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一章 千年の邂逅
四、記憶【1】
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真っ赤に染まる花畑。
一面が美しい花に覆われている丘が、燃えるような赤で満ちていく。
――愛してる。生まれ変わってもまた見つけて。
悲しみと愛おしさがこもったような切ない声に、聖が絶望感を浮かべた顔で涙を流した。
「凜……!」
伸ばされた手は届かない。
まるで、赤に包まれていく白い花が、拒むように彼の姿を隠していく。
歪む視界の中、伸ばした手が届くことはなかった――。
「ッ……」
凜花が目を開ける。
「わぁっ……!」
飛び起きるように上半身を起こすと、今朝も凜花を覗き込むようにしていたらしい蘭丸と菊丸が左右にころんと転がった。
「あっ……」
ふたりに気を取られた凜花の唇から小さな声が漏れる。
「蘭丸くん、菊丸くん、ごめんね! 大丈夫?」
「平気です!」
「僕たち龍だから強いです!」
すぐに起き上がった蘭丸と菊丸が、それぞれ凜花の両腕にしがみついてくる。
「姫様、おはようございます」
「ご飯できてるです」
ふたりの笑顔にホッとしたような気持ちになっていると、ふすまの向こうから「失礼いたします」と聞こえてきて桜火が姿を見せた。
「姫様、おはようございます。お召し替えのお手伝いにまいりました」
「あ、はい……」
昨日の今日で素直に頷いてしまったのは、凜花が今着ているパジャマ代わりの浴衣も彼女が着付けてくれたからである。
これに着替えた昨夜も、当然のように拒否権などなかった。
「あら? 姫様、随分と汗をかかれていますね。なにかございましたか?」
「え? あっ……ちょっと変な夢を見ちゃって……」
「でしたら、お召し替えの前に湯浴みのご用意をいたします」
「え? い、いえ……そんな……」
「ですが、そのままお召し物を替えるのは気持ち悪いでしょう? 湯の準備はすぐにできますから。蘭丸、みなに湯浴みの準備をするように伝えて。菊丸は聖様に姫様はお風呂に入ってから伺います、と」
「はーい」
凜花の返事を聞く前に、桜火が蘭丸と菊丸に指示を出す。彼女は持っていた着物を手にしたまま、「姫様はこちらへ」と廊下の方へと誘った。
凜花は戸惑いながらも頷き、「すみません」と頭を下げる。
「姫様、昨日も申し上げました通り、我々にお礼や謝罪は不要です。ましてや、頭など下げてはなりません。あなたは聖様のつがい。聖様の臣下である我々にとって、あなたのお世話をさせていただくのは当然のことなのです」
すると、桜火がたしなめるように告げた。
「でも……」
「姫様、どうかご理解ください。あなたはこれから聖様と番うお方。我々にとっては、主である聖様と同様に大切な方となるのです」
彼女の言葉は、聖の臣下なら真っ当な意見なのかもしれない。
しかし、凜花は一昨日ここに来たばかり。彼の〝つがい〟だという自覚がないどころか、そもそもよくわかっていない。
凜花にとって、龍だの天界だのと同じくらい、つがいというのも未知のもの。
聖や臣下たちがなにをどう言おうと、まだ凜花自身は半信半疑だった。
どう言えばいいのかわからずにいると、桜火は小さく微笑んで「では行きましょう」と浴室まで先導した。
これ以上なにも言われなかったことにホッとし、大人しくついていく。
すでに湯の用意はできており、彼女が昨日の朝と夜と同じように甲斐甲斐しく凜花の世話を焼いてくれた。
ここにいる限り、ひとりでお風呂に入る……というのは難しいのかもしれない。
もっとも、いつまでここにいるのかはわからないけれど。
(そういえば、今朝の夢はいつもと違ったよね……。でも、聖さんがいた)
朝食を食べ始めた頃、ふと夢のことを思い出した。
(あれって、いったいなんだったんだろう? あの光景、どこかで見たことがある気がしたんだけど、知らない場所だった……よね?)
「凜花?」
「え?」
聖に呼ばれて顔を上げると、凜花は自分がぼんやりしていたことに気づいた。
「口に合わなかったか?」
申し訳なさそうな目を向けられて、慌てて首を横に振る。
「そんなことありません! すごくおいしいです!」
「それならよかった。だが、苦手なものや口に合わないものがあれば、遠慮なく言うといい。料理係に伝えておこう」
「いえ、本当に……。昨日食べたご飯も、今食べてるものもどれもすごくおいしいです。苦手なものもありませんから……」
聖は「そうか」と頷き、再び箸を進めていく。
凜花はぼんやりしないように気をつけつつ、汁物の椀に口をつけた。
(聖さんならなにか知ってるかな? こういうことって、訊いてもいいのかな?)
