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二章 憂鬱な夏
二 予定のない日の過ごし方【2】
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テスト期間が終わった廊下は、どこか浮足立ったように賑わっていた。
生徒たちはみんな、解放感に包まれた顔で笑っている。
反して、予定のない私は、昇降口に向かいながら気分が沈んでいく。
それでも、なんでもないふりをして歩いていた時。
「美波?」
真正面から、千夏が歩いてきた。
「あっ……千夏……」
「これから帰るの?」
「う、うん……」
「そっか」
彼女も私も、声に気まずさが混じっていた。
賑やかな廊下で、私たちの間にだけ重苦しい空気が流れる。
「あのさ……この間、ごめんね……」
そんな中、千夏が発した言葉に、胸の奥がざわめいた。
「……っ」
無神経な未恵の態度のことか、あの場にいて彼女を止められなかったことか。
どちらに対する謝罪はわからなかった。
ただ、眉を下げる千夏を前に心穏やかではいられない。
なんとか忘れていたことを思い出すはめになったせいで、やり場のない感情が込み上げてきた。
「いいよ、もう……」
精一杯の優しさのつもりだった。
こう言うだけで限界だったのに……。
「でも、あんなこと言うなんて……。美波はもう泳げないって、未恵にはちゃんと話しておいたのに……」
彼女の言葉が、さらに私を追い詰めた。
「ッ……!」
現実はもう嫌というほどにわかっている。
それでも、他人の口から紡がれると、心は簡単にえぐられる。
ましてや、その相手は元チームメイト。
もう泳げない私の気持ちなんて絶対にわからない人間に、怒りや憎しみがない交ぜになったどす黒い感情が押し寄せてくる。
傷つけたいわけじゃないのに、頭の中にはひどい言葉ばかりが浮かび始めた。
「でもさ……うちら、チームメイトだったんだし、美波さえよければいつでも顔出してよ。みんなも喜ぶと思うし」
(やめて……)
「マネージャーとかコーチの補佐っていう手もあると思うんだ。だから――」
「っ――」
偽善かと思うほどの千夏の態度に、とうとう耐え切れなくなった刹那。
「美波?」
彼女に対して叫び出しそうだった私は、自分を呼ぶ優しい声にハッと我に返った。
振り向いた私の視界のど真ん中にいたのは、明るく笑う金髪の男子。
「輝先輩……」
私がよほどひどい顔をしていたのか、輝先輩が目を小さく見開く。
「えっ? 夏川先輩ですか?」
そんな私を余所に、千夏が驚きと緊張を混じらせたような笑みを見せる。
「うん、君は二年?」
「あ、はい!」
そういえば、彼女は輝先輩のファンだったはず。
部活ではよく輝先輩の話をしていたし、彼が走れなくなった時には落胆していたうちのひとりだった。
「そっか。美波の友達?」
「はい! 私たち、部活でも仲がよくて!」
自分の顔色が変わったのがわかった。
千夏の顔が見られない私の様子から、輝先輩はなにかを察したのかもしれない。
「美波、もう帰るとこ? ちょっと付き合ってよ」
彼は私を見ると、まるで『大丈夫』とでも言うように瞳を優しく緩めた。
「う、うん……」
思わぬ助け船に、内心では安堵感でいっぱいだった。
千夏には特に声をかけられない私の代わりに、輝先輩は彼女に「またね」と笑う。
私は、振り返ることもなく歩き出し、彼の背中を負った。
生徒たちはみんな、解放感に包まれた顔で笑っている。
反して、予定のない私は、昇降口に向かいながら気分が沈んでいく。
それでも、なんでもないふりをして歩いていた時。
「美波?」
真正面から、千夏が歩いてきた。
「あっ……千夏……」
「これから帰るの?」
「う、うん……」
「そっか」
彼女も私も、声に気まずさが混じっていた。
賑やかな廊下で、私たちの間にだけ重苦しい空気が流れる。
「あのさ……この間、ごめんね……」
そんな中、千夏が発した言葉に、胸の奥がざわめいた。
「……っ」
無神経な未恵の態度のことか、あの場にいて彼女を止められなかったことか。
どちらに対する謝罪はわからなかった。
ただ、眉を下げる千夏を前に心穏やかではいられない。
なんとか忘れていたことを思い出すはめになったせいで、やり場のない感情が込み上げてきた。
「いいよ、もう……」
精一杯の優しさのつもりだった。
こう言うだけで限界だったのに……。
「でも、あんなこと言うなんて……。美波はもう泳げないって、未恵にはちゃんと話しておいたのに……」
彼女の言葉が、さらに私を追い詰めた。
「ッ……!」
現実はもう嫌というほどにわかっている。
それでも、他人の口から紡がれると、心は簡単にえぐられる。
ましてや、その相手は元チームメイト。
もう泳げない私の気持ちなんて絶対にわからない人間に、怒りや憎しみがない交ぜになったどす黒い感情が押し寄せてくる。
傷つけたいわけじゃないのに、頭の中にはひどい言葉ばかりが浮かび始めた。
「でもさ……うちら、チームメイトだったんだし、美波さえよければいつでも顔出してよ。みんなも喜ぶと思うし」
(やめて……)
「マネージャーとかコーチの補佐っていう手もあると思うんだ。だから――」
「っ――」
偽善かと思うほどの千夏の態度に、とうとう耐え切れなくなった刹那。
「美波?」
彼女に対して叫び出しそうだった私は、自分を呼ぶ優しい声にハッと我に返った。
振り向いた私の視界のど真ん中にいたのは、明るく笑う金髪の男子。
「輝先輩……」
私がよほどひどい顔をしていたのか、輝先輩が目を小さく見開く。
「えっ? 夏川先輩ですか?」
そんな私を余所に、千夏が驚きと緊張を混じらせたような笑みを見せる。
「うん、君は二年?」
「あ、はい!」
そういえば、彼女は輝先輩のファンだったはず。
部活ではよく輝先輩の話をしていたし、彼が走れなくなった時には落胆していたうちのひとりだった。
「そっか。美波の友達?」
「はい! 私たち、部活でも仲がよくて!」
自分の顔色が変わったのがわかった。
千夏の顔が見られない私の様子から、輝先輩はなにかを察したのかもしれない。
「美波、もう帰るとこ? ちょっと付き合ってよ」
彼は私を見ると、まるで『大丈夫』とでも言うように瞳を優しく緩めた。
「う、うん……」
思わぬ助け船に、内心では安堵感でいっぱいだった。
千夏には特に声をかけられない私の代わりに、輝先輩は彼女に「またね」と笑う。
私は、振り返ることもなく歩き出し、彼の背中を負った。
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