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11.七不思議編
53宣誓センセーション ④
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雷奈達が駆けつけた時には、近所の人だろう、主婦と思しき女性と、壮年の男性もそばにいた。由実は座り込んだ美由を抱きしめており、その美由は、左腕から夥しい量の血を流していた。
「由実、美由!」
「雷奈ちゃんたち……!」
由実が震える美由の背中に腕を回したまま、泣きそうな顔で見上げる。
「大丈夫っちゃか!?」
「あたしはかすり傷で済んだけど、美由が……!」
主婦らしき女性が、ペットボトルの水で傷口を洗い流してくれている。だが、美由は痛みからか恐怖からか、泣きじゃくって言葉も発せない状態だ。
「もうすぐ救急車が来るからな、嬢ちゃん!」
「ハンカチで押さえるからね、もう少し我慢ね」
「ありがとうございます……!」
親切な大人二人に、由実が涙声で礼を言う。その視線を、雷奈に投じた。
「雷奈ちゃん、朝季に連絡を……先生にも伝えるように言って」
「了解ったい」
雷奈は再びスマホを手にし、その間、氷架璃と芽華実は美由を横たえたり、ケガをした腕を高い位置に上げさせたりと、できる限りの対応をした。
二人とも、同じことを考えていた。もしここにアワとフーがいたなら、純猫術を使ってたちまち治してしまうのに、と。
そして、「犬の群れに襲われた」という発言と、犬笛パイドパイパーとの関連を。
雷奈も二人と考えを一にしながら、朝季に電話をかける。コール音はしばらく続き、一向に出ない。間が悪かったか、と歯噛みした雷奈が、ぷつんと途切れたコール音に諦めを感じた時だ。
『もしもし、雷奈?』
「朝季っ!」
コール音の終了は失望の合図ではなかった。ただ電話に出てくれただけなのに、期待を裏切らない朝季にさすがと喝采したくなる。
雷奈は急き込んで事情を話し、先生にも伝えるよう頼んだ。普段大人びた落ち着きを見せる朝季は、さすがに声を微弱に震わせながら了解した。
救急車の音が聞こえてくるのを反対の耳で捉えながら、「じゃあ、あとで」と電話を切り掛けた雷奈を、朝季が制した。
『待って、雷奈』
彼女の声は、いまだ緊迫したままだ。固唾を呑む気配があってから、朝季は震えをいなすように押さえた声で言った。
『せつなが』
「え?」
『ついさっき、せつながビラを配りに……周辺の施設を回ってくるからって』
フェス開催のチラシは、近くにある花屋や小さな薬局、保育園などに一定数渡され、客や上の子がいる保護者に配るようお願いするのだという。
『止めたんだけど、すぐだからって……』
「ってことは、まさか」
雷奈がサッと青ざめる。
「せつなは今、ひとりで学校の外に!?」
その声に、氷架璃と芽華実がぎょっと振り返る。驚かせてしまったが、説明の手間が省けたのは怪我の功名。
「私たちで探してくる! 朝季は絶対に一人で出てこんで!」
そう念を押して電話を切った雷奈は、ちょうど到着した救急車を背に立ち上がった氷架璃と芽華実に向かい合った。
「二人とも!」
「わかってる!」
「せつなを探しに行きましょう!」
美由の付き添いは由実に任せ、三人は走り出した。こんなことなら、せつなとも連絡先を交換しておくのだった。
手分けしたいところだが、犬の群れとやらに襲われた時のことを考えると、三人固まっている方が無難だ。住宅を避け、チラシを配りに行きそうな店があるルートを選ぶ。しかし、もともと人通りの少ない道には人っこ一人おらず、あの黒髪の少女の姿もない。
「そうだ、朝季にせつなの連絡先を聞いて……!」
なぜもっと早くにそうしなかったのか、と自身の焦りぶりを責めながら、雷奈が立ち止まってスマホの入ったポケットに手を伸ばした、その時だ。
ハッと顔を上げた雷奈は、芽華実と目を合わせた。彼女も雷奈の言いたいことを察したらしく、やおら氷架璃の手をつかみ、近くの民家の陰に回り込む。
「え、え、何?」
「しっ」
いつになく厳しい顔の芽華実に無声音で黙らされ、目をしばたたかせた氷架璃は、塀の陰からさっきいた場所をのぞき込む雷奈に倣った。声を出しそうになり、慌てて口を押える。
先程、三人が立っていた十字路を通過して、大小入り混じった犬の群れが走り去っていくところだった。
「な、んじゃ、ありゃ」
「チワワ、柴犬、ビーグル、シェパード……十匹はいたわね」
「犬の息遣いっぽいのが聞こえたけん、とっさに隠れたと。きっと、あいつが由実と美由ば襲ったとよ」
「ちくしょ、私だけ聴力が並みか」
「悔しがっている場合じゃないわよ。それより、あの子たちが……」
「由実と美由を襲った犬たち……!?」
犬の群れなど、そうそうお目にかかるものではない。あの集団は、二人を襲ったものと同一と考えて間違いなさそうだ。
すぐに今隠れている民家の向こう側へと見えなくなってしまった犬軍団だったが、もう一つ、着目すべきところがあった。
「しかも、全部かどうかわからんが、見る限り……みんな首輪してたな」
「つまり、あの子たちは……」
「うん、飼い犬ってこ……」
直後、雷奈の語尾をかき消す、けたたましい吠え声が聞こえた。縮み上がる三人だが、見回しても犬の姿はない。見つかったわけではなさそうだ。
よく聞くと、この民家を挟んで反対側、犬たちが走っていった方角から聞こえてくる。雷奈たちが立っていた十字路の何辻か先だろう。何かに反応したような吠えっぷりだ。
覚えている限りでは、人影はどこにもなかったはずだが、雷奈たちが身を潜めた後で、曲がり角から誰か出てきて……ということもありうる。
息をひそめる三人。犬たちはひとしきり吠えた後、やや静かになった。だが、黙ったわけではなさそうだ。グルル、とうなる声がひっきりなしに聞こえてくる。
雷奈は民家の陰からそっと顔を出し、一辻向こうを偵察した。無人だ。
思い切って道を横切り、ガレージのそばからもう一辻向こうの十字路をのぞき込んだ。
思わず、声が出た。
「――せつな!?」
雷奈とともに、氷架璃と芽華実も反射的に道の真ん中へ身を躍らせた。
十字路の真ん中、東西南北の道のいずれをも犬たちにふさがれ、囲まれる形で、一人の少女が立っていた。チラシは配り終えたのか、手ぶらの彼女は、目を丸くして犬たちを見ていたが、雷奈の叫び声に、その視線を三人へと注いだ。
「あなたたち……」
「せつな、大丈夫!?」
「くそっ、どうする……!?」
何匹かの小さな犬は、雷奈の声に振り返ったが、すぐにほかの犬たちと同様、せつなに向かってうなり、吠えた。彼女を目下のターゲットに定めているようだ。
かわいらしい小型犬も、忠実そうな日本犬も、かしこそうな大型犬も、みな一様に牙をむき、鼻面にしわを寄せている。
なぜ彼らが人を襲っているのかはわからない。だが、とにかく人を襲った前科があることは確かだ。今に、せつなも襲われるだろう。
雷奈は内に秘めるエネルギーに意識を伸ばした。猫力の開放。それは、動物のヒエラルキーの頂点に君臨するフィライン・エデンの猫たちと同じ場所に立つ鍵だ。弱肉強食に敏感な動物たちは、フィライン・エデンの猫の前では怯えを見せる。猫力を解放した雷奈たちにも屈するだろう。
しかし、たった一つの懸念が、その切り札を拒んだ。
猫力を解放した姿を、せつなに見られるわけにはいかないのだ。
猫と同じ威厳を手にすると同時に、雷奈の薄茶の瞳は、父譲りの深紅に変わる。そんな有様を、他の人間に見られるわけにはいかない。氷架璃と芽華実も、それぞれの青藍を、萌黄色をさらすことはできない。
ならば、生身で立ち向かうか。あるいは、助けを呼ぶか。隙を見て飛び込んで、せつなの手を引いて一目散に逃げるか。
どれも、殺気立った犬たちの包囲網の前には成功のビジョンが見えない。
そうこうしている間にも、犬たちはじりじりとせつなとの距離を詰めていく。下手には動けない。表面張力だけで現状を保つ水面は、ほんのわずかな刺激で決壊する。
針の落ちる音さえ引き金になって均衡を崩しそうな緊張感の中、見開いた目を再び犬たちに戻したせつなは、そのまぶたをそっと下ろした。
そして、限界まで張り詰めた空気を、明瞭な声で弾いた。
「怖いもの知らずねぇ、この私に牙をむくなんて」
震えもこもりもしない、よく通る声。暴発を恐れぬ堂々とした発声に、雷奈たちはぎょっとした。犬たちは一瞬ひるんだものの、すぐに威嚇姿勢に戻り、先ほどまでよりも激しく吠えたてた。
あまつさえ、せつなは怖じることなく、下ろしていた手をゆっくりと持ち上げる。左手を首の後ろに回して、つー……と黒く細い紐を引っ張った。それは、せつなが普段から首に絡めているチョーカーの端。
「人の世の畜犬風情が、私が誰だかわかっていての狼藉なの?」
ほどかれた紐チョーカーが、彼女の細い首から滑り落ちる。
直後、犬たちの喉が動きを止めた。
うなり声はしない。吠え声もしない。ただ、かすれたような高い音を漏らしながら、一様に尻尾を後ろ足の間に挟んで、体を震わせ始めた。耳を伏せ、背を低くして。
まぶたが上がる。
その瞬間から、三人とも、目を離すことができなくなった。
彼女を彩る唯一の赤から。
赤い赤い、ルビーのような瞳から。
「ひれ伏しなさい――頭が高いわよ」
ヒエラルキーの頂点に坐す強者の笑みとともに、刹那、彼女を中心として放射状に一陣の風が吹き抜けた。犬たちの隙間から駆け抜ける風が、雷奈たちをも吹きさらす。
風は、氷のように冷たかった。
寒風をまともに受けた犬たちは、強者の命令通りにひれ伏した。
いや、実際にはひれ伏したのではなく、失神して肢体を投げ出した。
だらしなく舌を出して倒れたものもいれば、そのまま痙攣するものもおり、中には失禁している小型犬も見受けられる。
一瞬にして、軍勢を恐怖でねじ伏せた少女は、一歩も動かずにその場に静かに佇んでいた。
この時点で、雷奈たちは二つを理解していた。
この犬たちが、犬笛パイドパイパーの被害者たちなのだと。
そして、目の前の少女が、氷結ウィッチクラフトなのだと。
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