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断絶ハサミ、伊東尚子編
炸裂する魔法のハサミ
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「ちなみにストーカーってどんな奴? ここから見える?」
マダナイさんがマントに包まれた私ごと腰を掴み担ぎ上げた。すると視界が高くなり、辺りが一望出来た。
三十カ所はあろうか、それぞれが商品を売っているフリマエリア。目線の下には沢山の野次馬がこっちにカメラを向けている。まるで高い高ーいをされている子供のようで恥ずかしい気分だけど、野次馬の人々は驚く素振りも見せず、皆、ひたすらマダナイさんを撮影し続けているだけ、私には全く気付く素振りを見せない。
その光景をみて、この透明マントは本物だと確信した。そして彼女達が言っている事も本当の事なんだと理解出来た。
「あ、あいつです。紺色のパーカーを着た男です」
身長の高いあの男は探す必要も無かった。フリマエリアを隈なく歩き、辺りをキョロキョロしながら私を探している様子だった。もし体が見えていないと言う後ろ盾が無ければ今にも走って逃げしたいくらいの恐怖が私を襲う。
ミントちゃんもマダナイさんに肩車されながら、私の指の先を見ていた。
「うわー、ゴツイわね~。如何にもって感じ。どうする? あの男、消す? 懲らしめる? 尚子のご希望の魔道具を繕うわ」
ミントちゃんの冗談とも取れる受け答えにちょっと恐怖を抱くが、私は胸の内を答えた。
「あの人がもう私に関わらないようにできませんか?」
「尚子は優しいのね。いいわ。専用の魔法を用意してあげる」
するとミントちゃんはマダナイさんの肩から飛び降りると雑貨を漁り始め、一本のハサミを取り出した。それは何処にでもありそうな裁縫用のハサミだった。
「この断絶バサミを使えばあの男には二度と会わなくて済むようになるわ」
ミントちゃんは魔法のハサミについて簡単だが説明をしてくれた。
〇
「断絶バサミ」とは縁を切りたい人との人間関係を断つ事が出来る魔法のハサミ。関係を断ちたい人とのツーショット写真や二人が書いた直筆の契約書などをお互いが記載されている部分を断ち切るように断絶ハサミで切る事で魔法の効果が発動し、徐々に関係に断つことが出来る魔道具との事。
例えば同じ職場の人を断絶するなら、相手側が転勤や部署の配属先が変わり、最終的には辞職させ絶縁を促す。恋人なら、相手側の環境を変え、恋愛の意識を薄れさせ、徐々に疎遠にして別れさせる事が出来るらしい。約二ヶ月の時間経過で完全に縁を切る事が出来るとの事。って、すぐに縁が切れる訳じゃないの? 私が尋ねるとミントちゃんはその時用に対策を教えてくれた。
「相手に魔法が使われた事を悟らせないのがこの魔道具のミソなんだけどね。もし、どうしても早く関係を切りたい場合は断絶する紙媒体の枚数を増やすことで関係を絶てる時間が短縮されるの。一枚なら二ヵ月だけど、二枚なら一ヵ月。四枚なら一週間で関係を完全に断つことができるわ」
最短一週間。今すぐ奴との切りたかった私にとってそれはとても長かった。でも背に腹は代えられない。
「分かったわ、それじゃあ、奴との映っている写真を重ねて切ればいいのね」
「その変わり、切った後に会おうとしては駄目。効果が増えれば副作用も増すから。もし会おうとすれば交通事故、疫病による隔離、通り魔殺人など、因果をも無視した力が無理やり相手側に働き、強制的に関係を切るの。使い方によっては相手を不幸にする可能性があるから、ハサミの取り扱いは十分注意が必要よ。まあ、相手を殺したいと思う程に懲らしめたいなら、あえて会おうとするのも一つの手だけど。ただ、分かってると思うけど、このハサミ使う為には奴と貴方が繋がりがある物を用意しないといけないのが難点ね。その分ハサミの効果は絶大だから。必ず縁が切れるから安心して」
