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三章 共鳴する魂

三、魂の行方【1】

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凜花が調理場で働くようになって、一か月が過ぎた。


聖を除けば、これまでは桜火と玄信、蘭丸と菊丸くらいしか接することがなかったが、調理場に入るようになったことで臣下たちとの会話がぐんと増えた。


最初は仕事のためだった会話は徐々に世間話にも及び、今ではみんな天界で流行っているものなどを教えてくれたりする。
天界のことをなにも知らなかった凜花にとって、ひとつひとつのことが興味深く、会話により花が咲いた。


さらには、最初は料理係だけだった話し相手も少しずつ増えていった。
臣下たちは互いに付き合いが長いらしく、料理係の知り合いや友人が屋敷内のあちこちにいるため、自然と凜花も会話に入れてもらえるようになったのだ。


普通なら、学校や会社での友人や知人もこんな風に増えていくのだろう。
凜花にはこれまで経験のないことだったが、それがかえって新鮮でもあった。


臣下たちとの会話が増えたことによって居心地が好くなった分、天界での生活にも馴染めてきている。
元は、臣下たちとの仲を取り持ってくれた風子のおかげだが、凜花が彼女にお礼を言うと『姫様のお人柄ですよ』なんて返されてしまった。


そんなはずはないとわかっている。
しかし、凜花は風子の気遣いが嬉しくもあった。


道具屋に頼んでいたピーラーは、数日前にようやく出来上がった。
凜花が形などは説明したとはいえ、天界では未知の道具。


最初から見た目だけはそれらしいものが完成したが、いざ使ってみると凜花の知っているものとは使い心地がまったく違い、何度も作り直してもらうはめになった。
風子に急かされていたため、道具屋は大変だったに違いない。


けれど、凜花の必死の説明と使用感の感想、道具屋の努力の甲斐があって、最終的には凜花が下界で使っていたピーラーと遜色ないものが出来上がった。


凜花にとっては当たり前だった道具。下界では百円均一でも手に入る程度のもの。
ただ、道具作りはまったく素人の凜花の説明で目にしたこともないものを作るのは、至難の業だっただろう。
これがプロの仕事か……と感心した三日後には、さらに追加で三個のピーラーが届いた。


風子を始め、料理係たちは『下拵えがうんとラクになった』と大喜びしている。
天界の者にとって珍しいピーラーは大人気で、みんなが使いたがるほど。


下拵えなんて下っ端の仕事なのに、皮剥きに立候補をする者が後を絶たなかった。
これには、凜花は驚きながらも笑ってしまった。
ちなみに、次はフライパンが欲しいと言われている。


『ふらいぱんがあれば、焼き物にとてもよさそうだもの。これまでは炭で焼くことが多かったけど、色々なものに使えそうね』


風子はワクワクした様子だったが、凜花はフライパンの作り方なんてまったくわからない。ピーラーとは違い、熱を通す調理器具は簡単には完成しないだろう。
それでも、みんなが喜んでくれるかもしれないと思うと、凜花の中には使命感のようなものが芽生えていた。


「姫様、このお菓子は食べたことがありますか?」


今日も夕食の支度が始まる時間に合わせて調理場に行くと、料理係から声をかけられた。彼女はまだ十代にも見える外見で、この中では一番若いようだった。


「いえ、初めて見ました」

「さっき分けていただいたのですが、姫様もおひとつどうぞ」

「ありがとうございます」

「これは、木の実を混ぜ込んだ饅頭です。餡がおいしいんですよ」


ころんとした小さな饅頭をひとつ分けてもらい、凜花は手でそっと割ってみる。
中には、白い餡とともにたくさんの木の実が詰まっていた。
一口かじってみると、餡のほんのりとした甘さと木の実の香ばしさが鼻から抜け、思わず笑顔になった。


「おいしい! これ、なんていうお菓子ですか?」

「小粒饅頭とか粒饅頭などと呼ばれています。老若男女に人気なんです」


その場にいた料理係たちも、みんな嬉しそうに頬張っている。
凜花も淹れてもらったお茶を飲みつつ、初めて食べた饅頭の味を楽しんだ。


それから、いつものように夕食の支度に取り掛かる。
まだ下拵えや皿洗いしか任せてもらえないが、贔屓されないことがかえって凜花のここでの居心地を好くしている。


恐らく、これも風子の采配だろう。
下拵えの担当の料理係たちは若い者が多く、それ故に馴染みやすい気もする。
とにもかくにも、聖と風子が作ってくれた居場所は凜花にやり甲斐を与えるとともに、笑顔にしてくれた。





