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終わる日常

本音

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「アピ……!」

 連れ戻そうとしている少女は、目の前にいる。
 しかし、今の彼女は、リヴと一緒に行く事を確実に拒むだろう。

「お前はどうして、私の友達を殺そうとするんだ! どうして私の居場所を奪おうとする!? 私を殺したいからか!! そうだよな、お前は私を殺しに来たのだから!!」

 アピの周りで、風が大きく渦を巻いている。だが、先程のように風を凶器にして襲い掛かって来る事はない。——本人は気付いていないだろうが、確実にリヴを殺す気がない。彼女にも、迷いが生じている。

「……アピ。俺は、お前の居場所に連れ戻そうとしている。孤児院がお前の居場所だろう? だから、帰ろう」
「その孤児院に居させないようにしたのが、お前だろう!? メラニーも……お前が殺したんだろう!?」

 魔女の子とはいえ、回復魔法が使えないリヴが、メラニーを殺せるはずがない。アピ自身も、リヴが殺していないと思っているはずだ。最初に、メラニーではなくイダスの殺害について追及したのがその証拠。
恐らくティールに入れ知恵されたアピは、自分で思考しようとしていない。——目の前にある真実から、避けているかのようだ。

「俺はイダスさんを殺していない。メラニーは……生きている。お前を救ってほしいと頼まれたから、ここへ来た」
「お前が殺していないのなら、誰が殺したっていうんだよ!! メラニーが生きているなら、あの死体は何だったんだよ! ……どうして、ここに来てくれないんだよ……」

 アピの小さな身体は震えている。大粒の涙が、彼女の頬を濡らす。300年生きても、愛情を知らずに育つ事が出来なかった、孤独な魔女。年数は違えど、少年期の自分と重なって見えた。
 強風の中、リヴはアピの元へゆっくりと歩を進める。カトレアの刻印されたペンダントが、強風によって煽られる。

「……メラニーは、自身を分裂させて死を免れた。だが、身体を半分失ってしまったから、思うように動けないんだ。いつもここに身を隠していたメラニーが、危険を顧みず人の多いモネに来て俺に接触したのは――どうしてもお前を救ってほしかったから」

今のアピにイダスを殺した犯人を言っては、暴走する可能性があるので、メラニーの事だけを伝えるようにする。

「メラニー……生きている……?」

 リヴの言葉で、明らかに風の勢いが弱まった。このチャンスを逃すまいと、リヴはアピに駆け寄り、彼女の小さな両手を包み込んだ。

「アピ!!」
「やっ……やめろやめろやめろ!! 離せよ、離せ!!」

 焦ったアピは、無我夢中で風刃を放つ。しかし、リヴは凶刃に身を何度も斬られても、アピの手を離さない。
アピはハッと気づく。リヴは、アピの攻撃を受けても、回復魔法を使おうとしない。血濡れになっても、猫のように吊り上がった目は、真っ直ぐとアピを見つめている。

「リヴ……! お前、死ぬぞ……!」
「……お前は俺を殺さないよ、アピ」

 リヴはそう確信めいた事を言う。それを挑発と受け取ったアピは、カッと血が上り、リヴの首筋目掛けて風刃を放とうとする。しかし――

「……っ」

 刃が、リヴの首を斬る事はなかった。途端に、アピの周りで吹いていた強風が和らぐ。リヴはアピの両手をしっかりと持ったまま、目の前の少女から決して目を逸らさない。愛を知らずに育った彼女は、大粒の涙を零していた。

「ころせ……ない。私は……お前と一緒にいる時間が……とても楽しかった。今まで生きてきた中で……一番、自分が求められていると思ったんだ。……例え、お前が私の命を狙っていようとも、あの日常は……私の宝物だ」
「……俺も、あの日常が無かったら、今まで生きていられなかった」

 自暴自棄になったリヴの命を救ったのは、間違いなくアピだ。アピはわがままで、どうしようもない子供だったが、自分が孤児院で育った事を思い起こさせた。——認めたくなかったが、妹のように思った事もある。
 暗殺者と標的の歪な日常は、リヴの当たり前になっていた。
 きっと、今なら自分の話を聞いてくれる、とリヴはポケットから一枚の紙を取り出した。

「アピ……。お前にはティールだけじゃない。ほら、これ……」
「これは……ニナから?」

 それは、アピに会ったら渡して欲しいと言われた絵だ。アピとニナが楽しそうに笑っている。

「お前の帰りを待っている。他の子供達だってそうだ。お前をあそこで待っているんだ」
「皆が……」

 ニナの絵を受け取ったアピは、小さな身体を震わせて泣く。だが、その涙は、もう悲しみのものではなくなっていた。
 アピの瞳に淀んだ色が消え、葡萄色に光が灯る。いつもの活力がある瞳だ。

「俺は……お前をあそこへ連れ戻す為に、助けに来た」

 リヴは、アピにそっと手を差し伸べる。アピには、ティールだけではない。孤児院では、アピの帰りを待つ子供達がたくさんいる。——そして、リヴも。

「さあ、帰ろう」

 アピは、涙を手の甲で拭ってから、くしゃりと笑った。

「うんっ……」

 そして、アピはリヴの手を握った。

「だあめだ駄目だ駄目だ!! なあに言っているんだよおアピちゃん! 君の居場所はここにしかない!! 孤児院では誰も待ってなんかない!!」

 突如、頭上から声を裏返しながら必死に叫ぶ声が落ちてきた。見上げてみれば、先程リヴが負わせた傷はさっぱりとなくなったティールの姿が。その表情は、いつもの不敵な笑みを浮かべておらず、冷や汗をダラダラと流しながら歯を剥き出しにして必死の様子だった。

「アピの居場所はここじゃない。あの孤児院だ」
「うるさい!! お前がアピちゃんを語るな!! アピちゃんは、アピちゃんはボクと一緒にいるのが幸せなんだ!!」

 空中でもがく姿は、まるで子供が癇癪を起こしたかのよう。成人男性の姿を模していると、何とも滑稽な姿だ。

(やはり、この魔族は――)

 いつも成人の姿をしているが、あくまで仮の姿。彼は、見た目よりも中身が大分幼い。それならば、とリヴは口を開く。

「そんな事はない。アピは孤児院にいたいから、俺の手を取った」
「アピちゃんは流されやすいから、つい手を取っただけだ!! そもそも、あそこからアピちゃんを追いやったのは、お前がイダスという男を殺したからだろう!?」
「ティール……?」

 いつもと様子が違うティールに不安を覚えたのか、アピがか細い声で彼の名を呼ぶ。アピには酷だが、真実を知ってもらわなければならない。リヴは首を振る。

「いいや、殺したのはお前だ。お前はイダスさんを殺害し、俺とアピにお互いが殺したんだと思わせた。全てはアピを手に入れる為に」
「はあ!? あんなダサいモノクル掛けたジジイ、誰が殺すかよ!」

 捕まえた、と思った。頭に血の上った魔族は、自分が失言をした事に気が付いていない。

「……お前、さっきはイダスさんに会った事はないと言っていたよな。どうしてイダスさんの外見を知っている?」
「あっ……」

 指摘されて、ようやく自分が大きな失態をしてしまった事に気が付いたティールは顔を青ざめさせた。
 ティールの視線の先には、信じられない、と大きな目を見開く少女の姿が。

「ティール……本当なのか?」

 アピの表情は、悲しみではなく、怒りに染まっていた。


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