クロワッサン物語

コダーマ

文字の大きさ
上 下
21 / 87
陰気なマリア

陰気なマリア(6)

しおりを挟む
     ※ ※ ※

 扉が閉められる重々しい音に、炎が頼りなく揺らぐ。
 同時に、喉が切れそうなくらい細い声が「マリアさん」と妹の名を叫んだ。

「貴女、ここは皇帝陛下とそのご家族の納骨堂ですよ。なんて罰当たりな。それに私が火種や食べ物や飲み物を持ってきて差しあげなければ、こんな所、いつまでも居られるものじゃありません」

 一気にまくしたてるリヒャルトの額は、薄明りの中でも蒼白だと分かる。

「お兄さまには関係ないでしょう。あたしたちが何処にいようが」

「関係なくないでしょう! そもそも貴女、どういうことですか。市長殿に変な脅迫文を送ったっていうのは……!」

「そりゃ送るなら市長様に送るわよ。うちのお父さまに送ったところで、握りつぶされるって分かっているもの」

 あの人はも娘よりもウィーンの方が大事な人だものねぇ──妹のその言葉に、兄もぐっと声を詰まらせる。

「で、ですがこんな大それた狂言誘拐なんて起こして……。父上はそれはそれはお怒りでした。貴女、一体何を企んでいるのですか!」

 癖なのだろう。
 マリア・カタリーナは「フン」と鼻を鳴らした。
 本人に自覚はないのだろうが、それは完全に人を馬鹿にする態度だ。

「結局のところ露見しているじゃないですか! 貴女、降伏を要求するなんて……」

 喉がひきつけを起こしたように、リヒャルトの声が裏返る。構わず妹は続けた。

「フン、お兄さまはお父さまのご機嫌とりばかりね。実力では認められないからって、媚びたところでどうしようもないのに。お父さまはルイの方をよほど可愛がっておいでよ?」

 ライバルの名を出され、リヒャルトの膝がガクガクと震え出す。
 先程ルイ・ジュリアスに助けられ、馬の後ろに乗せられた屈辱が鮮明に思い出されたのだ。

「ルイは防衛部隊の小隊を任されたらしいわね。ならば、お兄さまは何のお仕事を?」

「マリア、もうやめろよ」

 アウフミラーの静かな声が背後から聞こえるが、彼女は返事の代わりに再び鼻を鳴らす。

「お兄さまはたしか避難民の誘導のお仕事をなさっていたはず。それから防火班で、街の人たちにバケツを配っていらっしゃったわね。あら、随分とご機嫌が悪いようだけれど、集団の中で自分の無能さが露呈して落ち込んでいらっしゃるのかしらねぇ。そしてそれを知られまいと虚勢を張っていらっしゃる」

「な、何を……」

 青白い頬が、今度は紅潮した。
 どうやら図星だったらしい。
 マリア・カタリーナは意地の悪い笑みを頬に張り付けた。
 兄を貶める言葉であれば、喉に潤滑油でも塗ったかのように澱みなく流れ出るから不思議だ。

 別に何を材料に推測したというわけではあるまい。
 自意識の高さのわりに身体能力が低く不器用で、おまけに頭の回転も速いとは言い難いリヒャルトの、これは幼少の頃からの典型的な行動様式なのであった。

 マリア、やめろと諫める声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
 彼女と一緒に納骨堂に隠れていた男は、諦めたように押し黙ってしまっている。
 彼の存在をようやく思い出したかマリア・カタリーナは、はっと息を呑んだ。
 兄を貶めて勝ち誇ったように歪んでいた表情が、たちまち不安げに曇る。

「ち、違うの、アウフミラー。あたしは……」

 ただの兄妹喧嘩に見られないことは経験則で分かっているのだろう。
 妹曰く兄リヒャルトは、「被害者面が上手い」ため、一方的に彼女が責めているように思われるのだ。

 アウフミラーと呼びかけられた男も、呆れたように首を振りつつ、しかし彼女にずっと視線を注いでいる。
 薄暗くてその表情は見えない。

「何よ、アウフミラー。言いたいことがあるんなら……」

 マリア・カタリーナが彼の元へ一歩、足を踏み出したその時だ。

「久しぶりに同郷の奴と話せて嬉しいよ」

「僕もだよ。けど、僕はあちこち旅してるから」

「そりゃ羨ましいなぁ。語学も堪能なんだろう?」

「それは難しいよ。でもね、言葉っていうのはね、つまりは感覚なんだよ!」

「そうか、感覚か!」

 賑やかな会話が、地下納骨堂に立ち込めた険悪な空気を破った。

 ルイ・ジュリアスと、グラシで拾ったパン屋──フランツといったか──いつの間にか距離が近付いた二人が、何の躊躇もなく入ってきたのだ。
 能天気なその様子に、リヒャルトが薄闇を良いことに顔を歪める。

「あっ、マリア・カタリーナ殿。ご無事でしたか。何よりです」

 小さな炎のゆらぎの中に「誘拐された」上官の娘を発見して、ルイ・ジュリアスは警戒する様子もなく奥へと歩を進めた。
 そして、そこにアウフミラーの姿を認めて、露骨に眉をひそめる。

「マリア・カタリーナ殿を誘拐したのはお前なのか」

 違う違うと、当のご令嬢。
 焦った様子でルイ・ジュリアスとアウフミラーの間に割って入った。
 涼しい顔をして立つアウフミラーに、ルイ・ジュリアスは指揮官の忠犬よろしく毛を逆立てて今にも飛びかかりそうな様子だ。

「ルイ、あんたね……誘拐なんて最初からないのよ。ちょっとした誤解があっただけ」

「……本当なのですかマリア・カタリーナ殿」

 尚も疑わしげな騎士だが「父も納得したわ」との一言で、その表情は陽が射すように変わった。

「先程この扉から閣下や市長様が出ていらしたので何だろうかと思って、パン屋殿と一緒に覗いてみたのです。いや、良かった。これで万事解決だな」

 あんた、本当に天然よねというマリア・カタリーナの嫌味など、ルイ・ジュリアスは聞いちゃいまい。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー

ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。 軍人になる為に、学校に入学した 主人公の田中昴。 厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。 そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。 ※この作品は、残酷な描写があります。 ※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。 ※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。

【受賞作】小売り酒屋鬼八 人情お品書き帖

筑前助広
歴史・時代
幸せとちょっぴりの切なさを感じるお品書き帖です―― 野州夜須藩の城下・蔵前町に、昼は小売り酒屋、夜は居酒屋を営む鬼八という店がある。父娘二人で切り盛りするその店に、六蔵という料理人が現れ――。 アルファポリス歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」、同最終候補「天暗の星」ともリンクする、「夜須藩もの」人情ストーリー。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...