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五章 第四皇子、白百合のために抗す。
5-1 黒幕の正体
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国府と帝都・翠照の城中との境となる城壁の、南門に至る路である。門のすぐ手前のところで、燎琉たち三人は、宋家の札を下げた馬車がそこを通りかかるのを待っていた。
やがて、燎琉と瓔偲とが先に行き合ったのと同じ馬車が、りんりんと車輪を鳴らしながらやってくる。
門前で馭者は一度、馬に足を止めさせた。国府に入るにも城へ出るにも、門を抜けるには、すべからく門卒――門番たる士卒――による点検を受けなければならないからだ。宋家の馬車がその列についたのを見計らって、燎琉はひとり、馬車へと近づいた。
「宋清歌どの。すこし御足労願えないだろうか?」
馬車の中へむかって声をかける。するとすぐに小窓が開いて、門前で行き合ったときと同じように、清歌が明るく華やいだ笑顔をのぞかせた。
「あら、燎琉殿下。わたくしに何か御用ですか?」
おっとりと微笑みながら訊ねてくる。
「清歌どの、ぜひとも話を聞かせてもらいたいことがあるのです……父君のことで」
燎琉は隠さずにそう告げた。
馭者も、それから車の中に同乗するらしい侍女も、一様に戸惑うふうを見せる。が、こちらは皇帝の第四皇子だ。身分を明かす腰牌を示せば、困惑しながらも従わざるを得ないようだった。
「なにかしら?」
清歌は微笑んだまま、不思議そうに、ことりと小首を傾げる。
「とにかく来てほしい」
燎琉は重ねて言うと、馭者に目配せで合図をして、馬車をまわさせた。
「戸部の官府が近い。どこか空いている房間を使うか」
言ったのは鵬明で、しかしこれに瓔偲が異を唱えた。
「官府ではさすがに目立ちすぎましょう。――鵬明殿下、預けたわたしの宿舎の鍵は、いまもお持ちですか?」
「ある。では、そこにするか」
下級官吏の宿舎ならば、そこは公の場ではない。それならば事を大きくし過ぎずにすむだろう、と、鵬明がうなずいて、向かう先は瓔偲が与えられていた宿舎になった。
そこは、戸部の官府よりも更に城壁に近い、国府の端に位置している。
「こちらへ」
鍵を開けられた房室へと燎琉が導くと、侍女に手を取られて清歌は馬車から下りてきた。書卓や架台などの必要最低限のものしかない簡素な室内を、どこか物珍しそうに見回している。
「ずいぶん狭くて寂しい房ですわね」
清歌の感想は、他意なく、ただ思ったままを述べたものだろう。だが、その狭く寂しい房室でほんのすこし前まで瓔偲は暮らしを営んでいたのに、と、そう思うと、燎琉はなにか胸に奇妙に引っ掛かるものを感じた。
戸部の書吏である瓔偲は、国から与えられたこの宿舎で日々寝起きし、食事をして、戸部へと出仕していた。そして、己に与えられた職務を懸命にこなす毎日を送っていたはずなのだ。
さらにそれは瓔偲だけに限ったことではなくて、そうして国府に勤める数多の国官たちがいて、はじめて、この国は、民の暮らしは、保たれているはずではないのだろうか。
もとを辿れば清歌の暮らしとて、彼らの支えあってこそのものである。そう思えば、目の前の少女が何の気なしにこぼしたひと言が、ひどく素っ気なく冷たいもののように感じられていた。
「どうかなさいましたの、燎琉殿下?」
黙り込んだ燎琉に、ふわ、と、微笑んで清歌が問てくる。
燎琉は己の腹に生じて蜷局を巻いた重たい違和感を意識していたが、努めてそれを抑え、いや、と、軽く頭を振ってみせた。
「それよりも、御用というのはなんですの? 先程、父のことだとかおっしゃっていましたが……手短にお願いできますと、ありがたいですわ。だってわたくし、婚約者を持った身なのです。他の殿方と長く一緒にいては、殿下に叱られてしまうかも」
清歌は恥じらうように目を伏せ、はにかんだ表情を見せた。
彼女がいま、殿下、と、そう呼んだのは、婚約が内定したという第三皇子・朱煌泰のことなのだろう。
「お嬢さま」
清歌の傍らに控える侍女が、主人を咎めるような声をあげたのは、まだ決まったばかりの内々の話を、少女が考えなしに口に出したからかもしれない。だが、侍女に窘められても、だって、と、清歌はくちびるを尖らせるばかりだった。
「わたくし、いま、とってもしあわせなのだもの」
明るく華やいだ表情を見せる少女は実にあどけなく、天真爛漫そのものだった――……もしも今度のことがなかったならば、燎琉は、たいして深く考えることもせぬままに、彼女のこの姿をただ愛らしいとだけ思っていたのだろうか。
「清歌どのは、我が兄・煌泰を慕っておいでか?」
どこかふわふわと地に足のつかぬ微笑を見せ続ける清歌に、燎琉がまず訊ねたのはそんなことだった。