昨日はあのあと、聖はどこかに出かけていった。
凜花は与えられた部屋でしか過ごせず、昼食も夕食もひとりで摂ることになってとても心細かったが、彼の帰宅を待ちたいと申し出ると桜火に首を横に振られた。
彼女から『聖様のお言いつけですので』と言われてしまえば、この家の者ではない凜花には選択肢がない。
桜火に言われるがままお風呂も済ませると、また部屋に戻されてしまった。
しかも、凜花の部屋からも庭には出られるが、続き間になっている隣の部屋には桜火、布団のすぐ傍には蘭丸と菊丸がいた。
とてもじゃないけれど、勝手なことはできそうになかった。
そのうち眠ってしまったようで、気づけば朝だった――というわけである。
(私って結構図太い神経してるよね。どこの誰かもわからない聖さんについてきて、もう二日も泊めてもらってるなんて……)
けれど、凜花に居場所がないことは変わっていない。
とはいえ、もうここにいるわけにはいかない。凜花の仕事が休みなのは昨日と今日だけで、明日にはまた出勤しなくてはいけないのだ。
会社に行きたくはないが、無断欠勤でクビになってしまえば死活問題だ。
スマホも買い替えなくてはいけない……とまで考えたところで、思わずため息が零れてしまいそうだった。
京都を訪れたときには、もう人生の幕を下ろすつもりだった。
それなのに、今は現実に戻ることを考えている。
茗子たちと対等に喧嘩もできなかったくせに、仕事を辞めることも自ら命を絶つこともできない。
そんな自分自身が、どこまでも中途半端に思えた。
「あの……今日もどこかへ行かれるんですか?」
「いや、今日は凜花と一緒にいるつもりだ」
聖の笑顔に、凜花の胸の奥がキュンと音を立てる。
知らない感覚に戸惑っている凜花を余所に、彼は凜花の傍まで来るとすぐ隣で膝をついた。
「明日からは家を空けることが増えるが、これからのことについて色々と話しておきたいことがある。それに、凜花も昨日一日ここで過ごしたことによって、少しは訊きたいことができたんじゃないか?」
「あ、はい」
「だろう? 朝食を済ませたら庭へ出よう。今日は天気がいいから、きっと心が安らぐはずだ」
話ができるのなら、場所はどこでもよかった。
ただ、臣下の目がある家の中よりも、庭の方がきちんと話せる気がする。ひとまず、聖とふたりきりで話せるのだと思うと、少しだけホッとした。
本当は、気を遣いつつも居心地が好いここを離れるのも、彼ともう一緒にいられないのも、とても寂しかったけれど……。そんな気持ちは、心の奥にそっとしまった。
一面が美しい花に覆われている丘が、燃えるような赤で満ちていく。
――愛してる。生まれ変わってもまた見つけて。
悲しみと愛おしさがこもったような切ない声に、聖が絶望感を浮かべた顔で涙を流した。
「凜……!」
伸ばされた手は届かない。
まるで、赤に包まれていく白い花が、拒むように彼の姿を隠していく。
歪む視界の中、伸ばした手が届くことはなかった――。
「ッ……」
凜花が目を開ける。
「わぁっ……!」
飛び起きるように上半身を起こすと、今朝も凜花を覗き込むようにしていたらしい蘭丸と菊丸が左右にころんと転がった。
「あっ……」
ふたりに気を取られた凜花の唇から小さな声が漏れる。
「蘭丸くん、菊丸くん、ごめんね! 大丈夫?」
「平気です!」
「僕たち龍だから強いです!」
すぐに起き上がった蘭丸と菊丸が、それぞれ凜花の両腕にしがみついてくる。
「姫様、おはようございます」
「ご飯できてるです」
ふたりの笑顔にホッとしたような気持ちになっていると、ふすまの向こうから「失礼いたします」と聞こえてきて桜火が姿を見せた。
「姫様、おはようございます。お召し替えのお手伝いにまいりました」
「あ、はい……」
昨日の今日で素直に頷いてしまったのは、凜花が今着ているパジャマ代わりの浴衣も彼女が着付けてくれたからである。
これに着替えた昨夜も、当然のように拒否権などなかった。
「あら? 姫様、随分と汗をかかれていますね。なにかございましたか?」
「え? あっ……ちょっと変な夢を見ちゃって……」
「でしたら、お召し替えの前に湯浴みのご用意をいたします」
「え? い、いえ……そんな……」
「ですが、そのままお召し物を替えるのは気持ち悪いでしょう? 湯の準備はすぐにできますから。蘭丸、みなに湯浴みの準備をするように伝えて。菊丸は聖様に姫様はお風呂に入ってから伺います、と」
「はーい」
凜花の返事を聞く前に、桜火が蘭丸と菊丸に指示を出す。彼女は持っていた着物を手にしたまま、「姫様はこちらへ」と廊下の方へと誘った。
凜花は戸惑いながらも頷き、「すみません」と頭を下げる。
「姫様、昨日も申し上げました通り、我々にお礼や謝罪は不要です。ましてや、頭など下げてはなりません。あなたは聖様のつがい。聖様の臣下である我々にとって、あなたのお世話をさせていただくのは当然のことなのです」
