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第三幕 学生期

206.昔の癖

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 だが、アントニオは途端に笑顔になってユーリの頭を撫でた。

アントニオ
「よし! 偉い! ちゃんと謝れましたね! 大丈夫です! 皆でちゃんと音がとれるように教えてあげます! 俺の後に続いて真似をして下さい!」

 さっきまでの怒りが嘘のように消えている。

 アントニオは、すぐにピアノに戻ると、歌い出しの音をポーンと奏でた。

アントニオ
「まずは、はじめの音から! 皆で一緒に! く~♪」

 慌てて皆で歌う。

「「「く~♪」」」

アントニオ
「慌てないで、もう一度! く~♪」

「「「く~♪」」」

 アントニオも一緒に歌って正しい音程を示す。

アントニオ
「そうそう! 耳でよく聴いて正しい音程をイメージして歌うことも大事ですが、音が振動する感覚や、喉が運動する感覚、息を吐く量など、全身で感じながら歌いましょう! ディックも声を出すことを怖れないで! もう一度!」

「「「く~♪」」」

アントニオ
「bravo(ブラボー)! 素晴らしい! 音を増やしていきますよ! 今度は、音程の変化による喉の運動の違いを感じて! く~れ~♪」

「「「く~れ~♪」」」

アントニオ
「ストレッチをするように、気持ちのよいところで音の跳躍を楽しんで!」

 アントニオの凄まじい勢いに、学生だけでなく教師のフランチェスカや護衛の2人も一緒に、必死になって歌った。

 まるで別人格みたいなアントニオに『え!? 誰? この人は本当にアントニオ様?』と皆が疑問を抱いたが、アントニオの音楽を教えようとする熱意にあてられて、誰も突っ込んで尋ねることは出来なかった。

アントニオ
「音程は高いとか低いとか言いいますが、本当は音は高いとか低いではないのです。音程というのは、音波の波の細かさなのです。だから、1秒間にどのくらいの数の波が出来るかで音の高さや低さが決まります。高音は波が細かく短い周期で繰り返され、低音は波が大きな幅でゆっくりと繰り返される。

実際に見ると分かりやすいのですが、ピアノは鍵盤の右側にいけばいくほど内部にある弦が短くなっていて細かい波を作れる構造になっています。だから、高い音程が出る。逆に、左側の低音は波が大きくなるように、弦が太く長くなっています。

リッカルド! 音が長く鳴るようにピアノの右のペダルを踏んだままでいて下さい。」

 アントニオはピアノのフタを全開にして、皆に弦が見えるようにした。リッカルドがペダルを踏むと、アントニオは弦を直接指でつまんではじき、弦の揺れ幅の違いを実際に見せた。高音の弦は非常に細かく揺れ、視覚では揺れているのが分かりにくい。低音の弦は大きく揺れ、視覚でも波打っている様(さま)がはっきりみえた。

アントニオ
「しかし、歌というのは、声という楽器は非常に厄介で、音程を決める動作を行う器官が複数あるのです。

1番直(ダイレクト)に音程を左右する器官は、喉にある声帯です。2枚のヒダのような筋肉があって、この筋肉がタップすると音になるのですが、このタップが早いと音波の波が細かくなって高音になり、ゆっくりタップすると低音になります。だから、歌の感覚としては、音程は高い低いではなく、速い遅いという感覚が正しい。

次に音程を決めると思われるのは空気の量です。口笛を吹く人は分かると思いますが、息が強く吐かれると高音になって、弱く吹くと低音になります。これは、息の強さによって音波の周波数が変わるからです。

だけど、音程を左右する要素はこれだけじゃありません。楽器である咽頭(のど)の広がりや口の形、舌の位置でも変わります。

トロンボーンという楽器をみるとよく分かるのですが、管(くだ)の長さを広げると音は低くなり、狭めると音は高くなります。人間の体も同じで、管が収縮していると音は高くなり、緩(ゆる)んで広がっていると音は低くなるのです。

これらのことを複合して、各器官に正しく命令を出さないと、狙っている正しい音程は出せません。

そして、もっとも厄介なことは、歌っている最中は身体が振動しているので、音の高低を感知する器官に、誤作動が生じやすいということです。

間違った音程を歌っているのに、歌っている本人には正しい音程のように聴こえてしまうことがあります。だから、どんなに自信があっても、他人に聴いてもらって、正しい感覚で身体が動作しているかを判断してもらう必要があるんです。

歌い手というものは、死ぬまで一生、師について勉強する必要がある職業なのです!

だから、自分は音痴かもしれないと思って謙虚に勉強しないといけません! だからといって、声を出すことを怖れないで! はじめは歌えないのは当たり前なのです! だけど、練習すれば、誰もが必ず正しく歌えるようになります!

とある偉大な歌手は言いました! 『僕は凡人だから出来ないと言う人に、君は2千回練習したのか? と尋ねると、誰もしていなかった。だが、僕は2千回は練習したよ。天才である僕がね!』と!

諦めてはいけません! 根性を見せて! 努力に努力を重ねるのです! だけど、体が壊れるような練習はしてはいけません! 永遠に声は失われて後悔することになりますよ! 適切に休みをとり、栄養を補給して、体を精密機械やレーシングカーのようにメンテナンスするのです! 

知恵と体力と青春の全てを捧げて、技を磨くのです! そうすれば、その先で音楽の神様が待っていて、君達に笑いかけることでしょう!

さぁ、以上のことを踏まえて、もう一度最初から!」

 レッスンは時間を告げる鐘が鳴るまで続き、授業の終わる頃には、皆がびっくりする程上達していた。

 アントニオは皆に拍手を贈った。

アントニオ
「素晴らしい! 君達は僅かな時間でここまで上達した才能ある若者です! 以上、今日のレッスンはここまで! では、また次のレッスンで!」

 全員から拍手が贈られ、アントニオの講義は終了した。

 そのまま帰ろうとするアントニオのもとにフランチェスカが駆け寄った。

フランチェスカ
「アントニオ様! 有難う御座います!」

 フランチェスカに声をかけられた事で、ようやく正気に戻り、アントニオは自分がまだ12歳の子供である事を思い出した。そして、自分が仕出かしてしまったことに気が付く。

アントニオ
「あ、あ、も、申し訳ございません! フランチェスカ先生の授業を乗っ取って滅茶苦茶に! つい、うっかり、昔の癖で...あわわ...」

『どんな癖だよ!』と、皆は思ったが、そんな突っ込みは誰もする事が出来なかった。身分のこともあるが、誰もがアントニオのエネルギー溢れる講義に圧倒されていたのだ。

 ディーデリックだけが、昔の癖とは、アントニオが前世で歌の先生をしていた頃の癖だろうと理解して笑った。

 この授業の時間は、クラスメイトと護衛騎士たちにとって、今までの『大人しい』というアントニオの印象を180度変えるものであった。

 人を惹きつけて心酔させるカリスマをアントニオに感じたのである。

 精神属性の魅力魔法は使わないという話だったのに、まさか使ったのか! ?  いや、だが、瞳は虹色に光ってはいなかった...
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