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【第二部】あの日の戀の形代の君。

二-4 その夜の語らい*

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「で、殿下……っ」

 はい府から椒桂しょうけい殿の正堂おもやへ戻るなり、燎琉りょうりゅう瓔偲えいしを後ろから抱き締めた。

 いきなりの行動に戸惑った瓔偲は声を上げたが、それで相手が動きを止めることはない。こちらの長い黒髪を掻き分けるようにしてうなじあらわにしたかと思うと、そのままそこにくちびるを寄せた。

「殿下……なに、を……?」

「抱きたい」

「え?」

「お前に俺を刻み込みたい」

 どこか切羽せっぱ詰まったような声で熱っぽく囁く燎琉が触れるのは、ちょうど、彼がかつて瓔偲を咬んでつがいにしたあとのあるあたりのようだった。

 首筋にあたたかな吐息がかかる。ぞく、と、瓔偲の背筋を、かすかな、けれどもたしかな快美が、脳天まで駆け抜けた。

 けれども、次の瞬間に身に走ったのは、鋭い痛みのようなものである。

「あ、っ……」

 瓔偲はちいさく嬌声めいた悲鳴をあげた。首筋にを立てられたのだ、あのときのように、と、そう悟った刹那、たしかに疼痛だったものは、どこまでも甘いしびれに変わって、全身を駆け巡った。

 身体から、くたん、と、力が抜けてしまう。

「ふ、ぅ……」

 吐き出す息は途端に熱を帯びた。吐息だけではない、身体もだ。こちらを抱きしめる燎琉の腕がなければ、瓔偲はきっとその場に崩折れてしまっていただろう。膝に力が入らなくて、思わず、相手の身にすがりつくような恰好になっていた。

「いい、匂い……」

 燎琉が熱い息とともに耳許にそうつぶやいたときには、瓔偲のほうも、相手のあまやかな桂花きんもくせいの香りに身体も、心も、いっぱいに包み込まれている。それはほのかでやさしい香りのはずなのに、いまは濃密に匂い立って、瓔偲を恍惚うっとりとさせた。

 身体の奥で、隠しきれない情慾がともるのを感じる。

「殿、下……」

 瓔偲が首を反らせるようにして燎琉を振り向くと、まるで待ちかねてでもいたように燎琉がくちづけてきた。

 くちびるが触れあい、すぐに、口中に舌を入れられる。くち、ちゅく、と、粘度の高い音をさせながら、絡め取られ、吸われると、じん、と、頭の中が甘くしびれた。

「あ……あ、っ……」

 くちづけながら愛撫を施され、やがて立っていられなくなってきた瓔偲を、燎琉は抱え上げた。そのまま架子かししょうまで運ぶと、とろんととろけたこちらの身を瀟洒しょうしゃ牀榻ねまへと横たえて、し掛かってくる。

 瓔偲の着物の帯を解き、あわせを割ってはださせてしまうと、燎琉は自分ももどかしそうに着物をくつろげ、やや性急に身を繋いだ。

「アァ――……ッ」

 肢を抱えられる恰好で奥まで貫かれ、瓔偲は嬌声を上げた。

 ゆさ、ゆさ、と、燎琉はこちらの腰を掴んで瓔偲を揺すぶり立てる。熱く滾たぎったたかぶりが、瓔偲の弱いところをこすり上げ、ひだを掻き分けて最奥を力強くえぐった。

「あ、あんっ、あっ、あぁ」

 燎琉の律動にあわせて、こらえようとしても甘い声が出る。とろとろと身体がとろけ、心がとろけて、燎琉を受け入れてんでいるはらは際限なく蜜をあふれさせた。

 ぐち、ぐちゅ、と、繋がったところから濡れた音がしている。否、これは、耳で聞くのではなく、身体を通して響く音だろうか。隘路を押し広げられ、出し入れされるたび、きゅうきゅう、と、瓔偲の内壁は無意識にも燎琉を締め上げていた。

「く、ぅ」

 燎琉がうめくような声をあげ、切なげに眉根を寄せる。何かをこらえるような切なげな表情を見せたかと思うと、瓔偲をひしぐようにして、激しく腰を動かした。

「やっ、あ、あん、んぁ……アッ、アンッ、ンッ」

 ごち、ごちゅん、と、燎琉のものが奥を突き上げる。喘ぐくちびるを、燎琉はくちづけでふさいだ。

 くちづけながら肚の中を掻き回されると、瓔偲はぐずぐずになってしまう。心も、身体も、満たされて、しまいには泣きたくなった。

「ひ、ぁ、っ……殿下、ぁっ……燎琉、さま」

 背中せなに腕を回わす恰好で、瓔偲は燎琉に抱きついた。きゅう、と、抱きしめると、耳許で燎琉が息を詰めるのがわかる。

 ぐ、ぐぅう、と、押し込むようにされて、思わずきつく目をつむった瓔偲は、次の刹那、眼裏まなうらで、ちかちか、と、光彩が弾けるのを見た。

「あ……あ……」

 燎琉が中で極めたのを感じながら、うっとりとした声を上げる。

「ご、めん……ちょっと、強引だったな」

 はあ、と、熱く満ち足りた吐息を聞かせつつ、ぬと、と、瓔偲の中から抜き取った燎琉が言った。汗でひたいに張り付いたこちらの前髪をやさしくきつつ、額に、まなじりに、頬にと、各所にそっと、いたわるようなくちづけを落としてくれる。

「大丈夫か?」

 顔をのぞき込むようにしながら問われて、瓔偲はまだ、ぼう、と、しながらも、こくんとちいさくうなずいた。

「どこも、つらくはないか?」

「は、い……へいき、です」

 まだ身体は快感の余韻を引きずっていて、ふわふわと夢見心地だったが、それは決していやな感覚ではなかった。ただ、燎琉と肌身を合わせるようになるまで瓔偲はこんな愉楽があることを知らなかったので、羽化うか登仙とうせんの心持ちを味わわせてもらったあとは、いつも、どうしていいかわからなくなってしまう。

 そのまま恥じ入って黙っていると、燎琉が瓔偲の隣にごろりと横になった。たくましくあたたかな腕が伸びてきて、こちらの身体を抱き込んでくる。素肌のぬくもりが慕わしくて、瓔偲がおとなしく相手に身を寄せると、燎琉は、ふぅ、と、嘆息めいた息を吐いた。

「ごめん」

「殿下……?」

「悪かった。強引に迫った自覚がある」

「そんな……お詫びいただくようなことでは、ありません。乱暴をされたわけでも、ありませんし」

 最初こそ戸惑ったし、いつもより性急だったのはたしかだが、瓔偲の身体は燎琉を受け止めて間違いなくよろこんでいた。無理を強いられたとはちっとも思っていなかったので、そんなふうに謝罪されてしまっては、かえってまりが悪い。

 けれども、その想いを瓔偲がうまく伝えられずにいるうちに、燎琉のほうが、ふ、と、自嘲めいた笑みを見せた。

「なんか、不安になったんだ……俺は金輪際お前を手放す気はないけど、お前はそうでもない気がして」

 こつ、と、甘えるように額に額をやさしくぶつけられて、瓔偲は目をまたたく。間近で視線が交わると、燎琉は、ちら、と、苦笑してみせた。

「俺の利を考えたお前は、また、あっさり身を引いてしまいそうで……どうしようもなく不安になった。そうしたら、いますぐ、お前を抱き締めずにはいられなくなったんだ。――余裕がなくて、情けないな」

 はあ、と、大きく息をつく相手は、どうやら自らを省みて嘆息するものらしかった。

「頭ではわかっているつもりなんだけどな。お前は俺を想ってくれている。俺たちはつがいだし、だから、お前が俺から離れようとするのは、俺への想いがなくなったからとかではなくて、俺を想うがゆえなんだって……でも、それでもさ、俺は絶対、お前と離れたくないからな」

 最後はとび色の眸に真っ直ぐに見詰められ、瓔偲はつい、たじろいでしまった。わずかに視線を逸らせると、そんなこちらの態度に、燎琉が、はは、と、軽く笑い声を立てる。

「さては図星だったな。いまのお前、しまったって、そんな表情かおだ。――お前はあまり感情をおもてに出さないけど、でも、気持ちが動かないわけでもないんだよな。だんだんわかってきた」