「ありがとうミントちゃん。……ちなみに御幾らなの?」
魔法の相場何て想像もつかない。さぞお高い金額が提示されるのではないかと、恐る恐る尋ねたが、ミントちゃんは私以上に苦い顔をして困っていた。
「ごめんなさい。この世界の通貨単位が分からないの。私の欲しいのは銀色で裏に若木が書かれているコインよ」
若木? 私はミントちゃんが何を求めるいるか分からなかったので、財布の中に入っていた小銭を取り出し彼女に見せた。
するとミントちゃんは一円玉を一枚手に取ると、目の色を変え、高らかに掲げ歓喜の雄たけびを上げた。
「やったーー! 遂に手に入れたわ! マダナイ! これが紛れもなく純正のアルフィーノメタルよ! 見る限り銀白の高純度! 間違いないわ」
「苦節三年。遂に念願が叶ったな! これで吾輩もお主との契約を満了させ本来の体に戻れる!」
言っている意味はさっぱり分からないが、一円玉を一億円と誤認識しているのか、二人はまるで徳川の埋蔵金を掘り当てたかのように歓喜と笑顔で溢れていた。
「よっしゃ! 早速契約式術を交わして、持ち帰るわよ!」
余りに周囲を無視して騒ぎ立てる二人。
「ちょっと! まだ、あの男がすぐ側で私を探しているんです! あんまり騒がないで!」
私は二人をなだめた。
「大丈夫よ。でも、確かにこの人だかりの前で契約式術を見せるなんて、野暮だわ。マダナイ! 時間を止めて作業をするわよ。持ってきた商品の中から逸脱《いつだつ》時計を探して」
するとマダナイさんは雑貨を漁り出し、アンティーク調で数多の錆びた歯車が組み合わせ作られている針時計を取り出し持ってきた。針が進む事に外観の歯車達がカチカチっと回ってとてもお洒落な時計だ。これはこれで魔法とか関係無しにお高そう。
「名前を再度確認するけど、伊東尚子で良かったのよね?」
私が返事をすると、ミントちゃんは一本の鋭利な釘の様な物を取り出し、見た事もない異国の文字を文字盤に彫り込んで刻む。そして、文字を彫り終わると、文字盤に貫くか如くの力でその釘を思いっきり刺した。
〇
釘が文字盤に刺さる音がした瞬間。私の視界に映る色と言う物が全て奪われ、モノクロで静止している世界に替わってしまった。ペチャクチャ喋っていた叔母さん達は口を開いたまま止まってしまい。転んでアイスクリームを落としてしまった少女のアイスは宙に浮いている。騒がしかった雑音と店内アナウンスは消え、辺りは静寂に包まれていた。
「す、すごい! 本当に時間が止まってる!」
「止めたと言うより、正確にはこの世界の時間と言う万物の理から逸脱したと言った方がいいかしら。流石神様を媒体に練り出した魔道具ね。そしてこの錬成した私の体と言い。今の私ならマダナイと同じ天界の万物の理を適応され、どんな世界でも魔法を使える。ほんと神様ってズルいわよね、これじゃあ何でもありじゃない」
「使えると言っても吾輩の力にも底がある。魔力を使いすぎるなよ。お主の魂を維持できなくなるからな」
「はいはい了解。それじゃあ、早速準備しましょう」
二人の言っている意味が全く分からない。私の思考を置いてきぼりにしながらマダナイさんは、茶色く薄汚れた海賊の地図のような紙を取り出し、ミントちゃんはよく分からない呪文ような文字の数々を書き込んで行く。指先でなぞるだけで焦げ跡が付き、何十行もの文字を書き終えると、ミントちゃんは手を合掌し、「式術展開!」っと呪文を唱えた。
その声に導かれるように紙から緑色に輝く炎が飛び出し、地面に消えて行った。
「ん? なんだか哲郎と契約した時は違う光かたをしていたが?」
「大丈夫よ。契約式術の契りでもある縁起の炎が燃えたの。式術は発動してるはずよ。間違いなく、これでアルフィーノメタルも魔法界に持って帰れるわ。すぐに戻りましょう」
