永遠のファーストブルー

河野美姫

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永遠のファーストブルー

十六

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 翌日、無事に終業式を終えた僕たちは、一度帰宅して夜にこっそり家を抜け出し、二十一時に学校の前で落ち合った。


 お互い律儀に制服を着ていたことに噴き出したあと、守衛の目を避けて校内に忍び込んだ。不気味な感覚を抱く僕に反し、空野は楽しそうだった。


 ただ、教室はどこも鍵がかかっている。職員室に鍵を取りに行くわけにもいかず、廊下を歩いて回ることしかできなかった。
 それでも、嬉しそうにしていた彼女は、校舎を出たあとで笑みを浮かべた。


「最後にもうひとつだけ付き合ってくれない?」

「ここまで来たら、空野の気が済むまで付き合うよ」


 僕の言葉に破顔した空野が向かったのは、プールだった。


「知ってる? 実はここの鍵って簡単に開くんだよ」


 プールの出入り口の鍵は古く、少し揺らせば鍵が外れる。そう説明した彼女は、見事に実践して見せた。


「とんだ不良少女だな」

「お褒めに預かり光栄です」


 プールサイドはとても静かで、暗い水面が風に揺れている。
 空野に荷物を置いておくように言われ、嫌な予感とともにスマホごとプールサイドに置く。彼女はにっこりと笑うと、僕の手を力いっぱい引っ張った。


「せーの!」

「うわっ!」


 勢いよくプールに落ちた、ふたつの体。大きな水音と水飛沫を上げた僕は、空野とともに水中に沈み、水泡だらけの中でプールの底を蹴った。


「ぷはっ……! 空野!?」


 水中から顔を出した彼女が、してやったりと言わんばかりの笑みを見せたかと思うと、声を上げて笑い出した。


 空野の動きに合わせて落ちる水滴が、光の粒みたいに落ちていく。今夜は新月なのに、まるで彼女の周囲だけキラキラと輝いているように見えた。


「日暮くん、今日まで私のわがままに付き合ってくれてありがとう。もし、日暮くんが私との日々を忘れても、私は一生忘れないから」


 真っ直ぐな双眸が、僕を射抜く。空野のこの瞳が、僕はとても苦手だった。


「僕だって忘れないよ。こんなにわがままで自由奔放な女の子に出会ったことはないし、この数日は強烈すぎて忘れられそうにないからね」


 けれど、僕の皮肉に面映ゆそうに微笑んだ彼女を前に、それは過去形になっていた。


「君の働きに免じて褒美をしんぜよう。なんなりと申してみよ」

「別にいいよ。そもそも、僕は自分の名誉を守るためにやったことだ」


 冗談めかした空野に首を横に振れば、彼女は不服そうにし、少しして再び僕を見据えた。


「じゃあ、私のファーストキスは?」

「ばっ…!? バカ、なに言ってるんだ! そういうのは好きな人とするもんだろ! 冗談にも程があるよ!」


 突飛な提案に狼狽した僕の心臓が大きく跳ね、ガラにもなく顔が熱くなる。
 ところが、空野の双眸は至って真剣で、僕を見つめる瞳から逃げられなかった。
 訪れた沈黙に胸が詰まり、呼吸の仕方が思い出せなくなる。


「そ――」


 意を決して口を開いた直後、校庭からこちらに向かって懐中電灯の光が近づいてくるのが見え、咄嗟に空野の手を引いた。


「空野、見回りが来た! 早くここから出るぞ!」

「う、うん!」


 彼女を先にプールから上がらせ、ふたり分の荷物を搔っ攫うように手にする。急いでプールを抜け出し、守衛の視線を避けられる道を通って学校を出た。


 並んで歩く僕たちは、どちらも言葉を発しなかった。僕はさっきのことに触れるのが気まずかったし、空野はもしかしたらあの提案を後悔しているのかもしれない。


 ずぶ濡れのまま電車に乗っていつものように長尾駅で降り、彼女と並んで無言のまま歩く。青い屋根の家が見えてくると、足が重くなった気がした。


「じゃあ……ありがとう」


 僕は空野に荷物を渡し、「あのさ……」と切り出す。さっきのことに触れる勇気はなかったけれど、お見舞いに行っていいかと訊きたかった。けれど、口が上手く動かない。


「日暮くん」


 すると、僕を見ていた彼女が、柔らかい笑みを浮かべた。


「今夜は月が綺麗ですね」


 その言葉の意味を捉え損ねたのは、今夜は新月だからだ。


「私もキスは好きな人とするものだと思ってるよ」

「え……?」

「またね」


 そんな僕を残したまま、空野は淀みのない笑顔を置いてドアの向こうに消えてしまった。
 僕はしばらくの間、この場から動けなかった――。

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