フィライン・エデン Ⅲ

夜市彼乃

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11.七不思議編

52才媛サイエンス ①

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「いや、ばってん、母さんは殺したっちゃろが」
 話にのぼった昨日の美雷の言に反論しながら、雷奈がふっと人差し指を大きく振る。くるくると指に巻き付けていた長い髪は、ほどけて風に大きく舞った。
「我が子を大事にするんなら、妻も大事にしろったい」
「それは確かにそうね」
 芽華実も風にポニーテールを遊ばれながら、前を歩く雷奈に頷いた。
 美雷はあみだくじみたいな人物だ。態度も言動も、急に方向転換しては予想外の結論に至る。けれど、彼女の中には決まったポリシーがあるらしいのは確かなのだ。
 あの時、雷奈はかなり真面目に問いを呈したつもりだったのだが、真面目な回答を得られるかと思いきや、美雷は軽い調子にシフトチェンジしてしまっていたようだった。
 今、雷奈が口にした反論はもっともだ。もし美雷が真剣に回答したら、それは雷奈には反論の余地がないほどに整合性のとれた答えになるだろう。だから、美雷のあの答えには、さして深い意味はないはずなのだ。
 それにもかかわらず、昨日あの場では反論を口にできなかったのは、冗談めかした言葉の端に、いささかでも真実味を感じたからかもしれない。
(いやいや、だったらダークも差し向けて来んって)
 考えを振り払おうと小さく振った頭を横から風が襲い、身の丈ほどもある見事なロングヘアがぶわぁっと舞い上がった。氷架璃と芽華実が思わず声を上げたほどだ。今日は風が強い。
「にしても、もう四時かー。ったく、先生がさっさと教室掃除のチェックしてくれないからさー」
「仕方ないじゃない、電話対応してたんだから」
「私らの時間無駄にしやがって。女子中生は忙しいんだぞ。宿題したり、テレビ見たり、友達と語らったりさー」
「少なくともあの子よりは退屈そうやね」
 あの子、と雷奈があごで指したのは、前方を同じ進行方向に歩く制服姿の少女だ。
 薄黄色のセーターに、際どいところまで詰めたミニミニのプリーツスカート。白いハイソックスの先はローファーではなくスニーカーだ。
 皇学園生ではない。けれど、雷奈は思い出すそぶりもなく言った。
「光丘中、こんな時期に文化祭でもやるとかね?」
 遠目ながら、氷架璃と同じくらいの背丈と見える彼女は、平たくたたんだ大きな段ボール箱を運んでいた。段ボールを使用済みの状態で見ることが多い雷奈達の中では、それは梱包用品ではなく、工作の材料だ。
 氷架璃は目を細めて身を乗り出した。
「光丘中~? あそこセーラー服じゃなかったか? 紺色の、いかにもって感じのやつ」
「あら、ちょっと前に制服変わったのよ。芽薫実が入学する時だから、二年前かしら」
「あ、なんか言ってたかもな? そっか、芽薫実ちゃん光丘中だもんな」
 後方を歩く他校生に話のネタにされているとも知らず、光丘中の少女は頭上に大きくせり出すビッグサイズの段ボールを抱えて、てくてく歩いている。
「……なんか大変そうだな」
「前、ちゃんと見えてるかしら」
「時間あるし、手伝ってあげても……」
 再び、風が吹いた。船の帆のように立てられた段ボールがあおられ、それを抱える少女もよろける。
 歩道から足を踏み外しそうになったところへ、車道を走るタクシーが勢いよく向かっていった。
「危ない危ない危ない!」
 慌てふためいて走り出すズッコケそうな三人組の目の前で、タクシーはクラクションを鳴らしながら走り去っていった。幸い、少女はすんでのところで踏みとどまり、大惨事を免れたようだ。
 三人の大声はさすがに少女の耳にも届き、彼女はくりんとした大きな瞳で振り返った。
「あ、かっこ悪いとこ見られてた……えへへ」
 そう言って、きまり悪くというより、愛想笑いのように相好を崩す。
 その表情も、低い位置で左右に髪を束ねた緑のリボンスカーフも、ネクタイを緩めて第一ボタンを開けた着崩しも、新入生には見られない小粋な印象だ。自分達と同じ三年生かもしれない、と雷奈達は直感した。