ミントちゃんは私にハサミを渡し、笑顔で微笑んだ。
「ありがとう、尚子。これでもうこの断絶ハサミは貴方の物よ。今時間を止めている間に、あの男から手形や血を取っておいたり、何か関わりのあるものを手に入れておくといいわ」
「それは助かります。ちなみに写真とかでもいいんですか?」
「写真?」
私はスマホのアルバムをミントちゃんに見せると彼女は微笑んだ。
「なんだ、この世界にも魔道具のようなものがあるんじゃない。大丈夫よ、これに収めている写実にも存在の証明が収まっているのを感知出来るわ。これを媒体に複写式術か錬成式術か何かで切りやすい媒体変えて切れば大丈夫」
「ブレとか、きにしなくてもいいのかな?」
私が手振れた幹久君の画像を見せて尋ねると、ミントちゃんは答えてくれた。
「問題なさそうよ、顔とかはっきり映らなくても存在が感知できてる。この魔道具であの男の存在を収めれば大丈夫よ」
「わかった。やってみます!」
私がスマホのカメラアプリを開き、荷物を置いて奴の方に向いた瞬間、急に辺りに風船と風船が擦り合わさるようなギュルギュルと激しい摩擦音が辺り一面に鳴り響いた。
「イカン! 万物の理を操作した不正がバレた! この世界の管理神が来るぞ! 急いで逃げるぞミント!」
「ちょっと待って。それって時間の理を逸脱した尚子にも被害が出るかもしれないじゃない。ちょっとだけ彼女の記憶を改ざんするわ、尚子ちょっとだけ私に顔を近づけて」
私がミントちゃんに顔を近づけると彼女は私のお凸に指を当てた。
「尚子。どうやらもう時間を止められないみたい。ごめんね。これ以上あなたの力になれなくて、怖いかも知れないけれど、もう一度あの男と立ち向かわないと行けないわ。大丈夫そう?」
脳裏に浮かんだのは昨夜の恐怖。でも私には勇気が湧いていた。
「ありがとうミントちゃん。私は私で頑張ってみます」
「よし、これは私の世界に伝わるおまじない。あなたに魔法の加護があらんことを」
すると、目の前に突風のような風が起り、私は目を瞑ってしまった。鼻に甘い花の匂いが掠めたと思ったら。その風に全てが運ばれてしまったように、私の記憶の断片が切り取られ、いつの間にか時は動き出していた。
〇
口を開いたまま止まっていた叔母さん達はペチャクチャ喋りだし。少女の宙に浮いていたアイスクリームは儚くも地面に落ちてしまっていた。そして静寂に包まれていたはず辺り一面は何事もなかったかのように時を刻んでいる。
あれ? 私、ここで何をしてたんだっけ?
急に度忘れしてしまったのか、私は辺りを伺ってしまった。
周りには数多の人だかり、そして一区間だけ、ぽっかり空いた販売ブース。私はそのブースにポツンと佇んでいた。
「そこのあなた。ちょっといいかしら?」
するとスタイルのよい。白い服を纏った女性が私に声を掛けて来た。
その女性は明らかに異質な空気を漂わせていた。大きく明るい黄色い目をした褐色肌。トリートメントは何を使っているのか尋ねたくなるくらい光沢感のある綺麗で長い黒髪をしている。そして彫りが深く、大きな瞳。まるで現代版クレオパトラと思わせるような整った顔をした女性だった。
すると女性はわたしのおでこに指を当て、眉をひそめて独り言をぶつぶつの唱えていた。
「うわ!」っと私が驚いて瞬きをした瞬間。彼女はもう何処にも見当たらなかった。
「え? 何? 今の?」
私は何が起こっているのか理解できず、戸惑いながら辺りを見渡していると、二十メートル程先にフリーマーケットエリアを離れていく、ストーカー男の背中姿を視界に捉えた。
私は奴を写真に収めると言う本来の目的を思い出し、奴の後を追いかける為、足を進めた。
〇
ストーカー男と再びの遭遇。鞄の中にある魔法のハサミ。胸に湧き上がる使命感。失われた記憶の断片。そして消えてしまった謎の女性。このサスペンスとファンタジーが入り混じる不可思議な出来事をもう少しだけ考察し、整理したい気持ちが積もるのだけれども、私には時間が無かった。
ショッピングモールを出る時は既に辺りは暗くなっていた。帰宅する人々のUターンラッシュと重なり、モールの駐車場は車でごった返している。バス停には数多の人々が列を並びバスを待っていた。私もその列の最後尾に恐る恐る並ぶ。
そりゃ怖くもなるよ。列の十列程前にいる図体のデカいあの大男を視界は捕えていたからだ。ストーカー男もバスの到着を今か今かと待っている様子だった。
畜生め。絶対帰り道が一緒な訳がない。きっと奴は今から私を自宅付近に向かい、待ち伏せして私を襲う魂胆なのだろう。どんだけしつこいんだよアイツは。法律が許してくれるなら一思いに、このハサミで刺してしまいたい気分だ。多分法律にも読者にも許してもらえないだろうけれど。
奴を見ているだけで苛立ちのあまり眉間に皺が寄ってしまう。
畜生め。だけど、これはこれで奴を写真に収め、魔法のハサミで絶縁出来るチャンスなのかも知れない。
私は冷静な作戦と準備を練る為、奴が乗るバスを見送り、一本遅いバスに乗車した。
まずは最悪の場合を想定し、いつでも助けを呼べれるように幹久君に連絡だ。
私はバス車内の席に座るとスマホを取り出し、幹久君に現状報告をラインに送った。報告と言っても「ストーカー男が一本先のバスに乗り込むのを見たかもしれない」程度のやんわり書いた文章だけれど。
もし事を細かく状況を伝えてしまったら、また幹久を心配させてしまい、今日の夜にでも再び駆けつけてくれるかも知れない。それはそれで私的には嬉しんだけど、プレゼントを持ってる今来られると流石にマズイし。「どうしてモールに居ってたの?」とか直接聞かれでもしたら、口下手な私の事だ。言い訳が下手でプレゼントを買いに行った事がバレてしまう。人生で初め迎える彼氏の誕生日なんだ。サプライズは絶対成功させたい。まあ、募る言い訳を並べたらキリがないけど、結論から言えば、これ以上幹久君に心配させてしまう事が私としても気が引ける訳なんです。だからこそ、助けを呼ぶ時は緊急の時だけ。
私はラインに打つ文章を控えめで止めた。
優しい幹久君は直ぐに「大丈夫?」返事を返してくれた。私はその返事に「帰り付いたら返信を一本入れます。仕事頑張って」っと一言だけ添えた。
進行方向に見える一本先のバス。その内部の後部座席に座っている奴の後頭部を見つめ、私は深い深呼吸をする。
微かに感じる手の武者震い。下唇を噛めば震えは消えた。私はストーカーの恐怖に打ち勝っていた。幹久君や初美に頼る必要はもうない。このハサミは勇気の源となり、奴と言う恐怖から断ち切る刃に替わっていた。
駅前のバス停に付いたら時が勝負。先に降りる奴がどう出るか分からないけど、きっと私のマンションへ向かうはず。その隙を見計らって奴とのツーショット写真を撮ればいい。それだけで全てが解決する。
座席に座る私の膝は少し怖くて震えている。だけど気持ちだけは前を向いていた。
畜生め……元日本一を舐めんなよ。
〇
時刻は夜八時を回っていた。雲行きが怪しくなっていたのはバスの中から分かっていたけど、最寄りの駅前に到着した時には雨は本降りになっていた。
このままでは幹久君に買ったプレゼントが濡れてしまう。傘を持っていなかった私は、慌てて駅に向かい、ロッカールームに本日買った戦利品の品達を避難させた。
全ての荷物を置いて、スマホ一つだけになった私。これなら何とか走る事が出来る。
筋肉痛の体をほぐすように手短に柔軟体操。そして私は戦闘態勢に入った。
雨の中、奴がいるであろう昨夜と同じ帰路を通る。
すると、さっきまで何とか大丈夫と思えた雨が、まるで熱帯雨林のスコールのように、ゲリラ豪雨化したのだ。
体に降る雨は濡れるなんてもんじゃない。冷たいバケツをぶっ掛けられた気分だ。
なんなよ! 一体!
これでは私が大丈夫でも流石にスマホがマズイかもしれない。私は途中コンビニが見えたので、一時避難するように店内に入った。そして、雑誌コーナーで本を物色するフリをして、外を覗き、あのストーカー男がいないか確認する。
すると三十メートル先、顔がはっきり見えないが、ずっと雨の中、傘も差さず立ち止まっている男がいた。窓ガラスが外との寒暖差で曇って見えにくいが、紺色の服装をしている事だけは、はっきりとわかる。雨の雫を含んだ窓ガラスは奴を膨らまして映し出す。これでは距離感と大きさがよく分からないけど、そこから見える男は左右に顔を動かし、間違いなく誰かを探している様子だった。きっとあの男に違いないと私は確信した。
よし! とやる気を入魂した私。いざという時に武器にもなるビニール傘を購入し、恐る恐るコンビニを出た。
その男はこちらに気付いたのか。数十メートル距離を保ちながら私の後をついてきた。
やはりあの男だ。
すでに私の脳内は怒りと恐怖でぐちゃぐちゃにかき混ざっていた。アドレナリンの蛇口は全開に開き、心臓の鼓動は柔道の試合をしているかのように夥しく脈を打っている。
だが、夜の雨は冷たく、私を頭を冷静にさせた。
今までの私と違うんだ。心は百戦錬磨の殺し屋の気分だった。
今まで私を散々恐怖に貶め、ノコノコ付いて来やがって。絶対許さない。
私の強い意志は行動に出た。
〇
昨夜と同じ帰り道。私は大通りから一本の裏路地に曲がった。そしてネットフェンスに傘を開いたまま引っかけ、奴に気付かれないように、もう一本の道を曲がり、身を隠した。
男は私が見えなくなったのか、辺りを見渡して探している。
男はさっきまで私が差していた傘がある事に気を取られ、その傘を手に取り、静止していた。
作戦通り、今がチャンスだ。
私はポケットに閉まっていたスマホを取り出し、カメラを連射モードし、ビニール傘を取っている奴を背景に自撮りを決行する。
数多に降る雨粒に打たれながらも、私は精一杯伸ばした右手でシャッターボタンを押した。
パシャパシャ!
私はすぐにスマホの連続写真を確認した。写真は正直微妙な写真だった。私にピントが合っているが、雨の雫がレンズに掛かっているし、奴が手に持ったビニール傘が間に入ってしまった為、顔にピントが合わず顔がはっきり映っていない。
これでじゃあ駄目かもしれない。
私が再度撮影をしようとレンズを向けると、奴はこちらに気付きゆっくりと近づいてきていた。
やばい! これ以上は無理!
その場を逃げたい一心だった私は。豪雨の中、はち切れんばかりに腕を振り、精一杯の速度で逃げた。
大通りの繫華街に戻った私は、奴を巻く為、遠回りして自宅マンションを目指した。
とりあえず、奴とのツーショット画像は何とか収めれたんだ。これで良しとしよう。
もう奴と二度と出くわしたくない。私は迂回に迂回を繰り返し、三十分程時間を掛けて自宅に辿り着いた。お掛け玄関を開ける頃には泥沼から顔を出したムツゴロウのようにずぶ濡れていたけど。
〇
自宅の部屋に着くとすぐさま服を脱ぎ。再度画像を確認する。
正直、もう男とさえ認識が出来るか分からないくらいの画像だった。
不安が募りながら画像を見つめていると、ふと記憶の断片が蘇る。
「顔とかはっきり映らなくても大丈夫、その男と言う存在を収めれば大丈夫だから」
誰との会話か思い出せないけど、その記憶のお陰で私はこの写真で大丈夫と安堵する事が出来た。
そして体に纏わりつく不安をシャワーで洗い流す。
これで救われるんだ。とっと終わらせよう。
体を洗い終え、部屋着に着替えると、すぐさま先ほど撮った画像をワイファイでプリンターに飛ばし、四枚同じの画像を印刷する。
そして断絶バサミに指を通し、力を入れた。
「これで、あいつとはおさらばね」
私は四枚重なった写真の二人を絶つようにハサミを入れた。
切れ味の良いハサミは男と私を分断するように写真を分断する。
不安、恐怖、そして悪夢との断絶。ハサミで切れた写真が視界に入った瞬間。止めどない安心感が湧いて来た。余りの喜しさにずに、自然と笑みが零れた。
「これでもう大丈夫。どんなもんだい! 私だってやろうと思えば出来るんだ!」
〇
雨の中。紺色の作務依を羽織った男はネットフェンスに引っかっていた尚子のビニール傘を差し、見失った尚子を探しながら途方に暮れていた。
「この傘、今度届ければ……いいかな?」
男の正体。それは尚子が心配で、後を追い掛けていた幹久だった。
幹久は尚子が心配で駅まで迎えに来ていた。そして尚子だと思う人物の後を半信半疑で追い掛けていた所。逆に不安にさせてしまったらしい。
幹久の不安が募り、謝罪のラインを入れようとしたが、それより早く幹久のスマホは鳴り、尚子からのメッセージが入った。
「無事帰り着きました。連絡遅くなってごめんね」
無事帰りつけたと安堵した幹久は、そのまま黙っておこうと返事を返すのを止め、そのまま職場に戻ろうと再び歩きだした。
すると再び幹久のスマホが鳴り。別の人物からの着信が入った。
幹久は通話のボタンを押した。
「え? 今から? ……分かった」
幹久は慌てた様子で声の主の下へと向かった。
マダナイさんがマントに包まれた私ごと腰を掴み担ぎ上げた。すると視界が高くなり、辺りが一望出来た。
三十カ所はあろうか、それぞれが商品を売っているフリマエリア。目線の下には沢山の野次馬がこっちにカメラを向けている。まるで高い高ーいをされている子供のようで恥ずかしい気分だけど、野次馬の人々は驚く素振りも見せず、皆、ひたすらマダナイさんを撮影し続けているだけ、私には全く気付く素振りを見せない。
その光景をみて、この透明マントは本物だと確信した。そして彼女達が言っている事も本当の事なんだと理解出来た。
「あ、あいつです。紺色のパーカーを着た男です」
身長の高いあの男は探す必要も無かった。フリマエリアを隈なく歩き、辺りをキョロキョロしながら私を探している様子だった。もし体が見えていないと言う後ろ盾が無ければ今にも走って逃げしたいくらいの恐怖が私を襲う。
ミントちゃんもマダナイさんに肩車されながら、私の指の先を見ていた。
「うわー、ゴツイわね~。如何にもって感じ。どうする? あの男、消す? 懲らしめる? 尚子のご希望の魔道具を繕うわ」
ミントちゃんの冗談とも取れる受け答えにちょっと恐怖を抱くが、私は胸の内を答えた。
「あの人がもう私に関わらないようにできませんか?」
「尚子は優しいのね。いいわ。専用の魔法を用意してあげる」
するとミントちゃんはマダナイさんの肩から飛び降りると雑貨を漁り始め、一本のハサミを取り出した。それは何処にでもありそうな裁縫用のハサミだった。
「この断絶バサミを使えばあの男には二度と会わなくて済むようになるわ」
ミントちゃんは魔法のハサミについて簡単だが説明をしてくれた。
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「断絶バサミ」とは縁を切りたい人との人間関係を断つ事が出来る魔法のハサミ。関係を断ちたい人とのツーショット写真や二人が書いた直筆の契約書などをお互いが記載されている部分を断ち切るように断絶ハサミで切る事で魔法の効果が発動し、徐々に関係に断つことが出来る魔道具との事。
例えば同じ職場の人を断絶するなら、相手側が転勤や部署の配属先が変わり、最終的には辞職させ絶縁を促す。恋人なら、相手側の環境を変え、恋愛の意識を薄れさせ、徐々に疎遠にして別れさせる事が出来るらしい。約二ヶ月の時間経過で完全に縁を切る事が出来るとの事。って、すぐに縁が切れる訳じゃないの? 私が尋ねるとミントちゃんはその時用に対策を教えてくれた。
「相手に魔法が使われた事を悟らせないのがこの魔道具のミソなんだけどね。もし、どうしても早く関係を切りたい場合は断絶する紙媒体の枚数を増やすことで関係を絶てる時間が短縮されるの。一枚なら二ヵ月だけど、二枚なら一ヵ月。四枚なら一週間で関係を完全に断つことができるわ」