 うん、と、燎琉はひとり頷くと、再び瓔偲をじっと見据える。

「で。お前、それが俺の利になるなら、はい彰昭しょうしょうの言うとおり、俺と離縁してもいいとでも言うつもりだったろ? でも、俺は絶対にいやだぞ」

「……ですが、殿下」

「譲らない。そんなの、本末転倒だ」

 燎琉はきっぱりと言った。

 瓔偲は一瞬黙って、はたはた、と、ゆるく瞬いた。

「ですが殿下、わたしは……お傍においていただけるなら、正妃でなくめかけでもなんでも、一向にかまわないのです」

 自分たちはつがいだ。いまも、燎琉に触れられた途端、瓔偲の身体も心もたやすくとろけ、そしてたっぷりと満たされた。このしあわせを知ってしまった以上、瓔偲はもう、簡単に燎琉と離れられる気はしなかった。

 それでも、自分の存在が燎琉にとって邪魔になるのは、耐え難い。そうなるくらいなら、己の何を犠牲にしたって、燎琉のためになる行動を取りたいとは思っていた。

「あなたの、かせに……なりたくありません」

「……うん。――それで?」

 燎琉が低く潜めたような声で言う。

「お前を妾にして、俺は今度は、金胡きんう国の王女でもめとればいいのか?」

 燎琉の声にわずかな怒気を感じ取って、瓔偲は黙った。

 しばらくお互いに沈黙したあと、燎琉が、ふう、と、しずかな息を吐く。

「ごめん。いまのは八つ当たりだな。ただ……俺がお前以外の誰かを傍に置いたとしても、お前は平気なのか、嫉妬もしてくれないのかって、ちょっと口惜くやしくなったよ。――俺など、お前が叔父上と親しげにしているだけでも、けるっていうのに」

 我ながら情けない、と、燎琉は敢えて冗談かるくちめかした口調で言って、肩をすくめた。

 相手の思わぬ発言に、瓔偲は、え、と、息を呑んで、ゆるりと目を瞬く。すると燎琉は、なんだその意外そうな表情は、と、こちらの機微をあやまたずに読み取って、不満そうに口を曲げた。

「叔父上はお前を、その……特別に好いていたんじゃないかとか、俺はつい、勘ぐってしまうこともあるんだが」

 燎琉がそんなことを言うので、瓔偲はわずかに目をみはる。

「鵬明殿下がですか? まさか」

 燎琉の考えを打ち消すように、ふるふると首を振った。

「そんなのわからないだろ?」

「いえ、そんなことは、ありえません」

 瓔偲が再びちいさくかぶりを振ると、燎琉が不思議そうにした。

「随分きっぱりと否定するんだな」

 そう言われ、瓔偲は一拍、沈黙する。

「どうした?」

「いえ、その……あの方には、お忘れになれない方がいらっしゃるものと、思っておりましたので」

 瓔偲も鵬明からそうはっきりと聞いたわけではない。だからそれは印象でしかないといえばそうだったが――有力な皇族である鵬明にこれまで縁談が舞い込まなかったはずがないのだし、それを退け続けてあの年齢としまで独り身を貫くからには、そうさせるだけの――何か大きな事情があるのだろうと推測していた。

「へえ、そうか。二年、ずっと傍で叔父上と接してきたお前がそう言うなら、そうなのかもしれないな」

 燎琉が嘆息するように言う。

 そして、ふと眉を寄せ、表情を固くした。

「事情と言えば、彰昭どのも……一筋縄ではいかない事情をお抱えなのかもしれない」

 そんなふうに話題を変える。

「彼の御息女……鵑月どのだったか。おそらく、性だよな?」

 燎琉の言葉に瓔偲は刹那はっと息を呑み、それから、こくり、と、ちいさくうなずいた。

「やっぱりお前もそう思ったか」

「彼女がつけていた首飾り……一見して繊細な細工物のように見えておりましたが、あれは、癸性の者の身につける首輪だと思います」

 裴家で不意にまみえることとなった鵑月という名らしき少女は、たしかにうなじを覆うような特殊な首飾りをしていた。己も癸性であり、燎琉とつがいになるまではずっとそうしたたぐいのものを身につけ続けていた瓔偲は、もちろん、即座にそれに気がついていた。

