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【一章】『運命の番』編

9 残酷な現実 (回想)

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  泣きながら、いつの間にか眠ってしまったらしく、気が付けば朝になっていた。
  近くには誰もいなくてナースコールをすれば、先生が顔を出した。売店の袋を片手に持って。
  一晩、入院した訳だが、急だったので朝食は出ないらしい。食欲は無かったから構わなかった。先生が袋の中を見せて「好きなのを食べて」と言ってくれたが、喉は乾いていたので、野菜ジュースだけ貰った。
  先生は二、三日入院する事を勧めてきたけれと、俺は退院したいと言った。昨夜、ぼんやりと意識が戻った時に、点滴が終わって体調に問題がなければ帰宅してもらって…と他の先生が言っていたような気がしたから。
  病院にはいたくなかった。もうどこも痛くない。あんなに痛かったお腹も…。赤ちゃんがいなくなって、悪阻の症状だって無くなっていたのだから。
  俺が頑なに入院を拒み、昼に退院出来る事になった。
  精算の準備を待っている間、先生に『被害届』を出すか訊かれたが、俺は首を横に振った。
  今更だった。犯人の顔なんか見ていない。それなのに、根掘り葉掘り聞かれるだけ。思い出したくないのに…。大和に知られるかもしれないし、きっと職場にだって迷惑が掛かるかもしれない。
  今後『被害者』を出さない為にも…と言われたが、知らないが誰かが被害に遭わない為に、自分の傷口に塩を塗り込んでまで犯人捜しに協力しろと?
  いつも多くのΩに…俺の心に寄り添ってくれた先生が、そんな事を言うの?
  こんな時に『無神経』だと思った。
  初めて先生が『憎い』と思った。
  俺の赤ちゃん、いなくなったのに!
  他の人なんて知らないよ!
  この時の俺の心は本当に醜かったと思う…。
  先生がそんなつもりで言ったんじゃない事くらい、冷静になって考えれば解る事なのに、この時の俺は自分の事しか考えられなかった。

  精算の準備が出来ると、俺は会計を済ませて病院を後にした。
  頼みもしないのに見送りに外まで付いてきた先生に、「落ち着いたら連絡して」と言われたが、俺は返事をせず、振り向く事もないまま、ちょうど来たタクシーに乗り込んだー。

『後悔』を胸に自宅に帰り着いた俺は、妊娠を知った時と同じ様に、ベッドの上に仰向けに横になった。
  さっきまでいた病院とは違うナチュラルカラーの天井をぼんやりと眺めていたら、病院で散々泣いて渇いた筈の涙が、また溢れ出した。
  うつ伏せになり、枕に顔を埋め、声を上げて泣いた。此処は自宅だ。我慢をする必要はないのだから…。

『後悔』しかなかった。
  昨日、判ったばかりの妊娠ー。
  俺自身、まだ現実として受け入れられていなかった。
『流産』という現実が受け入れられない。
  初期の流産はよくある事だと、妊娠を知った時に渡された冊子には書かれていた。でも、それは自然流産の事だろう。 
  俺が一体、何をしたというのだろう…。
  何故、俺は襲われた?
  Ωだから?  俺だから?  それとも誰でもよかった?
  答えは出ない。
  それでも…!
  理不尽に奪われてもいい『命』じゃなかった!

  空っぽになってしまったお腹を、服の上から撫でる。
  戻る筈のない芽生えたばかりで失われた『子』を想いながら、ただ…泣いたー。
  
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