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鉄仮面の下(3)

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「お肉と猫砂をいただけたのはいいのですが。ちょっと重いですね」
「そうね……」

 猫三匹分のささ身肉と、猫砂は女ふたりにはかなりの大荷物だった。

 靴屋の前で先ほど離れてもらった衛兵がちらちらとこちらを見ているが、ソマリに距離を置けと命じられた手前、近寄れないようである。

(まあ、肉屋からもう少し離れてから彼には手伝ってもらうことにしましょう)

 そう思いながら、砂が入った袋を担いで歩くソマリ。ずっしりと肩と腰にくる重量だ。

(いつもタビーが重い物を運んでくれていたから、とても助かっていたのよね)

 慣れない重さに、また彼のことを思い出してしまう。

 そして、恐らくもう二度と会えないだろうということを思い、胸がきりりと痛んだ。

(いやいや、何を切なくなっているのよ。そもそも私はスクーカム様の婚約者じゃないの。元々タビーとは、どうにもならないじゃない)

 必死でそう言い聞かせるソマリ。この気持ちは気の迷いだと、思い込もうとする。

 しかしスクーカムがタビーのように猫を好きならよかったのに……と、どうしても考えてしまうのだった。

 そんなこと思っていた時だった。

「さ、山賊だー!」

 叫び声が響いた。すると「きゃー!」「わー!」という悲鳴と共に、家の中や民家の陰に隠れる平民たち。

 どこに山賊が現れたのかはまだ不明だったが、ソマリとコラットも近くにあった茂みの陰に身を隠した。すると。

「ソマリ様!」

 靴屋の前で待機していた兵士が、ソマリの方へ駆け寄ってきた。そして剣の柄を握りしめ、その背中でソマリとコラットを守るような体勢を取る。

「すぐに来てくれてありがとう」
「おふたりのことは私がお守りいたします」

 ソマリが礼を述べると、緊張した面持ちで兵は答える。

(兵もついてくれているし、こうやって隠れていればきっと大丈夫よね)

 楽観的に考えていたら、ちょうどその場から王都を横断するバーマン川にかかる橋が見えた。

 橋の上では、サイベリアンの紋章が入った甲冑をまとった兵たちが、すでに山賊らしき輩を取り囲んでいた。

 なんとその中心には、いつものように鉄仮面を被ったスクーカムが、剣の切っ先を山賊に向けている。

(さすが、スクーカム様に軍事国家の衛兵さんたちだわ。現れた山賊を、もう追い込んでいるなんて)

 この状況ならもう安心だろう。さ、早く猫砂とささ身肉を持って帰ろう……と思いきや。

「あら……!? あそこに猫ちゃんがいるわ……!」
「え!? あっ! 本当ですね……! あの子大丈夫でしょうか……!?」

 ソマリの言葉を聞いて、コラットが緊張した面持ちになった。

 橋の手すりの上で、灰色の縞模様の猫が、前足を胸毛の奥に収納する形で座っていた。

 ちなみにこの猫の座法は、東の国の方では「香箱座り」と呼ぶらしい。香木や薫香料を収納する香箱に形が似ているからというのが名の由来だとか。

 猫のすぐ側では、スクーカムたちが山賊を取り囲んでいる。

 大多数の猫ならば、こんな近くに人が集まっていたら逃げるはずだが、どうやら灰色の猫が物怖じしない性格らしい。

 兵や山賊を気に留めた様子もなく、かわいらしいあくびまでしていた。

(ね、猫ちゃんが危ない目に遭わなければいいけれど)

 しかし猫を助けるために出て行ける状況でもない。ハラハラしながらも、ソマリは猫を見守ることしかできない。

「もう逃げられんぞ。ようやく見つけたお前らの拠点も今頃別の小隊が潰しているところだし、親玉もすでに捕らえている。まさか、枯れ井戸の中が洞窟に繋がっているとはな……。なかなか見つからず苦心したぞ」

 スクーカムは猫に気づいていないのか、気づいているのに気に留めていないのかは不明だが、猫を気にした様子は無く剣を向けた盗賊にそう告げていた。

 そういえば、なかなか盗賊たちの隠れ家が見つからないと警備の兵が話していたのをソマリは思い出した。

(拠点も見つけて、頭も捕らえたのなら。もうほぼ盗賊問題は解決ね。あとは残党を狩るくらいでしょう)

 サイベリアン王国の平和が守られたことは素直に喜ばしい。しかし橋の手すりの上にいる猫が今は何よりも心配だった。

 何かよからぬことが起こる前に、さっさと盗賊から遠ざかってほしい……そう願うソマリだったが。

「くっ……!」

 追い詰められた盗賊のひとりが小さく呻くと、味方をスクーカムの方に押しのけた。

 そしてその隙に逃亡を試みる。しかし兵たちが辺りを囲んでいたため逃げ場がない。

 いや、ひとつだけあった。そう、橋の上だ。

 盗賊は橋の手すりの上によじ登ろうとしたが、そこにはすでに目を閉じてまどろんでいる猫がいた。

 すると彼は、信じられない行動を取った。

「どけ!」

 猫を乱暴に押し、なんと橋の下の川へ落としてしまったのだ。

 突然のことに、何がなんだか分からないと言った様子で目を見開きながら、川へと落下していく猫。

 猫は悪魔の使いだと伝承されている。それを信じ忌み嫌う者も多いが、そのかわいい姿を見さえすれば、ほとんどの人間は猫を好ましい存在だと認識を改める。

 何回も人生を繰り返したソマリは、そんな人間達ばかり見ていた。

 しかし中には、本物を見たところでまったくかわいいと感じないらしい者もいた。中には毛嫌いすらする者も。ごく少数であったが。

 猫はかわいいという意見が、人類の総意ではないことをソマリは重々承知している。別にそれが悪だとは思わない。

 人の好みは千差万別。食べ物の好き嫌いのようなものだと考えれば納得はいく。まあ、猫をかわいいと思わない者とは仲良くできそうもないなとは思うが、関わらなければいいだけのこと。

 猫を嫌いなのは別にいい。――しかし。

(猫ちゃんに危害を加えるのだけは、絶対に許せない!)

 ソマリは気づいたら走り出していた。「ソマリ様!?」と叫ぶコラットの声が聞こえたが、返事をしている余裕などない。

 川に落ちた猫の救出には一刻の猶予もない。ソマリはスクーカム達や兵士、盗賊の間をすり抜け、橋に登ると迷わずに川へ向かって飛び込んだ。

 飛び込んだ先に、ちょうど半分溺れたように猫かきをしている猫がいた。

 ソマリがその猫を抱えると、猫が必死にしがみついてきた。よっぽど水の中が恐ろしかったのだろう。

(これでもうこの猫ちゃんは大丈夫。よかった……)

猫が溺れ死ぬことを防げて安心したソマリだったが。

「っ!?」

 足がつってしまい、うまく川の中で動くことができなくなってしまった。

 さらに、着用していた町娘変装用のワンピースが水を吸ってかなりの重量になっていることに気づく。

 猫を助けるまではあまりに必死だったため、意外に川の流れが急なことも、服を着た状態での水泳が危険なことも、つい失念していたのだ。

 うまく動かせない足で必死に岸へと向かおうとするソマリ。しかしついに川の流れに全身を取られ、猫を抱えたまま半分沈んだ状態で流されてしまう。

(まずいわ……。私もこの猫ちゃんも、このまま死んでしまうの……?)

 息ができない状態が続き、おぼろげな意識の中でソマリはそんな風に考えてしまった。
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