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「神在祭準備完了」
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「神在祭準備完了」
書簡を渡した後、知事あてに「善処いたします」との総理名での書簡が一通来ただけで、官邸からは特別なコンタクトはなかった。
島根県庁の第一会議室は、独立に伴うタスクフォース班の作業場と化していた。多数のパソコンと電話、複合機が配置され、壁という壁に作業の進捗を示す掲示物が張られ、マーカーペンと付箋で埋め尽くされていた。
あっという間に休みなしのゴールデンウイークが過ぎ、梅雨が明け、お盆を迎え、風が涼しくなってきた。例年の12月5日前後の初雪より、かなり早い11月11日に雪がちらついた。島根県での最も早い初雪の1990年11月10日に次ぐ早い降雪となった。
岩本は、窓の外をゆっくりと落ちていく雪を眺めて、
「あと三日で「神迎祭」か…。皆、獅子奮迅の頑張りで、なんとかここまで来たなぁ。後は、「神のみぞ知る」って言うのはできすぎだっぺ。」
と独り言を吐いた。皆には見えていないが、岩本のデスクの後ろで祖父の徹三がほほ笑んでいる。
この七カ月、できる限りのことをやってきた。西隣の山口、東隣の鳥取、日本一の人口減少の問題を抱える高知を軸に四国の四県、九州は、島根以上の人口減少率で苦しむ長崎をきっかけに隣県の佐賀と熊本に応援の依頼をしてきた。鳥取については、否定的な反応を受けたが、それは例の男の影が見え隠れしていたので、深追いはしなかった。
しかし、山口、長崎、佐賀、熊本、高知は真剣に課題を取り上げてくれ、大概の部分で賛同してもらえ、今月の19日、21日の「縁結大祭」には、知事または副知事の参列が早々に決まっていた。
その後、徳島、宮崎、愛媛、香川の順で、地域振興課や地域活性課の課長クラスが、ヒヤリングや視察に訪れた。基本的に岩本と知事がその窓口となり、ミーティングが繰り返された。特に、山口は熱心に打ち合わせに参加し、「国から押し付けられる道州制」ではなく、地方自治体同士が生き残りをかけて行う「積極的合併」ともいうべき「自主活動による道州制」を模索するまでになった。
元々は、山口は、広島・岡山に対抗すべく、鳥取までを含めての「山陰州」的なものを考えていたようで、独自に鳥取にもコンタクトを取っていたが、結果は島根と同じく、芳しい返事はもらえていないとの事だった。しかし、話はそこでとん挫することなく、山口・島根の二県での合併シミュレーションを行っていた。その試算結果は、島根での試算と近いものがあり、各々の県が単独で今後、活動を続けるよりは、まだ「まし」な結果になることはわかった。
元々の「長州人」気質が強く残り、東京の権力に負けない反骨心と自分たちが未来を切り開いていくという気概を感じた。
北海道と東北や北陸の県は、様子見という感じで、積極的なコンタクトはなかった。福岡、広島、岡山は冷ややかに島根の動きを見ていた。
タスクフォースのメンバーは、山口との共同自治体制だけでなく、単独独立も模索していた。
大きくは、東ティモールに海外実地見学研修を行った。1974年のインドネシアからの独立要求から1975年の「東ティモール共和国」の独立宣言までの流れを軍事クーデター無しで行うことができたのか何度もシミュレーションした。
「独立宣言」後、インドネシア軍に全土制圧され、インドネシア軍による「包囲殲滅作戦」により東ティモール人に20万人の死者が出たことは、タスクフォースメンバーの頭を悩ませた。1991年の平和デモ活動に対する無差別発砲による400人の死者を出した「サンタクルス事件」は無血独立がいかに難しいものであることを再認識させた。
