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6◆さすらいのマサオ
◆2
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マサオが生まれたのは、ヒトよりも猫の方が多いんじゃないかと思うようなところだったそうだ。
真っ青で近寄りがたい海が、いつだって近くにあった。
波止場って呼ばれる場所に猫たちはいつもたむろっていた。暑い日は、それはチリチリに熱くなる。だから、日の高いうちは日陰なんかでじっとしておいて、用がある時だけ歩いたそうだ。
雪がチラチラと降る冬も嫌いだけど、暑い夏も嫌いだったって。
――マサオがいたのは漁師町というか、海の近いところだったんだね。
え? 海ってなんだって? そっか、モカはもちろんのこと、チキやハチさんも見たことはないんだね。トラさんはちょっとだけあるみたいだ。
それで、マサオが生まれた町では猫が多かったって言ってたよね。それじゃあ、縄張り争いとかご飯の取り合いとか大変だっただろ?
僕がそう訊ねると、マサオは軽く、にゃ? と答えた。
要領よくやれば楽勝だって、とのこと。
同じ野良でもなんとなくハチさんと違うなぁ。
マサオが猫仲間たちと交流するようになったのは、ある程度大きくなってからのことだったそうだ。
今のモカくらいの年だとまだ母猫のマサミさんがご飯を運んで来てくれていたって。年々カラスなんかも強くって、子猫がうろついていたんじゃあこっちがご飯にされそうだったからな、なんて軽く言ってる。
結構過酷だったんじゃないのかな。でも、マサオの口調に深刻さはない。
でも、マサオの体が母猫のマサミさんとそれほど変わらなくなった頃には、マサオも猫社会に溶け込んでいたんだそうだ。
にゃあ。
マサオ、今日はオヤッサンが漁に出ないらしいぜ。食いっぱぐれんなよ?
なんてことを言ってきたのは、黒と赤茶けた斑毛、サビ猫のサブだ。マサオよりも半年くらいは年長だろうか。だからよく兄貴風を吹かせてきたって。
ちなみに、オヤッサンというのは人間で、いつもそう呼ばれている年を取った男だ。とはいえ、人間にしては小柄な方なのに、力は強い。肌の色も赤黒くって弱々しさはなかったそうだ。
にゃ?
オヤッサン行かないのか?
それは困った。
オヤッサンはああ見えて猫好きで、細かい魚や捌いた後の魚の骨なんかを分けてくれる大事な人間なんだけど、最近目に見えて漁に出ることも減っているようだった。
にゃあ。
まあなぁ、トシだからな。
なんて、サブはわかっているんだかないんだか、そんなことを言った。多分、どこかの人間が言っていた言葉をそのまま拾ってきたんだろう。
マサオはフンフン、と鼻を鳴らした。
まあ、当てにできないものを待っても仕方がない。
この時のマサオはすでに大きかったから、独り立ちして母猫のマサミさんとも常に一緒じゃなかったって。だから、自分の食い扶持は自分で何とかしなくちゃ食べていけなかった。
マサオはサブに、じゃあなって別れを告げてまた海沿いの道を歩いた。海のそばにある町は常に海の匂いがして、風も重たい。
ただ、そこで生まれ育ったマサオにはそれが普通のことで、実はここだけの話だったんだって知ったのは、この町を離れてからだったそうだ。
にゃ、にゃ~。
上機嫌で道を歩いた。
マサオはいつも楽しかった。町には猫がたくさんだけど、大きな喧嘩をしたことはない。それはマサオが縄張り争いからはいつも一歩引いたところにいたからだ。どのオスが一番強いとか、そういうの面倒臭いんだって?
