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陰気なマリア
陰気なマリア(2)
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「問題はありません、市長殿。籠城に備えてグラシ近くの集落の撤去を確認していただけです」
シュターレンベルクは、しれっとした表情で嘘を吐いた。
市長にばれているのは分かっているが、ここは己の弁を通そう。
本当は敵と遭遇したし、小競り合いもした。
だが、そんなことを事細かに並べていってもこのジジィの口撃の的になるだけだ。
「そもそも、防衛司令官殿は……」
「ジジィ……いや、市長殿。場所を変えませんか」
ここは王宮。
狭いウィーンの街で、現在は駐屯場の役割も果たす場所である。
当然ながら兵士らの目がある。
防衛を担う彼等がそこで睨み合うというのは良い光景ではあるまい。
それもそうですねと、市長もあっさりと応じた。
そそくさといった体で四人で王宮の門から外へ出る。
そのまま大通りの際の路地に入った。
これが現時点のウィーン首脳部の軍議というなら、あまりにわびしいものだと、おそらくこの場の全員が感じたことだろう。
陰気臭い男共の顔を眺めながら、シュターレンベルクはリヒャルトとルイ・ジュリアス、それからフランツといったか、おかしなパン屋の姿が消えていることに気付いた。
小競り合いとはいえ戦闘後のことだから少し気にはなったが、自分が今この場から去ることは許されない。
心配はあるまいと己に言い聞かせる。
リヒャルトの落ち込みっぷりを見かねたルイ・ジュリアスが連れ出してくれたのであろう。
仲が良ろしくない間柄ではあるが、ルイ・ジュリアスは気遣いのできる若者だ。
上手いこと言って息子を持ち上げて、今頃はもう王宮の広間にでも帰っているかもしれない。
「防衛司令官殿、聞いていますか」
市長が口を開く。
ハッとしたように顔をあげるシュターレンベルクの耳に届くように、大袈裟に溜め息をついてみせた。
「話すべきことはたくさんありますし、話したところで今更どうしようもないこともあります」
今更どうしようもないこと──それがつまり、今朝方逃亡した諸侯らの事というのは察せられた。
「……ならば、今話すべきことを」
どんどん路地の奥へと歩を進めながらも、場所が場所だけに四人は小声だ。
どちらかというとギスギスした空気が漂う関係性であるのだが、自然と肩を寄せ合う形になる。
だが、市長がシュターレンベルクにその紙切れをさりげなく渡すには、その距離感は役に立った。
「先程、ぼくの元に届けられたものです」
聞けば、避難民の一人が駄賃をもらって使い走りをして手紙を渡しにきたらしい。
蝋印もない封筒に入れられ、宛名には市長の名が記されている。
中には小さめの紙が一枚遠慮がちに畳まれて入っていた。
ごわごわの紙が、シュターレンベルクの指先に引っかかる。
──シュターレンベルク・ウィーン最高司令官の娘マリア・カタリーナを預かっている。要求はオスマン帝国軍への速やかな降伏だ。
簡潔な文章を、それにそぐわない優美な筆致が描いた、それは脅迫状というものだった。
「はぁ……」
溜め息は、名指しされているシュターレンベルクのものである。
「防衛司令官殿のご家族は早々に他都市へ避難されたのでは。何故ウィーン市内でこんな手紙が、しかもどうしてぼくの元に送られてくるのです?」
「それは……」
その人物──今年二十歳になるシュターレンベルク家の二番目の娘は、少々変わり者として通っていた。
「逃げ、そびれたか……あるいは……」
シュターレンベルクが言葉に詰まっていると、横から口を出してきたのはバーデン伯だ。
無論、助け舟というわけではない。
「いやいや、市長殿。そうやって大事にしちまっては、シュターレンベルク伯が立場をなくされよう。仮にも防衛のボスなんだから……か、かわいそうじゃねぇか」
俯いているが、カツラの毛先まで震えているのが分かる。
笑っているのだ。
「そうだ! 伯のためにも、ここにいるわたしたちでご令嬢を探して保護して差し上げようじゃねぇか!」
「いや、バーデン伯、それは……」
押しとどめようという素振りのシュターレンベルクを、今度は真顔で見つめる。
「シュターレンベルク伯の娘であっても、だ。か弱きご令嬢が恐ろしさに震えておられるとなれば、助け出すのは貴族の務めではないか」
「待て待て、俺の娘は決してか弱くなど……」
「そういうところだぞ」と、なぜか溌剌とした笑顔。
「自分の娘をそんな風に言うから。だから子が言うことを聞かないのだ」
「………………」
余計なお世話である。
指揮官個人は気にくわないと突っかかってくるとしても、バーデン伯は正義感の強い人物だ。
女性が誘拐されたとなると、助け出すという努力を講じるのは当然の選択なのだろう。
「市中でさらわれたとなると、まだ壁の中にいる可能性が高いでしょうね。門は閉じており、昼夜問わず見張りを立てて人の出入りを制限していますし」
市長も参戦してきた。
ウィーンは市を取り囲む頑丈な壁に囲まれている。
それでなくとも壁の中の面積は限られているのだが、今は余計に狭さを感じる。
市壁外に住み着いていた民を収容しているし、他都市から逃れてきた者の受け入れもしている。
平時以上に人口密度が高く、従って誘拐した令嬢を隠す場所などそうはないというわけだ。
