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第1章
15 侯爵令嬢は眠れない
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「それにしても、リリアス様が撃った山がこの山じゃなくてよかったですわね…」
ピレーヌの街の奥にそびえるサンドレアテウス山脈には7つの高い山がある。
私が破壊した霊峰サンムーアは、王都の方角から見て左から2番目。
ピレーヌの街は一番左のケアーブ山の麓にあった。
私たちは夜中とはいえヴァルゲスとの激しい戦いで騒ぎになってしまったせいで街の手前の礼拝堂に戻って眠るという当初の予定を変更して街を抜け、そのままケアーブ山を左側から迂回するルートで馬車を走らせた。
進路の右手側は深い森と高くそびえるケアーブ山、左手側には静かな湖が広がっていた。
ローザの言う通り、私がうっかり撃ち抜いたのがケアーブ山でなくて本当によかった。
もしそうだったらピレーヌの街にも甚大な被害が出ていたはずだし、この道も土砂で埋まって通行できず、その奥の私の故郷であるエスパーダ領に辿り着くためにはとんでもない遠回りをしなければならなくなっていたはずだった。
サンムーアは霊峰なので人が住んでいることも木こりが入ることもないはずなので、本当に運が良かったというほかない。ヴァルゲスには悪いことをしてしまったけど。
「貴様のせいで当初のプランが台無しだ」
御者台からアルミラの恨みがましい声が聞こえる。
「このまま朝になれば土の中で眠るしかなくなるぞ」
私たちは東に向かって進んでいる。
道の先には遮るものもなく、朝日が昇れば陽光を直接浴びることになるだろう。
空は白み始めている。
「使われていない小屋か何かあればいいのですけどね…」
ローザが私の隣りでそう言って小さくあくびする。
私も丸一日中起きていて、さすがに眠気を感じている。
「アルミラって、その左手の中に家とか仕舞ってないの?」
アルミラの固有能力だという底なしの棺。
この馬車もそこに収納していたものだ。だったらと思って私は聞いてみた。
「サイズに限界があると言っただろう!この馬車が限界だ!」
今までずっとぶっきらぼうではあっても静かに話していたアルミラが荒げた声に、私は思わずビクッとなった。
私が小声でローザに「なんか、怒ってるね」と話しかけ、ローザが「みたいですわね」と返した時、アルミラが馬車を停めた。
「怒ってなどいない!降りろ!」
わ…聞こえてた。
でも絶対怒ってるじゃない、その感じ…。
そう思いながら馬車から降りると、アルミラが「見ろ」と示した山の中腹に古びた石造りの建物があった。
「火事のあと…でしょうか」
ローザが言う通り、ずいぶん前に火事があったのだろう。その建物の石壁は黒く煤けていてほとんど窓もなく、屋根はところどころ焼け落ちたようで骨組みだけになっていた。
「ついてこれなければ置いていくぞ」
アルミラはそれだけ言うと素早く馬車を左手に格納し、シャッとものすごい速さで森の中へと消えていった。
取り残された私とローザは目を合わせてお互い無言で頷き、アルミラを追って森の中へと分け入った。
******
「遅い…ぞ………」
日の出の直前に私とローザが山の中腹の建物の中に辿り着いた時、アルミラはエントランスホールから地下へと続く階段にもたれかかって瞼をこすっていた。
私たちを見るや否や地下へと駆け降りていったアルミラを私たちは再び追いかける。
階段を降りきった先には重そうな木の扉があって、ギイィィィィッと開けたその先は広大な空間だった。
「ずいぶん広そうな地下室ですのね…」
灯りもなくローザの目にはほとんど真っ暗闇でわからなかったのだろう。
でも、私とアルミラにはそこに何があるか見えている。
「ただの地下室じゃ、ないよ…」
「ああ、おそらくこの建物は廃病院で、ここは霊安室だ」
歩くローザの足先にゴツンと棺がぶつかる。
普通なら、ここで悲鳴を上げていいはずだ。私ならそうする。
でもローザは蹴ってしまった棺を撫でて「ごめんなさいね」と言ったあと、笑顔を見せた。
「よかったですわね!吸血鬼が眠るのにちょうどいいところが見つかって!」
アルミラは「ああ」と短く応えたが、私は押し黙る。
………私は、イヤよ。
こんなところで寝たら、どんどん人間離れしちゃう…。
******
でも、私はいつまでも、いつまでも眠れなかった。
眠いのに。
アルミラが左手から出した自分用の棺に潜り込み、ローザが誰かの棺にもたれかかるように寝息を立て始めても、私は眠れなかった。
どういうこと。
眠くて眠くて身体が痺れたように動かないのに、目を閉じても眠れない。
なんだか胸の奥がざわざわして、不安?後悔?悲しみ?罪悪感?よくわからないけど不思議な感情が次から次に湧き出てきて、ちっとも眠れる気配がない。
私もアルミラみたいに棺の中じゃなきゃ寝れないの?
でも自分用の棺なんか持ってないし、ここにある他の人の棺…と言っても病院の霊安室ならきっと中に人が入ってるわけじゃなくてこれから誰かを入れるために置いてあるだけのもののはずだと思うけど、怖くて中を開ける気にはなれない。
どうしようどうしよう、眠りたいのに眠れないよ、どうしよう。
そう思うほどに胸がざわついて余計に眠れない。
意を決して転がっている棺のひとつを開けてみると予想通り中には何も入っていなかったので恐る恐る私もアルミラみたいに入ってみて目を閉じる。
でも眠れない。
むしろ《棺なんかに入って、いよいよ人間じゃないわ私》と思うばかりで、より一層眠りから遠ざかっていく。
叫びだしそうになって棺から飛び出て私は髪をかきむしる。
ああああああああああああああああああああ!眠れない!!!
パニックを起こして本当に叫びそうな寸前で私はどうにか踏みとどまる。
頭をガシガシやって髪をかきむしったり身をよじったりゴロゴロ転がってみたりしたけれど、ちっっっっとも眠れそうな感じにならない。
眠くて眠くて仕方ないのに。
うううううううううううううう…!!!
「リリアス様…こちらへ」
眠れない私に気付いてローザが寝そべったまま腕を広げる。
「…ごめん、起こしちゃった?」
「構いませんわ、ほら…」
促されて近付いた私をローザが抱き寄せる。
ふわりと鼻をくすぐる甘い香り。
柔らかな胸に顔を埋める。
トクン…トクン…と穏やかな音が耳に響く。
私にはもうない、心臓の鼓動。
「大丈夫ですわ…わたくしがいますわ」
ローザが私の髪を優しく撫でてくれる。
眠れないのは変わらないけど、胸のざわめきが遠のいて、少し安らかな気分になる。
なんか、小さい頃、お母様にこうしてもらったことがあるような…。
ああ、そう言えばもうお母様はいないんだ。
ジェラルドのバカ王子に殺されて。
………このローザもその一端ではあるけれど。
でも、私は今日という長い長い一日を一緒に過ごして、もうローザのことは嫌いではなくなってしまっている。
こんなこと本当にもう今さらだけど、もしもっと早くローザとちゃんとお話できてたら、こんな結果にはならなかったんじゃないかと思う。
もちろんそれでも結局こうなった可能性もあるけれど、それと同じだけ全然別の結果になった可能性だってあるはずだ。
例えば私とローザが学園でとっても仲の良いお友達になって二人でジェラルドのバカをやっつけていた可能性だって。
お友達。
ところで今の私とローザの関係は、一体何なのだろうか。
お友達というのとはちょっと、いや、けっこう違う。
そもそもローザが私をこうして優しく抱き締めてくれているのも、本当にローザの自由意思なのだろうか。
私の吸血鬼としての魔術か何かで洗脳されてこうなっているんじゃないだろうか。
なんか、奴隷ですわよとか言ってたし。
よくわからない。
よくわからないけど、今こうしてローザの柔らかで温かい身体に包まれている私は、ちっとも眠れなくても心はなんだか満たされているような気がする。
私は親不孝者だろうか?
やむにやまれぬ事情があったとはいえ、家族が処刑された原因の大きなひとつになった女の子の胸に抱かれて、安らぎを覚えるこの私は。
ごめんなさい…。
ローザのドレスの裾をキュッと握って、私は涙が出そうになるのを必死に堪えた。
だって私の涙は血の涙で、泣いたらローザの真っ白なドレスを汚してしまうから。
うう…。
ピレーヌの街の奥にそびえるサンドレアテウス山脈には7つの高い山がある。
私が破壊した霊峰サンムーアは、王都の方角から見て左から2番目。
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私たちは夜中とはいえヴァルゲスとの激しい戦いで騒ぎになってしまったせいで街の手前の礼拝堂に戻って眠るという当初の予定を変更して街を抜け、そのままケアーブ山を左側から迂回するルートで馬車を走らせた。
進路の右手側は深い森と高くそびえるケアーブ山、左手側には静かな湖が広がっていた。
ローザの言う通り、私がうっかり撃ち抜いたのがケアーブ山でなくて本当によかった。
もしそうだったらピレーヌの街にも甚大な被害が出ていたはずだし、この道も土砂で埋まって通行できず、その奥の私の故郷であるエスパーダ領に辿り着くためにはとんでもない遠回りをしなければならなくなっていたはずだった。
サンムーアは霊峰なので人が住んでいることも木こりが入ることもないはずなので、本当に運が良かったというほかない。ヴァルゲスには悪いことをしてしまったけど。
「貴様のせいで当初のプランが台無しだ」
御者台からアルミラの恨みがましい声が聞こえる。
「このまま朝になれば土の中で眠るしかなくなるぞ」
私たちは東に向かって進んでいる。
道の先には遮るものもなく、朝日が昇れば陽光を直接浴びることになるだろう。
空は白み始めている。
「使われていない小屋か何かあればいいのですけどね…」
ローザが私の隣りでそう言って小さくあくびする。
私も丸一日中起きていて、さすがに眠気を感じている。
「アルミラって、その左手の中に家とか仕舞ってないの?」
アルミラの固有能力だという底なしの棺。
この馬車もそこに収納していたものだ。だったらと思って私は聞いてみた。
「サイズに限界があると言っただろう!この馬車が限界だ!」
今までずっとぶっきらぼうではあっても静かに話していたアルミラが荒げた声に、私は思わずビクッとなった。
私が小声でローザに「なんか、怒ってるね」と話しかけ、ローザが「みたいですわね」と返した時、アルミラが馬車を停めた。
「怒ってなどいない!降りろ!」
わ…聞こえてた。
でも絶対怒ってるじゃない、その感じ…。
そう思いながら馬車から降りると、アルミラが「見ろ」と示した山の中腹に古びた石造りの建物があった。
「火事のあと…でしょうか」
ローザが言う通り、ずいぶん前に火事があったのだろう。その建物の石壁は黒く煤けていてほとんど窓もなく、屋根はところどころ焼け落ちたようで骨組みだけになっていた。
「ついてこれなければ置いていくぞ」
アルミラはそれだけ言うと素早く馬車を左手に格納し、シャッとものすごい速さで森の中へと消えていった。
取り残された私とローザは目を合わせてお互い無言で頷き、アルミラを追って森の中へと分け入った。
******
「遅い…ぞ………」
日の出の直前に私とローザが山の中腹の建物の中に辿り着いた時、アルミラはエントランスホールから地下へと続く階段にもたれかかって瞼をこすっていた。
私たちを見るや否や地下へと駆け降りていったアルミラを私たちは再び追いかける。
階段を降りきった先には重そうな木の扉があって、ギイィィィィッと開けたその先は広大な空間だった。
「ずいぶん広そうな地下室ですのね…」
灯りもなくローザの目にはほとんど真っ暗闇でわからなかったのだろう。
でも、私とアルミラにはそこに何があるか見えている。
「ただの地下室じゃ、ないよ…」
「ああ、おそらくこの建物は廃病院で、ここは霊安室だ」
歩くローザの足先にゴツンと棺がぶつかる。
普通なら、ここで悲鳴を上げていいはずだ。私ならそうする。
でもローザは蹴ってしまった棺を撫でて「ごめんなさいね」と言ったあと、笑顔を見せた。
「よかったですわね!吸血鬼が眠るのにちょうどいいところが見つかって!」
アルミラは「ああ」と短く応えたが、私は押し黙る。
………私は、イヤよ。
こんなところで寝たら、どんどん人間離れしちゃう…。
******
でも、私はいつまでも、いつまでも眠れなかった。
眠いのに。
アルミラが左手から出した自分用の棺に潜り込み、ローザが誰かの棺にもたれかかるように寝息を立て始めても、私は眠れなかった。
どういうこと。
眠くて眠くて身体が痺れたように動かないのに、目を閉じても眠れない。
なんだか胸の奥がざわざわして、不安?後悔?悲しみ?罪悪感?よくわからないけど不思議な感情が次から次に湧き出てきて、ちっとも眠れる気配がない。
私もアルミラみたいに棺の中じゃなきゃ寝れないの?
でも自分用の棺なんか持ってないし、ここにある他の人の棺…と言っても病院の霊安室ならきっと中に人が入ってるわけじゃなくてこれから誰かを入れるために置いてあるだけのもののはずだと思うけど、怖くて中を開ける気にはなれない。
どうしようどうしよう、眠りたいのに眠れないよ、どうしよう。
そう思うほどに胸がざわついて余計に眠れない。
意を決して転がっている棺のひとつを開けてみると予想通り中には何も入っていなかったので恐る恐る私もアルミラみたいに入ってみて目を閉じる。
でも眠れない。
むしろ《棺なんかに入って、いよいよ人間じゃないわ私》と思うばかりで、より一層眠りから遠ざかっていく。
叫びだしそうになって棺から飛び出て私は髪をかきむしる。
ああああああああああああああああああああ!眠れない!!!
パニックを起こして本当に叫びそうな寸前で私はどうにか踏みとどまる。
頭をガシガシやって髪をかきむしったり身をよじったりゴロゴロ転がってみたりしたけれど、ちっっっっとも眠れそうな感じにならない。
眠くて眠くて仕方ないのに。
うううううううううううううう…!!!
「リリアス様…こちらへ」
眠れない私に気付いてローザが寝そべったまま腕を広げる。
「…ごめん、起こしちゃった?」
「構いませんわ、ほら…」
促されて近付いた私をローザが抱き寄せる。
ふわりと鼻をくすぐる甘い香り。
柔らかな胸に顔を埋める。
トクン…トクン…と穏やかな音が耳に響く。
私にはもうない、心臓の鼓動。
「大丈夫ですわ…わたくしがいますわ」
ローザが私の髪を優しく撫でてくれる。
眠れないのは変わらないけど、胸のざわめきが遠のいて、少し安らかな気分になる。
なんか、小さい頃、お母様にこうしてもらったことがあるような…。
ああ、そう言えばもうお母様はいないんだ。
ジェラルドのバカ王子に殺されて。
………このローザもその一端ではあるけれど。
でも、私は今日という長い長い一日を一緒に過ごして、もうローザのことは嫌いではなくなってしまっている。
こんなこと本当にもう今さらだけど、もしもっと早くローザとちゃんとお話できてたら、こんな結果にはならなかったんじゃないかと思う。
もちろんそれでも結局こうなった可能性もあるけれど、それと同じだけ全然別の結果になった可能性だってあるはずだ。
例えば私とローザが学園でとっても仲の良いお友達になって二人でジェラルドのバカをやっつけていた可能性だって。
お友達。
ところで今の私とローザの関係は、一体何なのだろうか。
お友達というのとはちょっと、いや、けっこう違う。
そもそもローザが私をこうして優しく抱き締めてくれているのも、本当にローザの自由意思なのだろうか。
私の吸血鬼としての魔術か何かで洗脳されてこうなっているんじゃないだろうか。
なんか、奴隷ですわよとか言ってたし。
よくわからない。
よくわからないけど、今こうしてローザの柔らかで温かい身体に包まれている私は、ちっとも眠れなくても心はなんだか満たされているような気がする。
私は親不孝者だろうか?
やむにやまれぬ事情があったとはいえ、家族が処刑された原因の大きなひとつになった女の子の胸に抱かれて、安らぎを覚えるこの私は。
ごめんなさい…。
ローザのドレスの裾をキュッと握って、私は涙が出そうになるのを必死に堪えた。
だって私の涙は血の涙で、泣いたらローザの真っ白なドレスを汚してしまうから。
うう…。
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