1998年のインドネシアの民主運動でスハルト政権が崩壊し、後任のハビビ大統領が住民投票の実施に同意。1999年8月30日の住民投票は投票率は98.6%に上り、9月4日に自治拒否が78.6%で独立が決定した後も、9月7日にインドネシア軍5500名が増員され、インドネシア併合維持派の民兵を使い破壊と虐殺が繰り返され、9月12日から2002年の3月まで「東ティモール紛争」解決の為に多国籍軍が派遣されたことは、最悪のストーリーとして、何度もその可能性に対してシミュレーションと議論が繰り返された。
そして小さくは、小説「プリンセス・トヨトミ」のストーリーを分析したり、映画「さらば、愛しの大統領」を何度も視聴し、「大阪が日本から独立する」スキームと可能性を島根に置き換える研究をしてきた。
「もうこれで十分だ」といえる試案にたどり着くことなく、9月に行われた県民による、独立の是非を問う住民投票は、有効投票率は80%を超え、その中で70%近い「独立支持」の結果を得ていた。「これを機に島根を離れる。」といった判断をした県民も一部いたが、ほとんどは島根県に対する愛着と島根の可能性を信じ、独立への機運が上がった。
ローカル番組や地方紙では。日々その話題が取り上げられていたが、相変わらず、中央政府は、何ら関与してくることも無く、ごく少数のバラエティー番組を除いて、全国のマスコミに取り上げられることはなかった。
12日午前二時半、第1会議室で作業しているのは、岩本ひとりになっていた。十数人は、連日の徹夜作業で疲れ切っており、別の会議室に設置された非常時用の段ボールベッドが並ぶ仮眠室で寝ている。
19日と21日の「縁結大祭」に参列する各県の知事や副知事、それに随行する職員たちの懇親会や宿泊の手配がようやく終わった。山口県知事は、両日とも参席してくれることになっている。信頼できる霊媒師らコンタクター、チャネラーの手配と謝礼と交通費、宿泊費の段取りも終わった。この七ケ月、全くの休みなしで業務についていたことを知事が気にして、タスクフォースを二班に分け、一泊ずつ玉造温泉で慰安会を予定してくれていた。第一陣は、昨晩から玉造に入っている。
「きっと、温泉入って、宴会したら二次会に行くこと無く、みんなバタンキューでもう爆睡してるべな…。今晩は、うちの班も、同じになるんだべな…。」
ひとりごとを呟いていると、隣の席に徹三がほほ笑んで座っていた。
「徹六、よお頑張ったな。お前等が頑張っていたのと同様に、大国主命や素戔嗚尊も不眠不休で動いてくれとったぞ。神様、二千六百年以上やってても衰え無しじゃ。そういう神様にこの国は守られて来とったんじゃな。」
「おじいさんもご苦労様でした。おじいさんの助言のおかげでなんとかここまでやって来れました。僕一人じゃなく、みんな頑張りました。ところで、神様たちは、この十日間をどう見込んでおられるのでしょうか?」
「むずかしいのう…。まあ、五分五分の見込みといったところかのう…。今の永田町の政治家たちは神や仏よりも自分たちの地位と金の方が大事な者が多いそうじゃからのう…。嘆かわしいことじゃ。
俺らの時代にも「自分大事」な政治家や軍の上級将官や将校がおったことは否定はせんが、ここまでひどくはなかったぞ。多くの者は国を憂い、国民のことを自分のことを差し置いて考えておったもんじゃわい…。」
「五分五分ですか…。神様がそういうなら、そうなんでしょうね。プラス1%を上積みするために、僕たちも精いっぱいやりますので、最後まで見届けてくださいね。」
「おう、かわいい孫のためじゃわい。俺にできることは、何でもするぞ。この国がおかしいことになってしまっちゃ、九段の桜の下で仲間と集まっても愚痴しか出んことになってしまうでなぁ。「あぁ、俺らが命を懸けて守ったのはこんな国やったかのう?」ってな。