そう、世の中には美味しいものがあって、ウキウキワクワクする楽しいことがあって。だから、別に何かに固執することもなくいれば楽しく過ごせるってマサオは思ったんだそうな。
……ある意味達観しているのかもしれない。
毎日楽しくしていれば、道端に転がっているゴミをひとつ取って見ても立派なオモチャだった。
マサオはにゃっ、にゃ~、と歌うように鳴きながら紙パックのゴミを前足で蹴飛ばし、蹴飛ばし、遊びながら道を走った。
なんせこの辺りは、子猫だった頃は危険も多かったけど、大きくなってしまえばのどかだった。争わない姿勢のマサオに食って掛かる猫もいないし、人間も、シッシと言われてすぐに去ればひどいことはしない。
むしろ、猫が多いところだから猫が我が物顔で歩いていてもそれを受け入れている人間の方が多かったんじゃないだろうかって。
――それは、マサオにとっての理想郷じゃないか。
さぞかし帰りたいことだろうと、僕は目の前のサバトラを慮ったけれど……なんだろう、マサオは終始飄々としている。本当に、今にも鼻歌を歌いそうだった。
ええと、マサオはその町に帰りたいんだね? って、僕は思わず訊ねてしまった。すると、マサオは大あくびをした。
それから、にゃっと言う。
まあ、話は最後まで聞きなよって? ……はい、すいません。
大体毎日そんな感じで楽しく過ごしていたそうだ。オヤッサンが漁に出なくても、他にも漁師はたくさんいる。他の漁師からもおこぼれをもらって、空腹なんてあんまり感じたこともなかったって。
で、その町を猫たちは我が物顔で歩いていたけど、それでも脅威はあった。人の乗る『車』ってヤツだ。これが一番だとマサオは思う。ぶつかったらまず助からない。ずっと引きずるような大怪我を負ってしまう。
じゃあまたって言って別れた猫仲間がいなくなって、長いこと顔を見ないなと思ったら、誰かが、車に当たったからなって教えてくれた。車に当たると動けなくなって、人間に連れていかれてしまうらしい。
のん気なマサオもこれは怖いと感じた。それならどうしたらいいだろう? って、遠くから車を観察してみたんだそうだ。
特別大きくて痛そうな車を、塀の上からじっと見る。ピーピー音を立てて変な動きをする場合を除き、あの車というヤツは基本、前に進むものなんだっていうことにマサオは気がついた。
前に前に、ものすごい速度で走っていく。
つまりだ、前に進むのが車なら、車の前を通らず、後ろにいるようにしたら、車とぶつかることはなくなるんじゃないだろうか。そうした結論に至ったのだという。
後ろに動くこともあるけど、ほんの短い距離をゆっくりとといったところだ。冷静に考えたら、猫だって前にしか進まない。マサオだって前を向いたまま後ろになんて歩けないんだから。
にゃ、にゃ~。
自分の賢さに惚れ惚れし、マサオは上機嫌ででっかい車の後ろに行った。車が走った後にする嫌な臭いがして、マサオはその臭さに辟易としたそうだ。
ちょっと離れて見ていると、そのでっかい車の後ろに人が回ってきて、ガチャガチャと音を立てながら車の後ろをパカリと開いた。中は人間の家みたいに広かった。ただ、箱がたくさん積んであった。でも、それだけで、あんまり楽しそうでもない。
車の中って、あんななんだ? 面白くないな。
そう思ったって。
でも、そこでマサオは閃いた。
車はぶつかると危ないけど、この車の部屋の中にいたら?
そうしたら、車の後ろにいる以上に安全なんじゃないだろうか。中にいるんだから、絶対にぶつかることはない。
にゃ、にゃ~!