 その場では互いに口にこそしなかったが、燎琉も気づいていたのだ、と、瓔偲は思う。彰昭も何も言いはしなかったが、ふたりがそうと気づいたことを、悟っていたかもしれない。

 では、鵬明はどうだろう。瓔偲はわずかにうつむいて思案する。

 燎琉の叔父は、裴彰昭に娘がいることにすら、事前には言及していなかった。が、彼は、もとから鵑月の存在を知っていたのだろうか。あるいは、彼女が癸性だということまで知った上で敢えて、自分たちを彰昭と会わせようとしていたのだろうか。

 わからないな、と、瓔偲はかつての上司の人を喰ったような笑みを思い浮かべつつ、ちいさく柳眉をひそめた。

「彰昭どのがお前にとってきつい言葉を言い放ったのも、もしかすると、我が娘が癸性だからだろうか?」

「わかりません。そうなのかもしれませんが……」

 癸性の者を身内に持つがゆえに、いっそう、癸性の者に対して思うものがあるという可能性はあった。瓔偲もまた、癸性であることが判明した途端、家族からつらく当たられるようになった経験者ではある。

「ただ……わたしの印象でしかありませんが、彰昭さまが御息女をうとんじているようには、見えませんでした。たしかに、きつく叱ってはいらっしゃいましたが」

「うん、俺もそう思う。――彼はおそらく、もともとああした物言いをなさる方なんだろうな。当たりはきついが、あれはただ娘の行動をたしなめただけのことだ」

 少女のほうも、父親を過度におそれるような、おどおどした態度を見せてはいなかったように思う。どちらかといえば、むしろ親しげに接していたように見えていた。

 普段から疎んじられ、つらく当たられていたならば、きっと、ふたりの様子はああではなかったろう。そうしたものは隠そうとしてもにじみ出るものだし、そうでないのなら、彼らの親子仲は悪くないのではないか、と、瓔偲は思う。

「なあ、瓔偲……彼はなにを抱えてるんだろうな」

 燎琉はふと、遠くを見るようにして言った。

「殿下……?」

「そこには、俺みたいな他者が迂闊うかつに踏み込んではいけないのかもしれないが……でも俺は、いま、あの人の協力がほしいと思っている。彼の娘が癸性だというなら、なおさら」

 そう言った燎琉は、強い眼差しで、一心に虚空を見据えていた。その真摯な表情に、瓔偲はしばし目を奪われる。

「……はい、殿下」

 やがて、そう、静かにうなずいた――……燎琉がそれを望むなら、彼のために、瓔偲は力を尽くすだけだ。

「三顧の礼の故事もございます。焦らず、気長に参りましょう。殿下がお心を示し続ければ、いつか彰昭さまにも伝わるときが来るに違いありません」

 燎琉に心打たれた瓔偲だからこそ、根拠はなくとも、それはいっそ確信のようなものだった。すぐには無理かもしれないが、きっと、彰昭も燎琉の志に気持ちを動かしてくれる日がやってくるはずだ。

「そうだな」

 燎琉は瓔偲をみて、ふ、と、目をすがめた。

「それにしても……金胡の王女の歓待のことについては、彰昭どのの協力は得られそうにないな」

 間近に迫った接待役のことを持ち出し、燎琉が溜め息をついた。

 瓔偲はそれに、くすくす、と、ちいさく笑う。

「そちらはご心配には及びません、殿下。彰昭さまも仰っていた通り、礼部の資料を読めば、概要は掴めると思いますし……わたしにおまかせくださいますか?」

 瓔偲の言に、燎琉は一瞬、はた、と、驚いたように目をみはる。それから、くつくつ、と、なぜか可笑しそうに喉を鳴らした。

「そういえばお前は、優秀な官吏だったんだった。――うん。頼りにしてる」

 そう言って、静かに、瓔偲の肩を抱き寄せた。
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