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【第二部】あの日の戀の形代の君。
二-終 大きな一歩
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「叔父上にご挨拶を」
「鵬明皇弟殿下に拝謁いたします」
金胡国からの使節の来朝に関わる儀礼等のすべてが恙なく終わり、無事に隣国へと帰っていく使節団を見送ってから、数日後のことである。燎琉と瓔偲とは、そろって繍菊殿を訪ねていた。
皇弟・朱鵬明が年明けにも王号を賜ることが俄に決まり、王府への転居を間近に控えた繍菊殿は、あの日以来、誰もかれもが慌ただしく過ごしているようだ。主の鵬明もまた例外ではなく、ふたりが訪ねたとき、彼は書房として使っていた廂房の片付けを差配していた。が、こちらの訪問を侍者から告げられると、いったん手を止め、すぐさま正堂へと通してくれた。
「叔父上が繍菊殿においででなくなるのは、なにやら心細いです」
卓子に茶と茶菓とが用意され、それぞれ椅子に腰掛けると、まず燎琉がそう言った。そんな甥を前に、茶杯を片手に持った鵬明は、くすん、と、肩をすくめる。
「そうはいうが、どうせいままで通り、戸部へは出仕するんだ。たいして変わらんさ。――何かあれば、いつでも力になる。此度の恩は忘れんよ」
「そんな……! 俺たちこそ、叔父上には返しきれない恩があるんですだ。俺が瓔偲と婚姻できたのも、叔父上のおかげだと思ってるし……だから、気にしないでください」
そう言って瓔偲に視線を送る燎琉に、瓔偲も、こく、と、うなずいてから、鵬明にむかって笑んでみせた。鵬明はそんなこちらを前に茶をひと口、それから、すぅ、と、目を細めた。
「ウルラ王女は、いったん金胡にお戻りになった後、またこちらへいらっしゃるとか」
瓔偲が言うと、鵬明は、うん、と、衒いなくうなずいた。
「こちらの制度やら文化やらを学ぶという名目でな。戻られたら、遊学を終えて国に帰られるまで、私が世話をすることになっている。皇宮を出て王府を構えた後は、婚姻までの間、鵑月もうちで暮らすことになるし……私の身辺は、どうもこれまでになく賑やかになりそうだ」
ふ、と、溜め息をつきつつも、鵬明はいままで見たことのないような、実に穏やかな表情をしてみせた。瓔偲は笑みを深める。
が、ふと気に懸かって、ちら、と、皇弟の顔をうかがった。
「彰昭さまは……?」
「求婚したが、断られた」
鵬明は短く言って、苦笑した。それからまた、肩をすくめてみせる。
「もともととんだ頑固者なんだ、やつは。二年前に官吏をやめたのも、瓔偲、癸性のそなたが科挙に及第して、正規の道筋で官職を得たのを知って、癸性であることを誤魔化して官位を得ていた己を恥じたかららしいからな。とはいえ、優秀なあれをいつまでも遊ばせておくのは勿体ないと思って、今回、ためしにお前たちをけしかけてみたわけだが……それがとんだ裏目に出たというべきか、あるいは……」
「もちろん、これで万事、よかったのだと思います」
途中で言い澱んだ鵬明の言を継ぐように、燎琉が言う。その声には、今回の件に図らずも巻き込まれてしまったことを恨む様子などは微塵もなかった。そうですね、と、うなずく瓔偲も、すがすがしい燎琉の態度に、こちらまで心が澄むような心持ちになった。
ウルラと鵑月は、晴れて、望み通りに結ばれる。それは本当に喜ばしいことだった。
一方で、長い時間のすれ違いの末に、ようやく再び心を通じあわせるきっかけを得たはずの鵬明と彰昭とが、共に歩む未来を選ばなかったことは、すこしさびしい気がした。
それでも、それが彼らの選択ならば、瓔偲や燎琉が外から口を出すことではないのだろう。そう思って、そ、と、溜め息をついだときだ。
「――鵬明」
ふと、聞き覚えのある声が聴こえてきて、瓔偲ははっと顔を上げた。
すると隣室から顔をのぞかせたのは、なんと件の裴彰昭だ。
「ああ、彰昭。どうした?」
「帳簿のことで、いくつか確認したいことがあるんだが」
「わかった。急ぎか?」
「いや、あとでいい。先に違うものを見ておくよ」
気安い調子で遣り取りをした後、彰昭は改めて、瓔偲と燎琉とに視線を向けた。まさかここに彼がいようとは思っていなかったので、こちらはふたりとも、ぽかん、と、目を瞬いている。だが、相手はそれを気にしたふうもなく、こちらに向かって丁寧に頭を下げ、拱手した。
「第四皇子殿下ならびに妃殿下に拝謁いたします。――此度は、わたくしどもにお心を寄せ、お手間をとってくださり、感謝の言葉も見つからぬほどにございます。わたくしは、ありがたくも今後、鵬明殿下の王府にて家令としてお仕えさせていただくことと決まりました。もし今後、わたくしめ、あるいは、我が裴家が殿下方のお手伝いをさせていただける折がございましたら、その際には、なんなりと、おっしゃっていただきたく存じます」
「……家令?」
燎琉が彰昭の流れるような口上を受けて、怪訝そうに、叔父と彰昭とを交互に見る。
「ははっ、まず気にするのはそこか、燎琉」
鵬明は明るく笑い声を立てた。
「それについては、この頑固者が、いまさら王妃など柄ではない、内縁の伴侶で十分だとか言うものだから、まあ、とりあえず、そういうことにして収めたといったところだ」
鵬明は苦笑するようにそう説明する。
「それよりも、だ。私が皇位継承権を棄てたことで、裴家には、推すべき皇子がもはやなくなった。以後、私はもちろんのこと、彰昭をはじめ、皇太后、門下侍中以下の裴一門は、第四皇子朱燎琉を推す、と、いまのこれの言葉は、そう受け取ってもらってかまわない。――と、いうことで良かったな、彰昭?」
鵬明がそう彰昭に流し目を送り、彰昭は無言で目を伏せた。が、どうやらそれは肯定の意を示すものであるらしい。
燎琉がぜひとも友誼をと望んだ彰昭が、自分たちの側についてくれる。それも、権門の裴家とともに、だ。それは燎琉が立太子を目指すうえで、大きな一歩であるといえた。
「殿下」
瓔偲は黒曜石の眸で燎琉を見詰めた。
「うん……ますます気を引き締めないとな」
もはや我が身一つではない。背負うものが大きくなればなるほど、責任は増し、それだけ覚悟をも迫られる。燎琉は、きり、と、表情を引き締めた。
それを、鵬明が目を細めて眺める。
「臣下として、お前の国づくりを手伝える日を楽しみにしてるぞ、燎琉。――まあ、もうしばらくは詰めの甘いお前を私がしごいてやろう。覚悟しておけ」
こく、と、茶をひと口啜った皇弟鵬明は、いつものように、に、と、どこか人を喰ったように笑ってみせたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
第二部完結です。ここまでお付き合いありがとうございましたー!
今回は瓔偲視点で…すこしだけ素直になれた彼はいかがだったでしょうか。
すこしでもお楽しみいただけてれば幸いですー^^
BL小説大賞にエントリーしております。よければぜひ応援ください。
「鵬明皇弟殿下に拝謁いたします」
金胡国からの使節の来朝に関わる儀礼等のすべてが恙なく終わり、無事に隣国へと帰っていく使節団を見送ってから、数日後のことである。燎琉と瓔偲とは、そろって繍菊殿を訪ねていた。
皇弟・朱鵬明が年明けにも王号を賜ることが俄に決まり、王府への転居を間近に控えた繍菊殿は、あの日以来、誰もかれもが慌ただしく過ごしているようだ。主の鵬明もまた例外ではなく、ふたりが訪ねたとき、彼は書房として使っていた廂房の片付けを差配していた。が、こちらの訪問を侍者から告げられると、いったん手を止め、すぐさま正堂へと通してくれた。
「叔父上が繍菊殿においででなくなるのは、なにやら心細いです」
卓子に茶と茶菓とが用意され、それぞれ椅子に腰掛けると、まず燎琉がそう言った。そんな甥を前に、茶杯を片手に持った鵬明は、くすん、と、肩をすくめる。
「そうはいうが、どうせいままで通り、戸部へは出仕するんだ。たいして変わらんさ。――何かあれば、いつでも力になる。此度の恩は忘れんよ」
「そんな……! 俺たちこそ、叔父上には返しきれない恩があるんですだ。俺が瓔偲と婚姻できたのも、叔父上のおかげだと思ってるし……だから、気にしないでください」
そう言って瓔偲に視線を送る燎琉に、瓔偲も、こく、と、うなずいてから、鵬明にむかって笑んでみせた。鵬明はそんなこちらを前に茶をひと口、それから、すぅ、と、目を細めた。
「ウルラ王女は、いったん金胡にお戻りになった後、またこちらへいらっしゃるとか」
瓔偲が言うと、鵬明は、うん、と、衒いなくうなずいた。
「こちらの制度やら文化やらを学ぶという名目でな。戻られたら、遊学を終えて国に帰られるまで、私が世話をすることになっている。皇宮を出て王府を構えた後は、婚姻までの間、鵑月もうちで暮らすことになるし……私の身辺は、どうもこれまでになく賑やかになりそうだ」
ふ、と、溜め息をつきつつも、鵬明はいままで見たことのないような、実に穏やかな表情をしてみせた。瓔偲は笑みを深める。
が、ふと気に懸かって、ちら、と、皇弟の顔をうかがった。
「彰昭さまは……?」
「求婚したが、断られた」
鵬明は短く言って、苦笑した。それからまた、肩をすくめてみせる。
「もともととんだ頑固者なんだ、やつは。二年前に官吏をやめたのも、瓔偲、癸性のそなたが科挙に及第して、正規の道筋で官職を得たのを知って、癸性であることを誤魔化して官位を得ていた己を恥じたかららしいからな。とはいえ、優秀なあれをいつまでも遊ばせておくのは勿体ないと思って、今回、ためしにお前たちをけしかけてみたわけだが……それがとんだ裏目に出たというべきか、あるいは……」
「もちろん、これで万事、よかったのだと思います」
途中で言い澱んだ鵬明の言を継ぐように、燎琉が言う。その声には、今回の件に図らずも巻き込まれてしまったことを恨む様子などは微塵もなかった。そうですね、と、うなずく瓔偲も、すがすがしい燎琉の態度に、こちらまで心が澄むような心持ちになった。
ウルラと鵑月は、晴れて、望み通りに結ばれる。それは本当に喜ばしいことだった。
一方で、長い時間のすれ違いの末に、ようやく再び心を通じあわせるきっかけを得たはずの鵬明と彰昭とが、共に歩む未来を選ばなかったことは、すこしさびしい気がした。
それでも、それが彼らの選択ならば、瓔偲や燎琉が外から口を出すことではないのだろう。そう思って、そ、と、溜め息をついだときだ。
「――鵬明」
ふと、聞き覚えのある声が聴こえてきて、瓔偲ははっと顔を上げた。
すると隣室から顔をのぞかせたのは、なんと件の裴彰昭だ。
「ああ、彰昭。どうした?」
「帳簿のことで、いくつか確認したいことがあるんだが」
「わかった。急ぎか?」
「いや、あとでいい。先に違うものを見ておくよ」
気安い調子で遣り取りをした後、彰昭は改めて、瓔偲と燎琉とに視線を向けた。まさかここに彼がいようとは思っていなかったので、こちらはふたりとも、ぽかん、と、目を瞬いている。だが、相手はそれを気にしたふうもなく、こちらに向かって丁寧に頭を下げ、拱手した。
「第四皇子殿下ならびに妃殿下に拝謁いたします。――此度は、わたくしどもにお心を寄せ、お手間をとってくださり、感謝の言葉も見つからぬほどにございます。わたくしは、ありがたくも今後、鵬明殿下の王府にて家令としてお仕えさせていただくことと決まりました。もし今後、わたくしめ、あるいは、我が裴家が殿下方のお手伝いをさせていただける折がございましたら、その際には、なんなりと、おっしゃっていただきたく存じます」
「……家令?」
燎琉が彰昭の流れるような口上を受けて、怪訝そうに、叔父と彰昭とを交互に見る。
「ははっ、まず気にするのはそこか、燎琉」
鵬明は明るく笑い声を立てた。
「それについては、この頑固者が、いまさら王妃など柄ではない、内縁の伴侶で十分だとか言うものだから、まあ、とりあえず、そういうことにして収めたといったところだ」
鵬明は苦笑するようにそう説明する。
「それよりも、だ。私が皇位継承権を棄てたことで、裴家には、推すべき皇子がもはやなくなった。以後、私はもちろんのこと、彰昭をはじめ、皇太后、門下侍中以下の裴一門は、第四皇子朱燎琉を推す、と、いまのこれの言葉は、そう受け取ってもらってかまわない。――と、いうことで良かったな、彰昭?」
鵬明がそう彰昭に流し目を送り、彰昭は無言で目を伏せた。が、どうやらそれは肯定の意を示すものであるらしい。
燎琉がぜひとも友誼をと望んだ彰昭が、自分たちの側についてくれる。それも、権門の裴家とともに、だ。それは燎琉が立太子を目指すうえで、大きな一歩であるといえた。
「殿下」
瓔偲は黒曜石の眸で燎琉を見詰めた。
「うん……ますます気を引き締めないとな」
もはや我が身一つではない。背負うものが大きくなればなるほど、責任は増し、それだけ覚悟をも迫られる。燎琉は、きり、と、表情を引き締めた。
それを、鵬明が目を細めて眺める。
「臣下として、お前の国づくりを手伝える日を楽しみにしてるぞ、燎琉。――まあ、もうしばらくは詰めの甘いお前を私がしごいてやろう。覚悟しておけ」
こく、と、茶をひと口啜った皇弟鵬明は、いつものように、に、と、どこか人を喰ったように笑ってみせたのだった。
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お読みくださってありがとうございます。
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燎琉パパはちょっと優柔不断で押しに弱いひとなのであんな感じですが、燎琉はその後、瓔偲に支えられつつ、叔父上の助力も得つつ、着々と実力をつけ、堅実に地位を固めていく、と、思います…!
感想ありがとうございました!
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