フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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11.七不思議編

54正体ショータイム ⑥

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「さあ、見てて。もうすぐこのクリスマスツリーに雪が積もるから」
 優しいお姉さんのナレーションに、子供たちはきらきらと目を輝かせて、形どられたフェルトに見入った。
 少し離れたところでは、抱えるほどの大きな段ボール箱の後ろからひょうきんな声が上がる。
「さあさあお立ち会い! こちらは空気砲、ドンと叩けば空気の砲弾が飛ぶよ! どんな形をしているかはお楽しみ……え? 輪っか? テレビで見た? ちょ、ネタバレすんなって! 無粋なこと言わずに、素直に驚け! いくぞ、はいドオォォォン!」
 両手をめいっぱい広げて、立方体の左右の面をぶっ叩くと、もわもわと煙を伴う空気の輪が子供たちの黄色い声をさらに沸かせた。
 テーブルのそばでは、ボウルに張った黒いビニール袋の上、ばら撒かれた砂に向かって、少女が叫んでいる。
「あーーーーっ! ……ほら、見て、この模様。これがあたしの声の形。君の声はどんな形かな?」
 手招きされたおとなしそうな少女が、恥ずかしそうにしながら砂に向かって声を出す。
 その隣では、少年少女の歓声が巻き起こっていた。
「すっげー、水が一気に凍った!」
「何で!? 何で!?」
「これはねー、過冷却水といいます。水は普通、零度で凍るでしょう? でも、ゆっくりゆっくり冷やすと、液体のままマイナスの温度になるの。凍るきっかけがないままマイナス四度にまでなった過冷却水は、ちょっとの刺激でも加えられると、それをきっかけに一気に凍る。だから、氷のかけらを落としてあげるだけで、こんな風に急に凍るってわけ」
 もし氷の実験に興味があるなら、あっちもおすすめよ。
 そう言って手で指し示した先では、ゴーグルをつけた少女が、カチコチに凍ったバナナを掲げていた。
「この通り、液体窒素は何だってカチンコチンにしちゃいます。本当に凍ってるか確かめてみる? バナナで釘が打てるわよ」
 光丘中学校オープンスクールフェスティバル、当日。
 天気に恵まれた敷地内には、小学生、保護者、中には中高生も交じって、多くの人々が訪れていた。日が照っているだけあって、屋外に居座っていると汗ばんでくる気温だが、グラウンドで三年一組が催す科学ショーは、会場早々から大盛況を迎えていた。
 机に向かって、芽華実が気化熱による霜の、由実がクラドニ図形の、朝季が過冷却水の実験を披露しており、安全上の理由から、少し離れたところで氷架璃が空気砲を、せつなが液体窒素を用いて客達を魅了している。
 雷奈はといえば、寄ってきた客達を、本人の興味や各コーナーの空き状況を見て割り振る、案内役を務めていた。華やかな役目ではないが、雷奈自身は特に文句はない。「一番容姿が小学生に親しみやすいから」という理由である以外は。
「君は何に興味あると? ……空気砲? うんうん、人気っちゃね、こっちったい。あのお姉さんの言うことば聞いといてね」
 また一人、シャイな少年を氷架璃の管轄に送り出すと、雷奈はふうと息をついて、コーナーの一つに目をやった。
 白い煙を吐き出す銀色の容器にバナナを突っ込み、硬く凍ったそれを愉快そうに見せびらかす少女。容器の中身は、実際にはドライアイスだという。
 目には緑色のレンズのゴーグル。首元のチョーカーは外している。
「安全のためとか言って、あのゴーグルは目の赤色を隠すため。チョーカー外すのは……外界封印の解放、っちゃかね?」
 外界封印とは、フィライン・エデンの猫達の一部が使う「猫力の封印」の一つだ。猫力を封印した猫は、その間、一時的に純猫術以外の猫力を使えない状態になる。雷奈達が知っている中では、希兵隊の大和鋼が、内界封印をしている。これは道具に頼らない方法で、反対に道具に頼るのが外界封印なのだという。
 外界封印の例はこれまで見たことがなかったが――三枝岬に来ていた霊那たちはしていたそうだが、雷奈は目にしてはいない――、わざわざチョーカーを外して犬たちに冷気を浴びせたり、液体窒素につけたと見せかけたバナナを凍らせたりしている以上、チョーカーがトリガーになっていることはほぼ確実だ。
 封印状態と解放状態では、髪や目の色が変わるということだったが、せつなは髪の色が大きく変わっているようには見えない。何となく、光の加減で色合いが違って見えるが、黒髪から濃い色に変わっているのではパッと見ただけでは分かりにくいのかもしれない。もし髪の色も大きく変わる体質だったなら、今回の人間界でのフィールドワークは叶わなかっただろう。
 客足がいったん途絶え、雷奈はふうっと息をついてグラウンドを見渡した。三年一組の科学ショーの他には、氷水を張ったビニールプールで売るジュースやさんや、割りばしで作ったゴム鉄砲での射的、輪投げの出店などがテントを張っている。
 にぎわいを見せるフェスの熱気に浸りながら、雷奈は物憂げなため息をついた。
「美由も来たかったやろね……」
 有志として手を挙げ、今日のために時間と労力を割いて準備してきたはずだ。なのに、その結実に携わることができなかった。
 不自然に襲ってきた犬の群れのせいで。
 そして、それは高い確率で、ある者の悪意によるもの――。
「あの、すみません」
「え? あ、はいっ」
 上の空になっていたところへ、小さな男の子を連れた女性が話しかけて、雷奈は一瞬たじろいだ。
「お手洗いはどこにありますでしょうか……?」
「ああ、トイレなら校舎の向こうの中庭近くですたい。下足ホールを抜けて、右にちょっと行くと見えてきますんで」
 そういった情報も頭の中に入れておいてよかった。雷奈の案内を聞くと、女性は「ありがとうございます」と一礼して、もじもじしている男の子を連れ立って校舎の方へ向かっていった。
(そうだ……今は目の前の仕事に集中せんと)
 来場者は、グラウンドの中でかき混ぜられるように絶えず動き続けている。いったん息継ぎの間があったからといって、油断してはならない。
 子供たちの声は、今も興奮冷めやらず響く。
 すごーい!
 見て、これ!
 おもしろーっ!
(こんなに人が来てくれてる。楽しみに足を運んでくれてる)
 うきゃー!
 お母さん、次あっちー!
 うわ、何あれ?
(今の私は、校外ボランティアとはいえ、フェスの運営委員の一人。みんなの期待には答えんと)
 おい、あれ……。
 やばくね?
 え、怖いんだけど。
(この歓声を絶やさんように……)
 ――歓声?
 雷奈はうねるように変化した人々の声色に、己の内に向けていた意識を周囲に戻した。
 先ほどまで、各々が混沌とはしゃぎ、騒ぎ、熱量を膨らませていたのに、いつの間にか指向性をもったざわめきで場の温度が失われていた。
 雷奈は、彼らが注意を向ける方に視線をやった。
 人々が一様に見つめていたのは、空だ。
 澄み渡った、青い空。
 ――そこに土くずをばらまいたように浮かぶ、無数の黒い斑点。
「……何ね、あれ」
 うわごとのように、雷奈も大衆と同じ言葉をなぞった。
 黒いそれらは、校舎側、道路側、それぞれの反対側、全方位の空からどんどん集まってきた。まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄だ。
 空を覆いつくさんばかりに集まってきたのが何かは、彼らの声を聞けば疑うべくもない。
 カア、カア。
 カア、カア、カア、カア。
 カアカアカアカアカアカアカアカアカアカア――。
「何だ、あのカラスの大群!」
「じ、地震の前触れなんじゃ……」
 氷架璃と芽華実も動揺している。客たちも戸惑い、不穏な光景に怯える子供たちもいれば、物珍しいと写真を取り出す者たちもいる。
 だが、直後、彼らの感情は一色に染まった。
 おぞましいほどの数のカラスの軍勢は、一斉に空から地上近くへと滑り降り、グラウンドの人々を無差別に襲撃する凶悪集団と相成った。
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