そんな平穏な日々を送っていた、ある午後のこと。


「お待ちください! 紅蘭様!」


部屋の外がなんだか騒がしくなり、聞き覚えのある名前が耳に飛び込んできた。


「うるさいわね」

「いくら紅蘭様であっても、姫様のお部屋にはお通しできません。聖様のご命令に背くことがどういうことか、紅蘭様もよくおわかりのはずです」


きっと、ふすまの向こうには紅蘭がいるのだろう。
凜花は少しだけ戸惑ったが、蘭丸たちと仲良く活けていた花を台に置き、すぐに立ち上がった。


「なりません、姫様」

「桜火さん……」

「紅蘭様とお会いになれば、またなにを言われるか……」

「でも、きっと紅蘭さんはなにか不満があるんですよね? このままだと、紅蘭さんは何度も来られると思いますから……」


制止する桜火に苦笑を返した凜花が、緊張しつつもふすまを開けた。


「あら」

「こ、こんにちは……」


自分でも気づかないうちに緊張していたらしく、紅蘭の視線を受けた凜花の声が裏返ってしまった。
彼女の目には、冷ややかな雰囲気が宿っている。


「あなた、本当に聖と契りを交わすつもりなの?」


紅蘭の質問は、声音同様とても不躾なものだった。


「紅蘭様、そういったお話はお控えください」

「桜火さん、いいんです」

「しかし……」


すかさず止めに入った桜火に、凜花が強張った表情で笑みを浮かべる。


「えっと、ここだと人目があるので中に……」

「それはいけません。いくら姫様でも、聖様のご命令には背いては……」

「じゃあ、お庭ならどうですか? それなら部屋の中じゃないですし」

「……わかりました。ですが、私共もお傍にいさせていただきます」

「そんなに警戒しなくても、別に殴ったりはしないわよ。聖に言ってもこの子に会わせてくれないから、こうして来ただけよ」


紅蘭の話しぶりから、彼女は何度か凜花に会うことを望んだのかもしれないと感じる。しかし、聖が許さなかったようだ。


それがどういう意味か。凜花にとってはデメリットになりうる可能性があるのはすぐにわかったが、凜花は紅蘭とともに庭に出ることにした。


「……どこまで行くつもり?」


庭に出て歩いているだけだった凜花に、彼女が呆れたようなため息をつく。


「すみません……。じゃあ、とりあえずこのあたりで……」


どこまで行くのかなんて、凜花は考えていなかった。
自分から庭に誘っておいて紅蘭とどう話せばいいのかもわからず、ただ歩くことしかできなかったのだ。


ふたりから少し離れて、桜火と蘭丸たちがついてきていた。
桜火は警戒心をあらわにしており、蘭丸と菊丸はどこか心配そうな顔をしている。


「あの……」

「あなた、私がどうしてここまであなたにこだわるのか知りたい?」


凜花がおずおずと切り出せば、彼女がじっと見つめてくる。


「はい……」

「聖からなにも聞いてないのね」


紅蘭に対して、疑問がなかったわけではない。
にもかかわらず、彼女のことがよくわからないままだったのは、聖も桜火たちもそこに触れようとしなかったからである。
訊けば答えてくれたのかもしれないが、凜花はなんとなく尋ねられずにいた。


「私は、龍王院りゅうおういんの分家の者なの」

「龍王院?」

「それも聞いてないの?」


目を見開いた紅蘭が、小首を傾げた凜花に向かって鼻で笑う。


「龍王院は聖の名前よ。天界の中でも力を持つ一族で、聖はその本家の龍なの。分家はたくさんあるけど、龍王院の直系はもう聖しか残っていないわ」

「聖さんだけって……」

「天界は聖が龍神になる前まで争いばかりだったの。そのときに、直系の者が暗殺されたのよ」


突如出てきた物騒な言葉に、凜花の顔が強張る。


「でも、力のある聖が天界を治めるようになったことで、目に見える争いはほとんどなくなった。千年前に凜が亡くなったときには一度大きな争いが起きたけど、そのあとはずっと今みたいな感じが続いているわ」


そんな凜花に構わず、彼女は滔々と話していた。


「龍王院の血が龍の中でも強いのはもちろんだけど、それだけ聖に力があるからよ。なにより、天界では彼を慕う龍はとても多いの。聖の存在が争いばかりだった天界の均衡を保っているのよ」


凜花はこれまで、龍神という存在がどういうものなのかをよく知らなかった。
というよりも、わからなかったのだ。


屋敷の中にいる者たちはみんな聖を慕っているし、彼が主だというのもわかる。
街に出たときに聖が受けていた視線を考えれば、彼はみんなの上に立つ者だというのも理解はしていた。


ただ、それはなんとなく会社の社長のような、凜花が知っている立場に近い形なのだと思い込んでいたのだ。
しかし、紅蘭の話を聞けば、それとはまったく違うことが伝わってくる。

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