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四章 第四皇子、白百合と共に真相に迫る。

4-2 簪を選ぶ

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「お前にも買ってやる」

 瓔偲えいしに怪訝そうな表情をされながらも、燎琉りょうりゅうはどこか意地でも張るようなきもちで、素っ気なく宣告する。その言葉には瓔偲も驚いたふうだったが、店主のほうも、なんとも意外そうな表情をしていた。

 しかし、そうはいっても、むこうも商売である。すぐに傍の者に言いつけて、ぎょくかんざし――官吏が宴などの公式の場で挿すようなものだ――をいくつか準備させてくれた。

 新たに用意された簪は、見た目にこそ華やかさはないが、なにしろぎょく製のものばかりだ。決して安いものではなかった。

 燎琉は並べられた簪を、今度こそ熱心に眺める。翡翠の簪は、淡緑のものもうつくしいし、赤翡翠などもなかなかの代物だった。

 だがやはり、と、燎琉が最後に選び取ったのは、とろけるかのように光に透ける、見事な白翡翠の簪である。

「これはどうだ?」

 燎琉は立ち上がると、瓔偲のもとどりの近くに、いま手に取った簪を添えてみる。実際にせば、艶やかな黒髪に、それは実によく似合いそうだった。

 うん、と、自分の選択に満足して、燎琉は口の端を持ち上げる。自分が贈った簪を瓔偲が挿しているところを想像すると、なにか、とても気分がよかった。

 店主に目配せする。

「これを戴きたい」

 迷いなく告げる。

「お待ちください」

 けれどもすぐに、それまで呆然としていた瓔偲が口を挟んできた。

「いただけません」

 ふるふると首を振る。

 せっかく自分が選んだものを拒まれて、燎琉はむっとくちびるを引き結んだ。

「なんだ、気に入らないか? それなら、お前が気に入る、別のものでも構わないが」

「っ、ちがいます。とてもうつくしい簪ですから、気に入らないなんて、そんな……ですが、いただくいわれがございません。こまります」

 相手が心底困ったふうに眉根を寄せるのに、燎琉はきょとんと目をまたたいた。

「どうしてだ?」

 もらう謂れがない、と、それこそ、そんな言い分のほうが、燎琉にはわからなかった。だってお前はじきに俺の伴侶つまになるのに、と、そう言いかけて、けれども燎琉ははっと我が口許を押さえていた。

 たしかに、このままいけば、しばらくのちには瓔偲は燎琉の妃になる。

 だが、その婚姻は、もとはといえば皇帝から命じられたもの。立場のこともあって、反発らしい反発こそしていないとはいえ、燎琉にとっては、なにも自分にとって望んでのものではなかったはずだった。

 それなのに――……おかしい。

 いまの自分の思考回路は、まるで、瓔偲との婚姻を自然に受け入れているかのごときそれだった。
 燎琉は額に手を当て、ふるふる、と、ちいさくかぶりを振る。しっかりしろ、と、己に言い聞かせた。

 そもそも、今日この店舗みせを訪ねているのだって、自分たちがつがってしまったあの事故が、実は事故などではなく仕組まれたものであった、と、それを証するためではなかったのか。

 そして、もしもそうした事実が明らかになったならば、婚儀について皇帝に再考を願うべきだ、と、瓔偲ははっきりとそう主張していたのだ。

 つまりそれは、瓔偲自身は、燎琉との婚姻が破棄されるのならばそれでかまわないと思っているということである。

 否、むしろ、出来れば白紙に戻したい、と、彼はそう望んでいる――……そんなふうに思い至った刹那、燎琉はふと、しくり、と、我が胸が痛んだように感じた。思わずちいさく眉根を寄せている。
 べつに、それでいいではないか。

 自分はそも、父皇帝の意に従っただけだ。皇帝の命である以上、瓔偲との婚姻に異を唱えようとは思わなかったが、それは単にそれだけのことだった。

 父帝が翻意して、この婚姻がなかったことになるのならば、燎琉だって、別段、それはそれでかまわないはずである。むしろ、自分だって、そうなることを望んでいたはずである。

