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変わり始める日常
公女の依頼
しおりを挟むリヴは表情をあまり変えなかったが、内心は動揺していた。自分の右腕を負傷させた相手はモネ公女を装ってまた現れた。首に突き付けられたのはスプーンだったので手で押し退けようとするが、ピクリとも動かない。
「うわあ!! お前何をしている!?」
ソファから落ちていたアピが間抜けな声を上げると、ミラはリヴを解放した。一度微笑んでからソファの手摺に腰掛ける。リヴはソファから立ち上がり、距離を取ると短刀を構える。
「何故お前がここにいる……!? 本物の公女は何処だ?」
「何を言っている、リヴ。私がアルベール侯爵の娘ミラディアスであり、シガ隊副隊長のミラだよ」
ミラはスプーンを武器のように構えて不敵に微笑む。その構え方は見間違えるはずがない。
「み、ミラ!? ミラって偉い人だったのか!?」
アピはリヴの背後に隠れながらも驚いている。恐らくあまり話についていけていない。
所属は違うが、シガ隊副隊長のミラが貴族だという話は聞いた事がない。素性を隠して暗殺組織に所属しているのかそれとも――
「貴族が暗殺者だと? そんなわけがあるか」
「モネ家は複雑でね。表でも裏でも精通しているのさ」
「……何故俺達の前に姿を現し、正体を明かした? モネ家公女が暗殺者だと知られたらまずいのでは?」
「私はこれでも領民に慕われていてね。暗殺者と魔女の真実より私の虚実の方が信じられるだろう。……ホークアイの人々には信じて貰えるかもしれないけど、そうしたらどうなるか分かっているだろう?」
ミラの言う通りだ。一端の暗殺者の言葉など誰が信じるだろうか。彼女はリヴ達に正体を明かしても何の支障もないと思っているのだろう。
暗殺組織はミラの所属するシガが一番の勢力を誇っている。仮にホークに伝えたらシガ隊、もしくはモネ家に組織を壊滅させられそうだ。
暗殺組織は別に敵対しているわけではないので、副隊長に睨まれるのは避けたい。リヴの額から汗がじんわりと滲んだ。
「……別にミラが貴族だろうと俺には何の関係もない。……だが、一つ気になる事がある」
「何だい?」
「お前は貴族であり、暗殺者であり……魔女だという事か?」
ミラはレイピアに炎魔法を纏わせ、ティールの両腕を切り落とした。その時は男性だと思っていたので魔女の子だと思っていたが、女性だというのならば魔女だという事。流石に魔女が貴族の中にいるとは思えない。
ミラは少しつまらなそうに眉根を寄せてから、テーブルの上にスプーンを置いた。
「私が使ったのは魔道具だ。私に魔法は使えないさ」
魔道具。魔法の使えない人間でも使用が出来る武器だ。人間の下で働く魔女が造り出した物だと言われている。裏世界でもなかなか手に入らない代物。
魔法でしかダメージを与えられない魔族も、魔道具があれば対抗できる。リヴもそれを使ってティールを殺そうと考えていたのだ。
「魔道具だったら魔も両断出来る。だろう、アピ」
「!!」
ミラの言葉にアピの表情が一変する。今までの衝撃から理解が追いついていなかったが。彼女がティールを殺しかけた事を思い出したようだ。
「あの魔は死んだかい? しぶとそうだから生きているかな」
「お前のせいでティールは大怪我したんだぞ!!」
「斬られた両腕だって魔力を回復すれば元通りだろう。人間とは違って便利な身体だね。……魔女は人間ベースだから欠損したらそのままかな?」
窓が閉め切られているというのに、風がふわりとリヴの前髪を撫でた。その風はアピに向かっているようだった。怒りのままに風魔法を使おうとしている。この密室で風魔法を使われるのは後々面倒な事になりそうだったので、アピの頭をポンポンと叩いて宥める。
「落ち着けアピ。俺まで巻き添えにする気か」
