87 / 139
6 永劫回帰
500年前の愛
しおりを挟む***
遠い昔だ。もう誰も知らないこのマカニシア大陸の出来事。歴史書にも残されていない自分だけの記憶。
あの森はあんなに淀んでいなかった。新緑から零れる木漏れ日が心地よくて、とても好きな場所だった。
敵から受けた傷により、瀕死の状態の時に彼女と出会った。もう死ぬしかない自分に彼女は必死で看病をしてくれた。
動ける状態ではなかったので、彼女の看病をずっと受けていた。彼女は不器用なのか、よく包帯を巻きすぎて口元まで覆うので何度窒息死しそうになった事か。
彼女は忙しい身だったのでそう頻繁には訪れなかったが、合間を縫って会いにきてくれた。
彼女とは敵同士だった。この傷を付けたのは彼女だ。だが、ひょんな事から助けられ介抱を受けていた。今考えてもおかしな話だ。哀れな男の境遇を知り同情をしたのだろう。グルト王国次期国王だというのに、おせっかいな女だ。
「君も知っているかと思うんだけれど、私は男として育てられてね。はは、表面上は男に偽っても身体は変わる事はないというのに」
彼女はよくそう言っていた。この時代では男が国王になるべきという風習があった為、女しか産まれなかったグルト王国では末っ子の彼女が男として育てられたそうだ。グルト王国の風習は良くも悪くも今も変わっていない。それに彼女は苦しめられた。
「もし君と会っている事が知られたら私はどうなるのだろうね。死罪か? 次期国王にしたいが為に男として育てたというのに、こんな結末になったら父はどう思うだろうか? ……うん、姉達には迷惑をかけてしまうかもしれないね」
彼女はいつも姉達を気にかけていた。剣の技術は群を抜いており、男の自分でも打ち負かされた。何もかも持っていた彼女であったが、数え切れぬ程の苦悩があった。
「私は英雄として国民達の為に戦ってきた。私の存在は国民にとってかけがえのないものだと思う。……自分で言うのもなんだけどね」
彼女は短く整えられた黒髪をいじりながら笑う。よくこちらの長い髪を見て綺麗だと言っていたので、きっと伸ばしたかったのだろう。
彼女はふとこちらに視線を映し、頬に手を伸ばしてくる。
「でもね、私も英雄としてではなく、一人の女として生きたいと思ってしまったんだよ。それも全て君のせいだ」
いけない感情だ。彼女はグルト王国次期国王であり、こちらは暗殺しようとしていた男だ。結ばれるわけがないのだ。それでも、彼女の伸ばされた手を振り払う事が出来なかった。
「この森の奥にある村で穏やかに一生を過ごしたいよ。ねえ、××。君は私と一緒に生きたいと思わないかい?」
生きたい、と簡単に言えてしまったらどんなに楽だった事か。軽々しく言える程、彼女との立場も国も違う。それは勿論彼女だって自覚している。やや顔を伏せて悲しい表情を見せないようにする。
「……すまない、君を困らせるつもりはなかった」
少しの沈黙の後、彼女は自分の荷物を漁り、中から大きなキャンバスを取り出した。そして筆やパレットを手際よく出していく。突然の行動に戸惑っていると、彼女は悪戯っ子のように笑う。
「今日来たのはね、君の肖像画を描きたくて来たんだよ。私は絵も得意なのさ、意外だろう? この絵を英雄ヴィクトールとして遺したいと思ってね。ああ、大丈夫だよ。君と分からないくらいには顔を変えるしさ。君の出で立ちの方が英雄らしいから後世に残るのは君のような男の顔が良いよ」
更に困惑して拒否をするが、彼女は強引にスケッチを始めた。決めたら強情なところがあるので説得は不可能だと諦め、素直に従う事にする。
しかし、いくらこれが英雄の肖像画だと言っても、他にも残っているはずだ。その疑問を投げかけると彼女は儚く笑った。英雄だと称賛される彼女――ヴィクトールだとは思えない笑顔だ。
「私の肖像画は全て燃やしてしまった。私は後世まで語り継がれるべき存在ではない」
それは敵の自分を愛してしまったからなのか、女として生きたいという思いを抱いてしまった為か。それはきっと自分のせいだ。彼女の秘められた想いを解き放ってしまった。
彼女を抱き寄せると、小さな身体は震えていた。この身体に、一国の重圧を背負わされている。自分はどうする事も出来ないのだ。
「愛しているよ××」
俺もだよ、ヴィクトール。
500年経っても、この気持ちは変わらない。
***
エダは城の屋根の上で目を醒ました。夜空を見ていたらそのまま眠ってしまったらしい。
とはいえ、人間や動物のような休眠ではない。この形態を保っているのは随分と気力を使う。それなので突然ぷつりと意識が途切れて何日も眠っている時がある。
随分と懐かしい夢を見た、とエダは自分の胸に手を当てて口元に弧を描いた。空は陽が昇っているようだが一面曇り空だ。数時間寝ていたというわけではないはずだ。一体どれくらい眠っていたか分からないので誰かに聞こうと思い屋根を突き抜けて城の中へ入ると、様子がいつもと違う。
