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第三幕 学生期

88.罪人のために祈る歌 ♣︎

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 食事が済んで、ヒロヤ国王とお別れし、馬車に乗った。

 ジュン王太子はアントニオを後部座席に座わらせ、その隣に自分が座った。タイラとヤンは、アントニオと対面する前の座席に座った。

 そうすると、タイラとヤンの2人のスカーフが黒だと言うことに気が付く。剣も学校推奨の黒いサーベルだ。

 規定では問題がないのだが、自分1人だけが違う装いになってしまった事に、不安を覚えて、嫌な汗が流れる。

 皆と違うと、また、問題が起きるだろうか? オペラ歌手であった時は、人と違うことに誇りを持っていたじゃないか! 恥じる事はない、堂々としているべきだ。

 アントニオは、自分に懸命に言い聞かせて、笑顔を作った。

タイラ
「寒いですか?」

 アントニオに向かってタイラが、そう尋ねた。

アントニオ
「? ...いえ.....。」

 確かに、この季節の朝は、まだ少し肌寒いが...というところまで考えて、アントニオは自分が緊張のあまり、少し震えている事に気が付いた。

アントニオ
「あ、そう言われてみると、寒いかもしれません。制服のマントを持って来ていますので、羽織っておこうかな?」

 アントニオが震えながら、荷物からマントを取り出して羽織ると、ジュン王太子は、その様子を眺めながら、奥歯を噛み締めた。

 本当に、少しぶつかって挨拶をしただけなら、トニー様が助けを求めて王宮にいらっしゃるはずがない。昨日のトニー様の質問から予想するに、トニー様は寮生に挨拶をされた時に、名乗りを聞いてもらえなかったのだろう。そして、傷付けられるような何かをされたに違いない。着替えを手伝った召使いからは、腕に痣が出来ていたと報告を受けている。

 暴力行為が行われた可能性が高い。

 トニー様が寮に入られたのは2日前だ。たったの2日で、トニー様を震えて怯えるようにした者がいる。絶対に許してはならない。

 ジュン王太子が纏う闇のオーラに、タイラとヤンも寒気がした。

タイラ
「あれ? 本当に寒気がする。俺も着よう。」

ヤン
「あ、俺も。」

 2人も荷物からマントを取り出して羽織るのであった。

 アントニオは、闇のオーラを発する王太子を見て、ジュン様は母上と従弟なんだなぁ~と思った。

______


 学校に到着すると、教師達や寮の管理人、男子寮の学生達が広場に集められていた。その中には、食堂であったカールとハンス、マナーについて話して去っていった学生、そして、あの4人組もいた。しかし、赤毛の学生はいない。

 ヤンが馬車を降りたあとで、タイラ王子と王太子殿下が馬車から降りて姿を表すと、学生達一斉に頭を下げて出迎えた。

 最後にアントニオが降りると、頭をあげた学生達に動揺が見てとられた。

 王族と一緒に馬車に乗ることを許される焦茶の従者がいるなんて、信じられない!

 しかも、この国のマナーでは、身分の低い者から先に降りて、身分上の方が馬車から降りる際に出迎えるのが常識である。

ジュン王太子
「寮生はこれですべてか?」

管理人
「はい。まだほとんどの1年生が入寮しておりませんし、帰省している学生もおりませんが、現在、寮にいる者達は、これで全員です。」

タイラ
「赤毛の学生がいないように思うが? 昨日は見かけたぞ。」

管理人
「ディーデリック・バースの事でしょうか? バースは、昨日、奉公先の男爵家に呼ばれてから戻っておりません。ご命令をお伝え出来ませんでした。ですが、現在、寮にいる学生には、ご命令を伝えております!」

 ジュン王太子はアントニオの表情を観察し、赤毛の学生が、今回の事件に関わっているかを、見極めようとした。アントニオが動揺していない事を確認し、「ならば良い。」と答えた。

ジュン王太子
「私はジュン・カンナギ、王太子である。この度、我が血族であり友であるアントニオ・ジーンシャン様が、この王立学校に入学することとなった。

アントニオ様は、ジーンシャン辺境伯領の領主にして勇者であるグリエルモ様と、王家と神官家の血をひく聖女メアリー様の御子息であらせられる。

その為、アントニオ様は常に暗殺や誘拐などの危機に晒されている。

この王立学校内は、厳重に警備されているとはいえ、完全に安全であるとは言い切れない。

そこで、諸君らには、この尊い方を守り、危険から遠ざける為の助力をお願いしたい。

もしも、アントニオ様の身に何か不幸があれば、王家が全力で原因を調査し、その原因となるものを排除する。

これは、ヒロヤ国王より発せられた、王命である。

諸君らは、成人していない学生の身ではあるが、その類稀なる才能で王立学校に入学した実力者である。必ず、命に従い、任務を遂行することを期待している。」

 学生達から拍手と歓声が上がり、次に、そのアントニオ・ジーンシャン様はどちらに? という、探るような視線の動きがあった。

 ジュン王太子は、アントニオ背中に手を添えて、一歩前に誘導すると、「ご挨拶をどうぞ。」と、一言添えた。

アントニオ
「只今、ご紹介に預かりました。アントニオ・ジーンシャンです...」

 ここまで、アントニオが挨拶すると、学生達に大きなどよめきが起こった。

 学生達は、焦茶の少年が、王家の従者として、同行していると思っていた時ですら、激しく動揺していたのである。

 事実を知らない誰もが、勇者と聖女の息子であるならば、輝くような黄金や銀の髪色で、美しい青か紫の瞳をしていると思っていたのだ。

 昨年、レオナルド・ジーンシャンが入学し、一目見て、その美しさに溜息を漏らした女学生が何人いた事だろう。

 ジーンシャンの落ちこぼれと言われたアルベルトの息子ですら、あれ程までに美しいのだ。黄金の獅子と言われたグリエルモと、白百合の乙女と言われたメアリーという、生きる芸術品のような2人から生まれた息子は、きっと想像を絶する美しさなのだろうと、誰もが期待に胸を膨らませていたのである。

 それが、どうした事だろう。

 平凡な見た目だったとしても、皆ガッカリしただろうに、よりによって焦茶である。魔力も身体能力もない、役立たずで、虫ケラのような色の、焦茶なのである。

 集められた一同からはどよめきが起こり、「そんな!」「信じられない!」と口々に言い合う声が聞こえた。特に、あの4人組は「嘘だ!」「あり得ない!」と叫んでいる。マナーの事を口にしていた学生はあまりのことに固まっている。

 ジュン殿下は失敗したと思った。人の心動かすためには、順番が大切である。先ず、トニー様を紹介してから、その後で演説をするべきであった。まさか一同が、目の前にいるトニー様を、アントニオ・ジーンシャンであると気が付かないまま、自分の演説を聞いているとは思わなかった。一度、上がった人々のテンションが、一気に下がってしまった。ここから再び、好感度を上昇させるのは難しい。

ジュン王太子
「静粛に!」

 王太子は一喝し、騒ぎを止めて、焦る気持ちを抑えつつ、アントニオに挨拶の続きを促した。

アントニオ
「私がアントニオ・ジーンシャンです。これより、5年間、皆様には大変お世話になります。皆様には、ご助力をお願い致しますが、私の命や生活を守るために、皆様が命をかける必要はありません。ですが、出来る範囲で、無理なく見守って頂ければ幸いです。

一般的には、焦茶の髪の色を持つ人間は、魔力が殆ど無いと言われていますが、幸いな事に、私には平均以上の魔力が備わっております。

今日、お集まり下さった皆様に、その魔力を示すとともに、感謝の意を込めて、歌を歌わせて頂きたいと思います。」

 歌と聞いて、一同は再びざわめいたが、アントニオが姿勢を正し、魔力を解放し始めると、すぐに静かになった。

 虹色に光るアントニオの瞳から目が離せなくなったからだ。

 歌うのは、ヴェルディ作曲のオペラ「オテロ」より “アヴェ・マリア”

