔を、リンは、見たことがあるような気がした。だが、それが何なのかは思い出せなかった。

カヴィタ
「申し訳ありませんが、少し失礼いたします」

 カヴィタはそう言うと、部屋を出て行ってしまう。

 カーン伯爵は慌てて席を立ち、一礼するとカヴィタの後を追った。

 しまった! 疑っている事を勘付かれて、気を悪くしたか?

ネハ
「どういうことだい!? 文字の違いを指摘して疑おうとするなんて! 約束が違うじゃないか!」

バルド
「あぁいう、感の良さそうな奴には、回りくどい言い方はかえって逆効果だ」

リン
「ルド君、そうかもしれないが、あんな風に質問しなくても、何かしら理由をつけて字を書いてもらえばよかっただろ!? そうすれば、どちらの字が本人の字か分かる」

バルド
「そうか? だが、それではどちらにせよ、どうして楽譜と手紙とで字が異なるのか疑問が残る」

リン
「作家が本物かどうかは、もう少し打ち解けてから、ピアノを弾いてもらえば確認出来る。違う曲だったら、楽譜を紛失したことにして、もう一度書いてもらえば丸く収まるのだよ。目的が達成されれば、疑問は残ったっていいだろ? 人族はみんなジーンシャンの連中みたいに真っ直ぐな奴ばっかりじゃないんだ。むしろ、一般的な人族は、本当の気持ちと言っている事が違う偏屈な奴の方が多い。正論だけを主張すると、追い詰められた奴は、パニックになって会話すら出来なくなるぞ!? 交渉において重要なのは、目的を達成し利益をあげることだ。そして、この場合の利益は、カヴィタ嬢の書いた楽譜がなんであるかを確認し、演奏会で悲劇が起こらないようにする事だろ?」

バルド
「あぁ、だが、疑問が残れば、自然と心の距離が出来る。繊細な人間ならば、その心の距離を感じとるだろう。特に子供は感がいい。本当にあの娘が善良であると信じているならば、真っ直ぐに聞いた方がいい」

リン
「珍しいな。俺より、お前の方が他人を信じているなんて」

バルド
「そうだな。だが、筆跡の違う手紙と楽譜をどちらも自分が書いたと言った」

 嘘をついた事がバレそうになったから逃げた? もしくは、精神が追い詰められ、具合が悪くなったから、席を外したんだろうか?

ネハ
「信じてくれていたのにすまないね」

 ネハは大きく溜め息を吐いた。


 しかし、間もなく扉が開き、カヴィタとカーン伯爵が戻って来た。

 そして、カヴィタは楽譜を差し出し、とても穏やかな言葉で話した。


カヴィタ
「オリジナルの楽譜です。どうぞ、面白い字を楽しんで下さい」

 楽譜は例のラブソングの楽譜だった。それに、この楽譜の字はカヴィタの手紙の字と一緒である。

ダーシャ
「曲はカヴィタが作ったものですが、アントニオ様に差し上げた楽譜は、カヴィタの弟のアンシュが書いた楽譜です。アンシュは音楽の勉強でカヴィタの楽譜を書き写しまして、カヴィタは正しく書けているかを確認するため、楽譜を預かっておりました。恐らく、カヴィタが劇場のロビーで転倒した際に落としたのだと思われます。楽譜をアントニオ様に贈ることはアンシュも同意しておりますので、カヴィタが勝手にした事ではありませんので、ご安心下さい」

リン
「なるほど。そうだったのか!」

カヴィタ
「母上、この方々は字を楽しみたいと仰ったのです」

 カヴィタは、リンの嘘に気が付いていたが、嘘の言葉を信じたように発言をした。リンがカヴィタを傷付けないように嘘をついてくれたからである。その嘘に乗らず、疑われた人が弁明するようなリアクションを取れば、リンの思い遣りのある行為が無駄になるのである。

ダーシャ
「あ、そうでしたね。関係のない話をして申し訳ない」

リン
「いや、気になっていた事を教えて貰った。感謝する。それに、これは大変素晴らしい字だ! 読み手が文字を読みやすいように、丁寧に書かれている! 御息女は大変思い遣りに溢れている方のようだ! な? ルド君?」

 リンが振り返ると、バルドは字ではなくカヴィタを見つめていた。

バルド
「静かに喋るんだな...」

 カヴィタはバルドに涅槃(ねはん)のような眼差しを向ける。

カヴィタ
「人は煩(うるさ)い音には耳を塞ぎ、静かな音には耳を澄まします。私は、私の詞(ことば)に耳を傾けて欲しいのです」

バルド
「そうか」

 リンは目を見開いて、バルドの表情を凝視した。

 まさか...恋が芽生えたりしていないよな?

 人族と魔人族だし...まぁ、結婚して子が生まれた前例はあるか...だが、歳の差が...いや、魔人族は人族より長生きだ、カヴィタ嬢が成長すればするほど、肉体の差は縮まっていく。むしろ丁度いいのかもしれない。

 いや、エストもカヴィタが気になっているようだし非常に不味い。

 頼むから、気の所為であってくれ!

 リンがバルドから、カヴィタに視線を移すと、カヴィタは目を細めてリンに視線を合わせた。

カヴィタ
「この歌の詩は嘘ばかりの作り物ですが、私は詩のように、私を見つけてくれる人を探しているのです」

 カヴィタは笑った。音を立てず静かに。だが、満面の笑みで。

 リンは不思議な感覚におちいった。確かに、この笑顔に見覚えがある?

 しかし、こんなに個性的な少女に出会った事があるならば覚えている筈だ。そもそも、ここ最近まで、ずっとエストと一緒にジーンシャン領にいた。出会うことは不可能だったはず。

 前世で会った? まさかな...


 無言でカヴィタを見つめる2人の様子に、ネハは困惑していた。

ネハ
「何か、他にも確認する事があるのかい?」

リン
「いや、もう、知りたい事は知れた。御息女が疲労する前に帰ろう」

バルド
「また、会えるか?」

 リンはヒヤッと肝が冷える気がした。

リン
「演奏会が無事に開かれれば、また会えるに決まっている」

カヴィタ
「貴方様が私を忘れなければ」

 その言葉は、本当に静かに語られた。

 リンは自分の胸が痛むような気がした。
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