20 / 87
陰気なマリア
陰気なマリア(5)
しおりを挟む
これは一体どういうことだ、とシュターレンベルクの後ろからバーデン伯の呻き声。
どうもこうもない。自体はきわめて単純だ。
「すまない。誘拐は娘の狂言のようだ」
「はぁ?」
稚拙な脅迫文に、何となくそんな気はしていた。
おそらくは父への反発心からの所業であろうが、何を思って降伏を促す手紙など寄越したのか。
しょせんは大貴族のお嬢様、考えて書いたのかもしれないが安直な企みであるとすぐ分かる。
娘の筆跡まで知らないから確証はなかったのだが、こうして事実を突きつけられると衝撃は大きい。
「お忙しい市長殿まで、偽の脅迫状に巻き込んで申し訳なかった」
指揮官の謝罪を手で制して、市長は奥の暗闇に視線を送る。
そこには三人目の人物がいた。
隠れていたわけではあるまい。
灯かりの届かない位置にいたため、気付かなかっただけだ。
「お前は……?」
若い男だ。
マリア・カタリーナより背が高い。
その姿はシュターレンベルクにも見覚えがあった。
「閣下、その節は……」
「あ、ああ……元気でやってるようだな」
この状況で、間の抜けた返答であることは自覚している。
偽装誘拐の一味と思しき男と、我らが指揮官が顔見知りであるらしいと分かり、グイードとバーデン伯の視線がシュターレンベルクの背中を刺す。
「いや、その……」
徐々に都市に近付くオスマン帝国軍に対し、シュターレンベルクの家族はじめ、市中の貴族が疎開準備をしていたときのこと。
じきにウィーンの市門は閉められる運びとなり、街に残る市民に志願兵を募っていた頃合いだ。
マリア・カタリーナが避難民の青年を連れてきたのは。
絵描きを名乗るその青年は、ここ美しいウィーンの街並みを絵に描かせてくれとシュターレンベルクに直訴したのであった。
戦時ということで、許可が必要だと考えたのかもしれない。
絵くらい自由に描けと、良心的兵役拒否者の名簿に入れてやったことを思い出す。
名はたしか、アウフミラーといったか。
娘が市民に慈悲をかけるなど珍しいと思った程度だ。
あの時は忙しさに目が回っていて気にも留めなかったのだが、成程。
マリア・カタリーナはこの男に入れ込んでいるのであろう。
「ア、アウフミラーは関係ないわ。あたしが勝手に考えてやったことよ」
一丁前に男を庇っていやがる。
知らず、シュターレンベルクは額に手を押し当てていた。
ため息がこぼれる。
「……つまり、シュタ―レンベルク伯の親子喧嘩に、ご令嬢の色恋が絡んで、こんな騒動になったってことか」
「すまない……」
返事をする気力もないが、要約すればバーデン伯の言ったとおりである。
ふざけるなっ──伯が小声で吐き捨てる。
怒りのあまり、その声は震えていた。
彼の腹立ちはもっともだ。
市長まで巻きこんでこの体たらく。
やり場のない苛立ちは、自然、いつまでも膝をさすって呻いている息子に向かう。
「リヒャルト!」
「ハイッッ!」
「妹をちゃんと見張っておけ。今度こんな騒ぎを起こしたら承知せんぞ」
「な、なんで私が……はっ、ハイッ!」
裏返った声に、父の理不尽に対する恨みがにじみ出ている。
何度か謝罪の言葉を口にしつつ、指揮官一行は若い三人に背を向け納骨堂から出て行った。
※ ※ ※
どうもこうもない。自体はきわめて単純だ。
「すまない。誘拐は娘の狂言のようだ」
「はぁ?」
稚拙な脅迫文に、何となくそんな気はしていた。
おそらくは父への反発心からの所業であろうが、何を思って降伏を促す手紙など寄越したのか。
しょせんは大貴族のお嬢様、考えて書いたのかもしれないが安直な企みであるとすぐ分かる。
娘の筆跡まで知らないから確証はなかったのだが、こうして事実を突きつけられると衝撃は大きい。
「お忙しい市長殿まで、偽の脅迫状に巻き込んで申し訳なかった」
指揮官の謝罪を手で制して、市長は奥の暗闇に視線を送る。
そこには三人目の人物がいた。
隠れていたわけではあるまい。
灯かりの届かない位置にいたため、気付かなかっただけだ。
「お前は……?」
若い男だ。
マリア・カタリーナより背が高い。
その姿はシュターレンベルクにも見覚えがあった。
「閣下、その節は……」
「あ、ああ……元気でやってるようだな」
この状況で、間の抜けた返答であることは自覚している。
偽装誘拐の一味と思しき男と、我らが指揮官が顔見知りであるらしいと分かり、グイードとバーデン伯の視線がシュターレンベルクの背中を刺す。
「いや、その……」
徐々に都市に近付くオスマン帝国軍に対し、シュターレンベルクの家族はじめ、市中の貴族が疎開準備をしていたときのこと。
じきにウィーンの市門は閉められる運びとなり、街に残る市民に志願兵を募っていた頃合いだ。
マリア・カタリーナが避難民の青年を連れてきたのは。
絵描きを名乗るその青年は、ここ美しいウィーンの街並みを絵に描かせてくれとシュターレンベルクに直訴したのであった。
戦時ということで、許可が必要だと考えたのかもしれない。
絵くらい自由に描けと、良心的兵役拒否者の名簿に入れてやったことを思い出す。
名はたしか、アウフミラーといったか。
娘が市民に慈悲をかけるなど珍しいと思った程度だ。
あの時は忙しさに目が回っていて気にも留めなかったのだが、成程。
マリア・カタリーナはこの男に入れ込んでいるのであろう。
「ア、アウフミラーは関係ないわ。あたしが勝手に考えてやったことよ」
一丁前に男を庇っていやがる。
知らず、シュターレンベルクは額に手を押し当てていた。
ため息がこぼれる。
「……つまり、シュタ―レンベルク伯の親子喧嘩に、ご令嬢の色恋が絡んで、こんな騒動になったってことか」
「すまない……」
返事をする気力もないが、要約すればバーデン伯の言ったとおりである。
ふざけるなっ──伯が小声で吐き捨てる。
怒りのあまり、その声は震えていた。
彼の腹立ちはもっともだ。
市長まで巻きこんでこの体たらく。
やり場のない苛立ちは、自然、いつまでも膝をさすって呻いている息子に向かう。
「リヒャルト!」
「ハイッッ!」
「妹をちゃんと見張っておけ。今度こんな騒ぎを起こしたら承知せんぞ」
「な、なんで私が……はっ、ハイッ!」
裏返った声に、父の理不尽に対する恨みがにじみ出ている。
何度か謝罪の言葉を口にしつつ、指揮官一行は若い三人に背を向け納骨堂から出て行った。
※ ※ ※
10
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
シンセン
春羅
歴史・時代
新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。
戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。
しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。
まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。
「このカラダ……もらってもいいですか……?」
葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。
いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。
武士とはなにか。
生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。
「……約束が、違うじゃないですか」
新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。
戦国三法師伝
kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。
異世界転生物を見る気分で読んでみてください。
本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。
信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる