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終わる日常

背後の声

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 ホークアイのアジトへ行くと、武器が揃えられていた室内は物がすっきりと片付けられていて、床に大きな木箱がいくつも積み上げられていた。
 ホークアイは不定期にアジトの場所を変える。しばらくモネを拠点としていたが、そろそろ場所を変えるようだ。

「……フレイ? あいつは最近来ていないが」

 ホークにフレイの居場所を尋ねると、眉間に皺を寄せて煙草の紫煙を吐き出した。
 今日のホークは機嫌が悪いようだ。髪の生えていない東部に青筋が入っているように見えるし、カウンターテーブルの上にある灰皿の吸い殻は山のように積まれていた。

「ここ数日で、ホークがフレイに言伝を頼んだと聞きましたよ」
「言伝なんてしてねえよ。お前の定期報告をフレイから聞いた日以降、あいつは来ていない」

 リヴがフレイに定期報告を頼んだのは、モネに来た日だ。それならば十日以上ここへ来ていない事になる。リヴの頭の中で違和感が膨らんでいく。

「え? しかし、フレイは……」
「あいつに頼む雑用が数件溜まっているんだ! あの野郎、すぐにすっぽかしやがる」

 ホークは声を荒げて煙草を灰皿に押し付けた為、吸い殻の山が少しだけ崩れてしまった。
 フレイは簡単な案件しか受けないが、報告をすっぽかすようには見えなかったので意外だった。

「……孤児院の院長、イダスの暗殺についての言伝は、頼んでいないのですね?」
「はあ? イダスゥ? 聞いた事ねえよ、そんな名前」
「そうですか……」

 ホークが嘘を吐いているとは思えない。それならば、どうしてフレイは嘘の伝言をしたのか。
 フレイが不在で虫の居所が悪いホークにはこれ以上何も聞けないと思い、最低限の報告をしてからリヴはホークアイを出た。
 人通りのない道を歩く。陽の入らない裏路地は、曇天の日だと更に薄暗い。

(フレイが嘘を吐いたという事か? だが、何の為に……)

 闇雲に歩きながら思案する。フレイはふざけてあんな暗殺依頼をする男ではない。ホークがフレイに会っていないのでは、伝言を聞き間違えたという線もない。
 一つの可能性が過る。もし、あの場に来たのがフレイではない何かであったとしたら。

「……フレイを見つけなくては」

 焦燥がじわじわとリヴの心を占めていく。
 リヴはジャケットの裏ポケットに入れていた封筒を取り出す。アピが残したという手紙だ。ニナから預かっていた。
 ニナは消えたアピの事を心配していた。まさかアピがイダスを殺した疑いが持たれているとは夢にも思わないだろう。
 フレイによる嘘の暗殺依頼、アピが書けるはずのない手紙、イダスの殺害、そしてその前にいた血塗れのアピ……全てが筋書き通りに思えてしまう。

――どうやら私達は誰かに踊らされているようだね。

 ミラの言葉が脳裏で木霊する。その誰かというのは恐らく――

「——!?」

 突然背中に何かが押し付けられて、足を止めた。この感覚、恐らく銃口だ。思考に頭を巡らせていたとはいえ、誰かに背後を摂られたのは迂闊だった。
 リヴは背後の誰かを刺激しないよう、両手を顔の高さまで上げた。

「……金盗りか? 俺は金など持っていないが」

 そう尋ねると、少しして背後からゴポッと何かが溢れる湿った音がした。それと同時に鉄臭さが鼻をつく。背後の誰かは何度か咳き込むと、掠れた声を発した。

「……振り返らないで」

 声はやや高く、気だるそうな女性のものだった。聞き覚えのある声に、リヴは眉を潜めた。

「……メラニーか?」

 廃教会にいる、二日酔いの魔女。彼女はあそこから動くような人物ではなかったように見えたが――と思った時に、再度鉄臭さを感じた。

「怪我しているのか?」
「……怪我というよりも、半分死んだというところかしら」
「半分死んだ?」
「肉体を……二つに分裂させていたのよ……。一つが死んでしまったから……本調子ではないの……。今は、自分の復元に精一杯……」
「……分裂させられるなんて、魔女は随分と便利だな」

