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第29話 ボクの××は聖水だよ

それは不毛な名言(1)

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 風邪は治った。
 一晩寝たらスッキリと。
 夕べは心細くもなったけど、今思えば桃太郎なんかを頼った自分が情けない限りや。

 商店街のドラッグストアに一応、葛根湯を買いに行った帰りのこと。

「ただいま~」

 アパートの玄関に入ってギョッとした。

 マフィアっぽいハゲたゴツイ男が、這いつくばって床を磨いていたのだ。

「カ、カメさん?」

「フシュー、フシューッ」

 呼吸音がすごい。
 額は血の気をなくし、爪の色はドス黒く変色している。

「きょ、今日はカメさん来る日違う(ちゃう)やん。どうした……カメさん? 目ぇ真っ赤やで。怖いで?」

「す、すみません。では見えないようにサングラスをかけます」

「アカンて。やめて! 怖さ3倍増しやわ!」

 なんでも夕べからずっとこうしていたらしい。
 廊下や物置、外壁を磨きまくっていたという。
 ボロアパートの住人からすれば、ありがたい話なんやけど……。

「心を無にして掃除をするのです。心を無にして全てを清めるのです。そうすれば、いつか俺の心も清められます……」

 ブツブツ言ってる。怖い!

「つ、疲れてるん違(ちゃ)う? 片付けても片付けてもお姉がちらかすから。カメさん、このところ幾分ノイローゼ気味やったもん。不憫やわ」

 ちょっと精神のバランスを崩してるとしか思えない。
 でなきゃ、この人もいきなり出家(?)なんかせんやろ。

 今日は帰って休み。ここにいたらアカン。
 そう言ってカメさんを追い出す。

 不安定でややこしい感じの人には、できるだけ傍にいてほしくない──それが本音や。

「ホンマに疲れるわ……」

 このアパートにいたら、誰もが頭おかしくなるん違うか?
 お姉もうらしまも、ワンちゃんも花阪Gも、オキナもかぐやちゃんも、とにかくみんな変やもん。
 元凶がどこにあるか分からんけど、互いが互いに影響しあって究極の不毛ワールドを構築していってるに違いない。

「あ、オキナと言えば……」

 アイツも体調を崩したと聞いた。
 昨日の朝会った時には憎まれ口を利いていたけど、そういやちょっと声がおかしかったかな?

「もしかしてアタシが風邪伝染したかな? そんなことないよな。一切接触なかったもん」

 まぁいいわ。ちょうど風邪薬を買いに行ったところだ。
 オキナにも分けてやろうと、アタシは1─4へと向かう。

「この家来るの、ホンマはイヤやねん」

 ほら、薄い扉越しにもう変な唸り声聞こえてくるし。
 何せこの中に住んでるのは立派な変態やからな。
 日常から何をしてるのかサッパリ分からん。

「オキナ? 入るで」

 鍵は開いていた。

「キェェーーーッ! エェェーッ!」 
壮絶な雄叫び。声が高いからこっちの耳にキンと響く。
「ギェエエェッーーーッ! フゲーッ! ゲゲーッ!」

 の、喉、裂けるで?
 アタシの注意なんて聞こえちゃいない。
 奴はホゲホゲ怒鳴りながら、手にしていたスマホを叩き割った。

「ホゲーッ! ゲーーーッ……ゲゲーッ…………」

 ……落ち着いたみたいだ。
 ようやくアタシに気付くと言い訳がましく喋りだした。

「あ、別に何てコトないんだよ? ただ、別れた女房が借金返せってうるさくて。もぅヤんなっちゃう。何とか払わなくてすむように工作してよぅ、リカちゃん」

 別れた女房やて?

「イ、イヤや。アタシは何でも屋違(ちゃ)うし、特にそんな工作はしない。しかも、アンタの頼みやったら尚更や」

「ボク、婿養子だったんだ。小林って苗字だったんだよ。 ヤだな~。誰が小林少年だって?」

「はぁ?」

「小林少年……えっ、名探偵の助手の。えっ、今の子は知らないのか」

 オキナは意味の分からない次元の話をしている。

「今の子とか言わんといて。元奥さんでも、借りたお金はちゃんと返さなアカンで」

「ええっ、リカちゃんがそんなこと言う!? お姉さんのアパートにタダで住んでおいて、小遣いまでせびっているリカちゃんが!」

「……て、的確にアタシの悪いとこ羅列せんといて」

 それにしても、別れた女房やて?
 コイツ、結婚してたんや。
 ええっ、コイツでも結婚できたんや。

 世の無常に打ちひしがれた感で、アタシは窓際の椅子に腰掛けた。
 外は竹やぶ。風に揺れてサラサラと音を立てている。

「アッ、今の話、かぐやちゃんにはナ・イ・ショね」
 奴は唇の前に人差し指を立ててウインクした。かなりムカツク仕草だ。
「借金って言ってもそんなにないんだよ。あぁ、何とか踏み倒せたらいいのにねっ。お互いにねっ」

「可愛く言われても、その意見にはアタシは同意できんわ」

「興奮してスマホ壊れちゃうし。参っちゃう」

 無残な姿のスマホを眺めて、オキナは変な声をあげた。

「アッ! 今アクビしたら、喉の奥からすごい量のヨダレがピュッと飛び出てきちゃった」

「ヨダレ?」

 コイツも大概マイペースなやつだ。
 未練がましく液晶を拭いている。

「汚いナァ。乙女にそんな話せんといて」

「? 乙女って……」

 ハッハッ……すごい低い声でゆっくり笑った。
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