「かっこ悪い云々以前に、危なかったったい。手伝おうか?」
「えっ、いいよ、申し訳ないし」
「いや、ここで退いて今度こそ車にはねられでもしたら、そっちのほうが申し訳ないし」
「氷架璃ったら、縁起でもないことをそんな露骨に。……でも、危なかったのは本当だから、よかったら手伝わせて?」
 ヒヤリハットの直前から、手助けムードになっていた三人は、ここへきてその意を固めた。少女は「じゃあ、お願いしていいかな?」と顔をほころばせ、光丘中学校三年の反町そりまち朝季あさきと名乗った。
「あなたたち、その制服、皇でしょ?」
「うんっ。私は三日月雷奈。種子島出身ったい」
「水晶氷架璃。私らも三年だよ」
「美楓芽華実よ。妹が光丘中の一年なの。制服、途中で変わったんでしょう?」
「そうそう! 私、一年の時にセーラー服買ったのに、二年になる時にブレザーとかブラウスとか買い直させられてさ! お金もったいないったら!」
「あー、でもそれ言ったら、私らも初等部から中等部に上がるときに買い直したよな」
「そういえばそうだったわね」
 朝季が抱えていた大きな段ボールは二枚あった。一枚を氷架璃と朝季が、もう一枚は雷奈と芽華実が、協力して光丘中学校まで運ぶことになった。その間、朝季の気さくな性格もあって、会話は春の陽気に浮かれるようにぽんぽんと弾んでいた。
「五月の三日にさ、オープンスクールフェスティバルっていうのをするの。私らはOSFとかフェスって略してるんだけどね。聞いたことある?」
「ないっちゃけど……要は、学校紹介のための行事みたいなもんっちゃろ?」
「そうそう。公立だから、入学促進イベントってわけじゃないんだけど、地元の小学生たちに中学校がどんなところか知ってもらうために、校内を開放して文化祭みたいなことをするの。在校生は全員参加ってわけじゃないんだけど、私は委員の一人でさ。科学ショーをするんだ」
「ってことは、この段ボールはその準備のための……」
「そ、空気砲。テレビで見たことない?」
 空気砲といえば、組み立てた大きな段ボール箱の一面だけに丸い穴をあけ、左右の面を勢いよくたたくと、穴から空気の塊が飛び出すおもちゃだ。空気の塊を可視化するため、線香の煙を予め箱の中に充満させておくことが多い。科学実験を扱ったバラエティ番組で目にすることもしばしばだ。
 光丘中は、踏切の音も聞こえないほど駅から離れた住宅地の中にある。道路を挟んで向かい側に一軒家がずらり、という状態だ。それがまた、私立とは違う地域の学校という雰囲気をもっている。
 木々に阻まれて中は良く見えないが、フェンス越しにグラウンドが道路と隣接しているようだ。部活動にいそしむ生徒たちの威勢のいい声を左耳に浴びながら、細い歩道を突き進むと、やがて左手に校門と校舎が同時にお目見えした。
 公立の中学校は、私立のそれとは外観からして全く違う。形がというより、外壁の材質から異なるのだ。
 皇学園の主要な校舎は、白亜に近い白のレンガ模様に包まれており、けれど建物によっては屋根や扉に差し色のように色が置かれているものもある。
 それに対し、光丘中学校は、近隣の他の公立校の例にもれず、ほぼ全ての建物がオフホワイトのざらざらとした外壁。唯一違うのは、フェンス越しにも見えた体育館くらいだろう。昇降口の扉の表面も、特に塗装や装飾のないただの金属の光沢。
 校門も簡素だ。皇学園では両開きになる縦格子の門は、ここではスライド式で、高さもあまりない。朝季は門のそばに立っていた校務員の男性に事情を説明して、雷奈たちをすぐ左手にいざなった。階段を数段降りたところにあるのが、人工芝でもない砂のグラウンドだ。
 手前側ではサッカー部が、奥では野球部が基礎練習をしていた。皇学園は中学グラウンドと高校グラウンドの二つがあるため、部活動によってそれらを使い分けられるので広々と練習しているが、ここでは少し手狭に見える。
 全員がグラウンドに降り立ったところで、朝季が息をついた。
「ふぅ、到着。三人とも、どうもありがとうね」
「いえいえ。これ、どこに置けばよか?」
「じゃあ、こっちに……」