 この曲の題材となっている物語は、あのシェークスピアが書いた名作である。何度も国を勝利へと導いた英雄オテロは、自分が黒人であることにコンプレックを持っている。「オテロ」は、地球がまだ厳しい人種差別のあった時代に書かれた作品で、黒人と白人に根付く人種差別が一つのテーマになっている。

 その作品の中で、オテロの美しい白人の妻デズデモナが歌うアヴェ・マリア。不吉な予感に苛(さいな)まれたデズデモナが神に祈りを捧げる曲である。

「♪Ave maria  piena di grazia...♪」
(いとめでたきマリア様 どうか、お祈り下さい。罪ある者、罪なき者のために。そして、虐げられた弱き者、強き者のために。また、貧しき者のために、お慈悲をお与え下さい。私達のために。)

 聴衆達は、今まで経験したことのない不思議な感覚に捕らわれた。

 人間は、相手の気持ちを予測して共感するということは出来るが、通常は、本当の意味で相手の心と自分の心を繋げて、感覚を共にするということは出来ない。

 だが、どうだろうか?

 心が繋がっているような感覚がある。

 アントニオ様の心は、なんと心地の良い、優しい心であることか。

 そして、救いを求めるアントニオ様の声が聴こえる。傷付けられた者だけでなく、傷付けた加害者達のためにも、神に救いを求め、祈る心の声が。それは何と美しい響きである事か!

 この歌を聴いて、汚れた自分の心を恥じない者がいるのだろうか?

 涙を流さない者がいるのだろうか?

 先程まで焦茶のアントニオに侮蔑の視線を送っていた者達は、自分の罪に気が付いた。そして、その目には、許しを与える慈悲深い神様の姿がうつった。

 歌が終わると、そこにいたすべての聴衆が涙していた。

 感動し喜びに浸っている者、混乱して人形のように固まる者、そして、罪を犯したと恐怖し震える者。すべてが涙している。

 ジュン王太子は、震える学生を静かに見つめ、『なるほど、アイツらか』と、心の中で呟いた。
すかさず、背後に控えていた従者に合図し、様子のおかしい者について調べるように指示した。

 そんなことには気が付かず、アントニオは再び気合を入れなおした。

 さぁ! 終演後の挨拶だ!

 終演後の挨拶は、オペラ歌手がファンの心を掴む必殺技の一つである。

 人と触れ合うことは怖いことだ。特に、自分を差別する相手なら、なおの事だ。しかし、自分から人を愛し、許さなければ、人は自分を愛さないし、許さない事をアントニオは知っていた。

 勇気を出すのだ! 美しい生き方を示すことも、芸術家の仕事である!

 アントニオは、寮生達のところへ行き、その1人1人と握手した。もちろん、虐めてきた人物とも。
彼等は自分の番が近付くと、手酷い仕返しをされると思って硬直したが、アントニオが彼等にも優しく手を差し伸べると、驚き、そして安堵して手を取った。

 アントニオが嬉しくなって、涙がにじむ焦茶色の瞳で笑いかけると。彼等は、自分の犯した罪に、再び後悔するのであった。

 ジュン王太子は、そんなアントニオの歌とその振る舞いに驚いていた。

 この方は本当に、罪を罰せず、許すつもりだったのだ!

 しかし、何という事だ! トニー様は、属性無しで、魔法の使えない魔力保持者と報告を受けていた。反射神経も遅く、戦士にすら向かないと。

 確かに、戦士には向かないかもしれない。しかし、この、人の心を操る魔法は、あまりにも恐ろしい。

 まさか、ジーンシャンの者達は、この力を知っていていたからこそ、トニー様を1人で寮に住まわせるという危険な行為に許可を出したのか?

 だがしかし、あの者達は何もわかっていない! 非戦闘員であるトニー様が、こんな魅力的な力を持っている事が知られれば、必ず、トニー様を手に入れ、自分の物にしようとする輩が現れる。
それは、トニー様が全く力を持たなかった場合よりも、もっとずっと危険であるのだ!

 必ず王家で、この方を保護する!

 ジュン王太子は、そう心に決めた。
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