すると、桜火がたしなめるように告げた。
「でも……」
「姫様、どうかご理解ください。あなたはこれから聖様と番うお方。我々にとっては、主である聖様と同様に大切な方となるのです」
彼女の言葉は、聖の臣下なら真っ当な意見なのかもしれない。
しかし、凜花は一昨日ここに来たばかり。彼の〝つがい〟だという自覚がないどころか、そもそもよくわかっていない。
凜花にとって、龍だの天界だのと同じくらい、つがいというのも未知のもの。
聖や臣下たちがなにをどう言おうと、まだ凜花自身は半信半疑だった。
どう言えばいいのかわからずにいると、桜火は小さく微笑んで「では行きましょう」と浴室まで先導した。
これ以上なにも言われなかったことにホッとし、大人しくついていく。
すでに湯の用意はできており、彼女が昨日の朝と夜と同じように甲斐甲斐しく凜花の世話を焼いてくれた。
ここにいる限り、ひとりでお風呂に入る……というのは難しいのかもしれない。
もっとも、いつまでここにいるのかはわからないけれど。
(そういえば、今朝の夢はいつもと違ったよね……。でも、聖さんがいた)
朝食を食べ始めた頃、ふと夢のことを思い出した。
(あれって、いったいなんだったんだろう? あの光景、どこかで見たことがある気がしたんだけど、知らない場所だった……よね?)
「凜花?」
「え?」
聖に呼ばれて顔を上げると、凜花は自分がぼんやりしていたことに気づいた。
「口に合わなかったか?」
申し訳なさそうな目を向けられて、慌てて首を横に振る。
「そんなことありません! すごくおいしいです!」
「それならよかった。だが、苦手なものや口に合わないものがあれば、遠慮なく言うといい。料理係に伝えておこう」
「いえ、本当に……。昨日食べたご飯も、今食べてるものもどれもすごくおいしいです。苦手なものもありませんから……」
聖は「そうか」と頷き、再び箸を進めていく。
凜花はぼんやりしないように気をつけつつ、汁物の椀に口をつけた。
(聖さんならなにか知ってるかな? こういうことって、訊いてもいいのかな?)
昨日はあのあと、聖はどこかに出かけていった。
凜花は与えられた部屋でしか過ごせず、昼食も夕食もひとりで摂ることになってとても心細かったが、彼の帰宅を待ちたいと申し出ると桜火に首を横に振られた。
彼女から『聖様のお言いつけですので』と言われてしまえば、この家の者ではない凜花には選択肢がない。
桜火に言われるがままお風呂も済ませると、また部屋に戻されてしまった。
しかも、凜花の部屋からも庭には出られるが、続き間になっている隣の部屋には桜火、布団のすぐ傍には蘭丸と菊丸がいた。
とてもじゃないけれど、勝手なことはできそうになかった。
そのうち眠ってしまったようで、気づけば朝だった――というわけである。
(私って結構図太い神経してるよね。どこの誰かもわからない聖さんについてきて、もう二日も泊めてもらってるなんて……)
けれど、凜花に居場所がないことは変わっていない。
とはいえ、もうここにいるわけにはいかない。凜花の仕事が休みなのは昨日と今日だけで、明日にはまた出勤しなくてはいけないのだ。
会社に行きたくはないが、無断欠勤でクビになってしまえば死活問題だ。
スマホも買い替えなくてはいけない……とまで考えたところで、思わずため息が零れてしまいそうだった。
京都を訪れたときには、もう人生の幕を下ろすつもりだった。
それなのに、今は現実に戻ることを考えている。
茗子たちと対等に喧嘩もできなかったくせに、仕事を辞めることも自ら命を絶つこともできない。
そんな自分自身が、どこまでも中途半端に思えた。
「あの……今日もどこかへ行かれるんですか?」
「いや、今日は凜花と一緒にいるつもりだ」
聖の笑顔に、凜花の胸の奥がキュンと音を立てる。
知らない感覚に戸惑っている凜花を余所に、彼は凜花の傍まで来るとすぐ隣で膝をついた。
「明日からは家を空けることが増えるが、これからのことについて色々と話しておきたいことがある。それに、凜花も昨日一日ここで過ごしたことによって、少しは訊きたいことができたんじゃないか?」
「あ、はい」
「だろう? 朝食を済ませたら庭へ出よう。今日は天気がいいから、きっと心が安らぐはずだ」
話ができるのなら、場所はどこでもよかった。
ただ、臣下の目がある家の中よりも、庭の方がきちんと話せる気がする。ひとまず、聖とふたりきりで話せるのだと思うと、少しだけホッとした。
本当は、気を遣いつつも居心地が好いここを離れるのも、彼ともう一緒にいられないのも、とても寂しかったけれど……。そんな気持ちは、心の奥にそっとしまった。
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