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第三幕 学生期

82.寮生活の受難

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 王立学校の寮に越して来て2日目。

 早く目が覚めたアントニオは、久しぶりのヘアセットに苦戦しながら、身支度を整えた。

 ジュゼッペがいないと、服も自分で選ばないといけないし、寝癖も自分で直さないといけないし、顔を拭くタオルも自分で用意しないといけない。思っていたよりも、ずっと支度に時間がかかることがわかった。

 前世では、物心ついてから、わりと直ぐに、なんでも自分でやっていた筈なんだが、どうしていたのか? と思うくらいに、今は上手く出来ない。

 だけど、寮の部屋を改造してもらった話を聞いてしまったので、『やっぱり1人では生活出来ないのでアルベルト邸に移ります!』とは、簡単に言い出せなくなってしまった。

 朝食を食べようと思って、一階へ降りると、他の寮生が向こう側からやってきた。

アントニオ
「おはようございます。今年からお世話になりま....」

寮生
「お前知らないのか? 身分下の奴が、知り合いでもない人間に話しかけちゃいけないんだぞ。これだから、庶民は! 礼儀も知らない。」

 そう言って、去っていった。

 アントニオは身分に関する、そういったマナーを父母も他の親戚も誰からも聞いたことがなかった。実力主義のジーンシャン領では、王都ほど、身分によるマナーが厳しくないからだ。さらに言うならば、両親である勇者と聖女の2人は自分で自己紹介などせずとも、周りが2人のことを知っており、話しかける順番について、あまり考えて生活する必要がなかったのである。

 アントニオは次期辺境伯で、王家の血を引いている。そのアントニオが、自分から話しかけてはいけない相手など、この王立学校にはいない。ジーンシャン家より、身分が上の立場にあるのは王族だけだが、その王族ですらアントニオの親戚なのである。

 だが、王立学校の生徒達は、アントニオ・ジーンシャンが入学するというニュースは知っていたものの、誰が、その人物で、どんな髪色であるのかを知らなかった。

 そして、おおよその身分を見分ける簡単な方法として、髪の色を見ていたのである。

 アントニオは嫌な予感がしたが、気を取り直して、食堂に向かった。

 従業員達は気が付いて、うやうやしい態度で、すぐに良い席に案内し、朝食を用意してくれた。だが、何も知らない寮生達は、その様子を、好意的とは言えない目でみていた。

 ここはエリートばかりが集まる国1番の王立学校である。王家と神官家の銀髪、戦士科の漆黒の髪以外の学生は、当然のように皆が金髪である。その髪色の明度によって、魔力量を競っているような場所であるのだ。

 街でも、治安の悪い貧民街に行かなければ、アントニオの様な焦茶の髪を持つ人間には出会わない。そんな卑しい下層階級の人間が、誉高い王立学校で、自分達と同等に扱われるなど、あってはならないことだと思っていたくらいだ。

 それなのに、従業員がアントニオに対して、非常に丁寧な接客をしている。まるで自分達より身分の高い者を相手にしているような扱いだ。

 自分達よりも焦茶が優遇されている!? そんなことは、絶対に許されないことだ!