別段、すこし前まで自分と相思相愛だと思われていた相手がほんとうは別の者を想っていたのだということを責めたいわけではない。その点に関しては、そもそも、燎琉に責め立てる資格などありはしなかった。己のほうとて、清歌への想いなど実は幻みたいなものに過ぎなかったのだ、と、燎琉はすでにそのことに気がついてしまっていた。
だから、そうではなくて――……そうではないのだけれども、燎琉の兄との婚約が成って、まるで隠しもせずに喜びを見せる姿への、この言明しがたい違和感はなんなのだろう。
燎琉は清歌をじっと見た。
清歌は目を細め、ふわふわと笑んだまま、燎琉を見返した。
「そう、わたくしはずっと、煌泰殿下をお慕いしてきましたの」
うっとりとした表情でいう少女は、どこか誇らしげですらある。
「幼い頃から、ずっと、ずっとよ。清歌は煌泰さまが好きだった。ずぅっと、心の底から、あの方のことを想い続けてきたのですわ。いつかきっと煌泰さまと結ばれるのだわって、思っていたのに……それなのに、皇后が横槍を……燎琉殿下とわたくしを、無理矢理、結婚させようだなんて」
まるで極悪人を糾弾するかのように、清歌は眉をしかめ、憎々しげにつぶやいた。それはいま目の前に当の燎琉がいることすら忘れたかの如き態度だ。少女の険しい表情に、燎琉は思わず目を瞠って、気圧されるように口をつぐんでしまった。
「いやだったのよ」
そんなこちらに気付かぬのか、清歌は続けてきっぱりと言う。
「煌泰殿下をお慕いしているのに、他の方の妃だなんて、清歌はぜったいにいや……だから、わたくし、お父様に申し上げたのですわ」
「……いったい何をだ」
清歌の態度に絶句する燎琉に代わって低い声で口を挟んだのは、それまで成り行きを見守っていた鵬明だった。
清歌は鵬明のほうをちらりと見ると、はたはた、と、大きな眸を瞬いて、またにっこりと笑った。
「燎琉殿下は甲性でいらっしゃるでしょう? だったら、誰か、癸性の者とつがいになってしまえばいいのだわって……だってそうしたら、わたくしとの婚約の話は、きっとなくなりますもの。わたくしは、愛する煌泰さまと結婚できるようになる」
「……それで?」
再び鵬明に促され、宋清歌は、こと、と、愛らしく――発言の内容とはまったく不釣合いに、どこまでも無垢に愛らしく――小首を傾げた。
「お父様は常々、目障りに思っている癸性の官吏がいるっておっしゃっていたの。それを思い出して、でしたらその者を殿下とつがわせてしまえばよろしいのではないかしらって、わたくし、そう言いましたわ」
清歌の言葉に、燎琉は言葉を失った。
やがて、燎琉と瓔偲とが先に行き合ったのと同じ馬車が、りんりんと車輪を鳴らしながらやってくる。
門前で馭者は一度、馬に足を止めさせた。国府に入るにも城へ出るにも、門を抜けるには、すべからく門卒――門番たる士卒――による点検を受けなければならないからだ。宋家の馬車がその列についたのを見計らって、燎琉はひとり、馬車へと近づいた。
「宋清歌どの。すこし御足労願えないだろうか?」
馬車の中へむかって声をかける。するとすぐに小窓が開いて、門前で行き合ったときと同じように、清歌が明るく華やいだ笑顔をのぞかせた。
「あら、燎琉殿下。わたくしに何か御用ですか?」
おっとりと微笑みながら訊ねてくる。
「清歌どの、ぜひとも話を聞かせてもらいたいことがあるのです……父君のことで」
燎琉は隠さずにそう告げた。
馭者も、それから車の中に同乗するらしい侍女も、一様に戸惑うふうを見せる。が、こちらは皇帝の第四皇子だ。身分を明かす腰牌を示せば、困惑しながらも従わざるを得ないようだった。
「なにかしら?」
清歌は微笑んだまま、不思議そうに、ことりと小首を傾げる。
「とにかく来てほしい」
燎琉は重ねて言うと、馭者に目配せで合図をして、馬車をまわさせた。
「戸部の官府が近い。どこか空いている房間を使うか」
言ったのは鵬明で、しかしこれに瓔偲が異を唱えた。
「官府ではさすがに目立ちすぎましょう。――鵬明殿下、預けたわたしの宿舎の鍵は、いまもお持ちですか?」
「ある。では、そこにするか」
下級官吏の宿舎ならば、そこは公の場ではない。それならば事を大きくし過ぎずにすむだろう、と、鵬明がうなずいて、向かう先は瓔偲が与えられていた宿舎になった。
そこは、戸部の官府よりも更に城壁に近い、国府の端に位置している。
「こちらへ」
鍵を開けられた房室へと燎琉が導くと、侍女に手を取られて清歌は馬車から下りてきた。書卓や架台などの必要最低限のものしかない簡素な室内を、どこか物珍しそうに見回している。
「ずいぶん狭くて寂しい房ですわね」
清歌の感想は、他意なく、ただ思ったままを述べたものだろう。だが、その狭く寂しい房室でほんのすこし前まで瓔偲は暮らしを営んでいたのに、と、そう思うと、燎琉はなにか胸に奇妙に引っ掛かるものを感じた。