 それなのに、どうしてこんな気持ちになるのだろうか。

 きっと、瓔偲とつがいになったせいだ。

 そのせいで、自分の心に意図せぬ変化が起きているに違いない。

 時折、白百合の香りに惑わされそうになるのも、きっとそういうことなのだろう。

 つがいとはそういうものだから、と、燎琉は誰にともなく言い訳するように、つらつらと考えていた――……でも、だったらなぜ、瓔偲のほうは燎琉との婚姻が白紙になってしまうことを、何とも思うふうがないのだろうか。

 引き離されるのはいやだ、と、思ったりはしてくれないのだろうか――……いつのまにか、眉を寄せたまま、燎琉は瓔偲の顔をじっと見詰めてしまっていた。

 そのことにはっとして、慌てたようにあからさまに、ふい、と、瓔偲から顔を背ける。

「ごちゃごちゃ言うな!」

 結局は、ぶっきらぼうにそんなことを言い放っていた。

「俺がやりたいんだから、黙って貰っておけばいいだろう」

 それだけを言うと、反論させる隙も与えず、店主に向かって、これをくれ、と、告げてしまう。ついでにふところから財嚢さいのうを出して、さっさと代金まで支払ってしまった。

「燎琉さま……」

 まだ戸惑うふうの消えない瓔偲に、店の者が丁寧に包んでくれた簪を強引に押し付ける。

「玉は持ち主から邪を遠ざけ幸運をもたらすといわれるものだ。あって損はないだろう?」

 それでも相手はまだ困ったようにしていたが、しばらくの逡巡しゅんじゅんののち、やがて、手渡されたものを胸元に押しいただくようにした。

 瓔偲は、その黒い眸で、真っ直ぐに燎琉を見詰める。

「ありがたく、頂戴いたします。――お気遣いに感謝を」

 堅苦しい言葉で言った。

 けれどもその後に、長いまつげの縁どる目許をわずかに伏せ、口許をほの笑ませた、ごくごくやわらかな表情になった。

「だいじに使います……ありがとうございます」

 そう付け足した瓔偲のほころんだ表情を見て、燎琉は、なんだか急に照れくさくなった。

「っ、好きにしろ」

 まり悪さで、ついつい、ぶっきらぼうで素っ気ない言葉を吐き出してしまっていた。それなのに瓔偲が、はい、と、微笑んだまま静かに素直に応じるので、ますます気恥ずかしさは募った。

 いっそこのまま抱き寄せて、我が手で瓔偲の髪に簪を挿してやれれば、と、そんなことを思う。

 ふわ、と、百合が香ったような気がして、ぼう、と、なったが、だがそこで、だめだだめだ、と、首を振った。

 そう、自分たちには本題があったのだ。なんとかそのことを思い出し、気を取り直した。

 再び店主に視線をやる。

「いい買い物をさせてもらった」

 威儀を正して、燎琉は言った。

「こちらは随分よい匠工しょくにんを抱えておられるようだが、すこし聞かせてもらいたいことがあるんだ。呼んではいただけないだろうか?」

「はあ……どういったことでございましょうか?」

 店主は不審げだ。それはそうだろう、と、思いつつ、燎琉は瓔偲に目配せした。

 瓔偲は頷いて、持ってきていた首輪くびかざりを取り出す。

「これは、こちらの店舗みせで取り扱っているものでしょうか?」

 性の者に国から支給されているそれを、店主のほうに示してみせた。目にした店主は、ええ、と、あっさりとうなずいてみせる。

「たしかに、国府のほうから依頼をうけて、うちで作っておるものでございます。留め金がこわれておるようでございますね。手入れのご依頼かなにかで?」

「まあ、そんなようなところだ。すまないが、これを扱える匠工しょくにんを呼んでほしい」

 燎琉は店主に言った。

「かしこまりましてございます。少々お待ちくださいませ」

 店主は言い、一度、奥へと下がっていった。

 やがて現れたのは、首に瓔偲が手に持つものとよく似た首輪くびかざりをつけた匠工だった。

「癸性の……」

 燎琉は刹那、息を呑んでから、思わずそうつぶやいていた。
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