やっぱり自分は天才だ。マサオは自画自賛しながら忙しく動き回る人間が少しだけしゃがんだ隙を見て車の部屋に飛び乗った。何故か慌てている人間は、マサオに気づきもせずに車の扉を閉めた。
途端に暗くなったけど、猫のマサオは困らない。それはいいんだけど、本当にそこは何もない場所だった。
このたくさんある箱のどれかに爪でも立ててみようかと思ったけど、それも全然楽しくないように思えた。追いかけるネズミも虫もいない。ご飯も水もない。ただなんともいえない振動だけが足と腹からマサオに伝わるのだった。
これは……
マサオは考えた。
これはもう、寝るしかない、と。
真っ青で近寄りがたい海が、いつだって近くにあった。
波止場って呼ばれる場所に猫たちはいつもたむろっていた。暑い日は、それはチリチリに熱くなる。だから、日の高いうちは日陰なんかでじっとしておいて、用がある時だけ歩いたそうだ。
雪がチラチラと降る冬も嫌いだけど、暑い夏も嫌いだったって。
――マサオがいたのは漁師町というか、海の近いところだったんだね。
え? 海ってなんだって? そっか、モカはもちろんのこと、チキやハチさんも見たことはないんだね。トラさんはちょっとだけあるみたいだ。
それで、マサオが生まれた町では猫が多かったって言ってたよね。それじゃあ、縄張り争いとかご飯の取り合いとか大変だっただろ?
僕がそう訊ねると、マサオは軽く、にゃ? と答えた。
要領よくやれば楽勝だって、とのこと。
同じ野良でもなんとなくハチさんと違うなぁ。
マサオが猫仲間たちと交流するようになったのは、ある程度大きくなってからのことだったそうだ。
今のモカくらいの年だとまだ母猫のマサミさんがご飯を運んで来てくれていたって。年々カラスなんかも強くって、子猫がうろついていたんじゃあこっちがご飯にされそうだったからな、なんて軽く言ってる。
結構過酷だったんじゃないのかな。でも、マサオの口調に深刻さはない。
でも、マサオの体が母猫のマサミさんとそれほど変わらなくなった頃には、マサオも猫社会に溶け込んでいたんだそうだ。
にゃあ。
マサオ、今日はオヤッサンが漁に出ないらしいぜ。食いっぱぐれんなよ?
なんてことを言ってきたのは、黒と赤茶けた斑毛、サビ猫のサブだ。マサオよりも半年くらいは年長だろうか。だからよく兄貴風を吹かせてきたって。
ちなみに、オヤッサンというのは人間で、いつもそう呼ばれている年を取った男だ。とはいえ、人間にしては小柄な方なのに、力は強い。肌の色も赤黒くって弱々しさはなかったそうだ。
にゃ?
オヤッサン行かないのか?
それは困った。
オヤッサンはああ見えて猫好きで、細かい魚や捌いた後の魚の骨なんかを分けてくれる大事な人間なんだけど、最近目に見えて漁に出ることも減っているようだった。
にゃあ。
まあなぁ、トシだからな。
なんて、サブはわかっているんだかないんだか、そんなことを言った。多分、どこかの人間が言っていた言葉をそのまま拾ってきたんだろう。
マサオはフンフン、と鼻を鳴らした。
まあ、当てにできないものを待っても仕方がない。
この時のマサオはすでに大きかったから、独り立ちして母猫のマサミさんとも常に一緒じゃなかったって。だから、自分の食い扶持は自分で何とかしなくちゃ食べていけなかった。
マサオはサブに、じゃあなって別れを告げてまた海沿いの道を歩いた。海のそばにある町は常に海の匂いがして、風も重たい。
ただ、そこで生まれ育ったマサオにはそれが普通のことで、実はここだけの話だったんだって知ったのは、この町を離れてからだったそうだ。
にゃ、にゃ~。
上機嫌で道を歩いた。
マサオはいつも楽しかった。町には猫がたくさんだけど、大きな喧嘩をしたことはない。それはマサオが縄張り争いからはいつも一歩引いたところにいたからだ。どのオスが一番強いとか、そういうの面倒臭いんだって?
