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四章 第四皇子、白百合と共に真相に迫る。

4-8 第三皇子、婚約内定の裏

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「瓔偲に処方されていた薬も吏部りぶの医局に属するそんという医師くすしが、上から命ぜられて薬効のないものを調合していたようです。本人がそう白状したようで」

 叔父の問いに答えるかたちで燎琉りょうりゅうが言うと、え、と、驚いたように目を瞠ったのは瓔偲えいしだ。そういえばまだそのことについて瓔偲に話せていなかったのだ、と、そのことを燎琉は思い出した。

「悪い。周じぃの用件はそれだったんだが、言い損ねた」

 すまない、と、重ねて詫びると、謝罪には及ばないとでもいうふうに、瓔偲はちいさく首を振った。

「なるほど、薬のほうも吏部か……誰だと思う?」

 鵬明ほうめいが真っ直ぐに燎琉を見据え、あけすけに訊ねてくる。燎琉は一瞬、躊躇うように視線を落としたが、すぐにこちらも鵬明を真正面から見返した。

そう英鐘えいしょう

 きっぱりと、吏部の尚書ちょうかんの名を挙げる。

「だろうな」

 鵬明も、ふう、と、息をついてうべなった。

貴妃きひの実家……ばん家と宋家とが組んで、お前を擁する皇后勢力を圧倒しようということだろう。そも、あの二家は古くから近しい。陛下の即位の際には、万貴妃はお前の母と並んで皇后候補だったがな、宋家としては貴妃のほうが皇后に立てられると見込んでいて、宋清歌せいか煌泰おうたいに嫁がせる気だったのだろう。幼い頃からふたりに交流を持たせていたようだった」

 そこまで言うと、鵬明は精悍そうな眉をひそめた。

「しかし……そうだろうとは思ったが、実際に宮廷の権力闘争が絡んでいるのでは、事態はなかなかややこしいな」

 実際に、と、その言葉を聞いて、燎琉にはふと気になったことがある。

「叔父上はもしや、もとから宋英鐘を疑っておられたのですか?」

 鵬明の言い方は、はじめから燎琉と瓔偲とが番った件を事故ではないと疑っていたうえ、企みの中心人物にすら心当たりがあったような言い振りだった。

 燎琉の問いかけに対し鵬明はなんとも言明しがたい複雑な表情を見せると、やや言いあぐんだ後で、ふう、と、長い嘆息をもらした。

「なんらかの形で吏部が絡んでいるだろうとは思っていた」

 そう言う。

「お前たちがつがいとなったあの日、資料を取ってこさせるために、瓔偲を昭文しょうぶん殿でんへ遣ったのは私だった。吏部から、至急、と、条件付きでの問い合わせがあったからだ。だから、もしもあの件が事故でないとしたら、すくなくとも吏部は関わるだろうとは睨んでいた」

 厳しい表情でそう言って、ちら、と、瓔偲のほうを見る。

「吏部関連で急ぐ資料を探しに行かせるなら、誰よりも瓔偲が適任だった。――いまから思えば、そのこともまた企みの一部として折り込み済みだったということだろう」

「どういうことです?」

「私たちのいる戸部こぶの職掌は国家の財務管理だが、瓔偲は私の下で吏部のそれを担当していた。そして、これからは、吏部の収支に妙なところがある、と、何度かそんな報告があがってきていた」

 これ、と、鵬明は瓔偲を差すように顎をしゃくった。瓔偲はこちらの会話に特別に口を挟んでくるようなことはなかったが、ただ、ちいさく頷くように目を伏せて見せる。

「瓔偲からの報告に基づいて、私から吏部へ探りを入れたことが何度かある。その際、瓔偲を同席させたことも、な。つまり向こうにとって、吏部から問い合わせをすれば動くのはおそらく郭瓔偲だと、そう予想がついたはずだ。そして私は、そんな敵の思惑通り、まんまと瓔偲を昭文殿へやってしまったというわけだな。――すまなかった」

 鵬明は瓔偲に視線をやって言う。

「不可抗力ですから、お詫びいただく必要はございません」

 これに対して瓔偲は、うっすらと口の端に笑みすら刷いて、軽くかぶりを振った。

 だが、今度はその瓔偲が、鵬明の顔をじっと見て問いを投げかける。

「ですが、それだけでは……いえ、薬のことも、首輪くびかざりのことも含めても、吏部に属する誰か、と、それ以上のことは言えぬのではありませんか?」

 なにも首謀者が宋英鐘と決まったわけではないのでは、と、瓔偲は言った。

 だがこれに燎琉は、そうではない、と、思って眉間に皺を寄せる。

「俺とお前をつがわせようとはかった者がいたとすれば、そいつは、俺が昭文殿に通い詰めていることをも知っていなければならない」

 燎琉は別段、そのことを隠していたわけではなかった。だが、だからといって、職務上近しい工部こうぶの者ならともかく、まるで関わりを持たない吏部の者がそのことを知っていたとは思えない。

「しかし、宋英鐘ならば……知っていて、おかしくない」

 なんといっても彼は宋清歌の父なのであり、清歌と燎琉とは婚約目前とまで噂された間柄だった。それなりに親しく言葉を交わす中で、実際に燎琉は、清歌に己の携わっている仕事について話して聞かせたことがある。