 魔女が分裂できるなど、聞いた事がなかった。もしかしたら、これまでに殺した魔女も分裂体だったのかもしれない。そう思ったのを見透かされたそうで、メラニーは「分裂は高度な魔法だから、私くらいにしかできないわ……」と付け足された。

「分裂できても……自分の精神も、魔力も半分に削られるのよ。今なら貴方でも私を殺せるかもね……」

 メラニーは再度咳き込んだ。明らかに血ではない物体が落ちているような音がする。背後から血の臭いと共に腐臭を感じた。
 背後のメラニーが今どんな姿なのかは分からないが、恐らく人の姿をしていないのだろう。自分の体が半分無くなるなんて、どういった感覚なのかは想像もつかないが、重傷なのは違いない。
 リヴは前を向いたまま口を開く。

「……俺にお前を殺す理由がない。廃教会に隠れていたお前が、どうして俺の前に現れた?」

 自分の住む廃教会に誰も来られないようにする程警戒心が高いメラニーが、人の多い首都モネにやって来る事が意外だった。しかも今のリヴでも殺せそうなくらい、酷く弱っている。
 メラニーは一呼吸置き、ゴポッと湿った音をさせながらも、静かに紡ぐ。

「アピの事を……お願いしたくて。今の私では……守り切れないから」

 突然アピの名前が出てきたので、リヴは息を呑んだ。血濡れのアピの姿がフラッシュバックする。

「……アピが今どういう状態なのか、知っているのか?」
「ええ……。あなたの様子を少し観察していたから大体はね……」

 メラニーはふう、と長く息を吐いた。分裂体を殺されたダメージは喋るのも億劫にさせてしまうのかもしれない。しかし、メラニーは続ける。

「アピは……可哀想な子。母の愛を知らず、成長が止まってしまった子」

 歌うように紡がれた言葉に、リヴは怪訝そうに顔をしかめた。

「どういう事だ……?」

 メラニーはそっと、真実を告げる。

「彼女は300歳を超えている。魔女の歳なら……とうに成人しているのよ」

 アピが成人をしている歳だとメラニーが言って、リヴは思わず鼻で笑ってしまった。

「成人? しかし、あいつは明らかに子供じゃないか」

 体も精神的にも明らかに幼いアピは、どう見ても成人しているようには見えない。信じないリヴをよそに、メラニーは話を続ける。

「魔女はね……人間と同じ歳月で成長し、大人の姿になってから成長が止まるの。だからあの子は280年前には成人していないとおかしいの」

 こんな時に冗談なんて言わないのは分かっている。だが、アピの姿を知っているリヴにはどうしても信じられなかったのだ。

「彼女の母……ケイトは、魔女を統括する立場の人だったから、アピとほとんど接する事ができなかった。愛を知らずにいたアピは、成長がとても遅かった。今の姿になるまで二百年もかかった」

 リヴは口を挟まずに黙って聞く。魔女を何人も殺してきたが、母の愛を知らないと成長しないとは聞いた事がなかった。
 ふと、アピが一人になるのを嫌がってついてきた事を思い出す。アピはきっと、一人になる事がトラウマなのだ。ティールが重傷を負った時も、酷く取り乱していた。

「そして百年前の魔女大戦で……ケイトは首謀者として処刑された。その出来事が、さらにアピの成長を止めたの。……貴方と接するアピを見て思ったの。貴方なら、アピを成長させてあげられるって」
「……俺はあいつの命を狙っている男だ。そんな事あるはずないだろう」

 口ではそう言ったが、予期せずアピの過去を知って内心動揺していた。
 あの生意気な少女は、内に愛を渇望した思いを秘めていた。それを聞いてしまったら、嫌でもパミラの孤児院にいた少年少女を思い出してしまう。
 彼らも、自分も母の愛を知らずに育った。だが、パミラがいたからここまで成長できた。だが、アピにはパミラのような存在はいなかった。だから、成長できなかった。
 少しの間、二人の間に沈黙が訪れる。先に口を開いたのはメラニーだった。

