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第一夜 魔法使いの名付け親
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聞けば、可紗の母親には両親とは疎遠であり、結婚してからこのかた夫とその家族から奴隷同然の扱いを受けていたのだという話だった。
つい先ほど、酒を飲んでいた彼らに女児を産んだことを責められた上、反省しろとコートもなしに雪が降りしきる中、家から放り出されたのだという。
それらの話を聞いたジルニトラはきっぱりとそれはDV(ドメスティックバイオレンス)であると言い切って、生まれたばかりの赤子を守るために決意しろと迫ったのだ……そう、可紗に説明した。
勿論、そこまでに二人がそんな会話をするに至るあれこれがあったのであろうことは可紗にもわかる。
聞いただけで、とんでもない状況での出会いだったのだろうとも思うから、そんな母子がいるなら逃げろときっと可紗も言うに違いなかった。
可紗の母は、ジルニトラの助けを受けて離婚をした。
そして、まだ名前もなかった新生児の名付けを彼女にお願いしたということだった。
(だから、魔法使いだったんだ)
母親の目には、自分を窮地から救い出してくれたジルニトラは〝良い魔法使い〟に見えたに違いない。そう思った可紗は、胸がじんと熱くなった。
「名付けを頼まれたときには驚いたねえ。結局はあの子の熱意に負けて受けたんだけど……最初は、イェレナと名付けるつもりだったんだよ。アタシが面倒を見てあげようって思ったからねえ」
そして、ジルニトラもすっかり可紗の母とその子どもに情が移り、これもなにかの縁だと養子縁組を申し出たのだそうだ。初めて聞く事実に、可紗は驚くばかりだった。
「え、ええっ!?」
「まあ、断られちまったんだけどね……これ以上世話になることはできないって言われたら、引くしかないだろう?」
可紗の母親はこれからは自分の足で立って生きてみせると宣言したのだそうだ。
ただ、受けた恩は一生忘れることはないし、家族のように思っていると言われてジルニトラとはそれっきりだったという。
最初の内は手紙をもらいもしたが、ジルニトラは一所に留まることがない生活をしているためにそのうちに親交も途絶えてしまったという話だった。
「それで日本でも通じる名前がいいってことで、アリサと名付けたのさ。……漢字は、お前さんの母親からの、初めての贈り物だね」
「初めての、贈り物……そう、だったんですね……」
他に言い様がなくて、可紗は視線をさ迷わせた。
ジルニトラの言葉を、全て正しいと鵜呑みにするほど可紗は幼くなかった。
しかし昨晩現れた実父の様子から考えるに、それらは正しい話のような気がする。
「あの子に何かあったら連絡が来るようにだけは手配しておいたのさ。……辛いときに傍にいてあげられなくて、悪かったわね……」
「いえ……」
「これからはアタシがお前さんの後見人として、保護者になるから安心おし」
「えっ」
可紗はパッと顔を上げた。
そこには慈母のような笑みを浮かべるジルニトラがいたが、彼女は諸手を挙げて喜ぶわけにはいかなかった。
勿論、実父の存在を知ったのでそちらを頼りたいというわけではない。
おそらく彼女の話に嘘はないのだろうということも、わかっている。
それでも可紗は、判断できずにいたのだ。
頼りになった母親は既に無く、その母親からは碌に何も聞かされていない状況で、ただの高校生である彼女には即座に決断できるだけの材料がなかったのだ。
「ジルニトラ、そのようにたたみ掛けてはマドモアゼルの心も休まらない」
「……言われてみればそうだわ。あらやだ、ヴィクターにしてはまともな意見を言うじゃないの」
「ノン。おれは常にまっとうなことしか言っていない」
「どうだか」
くすくす笑うジルニトラに、不満そうな顔を見せたヴィクター。
だが彼は視線を厳しくしてドアの方を一度睨んだかと思うと、深くため息を吐き出した。
「それにしても、昨晩のあの男はまさに万死に値する」
「へ」
「愛すべき妻に暴力など、男として風上にも置けん。ましてや、離れて暮らしていた娘の身を案じるでもなくあのように無体を働くなど、ジルニトラが仕留めなければおれが一撃で」
「はいはい、そこまでになさい。お前も大概だねえ、ヴィクター」
それまで穏やかな様子であったヴィクターから発せられた苛烈な言葉に、可紗は目を白黒させる。
ジルニトラは慣れた様子でそれを遮り、そっと可紗の手から空になったティーカップを取り上げると優しく微笑んだ。
「いきなり色々話して、初めて会った人間に保護者になる……なんて言われても、それは混乱するわよね。……アタシの言葉が嘘じゃないっていうのと、お前さんの保護者だって証明をする機会をくれないかい?」
「機会、ですか……?」
「ああ、そうさ」
穏やかに選択肢を委ねてくるジルニトラに、可紗は少し考えてから頷いた。
なんにせよ、このままではどうにもならないことは彼女にも理解できていたからだ。
(この人が、本当にお母さんの言っていた〝魔法使い〟なら)
母を救ってくれたように、自分のことも救い出してくれるかもしれない。
可紗の中に、淡い期待が芽生えた瞬間でもあった。
つい先ほど、酒を飲んでいた彼らに女児を産んだことを責められた上、反省しろとコートもなしに雪が降りしきる中、家から放り出されたのだという。
それらの話を聞いたジルニトラはきっぱりとそれはDV(ドメスティックバイオレンス)であると言い切って、生まれたばかりの赤子を守るために決意しろと迫ったのだ……そう、可紗に説明した。
勿論、そこまでに二人がそんな会話をするに至るあれこれがあったのであろうことは可紗にもわかる。
聞いただけで、とんでもない状況での出会いだったのだろうとも思うから、そんな母子がいるなら逃げろときっと可紗も言うに違いなかった。
可紗の母は、ジルニトラの助けを受けて離婚をした。
そして、まだ名前もなかった新生児の名付けを彼女にお願いしたということだった。
(だから、魔法使いだったんだ)
母親の目には、自分を窮地から救い出してくれたジルニトラは〝良い魔法使い〟に見えたに違いない。そう思った可紗は、胸がじんと熱くなった。
「名付けを頼まれたときには驚いたねえ。結局はあの子の熱意に負けて受けたんだけど……最初は、イェレナと名付けるつもりだったんだよ。アタシが面倒を見てあげようって思ったからねえ」
そして、ジルニトラもすっかり可紗の母とその子どもに情が移り、これもなにかの縁だと養子縁組を申し出たのだそうだ。初めて聞く事実に、可紗は驚くばかりだった。
「え、ええっ!?」
「まあ、断られちまったんだけどね……これ以上世話になることはできないって言われたら、引くしかないだろう?」
可紗の母親はこれからは自分の足で立って生きてみせると宣言したのだそうだ。
ただ、受けた恩は一生忘れることはないし、家族のように思っていると言われてジルニトラとはそれっきりだったという。
最初の内は手紙をもらいもしたが、ジルニトラは一所に留まることがない生活をしているためにそのうちに親交も途絶えてしまったという話だった。
「それで日本でも通じる名前がいいってことで、アリサと名付けたのさ。……漢字は、お前さんの母親からの、初めての贈り物だね」
「初めての、贈り物……そう、だったんですね……」
他に言い様がなくて、可紗は視線をさ迷わせた。
ジルニトラの言葉を、全て正しいと鵜呑みにするほど可紗は幼くなかった。
しかし昨晩現れた実父の様子から考えるに、それらは正しい話のような気がする。
「あの子に何かあったら連絡が来るようにだけは手配しておいたのさ。……辛いときに傍にいてあげられなくて、悪かったわね……」
「いえ……」
「これからはアタシがお前さんの後見人として、保護者になるから安心おし」
「えっ」
可紗はパッと顔を上げた。
そこには慈母のような笑みを浮かべるジルニトラがいたが、彼女は諸手を挙げて喜ぶわけにはいかなかった。
勿論、実父の存在を知ったのでそちらを頼りたいというわけではない。
おそらく彼女の話に嘘はないのだろうということも、わかっている。
それでも可紗は、判断できずにいたのだ。
頼りになった母親は既に無く、その母親からは碌に何も聞かされていない状況で、ただの高校生である彼女には即座に決断できるだけの材料がなかったのだ。
「ジルニトラ、そのようにたたみ掛けてはマドモアゼルの心も休まらない」
「……言われてみればそうだわ。あらやだ、ヴィクターにしてはまともな意見を言うじゃないの」
「ノン。おれは常にまっとうなことしか言っていない」
「どうだか」
くすくす笑うジルニトラに、不満そうな顔を見せたヴィクター。
だが彼は視線を厳しくしてドアの方を一度睨んだかと思うと、深くため息を吐き出した。
「それにしても、昨晩のあの男はまさに万死に値する」
「へ」
「愛すべき妻に暴力など、男として風上にも置けん。ましてや、離れて暮らしていた娘の身を案じるでもなくあのように無体を働くなど、ジルニトラが仕留めなければおれが一撃で」
「はいはい、そこまでになさい。お前も大概だねえ、ヴィクター」
それまで穏やかな様子であったヴィクターから発せられた苛烈な言葉に、可紗は目を白黒させる。
ジルニトラは慣れた様子でそれを遮り、そっと可紗の手から空になったティーカップを取り上げると優しく微笑んだ。
「いきなり色々話して、初めて会った人間に保護者になる……なんて言われても、それは混乱するわよね。……アタシの言葉が嘘じゃないっていうのと、お前さんの保護者だって証明をする機会をくれないかい?」
「機会、ですか……?」
「ああ、そうさ」
穏やかに選択肢を委ねてくるジルニトラに、可紗は少し考えてから頷いた。
なんにせよ、このままではどうにもならないことは彼女にも理解できていたからだ。
(この人が、本当にお母さんの言っていた〝魔法使い〟なら)
母を救ってくれたように、自分のことも救い出してくれるかもしれない。
可紗の中に、淡い期待が芽生えた瞬間でもあった。
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