「宋英鐘なら、清歌どのを通して、俺が昭文殿に通っているという話を聞く機会があったかもしれない」

 ひとたび情報に触れる機会さえあれば、燎琉が昭文殿を訪う頻度・時間などを調べるのも、さして難しくなかったはずだ。そして、こちらが蔵書閣へ入る刻限を見計らって、吏部から戸部こぶ員外郎いんがいろうである鵬明のもとへと問い合わせを送ればいい。至急、と、そう言われれば、十中八九、鵬明は瓔偲を昭文殿へ向かわせる。もちろん、瓔偲が発情期を迎える時機も、計算に入れられていた。

 この時点ですでに、瓔偲は吏部の医局から出されたにせの薬――発情抑制の薬効のないもの――を服用し続けていた。瓔偲は発情を起こす。彼が放つ発情期の癸性特有の芳香に間近でてられたならば、こう性の燎琉が衝動に抗うすべはない。意思に関係なく燎琉の発情も誘引されて、ふたりは、契ることになるだろう。

 加えて、瓔偲の首輪くびかざりには、吏部に預けられた際に、あらかじめ細工がなされていた。強く引けば留め金が外れるようになっていたそれは、もはやうなじを守る本来の役を果たすことはないものだ。となれば、発情状態の燎琉と瓔偲の間は、本能に抗えずにつがうことになるだろう。

 陰謀たくらみぬしは、そこまでを読み通して動いたのではなかったのか。

吏部りぶ尚書しょうしょであり、宋清歌の父である宋英鐘ならば、一連のことの一切が、可能だ」

 そういうことだったのではないのか、と、燎琉は叔父のほうを見た。

 鵬明は口許に手を当て、うむ、と、思案げな表情をする。

「しかも、この件において、最も利が多かったのもやつだな。――どうも吏部には……宋英鐘には、探られたくない腹があった。そこへ切り込んだのが瓔偲だが、これを国府から排除することができたわけだ。その点、瓔偲が毒杯を賜わることになろうが、あるいはきさきめかけなどとして燎琉に預けられることになろうが、どちらに転んでも良かったのだろうが」

「結果として、陛下はわたしを燎琉殿下にめとらせるという判断をなさいました。これで殿下を皇太子の位から遠ざけることが出来たわけですから……二つめの利もあったというわけですね」

 瓔偲が鵬明の言葉を継いだ。

 鵬明がひとつ頷き、ついで息をはく。

「うまく行った際には、宋家の娘である清歌を煌泰の妃に据えることが、宋家と万家との間であらかじめ密かに約束されていたのかもしれん。そうして姻戚となった二家が手を組んで、今後、煌泰を皇太子に押し上げる」

 早くも水面下でその動きが始まったということを、いま知らされたばかりの、第三皇子・朱煌泰と宋清歌との婚約内定は、教えてくれているのではないだろうか。

 燎琉と瓔偲、そして鵬明の三人は、無言で目を見交わした。今度のことの首謀者は吏部尚書・宋英鐘だろう、と、言葉にこそせずとも、すでに三人の見解はそれを以て一致していた。

「――どうする?」

 鵬明が燎琉へと視線を向けた。

「宋英鐘を問い詰めてみるか? 皇太子位を巡る陰謀、かつ、吏部の不正の疑惑までもが絡んでいるとなれば、うやむやにせず、なんらかの形で罪を明らかにすべきだろうが」

 そこで言葉を濁すのは、これが明るみに出れば、間違いなく朝廷ちょうを大きく揺るがすことになるだろうからだ。だからなかったこととして揉み消してよいというのでは勿論ないが、時機と、やり方とを考えるべき事案である、と、叔父はそう思うのだろう。

 鵬明も燎琉も、国府に出仕して朝廷の一角を担う身だ。かつ、最も身近で皇帝を支えることを期待される、皇族の一員でもある。朝廷ちょうを無為に混乱させるのは避けたいし、避けるべきだ、と、そういう思いは持っていた。

「……清歌どのに」

 ふと思いついて、燎琉は少女の名を口にした。

「宋清歌から、話を聞いてみではどうだろう? 父の英鐘に、俺が昭文殿に通っていることを話したことがあるかどうかだけでも確認できれば、ひとつ、前進では? あるいは彼女は、他にも何か、知っていたり、聞かされていたりしたことがあるかもしれないし……すくなくとも、煌泰兄上との婚約については、何か言われていたのかもしれない」

 南門付近で行き合ったとき、清歌はどこか思わせぶりな口振りだった。そのことを思い出して、彼女から何か宋英鐘のはかりごとを裏付けるような情報が得られないものか、と、燎琉は考えた。

「なるほどな」

 鵬明がひとつうなずく。

「万貴妃に呼ばれていた宋清歌は、おそらく、じきに楽楼らくろうぐうを出る頃合だろう。間に合うな。城壁で……国府を出る前に、つかまえよう。行くぞ」

 最後は短く言うと、鵬明はさっときびすを返した。

 燎琉と瓔偲も顔を見合わせて、鵬明の背に続いた。
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