最短一週間。今すぐ奴との切りたかった私にとってそれはとても長かった。でも背に腹は代えられない。
「分かったわ、それじゃあ、奴との映っている写真を重ねて切ればいいのね」
「その変わり、切った後に会おうとしては駄目。効果が増えれば副作用も増すから。もし会おうとすれば交通事故、疫病による隔離、通り魔殺人など、因果をも無視した力が無理やり相手側に働き、強制的に関係を切るの。使い方によっては相手を不幸にする可能性があるから、ハサミの取り扱いは十分注意が必要よ。まあ、相手を殺したいと思う程に懲らしめたいなら、あえて会おうとするのも一つの手だけど。ただ、分かってると思うけど、このハサミ使う為には奴と貴方が繋がりがある物を用意しないといけないのが難点ね。その分ハサミの効果は絶大だから。必ず縁が切れるから安心して」
「ありがとうミントちゃん。……ちなみに御幾らなの?」
魔法の相場何て想像もつかない。さぞお高い金額が提示されるのではないかと、恐る恐る尋ねたが、ミントちゃんは私以上に苦い顔をして困っていた。
「ごめんなさい。この世界の通貨単位が分からないの。私の欲しいのは銀色で裏に若木が書かれているコインよ」
若木? 私はミントちゃんが何を求めるいるか分からなかったので、財布の中に入っていた小銭を取り出し彼女に見せた。
するとミントちゃんは一円玉を一枚手に取ると、目の色を変え、高らかに掲げ歓喜の雄たけびを上げた。
「やったーー! 遂に手に入れたわ! マダナイ! これが紛れもなく純正のアルフィーノメタルよ! 見る限り銀白の高純度! 間違いないわ」
「苦節三年。遂に念願が叶ったな! これで吾輩もお主との契約を満了させ本来の体に戻れる!」
言っている意味はさっぱり分からないが、一円玉を一億円と誤認識しているのか、二人はまるで徳川の埋蔵金を掘り当てたかのように歓喜と笑顔で溢れていた。
「よっしゃ! 早速契約式術を交わして、持ち帰るわよ!」
余りに周囲を無視して騒ぎ立てる二人。
「ちょっと! まだ、あの男がすぐ側で私を探しているんです! あんまり騒がないで!」
私は二人をなだめた。
「大丈夫よ。でも、確かにこの人だかりの前で契約式術を見せるなんて、野暮だわ。マダナイ! 時間を止めて作業をするわよ。持ってきた商品の中から逸脱《いつだつ》時計を探して」
するとマダナイさんは雑貨を漁り出し、アンティーク調で数多の錆びた歯車が組み合わせ作られている針時計を取り出し持ってきた。針が進む事に外観の歯車達がカチカチっと回ってとてもお洒落な時計だ。これはこれで魔法とか関係無しにお高そう。
「名前を再度確認するけど、伊東尚子で良かったのよね?」
私が返事をすると、ミントちゃんは一本の鋭利な釘の様な物を取り出し、見た事もない異国の文字を文字盤に彫り込んで刻む。そして、文字を彫り終わると、文字盤に貫くか如くの力でその釘を思いっきり刺した。
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釘が文字盤に刺さる音がした瞬間。私の視界に映る色と言う物が全て奪われ、モノクロで静止している世界に替わってしまった。ペチャクチャ喋っていた叔母さん達は口を開いたまま止まってしまい。転んでアイスクリームを落としてしまった少女のアイスは宙に浮いている。騒がしかった雑音と店内アナウンスは消え、辺りは静寂に包まれていた。
「す、すごい! 本当に時間が止まってる!」
「止めたと言うより、正確にはこの世界の時間と言う万物の理から逸脱したと言った方がいいかしら。流石神様を媒体に練り出した魔道具ね。そしてこの錬成した私の体と言い。今の私ならマダナイと同じ天界の万物の理を適応され、どんな世界でも魔法を使える。ほんと神様ってズルいわよね、これじゃあ何でもありじゃない」
「使えると言っても吾輩の力にも底がある。魔力を使いすぎるなよ。お主の魂を維持できなくなるからな」
