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終わる日常

炎の奥で

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 アピを救うと決めたからには、彼女の居場所を探さなければならない。自分の思い当たる場所をしらみつぶしに探す事になるので、孤児院に常駐する事は難しくなる。リヴは孤児院に戻ると、ミラではなくマースに声を掛けた。

「え? しばらく休みたいって……どういう事?」

 調理場で夕飯の仕込みをしようとしていたマースは、リヴが突然休みたいと言ったので動揺が隠せないようだった。無理もない。今は猫の手も借りたいくらい、忙殺している。リヴの無期限休養は寝耳に水だろう。

「すみません……。俺にはやらなくてはならない事があるんです」

 それでも、リヴはこの無期限休暇を取らなくてはいけなかった。こちらから出向かなくても、ティールはリヴを殺すために姿を現すはず。この孤児院にいる者達を巻き込みたくない。
 マースは頬に手を当てて困惑した様子だったが、リヴが折れそうにないと悟ったようで、ため息まじりに微笑んだ。

「……アプちゃんを探すの?」

 リヴは一瞬言葉に詰まる。付き合いが短くとも、マースはお見通しのようだった。
 イダスが死んだ事は勿論だが、アピがいなくなってしまった事で心を痛めた人は何人もいた。マースもその一人だ。

「ええ、そんなところです。こんな大変な時に休みたいと言ってすみません」
「いいのよ、それは。でも、貴方が急に休むと言ったらミラディアス様は何て仰るか……」
「……ミラ……ディアス、様には、適当に言っておいてください」

 ミラに直接伝えなかったのは、どうせ拒否をすると思ったからだ。そして、アピを内密に指名手配しているので、ミラ自身も同行すると言いかねない。敵か味方か分からない者を側に置きたくなかった。
 マースは笑って了承してくれた。こんな時期に無理をさせて申し訳ないと思ったが、これはどうしても譲れない。
 マースと別れ、孤児院の敷地を囲んだ柵の扉を開こうとしたところで、背後からこちらに近寄る気配がした。
 振り返ると、そこには息を切らした赤毛の少女が。アピと仲良くしていたニナという少女だ。

「リヴさん! アプちゃんは……?」

 ニナは大人の男性が苦手のようで、リヴにはあまり話しかけてこなかったが、それが気にならないくらいアピの事が心配のようだ。
 リヴは表情を少し緩めると、屈んでニナと同じ視線になった。

「大丈夫だ、俺が必ず連れ戻すよ」

 リヴの言葉に安心したようで、ニナは表情を綻ばせた。

「私ね、この孤児院に来たばかりで友達が全然いなかったんだけど、アプちゃんのお陰でとても楽しく過ごせたんだよ。だからまた会いたいの」
「そうか」
「リヴさん。もし会ったら、これをアプちゃんに渡してほしいの」

 ニナはスカートのポケットから、くしゃくしゃになった紙を渡してきた。それを受け取り、中身を見ると、それはニナとアピらしき少女が楽しそうに笑っている絵だった。ニナが一生懸命描いたのだろう。リヴはその紙を畳んで懐にしまうと、ニナの頭を優しく撫でた。

「ありがとう、ニナちゃん。アプはきっとここへ戻ってくるから」

 そう言うと、ニナは笑顔で大きく頷いた。


***


 リヴはアピ捜索の前に、リヴはモネの街でフレイの居場所の聞き込み調査をしていた。
 もしメラニーの言う通り、フレイの失踪がティールと関係しているのなら、情報が何もないアピ捜索の糸口がつかめると思ったからだ。
 しらみつぶしに通行人に声を掛け、フレイの特徴を伝えて行方を知らないかと尋ねるが、誰も首を縦に振ってくれない。
 暗殺者は目立たないように行動するのが当たり前なので、誰も印象をもたないのは仕方がない。楽観的なフレイなら少し抜けがあるかと思ったのだが――

「ああ、オレンジ色の髪をした男なら見覚えがあるよ」

 やはり抜けはあった。十人以上聞き込みを続けて、ようやくフレイを見たという初老の男が現れた。身なりが綺麗で高価な装飾が散りばめられていたので、恐らく位の高い男だろう。