三百年は生きていても精神年齢は十歳なので怒りをコントロールするのが苦手のようだ。リヴの落ち着いた声に、アピはハッとして風魔法を発動させるのをやめた。
ミラはこの魔女に暗殺を狙われていたというのに、ノコノコと姿を現すのもおかしい。何か狙いがあるはず。
「……屋敷に招いて正体を現して……お前は一体何がしたい?」
彼女の目的が全く分からない。謎めいた公女は優雅な仕草で立ち上がると、無防備に近付いて来た。リヴが短刀を振るうとは少しも思っていないのだろう。ミラはリヴの短刀の先まで距離を詰めると、人差し指を彼の顎に添える。
「暗殺者の君に依頼をしたくてね」
「依頼?」
貴族が暗殺組織に依頼をするケースは頻繁にある。モネ家公女であるミラが依頼をするのも違和感がない。しかし、暗殺組織を介さず暗殺者本人に依頼をする事はタブーとされている。
「依頼は組織を通さなければ受けない決まりだ。お前が一番知っている事だ」
「ああ、だからホークアイには既に話を通してある。もし偽りだと思うのならばボスに聞けば良い」
ここはホークの隠れ家があるから直ぐに聞ける距離だ。ミラも承知の上だろう。嘘を吐いているとは思えない。――そして、暗殺者である彼女からの依頼の内容が気になった。
「……公女様直々に依頼とはな。一体何だ? 何処かの伯爵でも殺せって言うんじゃないだろうな?」
「フフ、ついて来てくれ」
ミラはリヴから離れると、二人にここを出るよう促した。
***
ミラは護衛を付けずにリヴとアピを外へと連れ出した。外へと出た途端、人々の視線はミラにくぎ付けになる。
男性にも見える端麗な容姿、背筋の伸びた姿勢、所作。どれも人々の注目を得るには充分だった。その後ろを歩くのは暗殺者リヴと魔女アピだ。二人とも平民とは言い難い肩書きを持っているが、貴族のミラと並んでしまうとみずほらしく見えてしまう。
平民達はミラディアスに見とれながらも、背後のリヴとアピを見て声を潜める。大方「どうしてあんな奴等がミラディアス様と一緒にいるんだ」だろう。
リヴは裏方を主として生きて来たので、人の視線を浴びるというのは何とも気分が良くない。顔を見られないように、緑色のスカーフで鼻先まで隠した。
アピは度胸があるのか気づいていないのか、怒りを滲ませてはいるもののミラの後を追っている。
栄えた通りを外れて数分歩いた先に、教会のような建物が見えて来た。メラニーのいた廃教会のように寂れていない、小綺麗なものだ。
柵で囲まれた敷地の中で、子供達が無邪気な声を上げて楽しんでいる。アピよりも年下の子供もいそうだ。
リヴはふと、過去に自分が暮らしていた孤児院を思い出した。
「……ここは?」
「孤児院だ。私はここの経営を任されていてね、こうしてたまに訪問するのさ」
子供達は追いかけっこをしたりボール遊びをしたりと楽しそうに遊んでいる。ミラが柵の扉を開けて入ると一人の子供が気が付いた。
「あ、ミラディアスさまだー!!」
それを聞いた子供達は遊びを止めて一斉にミラの元へ駆け寄って来た。
「やあ、君達。今日も健やかなようで良かったよ」
「今日は何をしに来たのー?」
「院長先生に用があってね。ちょっと呼んで来てくれないかい?」
ミラがそう言うと、何人かの子供達は院長を呼びに走って行った。残った子供達はミラへ矢継ぎ早に質問をしている。どうやら子供達に慕われているようだ。彼等は知らないのだろう。頭を撫でるその手が血で染まっている事に。
「……どうして俺達をここに連れて来た?」
子供達の質問が落ち着いたところでリヴがそう声を掛ける。暗殺者のリヴに頼みたい仕事とは一体何なのか。まさかここにいる子供達を――
嫌な予感が過ったところで、ミラはリヴの方に顔を向けて微笑んだ。
「それは勿論、仕事を頼みたいからだよ。私の依頼は……ここの手伝いだ」
「……は?」
予想外の言葉に、リヴはひくりと口元をひきつらせた。
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