民家や貴族の屋敷では人目に触れること必定。
決して誰からも見られない所となると限られている。
シュターレンベルクは、しれっとした表情で嘘を吐いた。
市長にばれているのは分かっているが、ここは己の弁を通そう。
本当は敵と遭遇したし、小競り合いもした。
だが、そんなことを事細かに並べていってもこのジジィの口撃の的になるだけだ。
「そもそも、防衛司令官殿は……」
「ジジィ……いや、市長殿。場所を変えませんか」
ここは王宮。
狭いウィーンの街で、現在は駐屯場の役割も果たす場所である。
当然ながら兵士らの目がある。
防衛を担う彼等がそこで睨み合うというのは良い光景ではあるまい。
それもそうですねと、市長もあっさりと応じた。
そそくさといった体で四人で王宮の門から外へ出る。
そのまま大通りの際の路地に入った。
これが現時点のウィーン首脳部の軍議というなら、あまりにわびしいものだと、おそらくこの場の全員が感じたことだろう。
陰気臭い男共の顔を眺めながら、シュターレンベルクはリヒャルトとルイ・ジュリアス、それからフランツといったか、おかしなパン屋の姿が消えていることに気付いた。
小競り合いとはいえ戦闘後のことだから少し気にはなったが、自分が今この場から去ることは許されない。
心配はあるまいと己に言い聞かせる。
リヒャルトの落ち込みっぷりを見かねたルイ・ジュリアスが連れ出してくれたのであろう。
仲が良ろしくない間柄ではあるが、ルイ・ジュリアスは気遣いのできる若者だ。
上手いこと言って息子を持ち上げて、今頃はもう王宮の広間にでも帰っているかもしれない。
「防衛司令官殿、聞いていますか」
市長が口を開く。
ハッとしたように顔をあげるシュターレンベルクの耳に届くように、大袈裟に溜め息をついてみせた。
「話すべきことはたくさんありますし、話したところで今更どうしようもないこともあります」
今更どうしようもないこと──それがつまり、今朝方逃亡した諸侯らの事というのは察せられた。
「……ならば、今話すべきことを」
どんどん路地の奥へと歩を進めながらも、場所が場所だけに四人は小声だ。
どちらかというとギスギスした空気が漂う関係性であるのだが、自然と肩を寄せ合う形になる。
だが、市長がシュターレンベルクにその紙切れをさりげなく渡すには、その距離感は役に立った。
「先程、ぼくの元に届けられたものです」
聞けば、避難民の一人が駄賃をもらって使い走りをして手紙を渡しにきたらしい。
蝋印もない封筒に入れられ、宛名には市長の名が記されている。
中には小さめの紙が一枚遠慮がちに畳まれて入っていた。
ごわごわの紙が、シュターレンベルクの指先に引っかかる。
──シュターレンベルク・ウィーン最高司令官の娘マリア・カタリーナを預かっている。要求はオスマン帝国軍への速やかな降伏だ。
簡潔な文章を、それにそぐわない優美な筆致が描いた、それは脅迫状というものだった。
「はぁ……」
溜め息は、名指しされているシュターレンベルクのものである。
「防衛司令官殿のご家族は早々に他都市へ避難されたのでは。何故ウィーン市内でこんな手紙が、しかもどうしてぼくの元に送られてくるのです?」
「それは……」
その人物──今年二十歳になるシュターレンベルク家の二番目の娘は、少々変わり者として通っていた。
「逃げ、そびれたか……あるいは……」
シュターレンベルクが言葉に詰まっていると、横から口を出してきたのはバーデン伯だ。
無論、助け舟というわけではない。
「いやいや、市長殿。そうやって大事にしちまっては、シュターレンベルク伯が立場をなくされよう。仮にも防衛のボスなんだから……か、かわいそうじゃねぇか」
俯いているが、カツラの毛先まで震えているのが分かる。
笑っているのだ。
「そうだ! 伯のためにも、ここにいるわたしたちでご令嬢を探して保護して差し上げようじゃねぇか!」
「いや、バーデン伯、それは……」
押しとどめようという素振りのシュターレンベルクを、今度は真顔で見つめる。
「シュターレンベルク伯の娘であっても、だ。か弱きご令嬢が恐ろしさに震えておられるとなれば、助け出すのは貴族の務めではないか」
「待て待て、俺の娘は決してか弱くなど……」
「そういうところだぞ」と、なぜか溌剌とした笑顔。
「自分の娘をそんな風に言うから。だから子が言うことを聞かないのだ」
「………………」
余計なお世話である。
指揮官個人は気にくわないと突っかかってくるとしても、バーデン伯は正義感の強い人物だ。
女性が誘拐されたとなると、助け出すという努力を講じるのは当然の選択なのだろう。
「市中でさらわれたとなると、まだ壁の中にいる可能性が高いでしょうね。門は閉じており、昼夜問わず見張りを立てて人の出入りを制限していますし」
市長も参戦してきた。
ウィーンは市を取り囲む頑丈な壁に囲まれている。
それでなくとも壁の中の面積は限られているのだが、今は余計に狭さを感じる。
市壁外に住み着いていた民を収容しているし、他都市から逃れてきた者の受け入れもしている。
平時以上に人口密度が高く、従って誘拐した令嬢を隠す場所などそうはないというわけだ。
民家や貴族の屋敷では人目に触れること必定。
決して誰からも見られない所となると限られている。
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