 朝季が視線で示したのは、公道側のグラウンドの端、金網フェンスのそばだ。そこには、すでに同じような段ボールが立てかけられている。
 手からずり落ちかける資材を抱え直し、最後の一仕事に取り掛かった雷奈達は、どこからか足音が二つ分近づいてくるのを聞いた。ようやく荷物を下ろし、振り返ると、女子生徒が二人、朝季の元へ走り寄ってきていた。一人は、茶がかった髪を男子のように短髪にし、これまた朝季と同じように詰めに詰めた超ミニスカの少女。もう一人は、黒髪を左右の低い位置でお団子にまとめた、片割れとは対照的にきちんと制服を着こなした清楚そうな少女だ。
 彼女らは、朝季に寄り添いつつ雷奈達に目を向けた。まるで留守番していた飼い犬が、ご主人様の帰りにはしゃぎながら、見慣れない客に興味を示しているかのようだ。
「おかえり、朝季! ねえねえ、この人達は?」
「皇の制服! 朝季の友達?」
「さっき会ったばかりにも関わらず、段ボールを一緒に運んでくれた親切さん達です。……まあ、私としてはもう友達って言っちゃいたい気分だけど」
 朝季は、両脇のハチ公二人をなだめるように落ち着いて言った。けれど、三人に向けた視線は年相応にフレンドリーなもので、雷奈達は「もちろん!」と歓迎の笑顔を見せた。次いで、二人にも自己紹介をする。
 「よろしくね」と返した二人は、途端、何やら居ても立っても居られない様子で顔を見合わせた。
「さてさて、こうなったら……」
「わたし達もアレをやるしかないね……!」
 興奮をたたえて輝く視線を交し合う二人に、雷奈たちは戸惑った。「アレ」とはこの文脈では自己紹介しかないはずだが、自己紹介前にうずうずと武者震いする人を雷奈たちは見たことがない。
 何だ何だ、と見つめていると。
「あたしは角真かどま由実ゆみ! テニス部所属! 得意科目は生物!」
「わたしはまどか美由みゆ、文芸部所属、得意科目は地学っ」
 突然、茶髪の少女・由実は右へ、お団子ヘアの少女・美由は左へ大きく踏み出し、腕を伸ばした戦隊ヒーローのようなポーズをとって名乗りを上げた。「おお」と声を漏らしたきり、リアクションを選べないでいる雷奈たちの前で、二人はそのまま静止。
「……」
「……」
「ほら、朝季っ」
「え、私もやるの?」
 小声とうなずきで催促され、朝季は二人の中央前方に立つと、直立のまま、居心地悪そうに棒読み。
「えー、反町朝季、テニス部所属、得意科目は物理」
「三人合わせてー……」
 せーの、で三重奏が締めくくる。
「「サイエンス才媛ズ!」」「三年一組フェス委員」
「一人裏切ってんぞ」
 初対面にも容赦ない氷架璃の突っ込みにバッサリ切られ、二人は隊形を崩してぶうたれる。
「ちょっと朝季! どうして合わせてくれないかな!」
「せっかく皇の子たちにも名前を売れるところだったのにぃ」
「こんな子供っぽいキャッチフレーズで売り込みたいの? 恥ずかしいから、今度からこそ私はパスだからね?」
「えーっ、ダメだよ! 朝季がいなくなったら物理担当がいなくなっちゃうじゃん! サイエンスじゃなくなっちゃうじゃん!」
「化学担当が元々いないのはよかと……?」
 雷奈のもっともな呟きも聞こえない様子で、苛烈なブーイングを送る二人。それをなだめすかす朝季は、まるで双子の妹をもつ姉のようだ。呆気にとられる雷奈たちに、彼女は困ったように笑う。
「ごめんね、なんか、こういうのに憧れるお年頃みたいで。でも、由実が生物、美由が地学を得意としてるのは本当だよ。一年、二年と学年で一番だから」
「そうだよー! えっへん!」
「すごいでしょ! えっへん!」
「他の科目は?」
 雷奈が尋ねると、二人は首がちぎれそうな勢いで明後日の方向を向いた。禁断の質問だったらしい。
「とりあえず、私と由実、美由の三人が、三年一組のフェス委員なんだ。あと、このあたりに住んでる中学生が一人、校外ボランティアとして手伝ってくれることになってる。だから全部で四人いるわけだけど、四人でも回すのは大変なんだよね、科学ショーって。奮発ものよ」
 やれやれ、という調子で朝季が肩をすくめた。と、その瞳が何かに気づいたように瞬きする。
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