「ところで、貴方は何をしていたのかしら? 探し物をしているようだったけれど」
「俺は……友を探そうとしていた」

 リヴはメラニーにフレイの事を簡潔に話した。ゴプ、と嫌な音を立ててからメラニーは自分の見解を言う。

「それは……ティールが関係しているんじゃないかしら」
「ティールが……?」
「あれが貴方の友達に化けて……貴方に嘘の言伝をしたのよ」

 あの時言伝した男はフレイではなかった。それならば今までの違和感の説明がつく。
 ティールがリヴを殺したがっているのは知っているが、何故イダスの暗殺依頼をしてきたのかが分からない。結局、イダスはリヴの手で命を落とさなかった。アピでないというのならば、残すは――

「イダスという男は、ティールに殺されたんじゃないかしら。アピのものと言われている手紙も、あれは書けるだろうしね」

 メラニーも同じ考えだった。アピはよくティールに手紙を読んでもらっていたようだったから、文字も書けるはずだ。リヴはジャケットのポケットの中で、手紙をぐしゃりと握り潰した。

「あいつの狙いは……アピか」
「そうね……。彼の狙いは、アピを独りにすること。だから私を殺し、貴方達からも遠ざけようとした」

 ティールはアピの使い魔になりたがっていた。その真意は不明だが、一緒にいたいという事は間違いではないはず。
 あの悪魔がそこまでアピに執着するのは何故なのか。それを尋ねてみたが、メラニーにも分からないようだった。

「貴方のお友達は変化に利用されたようね。ティールは会った人にしか化けられない。もしかしたらその友達は――」
「俺は、あいつの姿を見つけるまで認めません」

 メラニーの言葉を遮ってリヴは強く言う。いつも軽い態度でヘラヘラしているが、フレイは悪い男ではない。暗殺者など似合わないくらい、心優しい男だ。そんな彼が、あの卑しい魔族に殺されているなんて、誰が信じようか。
 メラニーはフレイに関してはそれ以上何も言わなかった。
ふと、背後から通行人の話し声が聞こえてきた。こんな人通りのない場所でも、誰も来ないわけではない。メラニーはリヴの耳元で囁く。

「……気を付けなさい。きっとティールはあなたを狙っている……。私の肉体を殺したのは……魔女の子よ……」
「魔女の子……!?」

 リヴの背筋がぞわりと粟立った。魔女の子は人間と魔女の間に産まれた男児。莫大な懸賞金がかけられるくらい危険で希少な存在だ。

「どうしてティールが魔女の子と手を組んでいる……?」
「分からないわ……。魔女の子は顔をフードで隠していたから見えなかったけれど……すごい魔力だった。私が太刀打ちできない程に」

 メラニーの分裂体が死んでしまうほどの力を持った魔女の子が、ティールと協力関係にある。こちらは手負いの暗殺者一人。あまりにも分が悪すぎる。

「アピはきっとティールのところにいる。……だから、どうか救ってあげて……」
「! メラニー……!」

 ドプン、と何かが落ちる音と共に、メラニーの気配が消えた。リヴは振り返るが、地面に黒い水たまりが張っているだけだった。恐らくメラニーが立っていたであろう水たまりを見下ろして、髪を左手で掻きむしる。

「くそ……俺に死ねって言うのか」

 メラニーを殺す程の実力を持つ魔女の子に、適うはずがない。
 アピなど、ただの暗殺対象だ。暗殺者を辞めようと思っているリヴにとって、いなくなっても何の差し支えもない。
 ——それなのに。

『私を一人にしないで……』

 アピの泣きそうな声が、表情が、リヴの心に引っかかる。
 死にたがっていた自分に条件を出し、暗殺させる機会を与えた頭のおかしい少女。アピとの奇妙な日常は、孤児院にいた時の事を思い起こさせた。
 リヴは舌打ちすると、首元に隠された金細工のペンダントを取り出し、握り締めた。

「……俺があいつを助けるのは……この一度きりだ」


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