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――と、そんなじいちゃんとのやり取りを学校でトノに話した。
トノは相槌を打ちながら聞いてくれた。
「なるほどな。ご先祖様の」
「ずーっと仲悪く暮らしなさい、なんて言うご先祖様って、一体何なんだろうな?」
自分のご先祖様だけど、そこは物申したい。
「詳細はわからないけど、ご先祖様絡みだっていうなら、ご先祖様の意見が覆ればいいんじゃないのか?」
なんてことをトノが言う。
「は? じいちゃんより前のご先祖様なんてもういねぇよ」
「そりゃそうだろ」
じゃあ、どうするんだ?
首を傾げた俺に、トノは高校生らしくない嫌な笑みを浮かべた。
「カケルの家が旧家なら、家系図とか残ってるんじゃないのか?」
「まあ、あったと思うけど」
随分前に見せてもらったことはある。古くって、黴臭くって、全然興味が持てなかったけれど。
「その家系図、今度僕が遊びに行く時に見せてもらうことは可能か?」
なんてことをトノが言い出した。
「別に、駄目ってことはないんじゃないか」
「そうか。じゃあ、見たい。でも、もし断られたらお前がチェックしろ。できれば明治以降の当主の名前と死亡年月日を覚えてこい。当主が無理でも、最低今より五代以上は前の人のを覚えてくるようにな」
「え? そんなの覚えて何するんだ?」
俺にはトノが何を考えているのか、全然見当がつかなかった。でも、トノは教えてくれない。
「お前に言うと顔に出るから言わない。ギリギリまで内緒だ」
「まあ……上手く行くならなんでもいいんだけどさ」
「行くように祈っておけ」
「うん……」
仕方がない。上手く行くように祈ろう。
蛙の神様に。
●
そうして、トノがうちに来る日になった。そのことを母ちゃんが何かの折に兄貴に話したら、兄貴も帰りたいけれど今週は用事があるって言っていたらしい。トノと兄貴の方が、俺よりもしかして兄弟っぽいんじゃないかってくらい、波長が合いそうな気がする。
トノは最寄りの駅まで来てくれることになった。トノの家は西町の住宅なんだけれど。
「トノ!」
リュックひとつを肩にかけ、改札を抜けてくるトノ。飾り気のないVネックのカットソーがなんとなくお洒落に感じられる。私服の方が大人びて見えた。
「ん、おはよう」
俺に向けて軽く手を振る。そんなトノに俺は駆け寄った。
「ようこそ!」
「町からちょっと離れただけで急に住宅が減って、どうしたと思ってるうちに川が流れてて、気づいたら辺鄙なところに出た」
「いきなり人の故郷にケチつけんなよ」
来てもらっといてなんだけどさ、失礼なヤツだ。
トノはニヤニヤ笑いながら歩き出す。
「でも、のどかなところだな。小さい頃はよく川で遊んだんだろ?」
「うん。夏になると干上がるんじゃないかってくらいに浅い川だけどな」
なんて話をしながら隣を歩いた。
いつもの土手を歩いているのに、そこにトノがいるのが不思議。変な感じがする。
俺が故郷のアレコレを説明しながら家に向かっていると、向こう岸を自転車が走っていた。あれは――多分、アキの姉ちゃんだ。一番上じゃない、二番目。
二番目の姉ちゃんとはほぼ面識がない。ちゃんと喋ったこともないのに、二番目の姉ちゃんもものすごい形相でこっちを睨んでいた。アキとのこと、知らないと思うんだけど……
アキ、もしかして話したのかな? そうしたら、俺はただの悪い虫か。
いや、でも、兄貴もあの姉ちゃんは愛想が悪いって言っていたし、もとがあれなのかも。
「……あの向こう岸の女の人、こっち睨んでなかったか?」
「う、うん。あれがアキのねえちゃんの一人」
トノにもやっぱりそう見えたんだ。
「そうか。大げさでもなく、本当に仲が悪いんだなぁ」
せっかくの美人が台無しだ。俺はもう、ため息しか出なかった。
それから家に着く。古いけれど大きいから、それだけでマンションに住んでいるトノは圧倒されたみたいだ。
「お前、実はお坊ちゃんなんだな」
「実はって? こんなに育ちがいいのに」
「どこがだよ」
そんなことを言っていたかと思うと、玄関先に母ちゃんが出てきた瞬間、トノは余所行きの顔になった。
「いらっしゃい、殿山くん」
「今日明日とお世話になります」
ぺこりと頭を下げて、リュックから小さな箱を取り出した。どうやら菓子折りらしい。
「これ、母に持たされました。皆さんで召し上がってください」
こういう時、トノは普段から本ばっかり読んでいるせいか、言葉遣いが礼儀正しく聞こえる。俺なら、召し上がってください、とか普通に出ない。食べてくださいって言った。
気取った物言いだな、オイ。
「あら、かえって気を遣わせてごめんなさいね。でもありがたく頂戴するわね」
母ちゃんもいつになく言い方がお上品だ。トノが家に上がると、今度は姉貴が来た。
「殿山くん、お久し振り。元気そうね。いつもカケルの面倒を見てくれてありがとう」
「いいえ、仲良くしてもらっているのはこちらの方です」
うん? なんかこの余所行きなトノの対応が寒い。お行儀がよすぎる。
誰だコイツ、とか思えてくる。
トノは卒なくじいちゃんと親父、それからアツムにも挨拶をした。家族たちから好印象を得た。人付き合いが苦手なのかって思うと、こう難なくこなす。
いざとなるとトノはすごいのかも。
とりあえず俺の部屋に荷物を置きにいくと、トノはいつものトノに戻った。
「おい、カケル。家系図はどうなった?」
「いや、まだきっかけがなくて見てない」
じいちゃんに言わなきゃいけないんだけれど、じいちゃんがタイミングよく一人でいてくれないと言い出しにくい。俺が急にご先祖様の名前を知りたがるなんて、どう考えても不自然だから、疑われる。
すると、トノは小さく嘆息すると、カバンからクリアファイルを取り出した。そこに入っていたのは古びた紙だった。
すごく時間が経ったように見える紙は、トノの手作りらしい。トノは美術部で、小手先が器用なんだ。古くてボロいこの紙もトノが小細工で作ったってことだ。
「汚れたように着色するのはそう難しくないんだけど、臭いがな。わざと黴臭いところに挟んでから持ってきた」
用意周到だな……って、そもそもこの紙はなんなんだ?
トノがそのクリアファイルを裏返すと、反対側には普通のコピー用紙が挟んであって、そこに文字が書いてあった。
俺はクリアファイル越しにそれを読もうとしたけれど、読めなかった。一応日本語みたいだけれど、ナニコレ?
顔を上げた俺に、トノは笑う。
「下書き。旧仮名遣いとか調べて書いたからな。まあ、ようするに、百年以上経っても仲違いが続いているようなら、その仲違いに終止符を打つこと。のちの子供たちのために協力して生きていくようにって書いてある」
それは遺言のようなものだ。ただし、ご先祖様は誰もそんなふうには言ってくれなかった。つまりこれは捏造。
だけど、じいちゃんはご先祖様の言葉なら聞いてくれるかもしれない。ご先祖様が仲良くしろって言ってくれたなら。
ドキドキと心臓がうるさく鳴った。
嘘はいけない。嘘はよくない。
そんなことはわかっている。でも、嘘も方便っていうじゃないか。人と人とが仲良くなるための嘘なら、誰も傷つかずに済むんじゃないのか。皆で手を取り合って、幸せになれる道なら、そんな嘘は悪いことじゃない。
「上手く……いくといいな」
ボソ、と俺が言うと、トノは難しい顔をした。
「まあ、それなりにリスクはある。それから、嘘はいつかバレると思う」
「えー!」
「でもさ、仲良くなればそれっていいことなんだから、その後でウソがバレたってもういいだろ。俺たちが作るのはそのきっかけだ」
トノが言う通りかもしれない。俺たちはいたずら目的でこんなことをするわけじゃないんだ。長年の確執が解けたら、そんなことも笑って話せるようになる。
俺たちはお互いにうなずき合った。
トノは相槌を打ちながら聞いてくれた。
「なるほどな。ご先祖様の」
「ずーっと仲悪く暮らしなさい、なんて言うご先祖様って、一体何なんだろうな?」
自分のご先祖様だけど、そこは物申したい。
「詳細はわからないけど、ご先祖様絡みだっていうなら、ご先祖様の意見が覆ればいいんじゃないのか?」
なんてことをトノが言う。
「は? じいちゃんより前のご先祖様なんてもういねぇよ」
「そりゃそうだろ」
じゃあ、どうするんだ?
首を傾げた俺に、トノは高校生らしくない嫌な笑みを浮かべた。
「カケルの家が旧家なら、家系図とか残ってるんじゃないのか?」
「まあ、あったと思うけど」
随分前に見せてもらったことはある。古くって、黴臭くって、全然興味が持てなかったけれど。
「その家系図、今度僕が遊びに行く時に見せてもらうことは可能か?」
なんてことをトノが言い出した。
「別に、駄目ってことはないんじゃないか」
「そうか。じゃあ、見たい。でも、もし断られたらお前がチェックしろ。できれば明治以降の当主の名前と死亡年月日を覚えてこい。当主が無理でも、最低今より五代以上は前の人のを覚えてくるようにな」
「え? そんなの覚えて何するんだ?」
俺にはトノが何を考えているのか、全然見当がつかなかった。でも、トノは教えてくれない。
「お前に言うと顔に出るから言わない。ギリギリまで内緒だ」
「まあ……上手く行くならなんでもいいんだけどさ」
「行くように祈っておけ」
「うん……」
仕方がない。上手く行くように祈ろう。
蛙の神様に。
●
そうして、トノがうちに来る日になった。そのことを母ちゃんが何かの折に兄貴に話したら、兄貴も帰りたいけれど今週は用事があるって言っていたらしい。トノと兄貴の方が、俺よりもしかして兄弟っぽいんじゃないかってくらい、波長が合いそうな気がする。
トノは最寄りの駅まで来てくれることになった。トノの家は西町の住宅なんだけれど。
「トノ!」
リュックひとつを肩にかけ、改札を抜けてくるトノ。飾り気のないVネックのカットソーがなんとなくお洒落に感じられる。私服の方が大人びて見えた。
「ん、おはよう」
俺に向けて軽く手を振る。そんなトノに俺は駆け寄った。
「ようこそ!」
「町からちょっと離れただけで急に住宅が減って、どうしたと思ってるうちに川が流れてて、気づいたら辺鄙なところに出た」
「いきなり人の故郷にケチつけんなよ」
来てもらっといてなんだけどさ、失礼なヤツだ。
トノはニヤニヤ笑いながら歩き出す。
「でも、のどかなところだな。小さい頃はよく川で遊んだんだろ?」
「うん。夏になると干上がるんじゃないかってくらいに浅い川だけどな」
なんて話をしながら隣を歩いた。
いつもの土手を歩いているのに、そこにトノがいるのが不思議。変な感じがする。
俺が故郷のアレコレを説明しながら家に向かっていると、向こう岸を自転車が走っていた。あれは――多分、アキの姉ちゃんだ。一番上じゃない、二番目。
二番目の姉ちゃんとはほぼ面識がない。ちゃんと喋ったこともないのに、二番目の姉ちゃんもものすごい形相でこっちを睨んでいた。アキとのこと、知らないと思うんだけど……
アキ、もしかして話したのかな? そうしたら、俺はただの悪い虫か。
いや、でも、兄貴もあの姉ちゃんは愛想が悪いって言っていたし、もとがあれなのかも。
「……あの向こう岸の女の人、こっち睨んでなかったか?」
「う、うん。あれがアキのねえちゃんの一人」
トノにもやっぱりそう見えたんだ。
「そうか。大げさでもなく、本当に仲が悪いんだなぁ」
せっかくの美人が台無しだ。俺はもう、ため息しか出なかった。
それから家に着く。古いけれど大きいから、それだけでマンションに住んでいるトノは圧倒されたみたいだ。
「お前、実はお坊ちゃんなんだな」
「実はって? こんなに育ちがいいのに」
「どこがだよ」
そんなことを言っていたかと思うと、玄関先に母ちゃんが出てきた瞬間、トノは余所行きの顔になった。
「いらっしゃい、殿山くん」
「今日明日とお世話になります」
ぺこりと頭を下げて、リュックから小さな箱を取り出した。どうやら菓子折りらしい。
「これ、母に持たされました。皆さんで召し上がってください」
こういう時、トノは普段から本ばっかり読んでいるせいか、言葉遣いが礼儀正しく聞こえる。俺なら、召し上がってください、とか普通に出ない。食べてくださいって言った。
気取った物言いだな、オイ。
「あら、かえって気を遣わせてごめんなさいね。でもありがたく頂戴するわね」
母ちゃんもいつになく言い方がお上品だ。トノが家に上がると、今度は姉貴が来た。
「殿山くん、お久し振り。元気そうね。いつもカケルの面倒を見てくれてありがとう」
「いいえ、仲良くしてもらっているのはこちらの方です」
うん? なんかこの余所行きなトノの対応が寒い。お行儀がよすぎる。
誰だコイツ、とか思えてくる。
トノは卒なくじいちゃんと親父、それからアツムにも挨拶をした。家族たちから好印象を得た。人付き合いが苦手なのかって思うと、こう難なくこなす。
いざとなるとトノはすごいのかも。
とりあえず俺の部屋に荷物を置きにいくと、トノはいつものトノに戻った。
「おい、カケル。家系図はどうなった?」
「いや、まだきっかけがなくて見てない」
じいちゃんに言わなきゃいけないんだけれど、じいちゃんがタイミングよく一人でいてくれないと言い出しにくい。俺が急にご先祖様の名前を知りたがるなんて、どう考えても不自然だから、疑われる。
すると、トノは小さく嘆息すると、カバンからクリアファイルを取り出した。そこに入っていたのは古びた紙だった。
すごく時間が経ったように見える紙は、トノの手作りらしい。トノは美術部で、小手先が器用なんだ。古くてボロいこの紙もトノが小細工で作ったってことだ。
「汚れたように着色するのはそう難しくないんだけど、臭いがな。わざと黴臭いところに挟んでから持ってきた」
用意周到だな……って、そもそもこの紙はなんなんだ?
トノがそのクリアファイルを裏返すと、反対側には普通のコピー用紙が挟んであって、そこに文字が書いてあった。
俺はクリアファイル越しにそれを読もうとしたけれど、読めなかった。一応日本語みたいだけれど、ナニコレ?
顔を上げた俺に、トノは笑う。
「下書き。旧仮名遣いとか調べて書いたからな。まあ、ようするに、百年以上経っても仲違いが続いているようなら、その仲違いに終止符を打つこと。のちの子供たちのために協力して生きていくようにって書いてある」
それは遺言のようなものだ。ただし、ご先祖様は誰もそんなふうには言ってくれなかった。つまりこれは捏造。
だけど、じいちゃんはご先祖様の言葉なら聞いてくれるかもしれない。ご先祖様が仲良くしろって言ってくれたなら。
ドキドキと心臓がうるさく鳴った。
嘘はいけない。嘘はよくない。
そんなことはわかっている。でも、嘘も方便っていうじゃないか。人と人とが仲良くなるための嘘なら、誰も傷つかずに済むんじゃないのか。皆で手を取り合って、幸せになれる道なら、そんな嘘は悪いことじゃない。
「上手く……いくといいな」
ボソ、と俺が言うと、トノは難しい顔をした。
「まあ、それなりにリスクはある。それから、嘘はいつかバレると思う」
「えー!」
「でもさ、仲良くなればそれっていいことなんだから、その後でウソがバレたってもういいだろ。俺たちが作るのはそのきっかけだ」
トノが言う通りかもしれない。俺たちはいたずら目的でこんなことをするわけじゃないんだ。長年の確執が解けたら、そんなことも笑って話せるようになる。
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