兵士や給仕達が城の中を慌ただしく動いていた。誰もが焦燥の色を帯びている。グランデルの裏切り以上の喧騒に不思議に思いながら辺りを見回すと、兵士達に指示を出すアリソンの姿があった。
まだ幼さのある顔には鬼気迫るものがあり、苛立ちと戸惑いを感じさせた。いつもの調子でいって良い雰囲気ではなかったので、アリソンが一通り指示を終えて一人になった時に空中から姿を見せた。
「やっほーアリソン王子! 何だか騒がしいね」
「え、エダ!! 何処に行っていたんだよ!! もうグルト王国は大変で――」
「んんー? ……あれ? リィとアメルシア王女は?」
兵士達の前では顔を引き締めて命令をしていたが、エダの顔を見た途端涙目になって子供のような表情になる。姉のアメリーではないのにここまで自分の心を見せるという事は相当参っているようだ。
弟が切羽詰まった状態ならばアメリーが側にいそうなものだが、とエダが姿を探そうとふわりと高く飛ぼうとした時、アリソンが堪えきれずに涙を流した。
「攫われたんだ!! 昨日二人が城下町へ行ってから全く戻って来なかったから行ったとされる酒場へ行ったら女主人が倒れていて……! 重傷だったけれど命に別状はなかった。涙ながらに証言してくれたよ。二人を攫ったのはカリバンだって!!」
「――!!」
流石のエダも笑みを消してしまった。二人が捕まってしまった。リィがいながら攫われてしまったのは、相手が何枚も上手だったのだろう。自分が寝ている間にそんな事になっていたとは、とエダは袖の中で拳を握った。
「父上の暗殺未遂やググ村の襲撃もほぼカリバン王国で間違いない! これから父上自らカリバンへ向かうんだ。僕はその準備に忙しくてエダに構っている場合じゃない!」
アリソンは姉が攫われた事で冷静さを失っているようだった。兵士達の前では取り繕っていたが、エダの前で心配の思いが爆発してしまったようだ。
頭の回るアリソンが感情のまま動いては悪い事が起こる。そう思ったエダは彼を宥めようと長い袖で隠れた手で頭を撫でる仕草をした。
「――まあまあ、アリソン王子。あんまり焦ると大切な選択肢を誤るよ。アメルシア王女は殺されないだろう。きっとグルト王国の魔力を求めているからね」
「グルト王国の魔力!? 何でそんな物を――」
「グルト王国だけじゃない。エンペスト帝国の魔力もだよ。彼等の実験に必要な物だからさ」
「実験って――」
アリソンが何か言いたげにこちらを見上げる。どうしてそんな事を知っているのか、と聞きたいのだろう。エダは以前必要以上の事を聞くなときつく言ったのでそれが影響しているようだ。
申し訳ないが、真実をアリソンに伝える気はない。エダはいつもの笑顔で本心を隠す。
「多分、カリバンは歴史を繰り返そうとしている。リィの金眼を使っ、て――」
話している途中、一瞬だけ意識が飛んだ。浮いていたエダの身体は重力に従い落ちかけるが寸でのところで意識を取り戻して体制を整えた。
目眩のようなものを感じる。この身体になってから初めての事だ。頭を押さえて目眩に耐えていると、アリソンが心配そうに近寄って来た。
「ど、どうしたのエダ!!」
これ以上アリソンの心配要素を増やしてはならない。彼には国を守る為に冷静な判断をしてもらわないといけないから。エダは頭から手を離すと、舌を出しておどけて見せた。
「冗談だよ!! あっははははは驚いた!?」
「も、もう! びっくりさせないでよ!!」
アリソンは眉を吊り上げたが、安堵しているようだった。涙も引っ込んだので大分気持ちが落ち着いたようだ。14歳の未熟な王子に、エダはニコリと微笑む。
「アリソン王子。これから厳しい事態になると思う。君は自分の命を大切に行動して。君の周りには味方がたくさんいるのだから。――じゃあ、俺は俺のやる事をしようかな」
「エダ、何処に行くの?」
「リィを迎えにね!」
「えっ……危険じゃない!?」
「何を言っているんだ、アリソン王子! 俺には誰も触れないんだ。命を奪われる事なんてない!」
でも、とアリソンは言葉を詰まらせる。得体の知れないエダに心配してしまう優しい少年に、遠い昔の彼女の影を見たような気がした。
「戻って来るよ。リィとアメルシア王女を連れてね!」
「エダ! 戻って来たらこの世界の歴史について詳しく教えてよ! エダしか知らない事があるんでしょ? 正史として後世に語り継ぎたいんだ!」
「ああ、約束するよアリソン王子!」
「……絶対だよ」
エダは変わらない笑顔で頷くとふわりと浮いてグルト城を抜け出した。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる