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第一部

小話2.可愛いあいつに酒入りチョコを食わせてみたら

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「おいアリシア、そのクマ見せろ」

「ちょっと、いきなりなんなのよ!?」

 寮内がすっかり静かになった夜、ロシュはアリシアの部屋を訪ねていた。
 少し遅いが、真面目なアリシアは予習復習に励んでいる時間だ。
 想像に漏れず机に向かっていたアリシアは、勝手に入ってきたロシュをじとりと睨む。
 すでにシャワーも終えていたのだろう。
 淡いピンク色をしたシュミーズは初めて見るものだった。
 リボンやフリルが多くついているものは少し子どもっぽいが、その無防備さが堪らない。
 思わずニヤけてしまいそうになるのを我慢し、ロシュは手土産をぽんと放った。

「代わりにこれやる。クレメントが持ってきたんだよ」

「わ、チョコレートだ! いいの?」

 そそくさと包装紙を開けるアリシアを横目に、ベッドに座るクマのぬいぐるみを持ち上げる。
 あまりくたびれた様子がないから、幼い頃から持っているわけではないのだろう。
 だとしたら入学を機に手に入れたのか。
 十五の女子がぬいぐるみと一緒に親元を出るというのも、それはそれで愛らしい。
 ロシュはアリシアを作り上げるものすべてを好意的に思ってしまうからきりがないのだが。
 ふんわりと香るチョコレートの匂いを感じながら、手にしたものをじっくり観察する。
 ごくごく普通の素材で作られているらしく、魂転移には向いていない。
 可能だとしても五感共有ぐらいだろう。
 それでも細かな部品は交換しないといけないだろうが……。

「ねぇ、ロシュ。聞いてるの?」

「あ? あー、聞いてる聞いてる」

「絶対聞いてないやつじゃん!」

 集中しすぎてアリシアの話を無視してしまっていたようだ。
 少し眉を寄せた顔は学園内では見せないもので、自分だけが見られると思えば優越感を抱いてしまう。
 しかしそんなロシュの反応にも不満があるようで、アリシアは拗ねたようにロシュを睨んだ。

「もう、チョコ全部食べちゃうからね!」

「食っていいって。俺、甘いのは……苦手って言っただろ」

 うっかり嫌いと言いそうになったが、先日それで機嫌を損ねたことを思い出した。
 はっきりとした怒りは抱いていないようだが、このまま放っておくのも心苦しい。
 八つ当たりのようにチョコレートを食べるアリシアを気にしながら、ロシュは再びクマに向き合う。
 目玉の色ガラスは黒水晶にして、鼻の包みボタンは世界樹の枝に交換しよう。
 胴体に魔石を埋め込む時、穴を開けても目立たない場所はどこだろうか。
 どっか痛めたら怒るってか、泣きそうだしな。
 物を大事にするアリシアの意思は尊重したい。
 脇の下か脚の付け根なら誤魔化せるかと結論づけると、ふと部屋が静かなことに気付く。

「なんだよ、怒ったのか?」

 うっかり集中していたせいでまたしてもアリシアを放置してしまっていた。
 内心焦りながら顔を上げると、椅子に座ったアリシアは頬をぷくっと膨らませていた。
 うわ、柔らかそ。
 思わず指でつついてみたくなったが、それよりこの態度が気になる。
 アリシアは小柄な体格のせいか、子ども扱いされるのをことのほか嫌う。
 学園では常に背伸びしているようだが、ここまで大人げない仕草は初めてだった。

「あたしの部屋に来たのに、どーして無視するの?」

 不思議と声が丸い気がする。
 しかし目は据わっているし、膨らませた頬も尖らせた唇も妙に赤い。
 近付いて覗き込んでみるとふんわりと酒精を感じる匂いがした。
 これは、まさか……。
 きれいに剥がした包装紙には、香り付け程度に蒸留酒が入っていると書かれていた。

「おい、この程度で酔ったなんて言わねぇよな?」

「何言ってるの? あたしお酒なんて飲んでないもん。大人になるまで駄目ってパパが言ってたもん」

「酒は十六で許されるだろ」

 とはいえ、十六歳は学園に入学する年齢だ。
 学園内での飲酒は禁止されていて、その前に飲んでいなければ覚えることもない。
 しかし、そんな人間がこの国に居たとは。
 ロシュが意外さと呆れを感じていると、アリシアが両腕を伸ばしてきた。

「ねー、ロシュー」

 なんだこれ、可愛すぎだろ。
 アリシアが自分の腹部に顔を押しつけ、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる。
 これほどべたべたに甘えてくることなど今まで一度もなかった。
 思わず抱きしめ返そうとしていると、下からじっと見つめられていた。

「ロシュも食べるー? あたしと一緒なら甘いの、食べてくれるんでしょー?」

 先日言ったことを覚えていたらしい。
 そんな些細なことにも小さな嬉しさを感じていると、細い指で摘まんだチョコレートが差し出された。

「はい、あーん」

 口元に押し当てられても大した酒精は感じられない。
 もしかしたら酔った振りなのだろうか。
 そんなことを考えてみるが、アリシアにそんな技巧はないだろう。
 だったら乗ってもいいかと思い直すと、ロシュは小さなチョコレートを口に含んだ。

「おいしー?」

「あー、うまいうまい」

 本当は味など大して分からない。
 嬉しそうに笑って顔を寄せるアリシアを前に、触れた場所にすべての感覚が集中しているからだ。
 今すぐ抱きしめて唇を奪ってベッドに連れ込みたいところだが、酔った相手にしていいものではない。
 断腸の思いでアリシアの身体を離し、きょとんと見上げる顔に言い聞かせた。

「お前、もうやめとけ」

「やーだぁー」

「やだじゃねぇよ。水でも飲んで……」

「じゃあ今あげたの返してー」

 水差しに手を伸ばすよりも前に、アリシアの手がロシュの首筋に絡みついた。
 そしてすぐ間近に顔があると気付いた時には、柔らかな舌が差し込まれてきた。
 こちらの反応を楽しむような目で見つめられ、音を立てて口内を味わわれる。
 舌に残った甘みをこすり取られ、もうないのかと他の場所を探られる。
 普段のアリシアなら絶対にしないであろう行動に、さすがのロシュも硬直していた。

「んふー……おいし」

 目の前で頬を染めた顔は、妖艶さすら感じさせるものだった。
 寮の自室という場所で、無防備な格好で身体をすり寄せてくるということは。
 遠慮する必要なんてないだろ。
 瞬時にそう判断したロシュは、この状況に付け込むことにした。

「これ、半分よこすなら食ってもいいぞ」

 小さなチョコレートをアリシアの唇に押し当て、その反応に期待する。
 条件を無視して食べてしまうか、それとも。
 淡い期待と共に待っていると、言葉を理解したらしいアリシアがふにゃりと笑った。

「あぃ、ろーろ?」

 濡れた唇で咥えて差し出され、一瞬反応が遅れてしまう。
 あー……可愛い。
 常日頃から思っていることを再認識させられたロシュは、そのままアリシアの唇にかぶりついた。
 お互いの舌で舐め取ればチョコレートはすぐに溶けてしまう。
 アリシアが物足りない顔をするたびに口に放り込み、絶えず二人で味わい続ける。
 ロシュにとっては甘ったるすぎる味だとしても、それがアリシアと一緒なら何よりも美味だ。
 甘さと酒精の混じった吐息が部屋を満たす頃には、箱のチョコレートはすべてなくなっていた。

「口、チョコまみれだな」

「んぅー?」

「きれいにしてやるよ」

 そんな大義名分を掲げながら、ロシュは再びアリシアの味を堪能する。
 熱を持ってふわふわになった唇は心地よく、無自覚に蠢く舌はどこまでもロシュを惑わせる。
 チョコレートの味などとっくに消えてしまった。
 なのに今も甘いと感じてしまうのは、溶けきった顔をしているアリシアのせいだろうか。

「ろしゅー、もっと舐めてー?」

「もうないだろ。どこ舐めてほしいんだよ?」

「んー……ぜんぶ」

 自分に縋り付きながら強請るアリシアの可愛さをどう現せばいいのか。
 内心で悶えるロシュだが、それでもアリシアの前では虚勢を張っていたい。
 わざと苦笑を漏らし、崩れ落ちそうなアリシアを抱き寄せた。

「欲張りな奴だな」

「うー……駄目なの?」

「いいに決まってんだろ」

 これで言質は取った。
 全身の力が抜けているアリシアを抱き上げると、そのままベッドにそっと下ろす。
 この光景は何度も見ているはずなのに、毎回興奮が冷めやらないのは何故だろう。
 自分にすべてを委ねているような仕草に征服欲が満たされるのか。
 今すぐにでも脱がせたいと服に手をかけると、アリシアが思い出したように顔を上げた。

「この服ね、ママが送ってくれたの」

「へぇ、ママが?」

 いつもだったら両親としか言わないが、本当はパパママと呼んでいるらしい。
 そんな子どもっぽいところも可愛らしいと思っていると、照れたような笑みを浮かべた。

「好きな人ができたよーってお手紙書いたらね、じゃあお部屋でもおめかししなさいねって。
 ねーロシュ、どぉ?」

 見せびらかすような格好にふっと笑みを漏らしてしまった。
 仲の良さそうな親に自分のことを伝えていいと思ってくれたのか。
 そして親もそれを認めてくれたのか。
 他人への承認欲求なんてとうに消えたと思っていた。
 なのにこうして自分のことを好きだと言って、大事な身内に伝えてくれる。
 たったそれだけのことのはずなのに、なぜか胸が温かくなった気がした。

「……似合ってる。可愛いよ」

「えへへー、嬉しい」

 素直に喜ぶあどけない笑顔を穢してはいけないのではないか。
 刹那に浮かんだ考えはすぐに欲に追いやられ、柔らかな布に触れる。
 アリシアの母親はこうされることを分かっていたのだろうか。
 薔薇色のリボンを解くたびに僅かな罪悪感が積もっていく。
 素直に娘を応援する気持ちを裏切るような気がして申し訳ない。
 それでも、この愛らしい相手に手を出さないなど考えられない。
 上気した肌はうっすら赤く染まり、触れれば高い体温を感じる。
 これから自分が入り込む場所はどうなっているのだろう。
 想像するだけで体温が上がり、頭がくらくらしてきた。
 自分が酒に酔う体質でないことは分かっている。
 もしも酔っているのだとしたら、それはアリシアに対してだろう。
 茶色の瞳がぼんやりと自分を見上げ、力の抜けた身体で自分のことを待っている。
 そんな姿を前にこみ上げるものをどう表せばいいのか。
 可愛い? 愛おしい? 愛くるしい?
 言葉では言い表せないくせに、どうにかして伝えたいと思ってしまう。
 いつもなら顔を合わせずに囁くのが精一杯だが、今日は自分も酔ったということにしてしまおう。
 目を閉じてからそっと額を合わせ、勇気を出して口に出す。

「アリシア、俺もお前のこと……」

 疑いようもない告白をぶつけたら、アリシアはどんな反応を示すだろうか。
 素直に受け入れられても、焦ったように照れてもいい。
 もしかしたら、恥ずかしさのあまり何も言えないかもしれない。
 様々な反応を想像しながら目蓋を開けると、そこに茶色の瞳はなかった。

「おい……まさか、寝てんのか?」

 目蓋はしっかりと閉じ、すうすうと穏やかな呼吸が聞こえる。
 酔いの残る頬は今も赤いままだが、口の中でむにゃむにゃ言っているのは寝言だろう。
 たったあれだけの酒精で酔っ払い、そのまま寝落ちしてしまうとは。
 予想もしていなかった事態に、ロシュは小さく舌打ちをした。

「あー……やっぱムカつく」

「んぅー……ロシュ、ろしゅ……」

 頭でも叩いてやろうと思っていたが、そんな寝言にぐっと堪える。
 ムカつくけど、やっぱ好きすぎるんだよな……。
 それでも散々煽られた上にお預けされたとなれば、腹の虫が治まるわけもない。
 部屋の魔法灯をすべて消してから、中途半端にリボンを解いた服に手をかけた。


「うぅ……頭いたぁ……」

 翌朝。
 経験したことのない痛みに目を覚ましたアリシアは、毛布を剥がした身体を見てふと停止する。
 身につけているものはショーツ一枚。
 そして同じベッドにはシャツだけ脱いだロシュが眠っていた。

「ど、どういうことっ!?」

「あぁ、朝か」

 眠たげに目を擦るロシュを前に、慌てて毛布で身体を隠す。
 えっと……昨日は勉強してる時にロシュが来て……それで、どうしたんだっけ?
 考えようとしても謎の頭痛が邪魔をする。
 呻きながら頭を抱えていると、寝転んだままのロシュが薄い笑みを浮かべていた。

「昨日のお前、すげぇ積極的だったな。あんなになるなんて初めて知った」

「ま、待って? あたし、何を……」

「覚えてねぇの? あー、でもあれは忘れてたほうが幸せかもなぁ。
 お前もあんな痴態、わざわざ説明されたくねぇだろ?」

「ち、た……って……?」

「あれは俺だけが知ってればいいんだよ。それと、卒業までに酒の飲み方教えてやる」

 お酒……?
 いきなりの話題転換にまるでついていけないが、自分はどんな失敗をしてしまったのだろうか。
 服装からしてとんでもないことをしてしまったのではないか。
 さぁっと血の気が引いているというのに、ロシュは楽しげににやついていた。

「あたし、ほんとに何かしちゃったのっ? ねぇっ!?」

「朝飯行くんだろ。さっさと服着ねぇと休ませんぞ」

「休まないし! うぅ、頭痛いよぉ……」

「二日酔いだな。ざまぁ」

「ひどくないっ?」

「どっちがだよ」

 そんな二人の言い合いはいつまでも続き、授業のために全力で走ることになってしまった。
 ほんとにあたし、何したんだろう……?
 何度聞いてもはぐらかされ、アリシアの不安が解消されることはなかった。
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