 アントニオが食事を終えて食堂を出ると、そのタイミングを見計らったように、席を立った4人の学生がいた。

 人目のない通路に差し掛かったところで、その中の1人がアントニオにわざとぶつかった。

 アントニオは、倒れはしなかったが、背中に痛みを感じた。だが、何が起きたか分かっていなかった。

 後ろから結構な強さで体当たりされたのに、急いでいてぶつかったのかな? と、呑気に考えていたのである。

寮生
「イッテェ~な~!! 汚い焦茶にぶつかられちまった!」

 4人はアントニオを取り囲み、ニタニタ顔で笑っている。

 アントニオは可笑しいな? と思いつつも、咄嗟に謝る癖が発動して、「あ、申し訳ありません」と言ってしまった。

 この反応をみた4人は、アントニオのことを確実に格下の相手であると確信し、一斉に、アントニオを罵りはじめた。

「話しかけて来てくんじゃねぇ! 下衆が!」

「ここはゴキブリ野郎の来ていい場所じゃないんだけど?」

「誰か、魔法でゴキブリを殺せよ!」

「嫌だね! 俺の魔法が穢れる!」

 など、口々に汚い言葉で罵った。

 最後にその内の1人が、前蹴りを入れて来て、「しまった! ウンコ踏んじまった!」「きたなっ!」と言って、去っていった。

 アントニオは何が起きたか分からず、その後しばらく、呆然と立ち尽くした。

 咄嗟に前蹴りを防いだ腕がズキッと痛んだ。

 重い気持ちで部屋に帰り、しばらくベッドに座って、バルコニーの向こう側に見える空を眺めた。

 こんな悪意は久しぶりだ。

 どうすればいいか.....考えなくてはいけないのに、頭が回らない。

 相手は、自分よりも身長が低かったから、同級生だろうか? 嫌われているのは確かだ。しかも、長い年月を一緒に寮で暮らさなくてはいけない相手である。

 大丈夫...前世で、家庭内暴力にあったときも、貧しさから学校でイジメにあったときも、1人で何とかして来たんだ。今回だって、何とかなるさ!

 アントニオは、自分で自分を懸命に励まして、心を落ち着けようとした。だが、知らず識(し)らずのうちに涙が流れていた。


トントン!

ヤン
「ヤンです。アントニオ様、お迎えに上がりました。」

 声が聞こえて、慌てて涙を拭った。

アントニオ
「はい。顔を洗うので、少し待って頂けますか?」

 出来るだけ明るい声で話す。

ヤン
「はい! 失礼しました。お待ち致します!」

 アントニオは急いで洗面所に行って顔を洗って、腫れた目を冷やした。何とか、まともな顔に戻してから、扉を開けた。

アントニオ
「お早うございます。お待たせしてすみません。」

ヤン
「いえ! いくらでもお待ち致します。...もしかして、起きられたばかりですか? ご朝食は?」

アントニオ
「いえ、先程食堂で頂きました。顔にソースがついてしまいましたので、顔を洗いたかったのです。」

ヤン
「そうですか。」

 ヤンの明るい顔を眺めていたら、ふと、自分と一緒にいると、ヤンもイジメられたりするのでは? という考えがよぎった。

 ヤンは、魔法戦士としては大変優秀だが、身分としては、それ程高くはない。

 今日、朝の僅かな時間で、焦茶の髪を持つ自分は敵を作ったのだから、一日中一緒にいて、学校を案内して貰うのは、ヤンにとって危険かもしれない。

アントニオ
「今日は、校舎を案内して貰う予定でしたが、部屋で案内図を見ながらの説明にしてもらっても良いですか? ちょっと、慣れない環境で疲れてしまったのです。」

ヤン
「もちろんです! そうですよね、一昨日は飛竜で飛んでいらして、昨日は引っ越し作業だったのですから、今日はお疲れですよね!」

アントニオ
「有難うございます。さ、入って!」

 誰にも見られていないよな? と、確認しながら、アントニオはヤンを部屋に招き入れた。

 ヤンと一緒に案内図を見ながら説明を受ける。

 寮から校舎までは3分もあればいけるとか、座学の授業はこの部屋で、戦闘訓練はこの部屋だとか。授業についても、時間割を見ながら、どんな授業があるのかを教えてもらった。

 そうしているうちに、お昼の時間になった。

ヤン
「食堂に行きましょう! 」

 確かに食事の時間ではあるが、一緒に行ってもいいものか? ジーンシャンの子供を守るのは、次期領主である自分の役目である。判断を間違えてはいけない。

 アントニオは悩んだ。

アントニオ
「あの、もし、我儘を聞いて貰えるなら、部屋で食べるオーダーをお願いしても良いでしょうか?」

 そのお願いにヤンは、アントニオ様はそんなにお疲れだったのか? もしくは、具合が悪いのかしれないと思った。

ヤン
「もちろんです。メニューをもらって来ますね!」

アントニオ
「いえ、今日も本日のランチコースと紅茶で大丈夫です。お願い致します。」

ヤン
「かしこまりました。」

 この日、ランチをとった後は、ヤンに帰ってもらう事にした。ヤンと話していても、今朝の出来事で頭がいっぱいで、あまり内容が頭に入ってこなかったのだ。

 それに、対策を考えないといけない。

ヤン
「では、また、明日来ます!」

アントニオ
「連日の案内は、ヤンの勉強や訓練に差し支えてしまいますでしょう?」

ヤン
「大丈夫ですよ! 遠慮なさらないで下さい!」

アントニオ
「用がある時は、こちらから、お願いしに行きますので、その時にお願い致します。」

ヤン
「そうですか? では、失礼致します。」

 ヤンを見送った後、アントニオはしばらく、部屋でボーッとした。

 上手く考えられない。やはり、こういう時は、1人だけで考えてはいけない。自分よりも賢い人に相談しなくては!
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