まあ、身体あっての決戦じゃわい。徹六、お前も仮眠取って、明日の引継ぎを済ませたら、玉造温泉で英気を養ってこいや。」
書簡を渡した後、知事あてに「善処いたします」との総理名での書簡が一通来ただけで、官邸からは特別なコンタクトはなかった。
島根県庁の第一会議室は、独立に伴うタスクフォース班の作業場と化していた。多数のパソコンと電話、複合機が配置され、壁という壁に作業の進捗を示す掲示物が張られ、マーカーペンと付箋で埋め尽くされていた。
あっという間に休みなしのゴールデンウイークが過ぎ、梅雨が明け、お盆を迎え、風が涼しくなってきた。例年の12月5日前後の初雪より、かなり早い11月11日に雪がちらついた。島根県での最も早い初雪の1990年11月10日に次ぐ早い降雪となった。
岩本は、窓の外をゆっくりと落ちていく雪を眺めて、
「あと三日で「神迎祭」か…。皆、獅子奮迅の頑張りで、なんとかここまで来たなぁ。後は、「神のみぞ知る」って言うのはできすぎだっぺ。」
と独り言を吐いた。皆には見えていないが、岩本のデスクの後ろで祖父の徹三がほほ笑んでいる。
この七カ月、できる限りのことをやってきた。西隣の山口、東隣の鳥取、日本一の人口減少の問題を抱える高知を軸に四国の四県、九州は、島根以上の人口減少率で苦しむ長崎をきっかけに隣県の佐賀と熊本に応援の依頼をしてきた。鳥取については、否定的な反応を受けたが、それは例の男の影が見え隠れしていたので、深追いはしなかった。
しかし、山口、長崎、佐賀、熊本、高知は真剣に課題を取り上げてくれ、大概の部分で賛同してもらえ、今月の19日、21日の「縁結大祭」には、知事または副知事の参列が早々に決まっていた。
その後、徳島、宮崎、愛媛、香川の順で、地域振興課や地域活性課の課長クラスが、ヒヤリングや視察に訪れた。基本的に岩本と知事がその窓口となり、ミーティングが繰り返された。特に、山口は熱心に打ち合わせに参加し、「国から押し付けられる道州制」ではなく、地方自治体同士が生き残りをかけて行う「積極的合併」ともいうべき「自主活動による道州制」を模索するまでになった。
元々は、山口は、広島・岡山に対抗すべく、鳥取までを含めての「山陰州」的なものを考えていたようで、独自に鳥取にもコンタクトを取っていたが、結果は島根と同じく、芳しい返事はもらえていないとの事だった。しかし、話はそこでとん挫することなく、山口・島根の二県での合併シミュレーションを行っていた。その試算結果は、島根での試算と近いものがあり、各々の県が単独で今後、活動を続けるよりは、まだ「まし」な結果になることはわかった。
元々の「長州人」気質が強く残り、東京の権力に負けない反骨心と自分たちが未来を切り開いていくという気概を感じた。
北海道と東北や北陸の県は、様子見という感じで、積極的なコンタクトはなかった。福岡、広島、岡山は冷ややかに島根の動きを見ていた。
タスクフォースのメンバーは、山口との共同自治体制だけでなく、単独独立も模索していた。
大きくは、東ティモールに海外実地見学研修を行った。1974年のインドネシアからの独立要求から1975年の「東ティモール共和国」の独立宣言までの流れを軍事クーデター無しで行うことができたのか何度もシミュレーションした。
「独立宣言」後、インドネシア軍に全土制圧され、インドネシア軍による「包囲殲滅作戦」により東ティモール人に20万人の死者が出たことは、タスクフォースメンバーの頭を悩ませた。1991年の平和デモ活動に対する無差別発砲による400人の死者を出した「サンタクルス事件」は無血独立がいかに難しいものであることを再認識させた。
1998年のインドネシアの民主運動でスハルト政権が崩壊し、後任のハビビ大統領が住民投票の実施に同意。1999年8月30日の住民投票は投票率は98.6%に上り、9月4日に自治拒否が78.6%で独立が決定した後も、9月7日にインドネシア軍5500名が増員され、インドネシア併合維持派の民兵を使い破壊と虐殺が繰り返され、9月12日から2002年の3月まで「東ティモール紛争」解決の為に多国籍軍が派遣されたことは、最悪のストーリーとして、何度もその可能性に対してシミュレーションと議論が繰り返された。
そして小さくは、小説「プリンセス・トヨトミ」のストーリーを分析したり、映画「さらば、愛しの大統領」を何度も視聴し、「大阪が日本から独立する」スキームと可能性を島根に置き換える研究をしてきた。
「もうこれで十分だ」といえる試案にたどり着くことなく、9月に行われた県民による、独立の是非を問う住民投票は、有効投票率は80%を超え、その中で70%近い「独立支持」の結果を得ていた。「これを機に島根を離れる。」といった判断をした県民も一部いたが、ほとんどは島根県に対する愛着と島根の可能性を信じ、独立への機運が上がった。
ローカル番組や地方紙では。日々その話題が取り上げられていたが、相変わらず、中央政府は、何ら関与してくることも無く、ごく少数のバラエティー番組を除いて、全国のマスコミに取り上げられることはなかった。
12日午前二時半、第1会議室で作業しているのは、岩本ひとりになっていた。十数人は、連日の徹夜作業で疲れ切っており、別の会議室に設置された非常時用の段ボールベッドが並ぶ仮眠室で寝ている。
19日と21日の「縁結大祭」に参列する各県の知事や副知事、それに随行する職員たちの懇親会や宿泊の手配がようやく終わった。山口県知事は、両日とも参席してくれることになっている。信頼できる霊媒師らコンタクター、チャネラーの手配と謝礼と交通費、宿泊費の段取りも終わった。この七ケ月、全くの休みなしで業務についていたことを知事が気にして、タスクフォースを二班に分け、一泊ずつ玉造温泉で慰安会を予定してくれていた。第一陣は、昨晩から玉造に入っている。
「きっと、温泉入って、宴会したら二次会に行くこと無く、みんなバタンキューでもう爆睡してるべな…。今晩は、うちの班も、同じになるんだべな…。」
ひとりごとを呟いていると、隣の席に徹三がほほ笑んで座っていた。
「徹六、よお頑張ったな。お前等が頑張っていたのと同様に、大国主命や素戔嗚尊も不眠不休で動いてくれとったぞ。神様、二千六百年以上やってても衰え無しじゃ。そういう神様にこの国は守られて来とったんじゃな。」
「おじいさんもご苦労様でした。おじいさんの助言のおかげでなんとかここまでやって来れました。僕一人じゃなく、みんな頑張りました。ところで、神様たちは、この十日間をどう見込んでおられるのでしょうか?」
「むずかしいのう…。まあ、五分五分の見込みといったところかのう…。今の永田町の政治家たちは神や仏よりも自分たちの地位と金の方が大事な者が多いそうじゃからのう…。嘆かわしいことじゃ。
俺らの時代にも「自分大事」な政治家や軍の上級将官や将校がおったことは否定はせんが、ここまでひどくはなかったぞ。多くの者は国を憂い、国民のことを自分のことを差し置いて考えておったもんじゃわい…。」
「五分五分ですか…。神様がそういうなら、そうなんでしょうね。プラス1%を上積みするために、僕たちも精いっぱいやりますので、最後まで見届けてくださいね。」
「おう、かわいい孫のためじゃわい。俺にできることは、何でもするぞ。この国がおかしいことになってしまっちゃ、九段の桜の下で仲間と集まっても愚痴しか出んことになってしまうでなぁ。「あぁ、俺らが命を懸けて守ったのはこんな国やったかのう?」ってな。
まあ、身体あっての決戦じゃわい。徹六、お前も仮眠取って、明日の引継ぎを済ませたら、玉造温泉で英気を養ってこいや。」
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