戸部の書吏である瓔偲は、国から与えられたこの宿舎で日々寝起きし、食事をして、戸部へと出仕していた。そして、己に与えられた職務を懸命にこなす毎日を送っていたはずなのだ。
さらにそれは瓔偲だけに限ったことではなくて、そうして国府に勤める数多の国官たちがいて、はじめて、この国は、民の暮らしは、保たれているはずではないのだろうか。
もとを辿れば清歌の暮らしとて、彼らの支えあってこそのものである。そう思えば、目の前の少女が何の気なしにこぼしたひと言が、ひどく素っ気なく冷たいもののように感じられていた。
「どうかなさいましたの、燎琉殿下?」
黙り込んだ燎琉に、ふわ、と、微笑んで清歌が問てくる。
燎琉は己の腹に生じて蜷局を巻いた重たい違和感を意識していたが、努めてそれを抑え、いや、と、軽く頭を振ってみせた。
「それよりも、御用というのはなんですの? 先程、父のことだとかおっしゃっていましたが……手短にお願いできますと、ありがたいですわ。だってわたくし、婚約者を持った身なのです。他の殿方と長く一緒にいては、殿下に叱られてしまうかも」
清歌は恥じらうように目を伏せ、はにかんだ表情を見せた。
彼女がいま、殿下、と、そう呼んだのは、婚約が内定したという第三皇子・朱煌泰のことなのだろう。
「お嬢さま」
清歌の傍らに控える侍女が、主人を咎めるような声をあげたのは、まだ決まったばかりの内々の話を、少女が考えなしに口に出したからかもしれない。だが、侍女に窘められても、だって、と、清歌はくちびるを尖らせるばかりだった。
「わたくし、いま、とってもしあわせなのだもの」
明るく華やいだ表情を見せる少女は実にあどけなく、天真爛漫そのものだった――……もしも今度のことがなかったならば、燎琉は、たいして深く考えることもせぬままに、彼女のこの姿をただ愛らしいとだけ思っていたのだろうか。
「清歌どのは、我が兄・煌泰を慕っておいでか?」
どこかふわふわと地に足のつかぬ微笑を見せ続ける清歌に、燎琉がまず訊ねたのはそんなことだった。
別段、すこし前まで自分と相思相愛だと思われていた相手がほんとうは別の者を想っていたのだということを責めたいわけではない。その点に関しては、そもそも、燎琉に責め立てる資格などありはしなかった。己のほうとて、清歌への想いなど実は幻みたいなものに過ぎなかったのだ、と、燎琉はすでにそのことに気がついてしまっていた。
だから、そうではなくて――……そうではないのだけれども、燎琉の兄との婚約が成って、まるで隠しもせずに喜びを見せる姿への、この言明しがたい違和感はなんなのだろう。
燎琉は清歌をじっと見た。
清歌は目を細め、ふわふわと笑んだまま、燎琉を見返した。
「そう、わたくしはずっと、煌泰殿下をお慕いしてきましたの」
うっとりとした表情でいう少女は、どこか誇らしげですらある。
「幼い頃から、ずっと、ずっとよ。清歌は煌泰さまが好きだった。ずぅっと、心の底から、あの方のことを想い続けてきたのですわ。いつかきっと煌泰さまと結ばれるのだわって、思っていたのに……それなのに、皇后が横槍を……燎琉殿下とわたくしを、無理矢理、結婚させようだなんて」
まるで極悪人を糾弾するかのように、清歌は眉をしかめ、憎々しげにつぶやいた。それはいま目の前に当の燎琉がいることすら忘れたかの如き態度だ。少女の険しい表情に、燎琉は思わず目を瞠って、気圧されるように口をつぐんでしまった。
「いやだったのよ」
そんなこちらに気付かぬのか、清歌は続けてきっぱりと言う。
「煌泰殿下をお慕いしているのに、他の方の妃だなんて、清歌はぜったいにいや……だから、わたくし、お父様に申し上げたのですわ」
「……いったい何をだ」
清歌の態度に絶句する燎琉に代わって低い声で口を挟んだのは、それまで成り行きを見守っていた鵬明だった。
清歌は鵬明のほうをちらりと見ると、はたはた、と、大きな眸を瞬いて、またにっこりと笑った。
「燎琉殿下は甲性でいらっしゃるでしょう? だったら、誰か、癸性の者とつがいになってしまえばいいのだわって……だってそうしたら、わたくしとの婚約の話は、きっとなくなりますもの。わたくしは、愛する煌泰さまと結婚できるようになる」
「……それで?」
再び鵬明に促され、宋清歌は、こと、と、愛らしく――発言の内容とはまったく不釣合いに、どこまでも無垢に愛らしく――小首を傾げた。
「お父様は常々、目障りに思っている癸性の官吏がいるっておっしゃっていたの。それを思い出して、でしたらその者を殿下とつがわせてしまえばよろしいのではないかしらって、わたくし、そう言いましたわ」
清歌の言葉に、燎琉は言葉を失った。
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