最低ルーミー

皐月なおみ

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最低なルームメイト

王子さまの裏の顔

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 創立八十周年を誇る私立相澤学園高等部は、街の中心部から離れた緑に囲まれた丘の上にある。
 広大な敷地の中に、新校舎や特別棟、体育館、グラウンドやテニスコート、屋内プールなどが点在していているが、その中でも寮は、少しはなれた林に隣接した位置にある。
 校舎から寮棟へ向かう道の途中に守衛がいる門があり、出入りには許可が必要で、原則寮生以外は中へ入ってはいけないことになっている。
 その門をくぐり抜けた先に、女子寮と男子寮が別々に建っている。
 どちらも創立時に建てられたという歴史的な建物だが、中はリフォームが施されていて生活するのに不自由はまったくなかった。
 男子寮の一階の一番奥の部屋が、蒼の部屋だ。窓からは林の木々しか見えず一見すると学校の寮というよりは、森の中のホテルの一室のようだ。
 蒼はこの部屋を入学以来ひとりで使っているが、本来はふたり部屋である。
 入り口から見て左右の壁ぎわにベッドが設置されていて、蒼は西側のベッドを使っている。
 東側はずっとシーツもかかっていない状態だった。
 でも今はそのベッドにのりがかかった真っ白いシーツがかけてある。今夜からここで眠る主のために寮の職員がかけたのだろう。
 そこへ座り長い脚を組んでいる仁が、向かいに座る蒼に向かってにっこりと優雅に笑いかけた。

「改めてよろしく。阿佐美くん。僕の名前は筧仁、二年生。今日から君のルームメイトだ」

 さすがに今は取り巻きを連れてはいない。
 全校生徒の中で寮生の割合は二割ほど、さっき連れていた取り巻きたちは皆通学生だったようだ。たとえ寮生だったとしても女子がこの建物に入ってくることは禁じられているけれど。

「一年の阿佐美蒼です。……よろしくお願いします」

 昨日まではひとりだった自分の部屋に、学園の頂点に君臨する人物がいるのがまだ信じられない。
 けれど、人目がない状態であれば、蒼もさっきよりはいくぶん落ち着いて答えることができた。
 さっき放課後の教室で、彼が蒼を新しいルームメイトだと宣言すると、その場は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。仁が市内の豪邸に住んでいる通学生だというのは学園の誰もが知っていることだ。

『ちょっと仁、入寮するの⁉︎ どういうこと⁉︎』

 取り巻きたちが目を剥いて仁に問いかけるのを横目に見ながら蒼はその答えを聞くことなく立ち上がり、慌ててその場を去ったのだ。
 数分前までは予想もしていなかった展開に、頭の中がパニックだった。なにより、皆の注目を集めてしまっている状況に、もはや一秒も耐えられそうになかったからだ。
 教室を出る瞬間、仁に呼びかけられたような気がしたが、聞こえないふりをした。
 走って寮に戻る途中、これはなにかのまちがいだと蒼は頭の中で繰り返した。昨日の点呼の時も今朝の朝ご飯の時もなにも知らされなかったのだから。仁が入寮するのは事実なのかもしれないが、ルームメイトが自分だというのはきっと彼の勘違いだ。
 いつものように自分の部屋へ戻ればまた静かな生活に戻れる。そう思い自室へたどりついてみると、今朝までは誰も使用できないようになっていたはずの東側のベッドにシーツがかかっていた。唖然として立ち尽くしているところへ、仁がひとりで現れて、さっきの話が現実だということをつきつけられたのである。

「あの。どうして突然入寮することになったんですか?」

 誰もがお近づきになりたいと思う人物とふたりきりという状況に耐えられず蒼はとりあえず疑問を彼に投げかけた。 

「しかも僕と同室なんて……」

 その言葉に、仁が肩をすくめた。

「一年と二年が同室で、三年がひとり部屋って言うのが学園の寮の決まりだろ?」
「それは……そうですが」

 男子寮の部屋割りは三年までは一年と二年のふたり部屋と決められている。同室のふたりは兄弟のように生活をし、学園の生活に慣れていない一年を二年がサポートするというのが、学園の教育理念だからだ。
 だが今年は一年と二年の人数が同数にならず、さらに言うと全体に偶数にもならなかったので蒼はひとりでこの部屋を使っていたのだ。
 そこへ二年の仁が入寮すれば蒼と同室になるのが自然の流れ。
 それでも釈然としないのは、やはり相手が仁だからだ。
 この学園に莫大な寄付金をもたらしている絶対的な存在である彼ならば、二年であっても個室が用意されてもおかしくない。
 いやそもそも学園からそれほど遠くない場所に豪邸があるはずなのに、なぜわざわざ寮に入る必要があるのだろう?
 仁が少し困ったような表情になって口を開いた。

「入寮は、お祖父さまの意向なんだよ。寮に入って健全な男子学生らしい生活を送れってさ。僕の普段の生活がお気に召さないみたいで。すごく健全だと思うんだけど」

『僕の普段の生活』とは、付き合ってもいない女子と"遊んで"いることだろう。寮に入れば門限は五時、外泊には許可がいるから放課後にほっつき歩く時間はなくなる。
 学園内では誰の指図も受けない立場にいる彼だが、祖父には逆らえないということか。

「お祖父さまは、一度言い出したら誰の意見も聞かないから従うしかなんだよ。いつもは僕の成績しか興味ないくせに本当に迷惑な話だよね」

 同意を求めるように言われてもうなずけるはずがない。迷惑を被っているのは蒼の方だ。
 彼の素行が悪いせいで彼と同室になってしまい、あんなに守ってきた静かな生活を脅かされつつあるのだから。
 とはいえ、それを口にすることなどできるはずがなかった。

「とにかくそういうことだから、よろしく。えーっと君はたしか蒼だったよね。僕のことは仁って呼んで。あの後クラスメイトたちに君のことを少し聞いたけど、誰もなにも知らなかったよ。話したこともないってやつがほとんどだったな。しゃべれないんじゃないかって言われてたけど」

 その、少し無神経な問いかけに、蒼はマスクの下で口元を歪めた。

「人と話をするの苦手なので」

 押し殺した声でどうにかそれだけを言う。事態がどんどん悪くなるのを感じていた。目立つ存在の彼とこれから同室だということだけでも最悪なのに、いろいろ詮索されるのはもっと嫌だ。

「なるほどね。まだ学園に馴染めていないってわけか」

 ひとり言を言いながら、仁はゆっくりと立ち上がる。そして蒼の方へ一歩進み大きな手を蒼に向かって差し出した。同室になった記念の握手をしようということだろう。

「なら僕が手助けするよ。こう見えて顔は広いし。困ってることがあるなら相談にのるよ」

 その言葉の内容と、自分に向けられている微笑みに、蒼は妙な苛立ちを感じた。
 この状況には覚えがある。中学の時の学級委員だったか。その時すでにクラスで孤立していた蒼に向かって親切そうに同じようなことを言ったのだ。

『君がクラスに馴染めるように協力するよ』

 だが後に、それは親切心から来る言葉ではなく、教師の心証をよくするための演技だったと他のクラスメイトに話しているのを耳にした。当然と言えば当然だ。蒼みたいな暗いやつに、なんの見返りも目的もなく近寄り優しくするやつなんかいない。
 学年や環境が変わるたびに、そういうやつは現れた。勝手に蒼に期待して、思い通りにならないと知ると勝手にがっかりして去っていく。
 差し出された手を見つめたまま黙り込む蒼に、仁が困ったように息を吐いて手を引っ込めた。

「余計なお世話だったかもしれないね。気を悪くさせたなら申し訳ない。その方が君のためにはいいかなと思っただけで悪気はなかったから、許してほしい」

 まるで駄々っ子をなだめるように彼はそう言った。
 それでも笑顔と穏やかな空気感がまったく乱れないのはさすがと言う他ないだろう。さすがは、この学園の完全無欠の王子さま。

「ところで蒼、クラスの子たちが言ってたけど君学校でマスクを取ったことがないんだってね。顔も知らないって言ってたよ。まあ、クラスメイトならそれでもいいかもしれないけど……」

 空気を変えるようにそう言って、仁が蒼の方へ手を伸ばす。そして突然の彼の行動に動けないでいる蒼の顔からひょいとマスクを奪い去った。

「っ……!」

 目を剥いて、固まる蒼の顔を身をかがめて覗き込み優雅に微笑んだ。

「へえ、可愛い顔。肌白いし、女の子みたいだね」

 頬に感じるひんやりとした空気に、蒼の背中がぞわっとする。

 ——お前、女みたいな顔してるもんな。
 ——男が好きって本当か? 変態。

 ぐわんぐわんと歪んだ世界の中で浴びせられたナイフのような言葉が、ぐるぐると回った。
 頭にカッと血が上り、ドクンドクンと鼓動が嫌な音を立てる。

「っ! 返せよ!」

 声をあげてマスクを取り戻そうと手を伸ばすが、動揺しすぎてその手は彼の前で空を切った。代わりにシャツの胸のあたりを掴んで彼を睨む。息苦しさを覚えながら、蒼は自分に言い聞かせる。

 ——大丈夫、ここには自分の過去を知る人はいない。

 突然激昂した蒼に、仁は綺麗な目を見開いて静止する。しばらくの沈黙の後、申し訳なさそうに声を落とした。

「ごめん。そんなに嫌がるとは思わなくて」

 そう言って彼が差し出したマスクを、蒼はすかざす奪い返す。勢い余って彼の手を引っ掻いてしまった。
 爪先に感じるガリッという鈍い感覚に、仁が顔を歪めた。

「っつ……!」

 しまったと思い、蒼は青ざめる。血の気が引いて少し冷静になった。
 いくら相手が苦手なタイプだからといって、さすがにこれは失礼すぎる。それがどういう意図なのだとしても表面上、彼は親切にしてくれているのに。
 彼の態度が少し押し付けがましく感じるのは、蒼だからだ。
 他の生徒だったら、喜んで彼の申し出を受けるに違いない。学園のカーストの上位まで一気に駆け上がるまたとないチャンスなのだから。

「あ……、す、すみませ……」

 謝罪の言葉を口にしかけて、ぞくりとして口を閉じた。自分を見下ろす仁の放つ空気感が、さっきまでとはガラリと変わっていたからだ。
 穏やかなで物わかりのいい王子さまの顔は消え失せて、冷たい目で蒼を見下ろしている。
 彼は蒼を見据えたまま、ゆっくりと手の甲ににじむ血をペロリと舐めた。

「……ただの暗いやつかと思ったら、おもしろいじゃん。俺、ここまでコケにされたのははじめてだ」

『おもしろい』と彼は言うがその目はまったく笑っていない。

「せ、先輩がいきなりマスクを取るから、驚いて……」

 蒼は恐る恐る言い訳をする。いや正当な主張だと思うけれど、少し声が震えてしまう。学園の絶対的存在であり、教師ですらも逆らえない彼を怒らせてしまったことが怖かった。
 仁が形のいい眉を寄せた。

「せっかく上辺だけでも仲良くしてやろうと思ったのに。お前のスタンスはよくわかった。要するに、俺と同室になるのが気に食わないってわけだ」

 そう言って仁は身をかがめて蒼と視線を合わせ鋭い視線で蒼を睨んだ。

「まぁ、それはお互いさまなんだけど。俺もお前みたいな陰気なやつと同室なんて、勘弁してくれって思ってるし」

 そう言って彼は自分のベッドに戻りどかっと腰を下ろした。
 さっきまでとは百八十度違う彼の態度に、蒼は唖然とする。
 仁は、終始穏やかな人柄で、誰も怒ったところを見たことがないという噂だったのに。こんな本性を隠し持っていたなんて、誰が想像できるだろう。

「なに? 俺の態度が意外?」
「……少し」
「はっ! お前がそうさせたくせに。まぁいいよ。その方が手っ取り早いかも。取引しようぜ」
「取引……?」
「ああ、俺らはお互いにお互いを煙たく思っている。同室なんてまっぴらごめんだ」

 確認するように仁は言う。
 少しためらいながら、蒼はうなずいた。

「この状況を解決する方法がひとつだけある。俺をこの寮に入れた張本人、じいさんからの帰宅許可をもらうこと」

 蒼はさっき彼が説明していた入寮することになった経緯を思い出していた。入寮は彼の希望ではない。彼の祖父が家から通学してもよしと言えばすぐにでもこの状況は解消されるということだ。

「つまり、寮に入った俺が今までの女の子たちとの行いを反省し寮生として模範的な生活をすれば、ここから出られるというわけ。わかる?」

 首を傾げて小さな子に尋ねるように彼は言う。
 小馬鹿にしたような彼の態度にムッとしつつ蒼は再びうなずいた。

「一、寮生は学生として勉学に励み規則正しい生活をすること。二、同室の生徒を兄弟とし、生活全般において助け合うこと」

 歌うように仁が寮則を口にする。入寮の日に聞かされた文句を、蒼は不可解な気持ちで聞いている。
"兄弟の決まり"は、『慈愛の精神』を教育理念とする学園らしい決まりごとだ。
 でも今、どうしてそれを口にするのだろう?
 いまひとつわからない蒼に、仁がふっと笑った。

「俺が寮で、規則正しい生活を送るだけでなく、同室の下級生の面倒までみていると評判になれば、じいさんもすぐに納得する」

 確かにそれならば、成績はいいけれど、放課後は女子と遊び放題だった今までの生活とは雲泥の差だ。
 と、そこまでの話を聞いて蒼はさっき彼が、蒼の役に立ちたいと申し出た理由に思いあたる。やはりあの話はただの親切心からではなく裏があったというわけだ。

「もちろんマジで仲よくしようってわけじゃないぜ。それは無理だってさっきはっきりわかったし。だから表向きそういうふりをしようっていう話。お前だってさっさと俺に出ていってほしいだろ? 悪い話じゃないと思うけど」

 ここまでふたりが合わないとわかった以上、取り繕うのはやめにしたという訳だ。
 ……やっかいなことになったというのが、蒼の素直な感想だ。
 確かに利害は一致する。でも演技をするのは蒼の苦手とするところだし、なにより、リスキーだ。
 仁の祖父とは、日本では知らない者はいない大企業、筧グループのトップに君臨する人物だ。そんな相手を欺くようなことをしてバレたらとんでもないことになる。
 もしも逆鱗に触れてしまったら、血の繋がった孫の仁はともかく、ただの一般家庭出身の蒼などひとたまりもない。

「……そういうのはちょっと、僕、演技は苦手なので」
「大丈夫だって。逆に俺が得意だから。お前の分もカバーする」

 確かに彼が演技が得意なのは間違いない。王子さまの仮面の下にとんでもない素顔を隠しているくらいなのだから。蒼が心配してるのはそういうことではないのだ。

「そもそも、人を騙すのってあんまりよくなっ……⁉︎」

 うつむき考えを巡らせながら、提案に乗らない理由を口にする蒼は、突然顎を掴まれて口を閉じる。ぐいっと上を向かせられると、いつのまにか仁が目の前に立っていた。
 不穏な表情を浮かべて蒼を見下ろしている。

「なにか勘違いしてるみたいだけど、お前に拒否権はないからな? 従わないならこの女子みたいな可愛い素顔を全校生徒にバラしてやる。女子が、毎日集まってくるぜ」
「っ! そ、そんな……!」

 女みたいな顔は、今の蒼にとっては最大のコンプレックスだ。もともとあまり好きではなかったが、ある出来事があってからは、トラウマと言ってもいいくらいに嫌いな言葉になった。
 ここは男子寮だから、風呂や食事の際はマスクを外さなくてはならない場面もある。そんな時もなるべく見られないようにして行動しているし、皆蒼に興味はないから、ほとんど知られていない。そもそも誰も興味を持っていないのに。
 仁が大々的にバラしてしまえば、下手をすれば学園中の生徒がおもしろがって蒼のマスクの下を見たがることになる。それはなんとしても避けたかった。

 ——それにしても。
 あまりにも一方的な言い方に、蒼の胸の奥底から怒りの感情が沸き起こる。勝手にマスクを奪いとったくせに、それを脅しの材料に使うなんてあまりにも卑怯なやり方だ。
 簡単に言うなりなんかなってやるもんかという思いなら、自分を見下ろす茶色い瞳を睨み返す。

「あんただって、本性を隠してるじゃないか。バラされてもいいのかよ」

 理不尽な脅しに屈するかという思いで、あえて挑発的に言い返す。ここまで好き放題されて黙っていられるほど蒼は物分かりはよくない。
 仁が「へぇ」と呟いた。

「おもしろいじゃん。お前、ただ気が弱いだけじゃないんだな」

 なにがおもしろいだと心の中で悪態をつく。これじゃ王子さまどころか悪魔じゃないか。
 穏やで完璧な学園の王子さまの裏の顔を他の生徒たちが知ったらどう思うだろう?
 けれど仁は、蒼からの脅しにはまったく動じることはなかった。
 余裕の表情で、バカにしたように鼻を鳴らす。

「確かに俺が猫をかぶっているのは事実だけど。バラすって誰に? お前、教室では誰とも口をきかないんだろ? そんなやつの話、誰が信用するんだよ。暗いだけじゃなくて、頭がおかしくなったと思われたいのか?」

 痛いところを突かれて、蒼はぐっと言葉に詰まる。確かに彼の言うことはもっともだ。絶大な人気を誇る彼と、今日存在を思い出されたばかりの蒼。どちらの言うことを皆が信じるかなんて、考えなくても答えは出る。
 腹立たしい思いで、顎を掴まれている手をパンッと叩いて払いのけると、仁が肩をすくめてニッと笑った。

「そう警戒すんなって。悪い話じゃないはずだ。俺といればお前も他やつらからバカにされることはなくなる。あっという間にクラスの人気者だ」

 そんなこと、蒼はまったく望んでいない。
 けれど、もはや他に選択肢はないように思えた。
 彼とルームメイトとして兄弟のように過ごすということがなにを意味するのか、蒼は考えを巡らせる。せいぜい寮の中で、一緒に食事をするくらいだろうとあたりをつけた。
 皆が見ている場所でだけ、いい関係でいるふりをすればいい。

「……わかりました」

 しぶしぶ頷くと、仁が満足そうに笑みを浮かべた。

「決まりだな。まぁ、気楽にやれよ、ルーミー」

 蒼の肩をバシンと叩き身を屈める。そしていきなり蒼の頬にキスをした。

「なっ……! なにするんですか⁉︎」

 頬を押さえて蒼は目を剥いて声をあげる。
 仁が眉を上げてふっと笑った。

「挨拶だよ。このくらい普通だろ?」

 彼が中学までいたというロサンゼルスならいざしらず、ここは日本。挨拶で頬にキスをするなんてあり得ない。

「ふっ普通じゃないですよ。ここは日本ですよ⁉︎ ったく……それに、ルーミーってなんですか」

「ルームメイトって意味のスラングだよ。学園が掲げる『慈愛の精神』とやらにはうんざりだ。俺らにはお利口さんのルームメイトより、こっちの方がぴったりだ。とにかく明日からよろしくな」

 そう言って彼は、ドアの方へ歩いていき、取手を掴んで振り返る。

「出かける。俺、今日は帰らないから」

 その言葉に蒼はまたもや目を剥いた。

「え⁉︎ いきなり外泊許可を取ったんですか?」

 外泊は家族の事情など特別な理由がない限りは認められない。

「んなわけねーじゃん。お前俺の話聞いてた? 俺はこれから模範生になるんだ。外泊なんてしねーよ」
「え? じゃあ……」
「だからお前うまくごまかしといて」

 無茶苦茶なこと言って彼はドアを薄く開く。

「そんなの無理ですよ。九時半には点呼がありますから」

 今にも出て行きそうな仁を蒼は慌てて止める。外泊許可を取っていない生徒が夜の点呼にいなかったら大変なことになる。

「大丈夫だって点呼は寮長が取るんだろ? ちゃんと話をつけてあるから。蒼さえ黙っていれば」

 仁はそう言い切って、ひらひらと手を振る。

「じゃあな、ルーミー。うまくやれよ」

 それに蒼が答える前にパタンと音を立ててドアが閉まった。
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