「それはいつ、どこで見かけましたか?」
「変な鼻歌を口ずさみながら、路地裏に入っていくのを見たからよく覚えている。見かけたのは……十日以上は前だと思う」

 十日以上前ならフレイが失踪した日時と辻褄が合う。何処の裏路地に入ったのか詳しく聞き、男性に礼を言うとリヴはその路地へと向かった。
 大分前の話なので、そこに手がかりがあるかは不明だが、行ってみないと分からない。
 男の教えてくれた裏路地へ身を投じ、辺りを警戒しながら進む。裏路地に入るのは職業柄慣れているが、この通りは何故かうすら寒さを感じた。
 突き当りを右に曲がると、そこはゴミ捨て場のようだった。ゴミが乱雑に積み上げられている。裏路地は整備されていないので、こういう不法投棄が多い。何か手がかりはないかと観察をすると、ふと地面に赤黒い染みがついていた。ここ数日雨が降っている日もあったが、この裏路地は屋根に覆われて雨が入らないようだ。
 赤黒い染みを指でなぞるが、付着しない。大分時間が経っているようだ。

(ここで、何かあったのか……?)

 この赤黒い染みがフレイのものであるかは不明だが、無関係のようには思えなかった。ゴミ捨て場を大方見たが、死体は何処にもない。
 どうにかして、新たな手掛かりを見つけたい。リヴがゴミを漁ろうとした時だった。

「ゴミ捨て場で何をしているんだい? 清掃者にでも転職したのかな?」

 少し怒りを帯びた凛とした女性の声に、リヴは瞬時に振り返った。そこには眉を吊り上げた麗人、ミラの姿が。腰のレイピアに手を掛け、今にも抜きそうだ。リヴもジャケットで隠された短剣に手を伸ばしながら、ミラを睨む。

「どういう事だい? リヴ。君が休むなど、私が許すと思っているのか?」
「……そう言うと思ったから、お前に直接伝えなかったんだ」

 孤児院が慌ただしいので、まさかこんなに早く追ってくるとは思わなかった。ミラの背後には護衛もいない。ここにいるのは、モネの公女ミラディアスではなく、シガ隊副隊長のミラだ。

「アピ=レイスを探すようだね。あてはあるのかい?」
「場所は分からないが……誰といるのかは分かる」
「ティール、かい?」
「!」

 ミラの口からティールという名が出てくるとは思わなかったので、心臓が大きく脈打ったのが分かった。
 シガ隊のミラはティールを見ているし、アピが名前を呼んでいたからそこで知ったのだろう。その考えは、ミラの次の言葉で否定される。

「私はあれと少ししか会話をしなかったから分からなかったが……なるほど、あの魔族の狙いがアピ=レイスというのは本当のようだ」
「会話……? お前、何を言っている……?」

 額を汗がつたう。ミラは怒りの表情を消し、怪しく笑いながらこちらに歩を進めてくる。コツ、コツ、とミラの靴音が路地裏に響く。

「あれの両腕を切り落とした後、ティールとやらが交渉をしてきたのさ」
「……何の交渉をしたんだ?」
「リヴを生かして捕らえてほしいってね」
「——!」

 ミラはレイピアを抜くと、躊躇なく切っ先をリヴに向けて突き出した。リヴは左手で短剣を抜くと、それを受け流し、右手袋に仕込んでいた暗器をミラへ向けて放つ。ミラは軽い身のこなしでそれを避けた。

「おや、リヴ。君は確か右腕が使えないはずだったが?」
「……治りは早い方なんだ」

 右腕はそこまで本調子ではないのだが、そうは言っていられない。
 ミラのレイピアは、この狭い路地では不利なはず。リヴは壁際へ寄り、相手の出方を窺う。
 ミラはレイピアを最小限の動きで突き出すが、リヴが避けたらその切っ先は壁を弾いた。

「レイピアなんてこんな裏路地で使うもんじゃないな」

 少し隙が見えたミラに、リヴは肩掛けベルトの裏に隠された針状の暗器を取り出し、それをいくつも放った。
 だが、その針はレイピアから溢れた炎魔法によって防がれ、勢いを失った暗器は地面に落ちる。

「普通のレイピアならね。両腕が使えるようになったなら厄介だな」

 レイピアから溢れる炎魔法は、ミラを守るかのように彼女の周りを揺らめいている。魔道具を持っているミラが明らかに有利だ。リヴは自分の鎖骨あたりに手を当てる。そこにある膨らみに手を出そうか、躊躇する。
 これは、ティールやアピを殺す為の最終手段としてとっておいたものだ。ここでミラに浸かってしまっては――

「駄目だよ、リヴ。躊躇は死だ」

 燃えるものがないというのに、炎がリヴの足元で囲むように勢いを増す。狭い裏路地では何処にも逃げられない。

「一緒に来てもらうよ、リヴ」

 炎の奥で、ミラがそう言って美しく微笑んだ。

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