【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい

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第四皇子、白百合の香に情を発す。*

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「ずいぶんとご執心でいらっしゃいますね。一刻すらも惜しいようで」

 朝餉あさげのかたわら、蝴蝶装こちょうそうの冊子をぺらりと一葉ひらいたところで、そんな声が聴こえてきた。

 とう国の第四皇子であるしゅ燎琉りょうりゅうは、ちら、と、声のしたほうへと視線をやる。そこでは、燎琉の侍者であり、一歳年上のおさな馴染なじみでもある皓義こうぎが、すこし呆れたように笑っていた。

「殿下は、今日はまた昭文殿書庫籠りですか?」

 皓義が続けてそう問うのに、まあな、と、燎琉は軽く応じる。それとほとんど同時に手元の冊子の一葉をまためくって、そこにつづられた字面へと視線を落とした。

 燎琉は今春、十八歳じゅうはちになった。成人するとともに、皇族男子の慣例に従って国府――国の役所――に勤め始めたのだ。

 燎琉が配属されたのは、国家の土木事業を預かる工部こうぶ、関わることになったのは、嶌国南部にある威水いすいという河の堤工事の案件だった。

「その冊子ほん、工部の書架しょだなに積まれていたんでしたっけ? それをお見つけになって以来、ほんとうに、御熱心な限りですよね……あ、もしや、ご婚約間近で張り切ってらっしゃるんですか? お相手にいいところを見せようと?」

 呆れ調子の言葉から、今度はからかうようにそう続けた皓義を、けれども燎琉は、ちら、と、睨む。

莫迦ばかを言え」

 そう短く一蹴いっしゅうした。

「そんなんじゃない。だいたい、清歌せいかどのは俺の仕事にはあまり興味を持ってないみたいだったし……功を立てたところで、気にかけてくれるかどうか」

 先日来、母の膳立てもあって何度か逢瀬を重ねている少女の名前を出しながらそう言うと、後はもう黙々とわんの中味のかゆを食べ切った。

「――行ってくる」

 椀を膳に戻してそう一言、ひらいていた冊子を閉じてふところに仕舞い込む。そのまま立ち上がって、燎琉は成人とともに自分に与えられた住居である殿舎でんしゃを出た。

 そこから、職場の工部こうぶ官府かんふにいったんは出仕して、一通り書類に目を通し終えると、その後、国府の書庫である昭文しょうぶん殿でんに向かった。

 そこまでは、ここのところの燎琉の日常と、何ら変わることがなかったのだ。

 それなのにどうして、と、燎琉は思う。

 昭文殿に辿りつき、書庫の扉に手をかけた瞬間、燎琉の人生は一変した――……高貴で清冽せいれつでありつつも、恍惚うっとりとするほどに甘く魅惑的な、しら百合ゆりのごとき芳香かおりによって。



 書庫の中は昼でも薄暗かった。

 ところせましと林立する書架しょかには、巻帙かんちつが――書籍――がうずたかく積まれている。墨の香や、古い書物の発する独特の匂いが、庫内には満ち満ちていた。

 が、そうしたものがまるで気にならぬほどに色濃く漂う香りに、燎琉はくらりとした。足元がおぼつかず、思わず蹈鞴たたらをふむ。

 たとえば、冴え冴えとした月影つきあかりのもとに咲く白百合の香を集めてこごらせれば、こんな香りがするだろうか。せ返るほど濃密な芳香である。

 なんだこれは、と、燎琉は思った。

 眉をしかめる。息が乱れる。目がくらほどに甘ったるい香りに包まれながら、けれども、燎琉は何かに惹かれるように、ふらふらと書庫の奥へと足を進めていた。

「……っ、ぅ」

 かすかに、鼻にかかったような声が聞こえてきた。

 壁のごく高い位置に切られた、明かり取りのための窓の下である。薄暗い室内に一条ひとすじ、真昼の光が射し込んでいた。

 見書台がえられている。光溜まりの中に、書籍が一冊、ひらいたままで放り出されていた。

 床にうずくまる人影がある。うめき声は、どうも、その人物が発したもののようだった。

 はあ、はあ、と、荒らぐ呼吸いきが聴こえる。

 だが、息を乱しているのは、何も相手ばかりではなかった。

 燎琉もだ。相手の姿が目に入った瞬間、否、ますます濃密にただよう香りが鼻腔を侵した瞬間、ぜい、と、荒く肩で呼吸していた。

 なんだこれは、と、おもう。

 相手が、ちら、と、燎琉のほうを見た。自分よりもいくつか年嵩としかさの青年だ。涼やかな目許が、ほんのりと薄紅に染まっていた。

 ふわり、と、また、百合の香が濃くなった気がする。

 その匂いを嗅いだ途端、どろ、と、脳髄のうずいとろけた気がした――……瞬時に理性が飛んで、まるで何も考えられなくなってしまう。まともな思考は燎琉からは失われ、ぐるる、と、喉が鳴る。気がつけば、目の前にうずくまる甘い芳香の主に近付き、掻き抱くように襲いかかっていた。

 身体を引き掴むと、見書台に力づくで押し伏せる。うつぶせにした相手の身に、そのままし掛かっていた。

 ふぅ、ふぅ、と、知らず呼吸いきは乱れる。

 思考回路を失ってしまった脳裡は、もはや、ただただ目の前の相手と交合まぐわいたいという強烈な慾望のみに支配されていた。

 くらくらする。

 ちかちかする。

 こんなことは生まれて初めてだった。が、燎琉の知識の中には、いま己の身に起った現象を説明する言葉があった――……これは、発情だ。

 燎琉がいま押し伏せてしまった相手は、間違いなく、発情期を迎えた性の者である。その身体から分泌される甘い匂いにてられ、こう性であるおのが身は、否応なく、強制的に、強烈に、発情を誘引されてしまったのだ。

 いま自分が置かれている状態は、まさに、それに違いない。

 だが、そうとわかっても、あらがいがたい性の衝動にひとたび支配されてしまえば、後はもう、けだものになるよりほかなかった。

 押し伏せた相手が誰だかすらもわからないというのに、それでも、ひたすらに我が身は相手のはだを求めている。

 触れたい。

 抱きたい。

 貫きたい。

 いま目の前にさらされている、この甘い香りを放つ身体。その奥に、たっぷりと精を吐きたい。

 燎琉は、初めて感じる、制御しがたい衝動のはしりのままに、相手の下衣をいていた。あらわにした白い尻に、己のたぎった慾をこすり付けている。

 そのまま、ぐぅ、と、相手の濡れたつぼみに呑ませた。

「……ひ、ぃ、ぁ……ぁ――……ッ」

 刹那、相手の喉からこぼれたのは、か細い悲鳴のような声だった。が、それにも、ぞくり、と、背筋が甘く粟立った。

 脳天まで快美が駆け抜ける。他に何も考えられなかった。

 だからそのまま、うねるように吸いついてくる内壁をき分けるようにして、奥深くまでを侵した。腰を引き掴んで、何度も、何度も、相手を揺すぶった。

「あ……あ、っ、ん、あぁ……」

 律動のたびに、それに合わせてもれ出る甘い声に、たまらない昂奮こうふんを誘われる。止まらない――……止まれない。

 昼日中ひなかだというのに、ふたりの人間は折り重なり、みだらに身をからめ合った。

「ぅ、ん……あ、ぁ、っ」

 燎琉の動きに合わせ、うめくような、くぐもった声がれる。否、それは、呻きと呼ぶにはあまりにもなまめかしく、甘く濡れ過ぎていた。

 相手も喜びを感じているのだ、と、たまらぬつやを帯びたあえぎ声にそう判断して、燎琉はますます昂った。相手の身奥を深々と貫き、突き上げ、さらに相手に嬌声こえをあげさせた。

 はぁ、と、荒く、獣じみた呼吸いきをする。

 これが甲癸こうきの発情時の交合まじわりか、と、そんなことを考える余裕すら、ありはしなかった。

 ただひたすらに相手をむさぼり、やがて、引き絞るように締め付けられながら、燎琉は見も知らぬ相手の身体の奥に、たっぷりと気を吐いていた。

 そして、発情時ゆえに長く続く吐精の最中さなか、頭にあったのはひとつのことだけだ。

 咬みたい、咬みたい――……つがいになりたい。

 相手がさらす、白くやわそうなそのうなじに、深く、牙を立ててしまいたい――……消えぬ証を、刻みたい。

 渦巻く衝動をとどめるすべなどはなかった。燎琉はいつしか、自分の内から込み上げる奔流ほんりゅうに身を任せ、相手のうなじを覆っていた皮革製の首輪くびかざりに指をかけていた。

「い、や……や、め……っ!」

 そのとき初めて、相手がかすかながらも抵抗を示した。

「わたし、は、官吏です……どうか、おゆるし、を……殿下」

 殿下、と、そうこちらを呼ばわった相手が、かすれた声で懇願こんがんする。

 けれども、こう性の本能にはしらされているいまの燎琉は、それでも、首輪くびかざりを引き剥がそうとする手を止めることができなかった。

 じれったく眉を寄せつつ、何度か乱暴に相手のうなじを護る首輪かざりいじる。

 やがて、かち、と、かそけき音が響いた。

 首輪くびかざりの留め金がゆるんだものらしい。そのままそれは相手の首からすべり落ち、床で弾んで、かたん、と、いっそ呆気ないほどの音を立てた。

 目の前に白いうなじがさらされる。

 その瞬間、なおいっそうに、清冽で甘い百合の香が匂い立った。

 そうなればもう我慢などできなかった。

 自制など効くはずもなかった。

 彼は相手のうなじへと顔を近づけ、すん、と、その匂いを嗅ぐ。魅惑的な香にぼうっとなりながら、口を開き、白い膚に、そ、と、歯を押し当てた。恍惚とする。

「い、や……」

 か細い声とともになされた最後の抵抗を、けれども燎琉は押さえ込んだ。そのまま、相手の膚に、深く牙を食い込ませる。

 つぷ、と、膚を破ったそのとき、羽交い締めに抱きすくめている相手の身体が、刹那、突っ張ったのがわかった。

 けれどもすぐに、くたん、と、その身からは力が抜けてしまう。

 これで俺のものだ、と、無意識にそんなことを考えていた。

 白百合の芳香はいっそうに濃く満ちる。

「俺の、つがい……」

 牙を離した燎琉は、今度は口に出して呟いた。

 深い深い満足感とともに、名すら知らぬ相手とまだなお身をつないだままで、ほう、と、しずかに息をいた。
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