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出張前夜

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「鏡子と別れる」ことは絶対にしないけど、「鏡子が仕事を辞める」ことは了承した。

「柳瀬くん。あなたのところの支店、先月の売り上げ絶好調だったじゃん」
「ああ。先月はゲームソフトの発売があって、それの売り上げが凄かったんすよ」
「なるほど。でも、事務の五十嵐さん?だっけ。もうすぐ辞めるんだって?」
「…」
「引継ぎとかどうなってんの?」

とある日の本店での会議後。
手元の資料を片付けていたら、本店にいる先輩にそう話しかけられた。
鏡子が辞めてしまう引継ぎは、今は売り場にバイトの子を増やして、とりあえずエリナちゃんに事務仕事をお願いしている。

「…バイトを一人増やしました」
「ああ。じゃあ売り場から一人事務に行かせたんだ?」
「はい。おもちゃ屋さんのせいか、どうしても売り場希望が多くて」

先輩とそう話しながら、会議室を出ようとする。
本当は今日も休みだったのに、午後はまた会議で潰れてしまった。
振替休日とか欲しい。
だけどそんな休日が貰えるはずもなく、話していた先輩とはやがて「次会うのは研修だな」なんて本店の前で別れた。
…研修の前に明日から一週間出張だし。多忙すぎんだろ。

でもそのまま本店から車を走らせて一時間。
さすがに疲れてマンションに到着すると、玄関でエプロン姿の鏡子が出迎えてくれた。

「おかえり」

…こういう風に鏡子が出迎えてくれるのって、本当に幸せ。
いや、「鏡子」限定なんだけど。
俺が「ただいま」と返事をすると、鏡子が「お風呂沸いてるよ」と俺のカバンを持つ。
…多忙。だけど、鏡子とずっと一緒にいられるなら今よりもっと頑張れる。
いつか、近いうちに玄関に出迎えてくれる鏡子の足元に、かわいい自分の子供もいたり、して。
俺はそんなことを考えながら、お風呂の前に思わず目の前の鏡子に正面から抱き着いた。

「わぁっ。ちょ、っと…」
「ん、ごめん。ちょっと充電させて」
「…」
「明日から出張だし」

俺がそう言うと、やがて背中に鏡子の細い腕が優しく回される。

「…修史さんて意外と甘えん坊だね」
「え。…そうかな?」
「そうでしょ。帰ってくるとこういうの多い気がする」

鏡子はそう言うと、よしよし、と俺の頭を撫でるから。
何だか子供みたいに扱われているようで、俺は体を少し離して、油断している鏡子にキスをした。

「…子供扱いしたね、いま」
「…してたけどごめん。ちょっと違ったみたい」
「風呂、一緒に入る?」
「あたし料理中だもん」
「…」

俺はその鏡子の言葉を聞くと、今度はさっきよりも深いキスをして、耳元で言った。

「…じゃ、中で待ってるから」
「!」

そう言った後に鏡子の顔を見ると、彼女の顔は真っ赤になっていた。
鏡子とはもう何度も体を重ねているけれど、一緒にお風呂っていうのは初めてだ。
でも、どのみち明日から一週間も鏡子に触れないんだから、今日くらい許してほしい。
俺の言葉に鏡子は恥ずかしそうにしていたけれど、やがて「…10分くらい待ってて」とキッチンに戻っていった。
…やべ、一週間とか持たないかもしんない、俺…。


******


「…修史さん、明日何時に出発なの?」

その夜。
スマホで明日の確認をする俺の隣で、ベッドに横になっている鏡子がそう問いかけてくる。
でも、明日はそんなに早い時間じゃない。

「9時までには出るかな」

俺がそう答えると、鏡子は「じゃあ明日の朝は会えないんだね」と少し寂しそうな顔をした。

「そっか。鏡子は明日オール勤務だっけ」
「うん。夏木さんと一緒に」
「事務の仕事、一週間全部よろしくね。(エリナちゃんもいるけど)」
「いーやー」

俺が冗談半分でそう言うと、鏡子は嫌そうに布団の中に潜り込むから、俺もそんな鏡子を追うように布団の中に潜る。
逃げたのが布団の中だからもちろん鏡子の姿はすぐに見つかって、中でじゃれあううちに、俺はベッドの上に仰向けになる鏡子の上に覆いかぶさった。

「…俺がいない一週間、気を付けてね。マジで」
「うん」
「広喜くん、鏡子の勤務先知ってるから来るかもしれないし」
「でも、警察には相談してるから」

…確かにそうだけど。
でも、広喜くんは行方を完全にくらませてしまったし、今のところ手掛かりが何もない。
警察も行方を追ってくれているけど、目撃証言や街の監視カメラも不思議なくらいに手掛かりが出てこないと言われた。
それだけが、今は不安でたまらない。

「仕事が終わったら絶対に誰かと一緒に帰ること」
「うん。あ、何日かはエリナん家に泊まるよ」
「もし危なくなったら電話して?すぐ帰る」
「えー、無理でしょ」

俺のそんな無茶な言葉に鏡子はそう言って笑うけど、これでも凄く心配してるんだけどな。
もしも、声をかけなくても、鏡子が知らないうちに広喜くんにマンションまで跡をつけられていたら大変だから。
本当は鳥かごのように鏡子をずっとマンションに閉じ込めておきたい。なんて、そんなことは口が裂けても言わないけど。

「…平気?」
「修史さんがいない間?平気だよ」
「ほんとに?俺は不安だよ」
「鏡子は平気ー」
「…」

…もしかしたら、鏡子は俺が出張に行きやすいように笑ってくれるのかもしれない。
俺はそんな鏡子の心遣いに気が付くと、とりあえず心配を置いといて鏡子の隣に寝転んだ。

「…お土産何がいい?」
「修史さんが無事に帰ってきてくれたらお土産なんていらないよ」
「まじ?それ嬉し、」
「嘘。あのね、北海道の美味しいものなんでも買ってきてほしい」
「…」

鏡子は俺の質問にそう答えると、やっぱりいつも以上に楽しそうに笑うから。

「いやおまっ…わかった!じゃあ食えないくらい買ってきてやる」
「ほんと!?やったー!」

俺はそれに気づかないフリをして、鏡子にノッた。

この時間が、幸せ。
何でもない、ただじゃれてるだけの空間が幸せすぎて、隣にいる鏡子が愛しすぎて。
俺はこの時、ずっと自分の中にあった「だったらいいな」の理想を、現実に変えようと決意した。

…決めた。
出張から帰ってきたら、俺は鏡子にプロポーズしよう。






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