そう、世の中には美味しいものがあって、ウキウキワクワクする楽しいことがあって。だから、別に何かに固執することもなくいれば楽しく過ごせるってマサオは思ったんだそうな。
……ある意味達観しているのかもしれない。
毎日楽しくしていれば、道端に転がっているゴミをひとつ取って見ても立派なオモチャだった。
マサオはにゃっ、にゃ~、と歌うように鳴きながら紙パックのゴミを前足で蹴飛ばし、蹴飛ばし、遊びながら道を走った。
なんせこの辺りは、子猫だった頃は危険も多かったけど、大きくなってしまえばのどかだった。争わない姿勢のマサオに食って掛かる猫もいないし、人間も、シッシと言われてすぐに去ればひどいことはしない。
むしろ、猫が多いところだから猫が我が物顔で歩いていてもそれを受け入れている人間の方が多かったんじゃないだろうかって。
――それは、マサオにとっての理想郷じゃないか。
さぞかし帰りたいことだろうと、僕は目の前のサバトラを慮ったけれど……なんだろう、マサオは終始飄々としている。本当に、今にも鼻歌を歌いそうだった。
ええと、マサオはその町に帰りたいんだね? って、僕は思わず訊ねてしまった。すると、マサオは大あくびをした。
それから、にゃっと言う。
まあ、話は最後まで聞きなよって? ……はい、すいません。
大体毎日そんな感じで楽しく過ごしていたそうだ。オヤッサンが漁に出なくても、他にも漁師はたくさんいる。他の漁師からもおこぼれをもらって、空腹なんてあんまり感じたこともなかったって。
で、その町を猫たちは我が物顔で歩いていたけど、それでも脅威はあった。人の乗る『車』ってヤツだ。これが一番だとマサオは思う。ぶつかったらまず助からない。ずっと引きずるような大怪我を負ってしまう。
じゃあまたって言って別れた猫仲間がいなくなって、長いこと顔を見ないなと思ったら、誰かが、車に当たったからなって教えてくれた。車に当たると動けなくなって、人間に連れていかれてしまうらしい。
のん気なマサオもこれは怖いと感じた。それならどうしたらいいだろう? って、遠くから車を観察してみたんだそうだ。
特別大きくて痛そうな車を、塀の上からじっと見る。ピーピー音を立てて変な動きをする場合を除き、あの車というヤツは基本、前に進むものなんだっていうことにマサオは気がついた。
前に前に、ものすごい速度で走っていく。
つまりだ、前に進むのが車なら、車の前を通らず、後ろにいるようにしたら、車とぶつかることはなくなるんじゃないだろうか。そうした結論に至ったのだという。
後ろに動くこともあるけど、ほんの短い距離をゆっくりとといったところだ。冷静に考えたら、猫だって前にしか進まない。マサオだって前を向いたまま後ろになんて歩けないんだから。
にゃ、にゃ~。
自分の賢さに惚れ惚れし、マサオは上機嫌ででっかい車の後ろに行った。車が走った後にする嫌な臭いがして、マサオはその臭さに辟易としたそうだ。
ちょっと離れて見ていると、そのでっかい車の後ろに人が回ってきて、ガチャガチャと音を立てながら車の後ろをパカリと開いた。中は人間の家みたいに広かった。ただ、箱がたくさん積んであった。でも、それだけで、あんまり楽しそうでもない。
車の中って、あんななんだ? 面白くないな。
そう思ったって。
でも、そこでマサオは閃いた。
車はぶつかると危ないけど、この車の部屋の中にいたら?
そうしたら、車の後ろにいる以上に安全なんじゃないだろうか。中にいるんだから、絶対にぶつかることはない。
にゃ、にゃ~!
やっぱり自分は天才だ。マサオは自画自賛しながら忙しく動き回る人間が少しだけしゃがんだ隙を見て車の部屋に飛び乗った。何故か慌てている人間は、マサオに気づきもせずに車の扉を閉めた。
途端に暗くなったけど、猫のマサオは困らない。それはいいんだけど、本当にそこは何もない場所だった。
このたくさんある箱のどれかに爪でも立ててみようかと思ったけど、それも全然楽しくないように思えた。追いかけるネズミも虫もいない。ご飯も水もない。ただなんともいえない振動だけが足と腹からマサオに伝わるのだった。
これは……
マサオは考えた。
これはもう、寝るしかない、と。
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