「はいはい了解。それじゃあ、早速準備しましょう」
二人の言っている意味が全く分からない。私の思考を置いてきぼりにしながらマダナイさんは、茶色く薄汚れた海賊の地図のような紙を取り出し、ミントちゃんはよく分からない呪文ような文字の数々を書き込んで行く。指先でなぞるだけで焦げ跡が付き、何十行もの文字を書き終えると、ミントちゃんは手を合掌し、「式術展開!」っと呪文を唱えた。
その声に導かれるように紙から緑色に輝く炎が飛び出し、地面に消えて行った。
「ん? なんだか哲郎と契約した時は違う光かたをしていたが?」
「大丈夫よ。契約式術の契りでもある縁起の炎が燃えたの。式術は発動してるはずよ。間違いなく、これでアルフィーノメタルも魔法界に持って帰れるわ。すぐに戻りましょう」
ミントちゃんは私にハサミを渡し、笑顔で微笑んだ。
「ありがとう、尚子。これでもうこの断絶ハサミは貴方の物よ。今時間を止めている間に、あの男から手形や血を取っておいたり、何か関わりのあるものを手に入れておくといいわ」
「それは助かります。ちなみに写真とかでもいいんですか?」
「写真?」
私はスマホのアルバムをミントちゃんに見せると彼女は微笑んだ。
「なんだ、この世界にも魔道具のようなものがあるんじゃない。大丈夫よ、これに収めている写実にも存在の証明が収まっているのを感知出来るわ。これを媒体に複写式術か錬成式術か何かで切りやすい媒体変えて切れば大丈夫」
「ブレとか、きにしなくてもいいのかな?」
私が手振れた幹久君の画像を見せて尋ねると、ミントちゃんは答えてくれた。
「問題なさそうよ、顔とかはっきり映らなくても存在が感知できてる。この魔道具であの男の存在を収めれば大丈夫よ」
「わかった。やってみます!」
私がスマホのカメラアプリを開き、荷物を置いて奴の方に向いた瞬間、急に辺りに風船と風船が擦り合わさるようなギュルギュルと激しい摩擦音が辺り一面に鳴り響いた。
「イカン! 万物の理を操作した不正がバレた! この世界の管理神が来るぞ! 急いで逃げるぞミント!」
「ちょっと待って。それって時間の理を逸脱した尚子にも被害が出るかもしれないじゃない。ちょっとだけ彼女の記憶を改ざんするわ、尚子ちょっとだけ私に顔を近づけて」
私がミントちゃんに顔を近づけると彼女は私のお凸に指を当てた。
「尚子。どうやらもう時間を止められないみたい。ごめんね。これ以上あなたの力になれなくて、怖いかも知れないけれど、もう一度あの男と立ち向かわないと行けないわ。大丈夫そう?」
脳裏に浮かんだのは昨夜の恐怖。でも私には勇気が湧いていた。
「ありがとうミントちゃん。私は私で頑張ってみます」
「よし、これは私の世界に伝わるおまじない。あなたに魔法の加護があらんことを」
すると、目の前に突風のような風が起り、私は目を瞑ってしまった。鼻に甘い花の匂いが掠めたと思ったら。その風に全てが運ばれてしまったように、私の記憶の断片が切り取られ、いつの間にか時は動き出していた。
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口を開いたまま止まっていた叔母さん達はペチャクチャ喋りだし。少女の宙に浮いていたアイスクリームは儚くも地面に落ちてしまっていた。そして静寂に包まれていたはず辺り一面は何事もなかったかのように時を刻んでいる。
あれ? 私、ここで何をしてたんだっけ?
急に度忘れしてしまったのか、私は辺りを伺ってしまった。
周りには数多の人だかり、そして一区間だけ、ぽっかり空いた販売ブース。私はそのブースにポツンと佇んでいた。
「そこのあなた。ちょっといいかしら?」
するとスタイルのよい。白い服を纏った女性が私に声を掛けて来た。
その女性は明らかに異質な空気を漂わせていた。大きく明るい黄色い目をした褐色肌。トリートメントは何を使っているのか尋ねたくなるくらい光沢感のある綺麗で長い黒髪をしている。そして彫りが深く、大きな瞳。まるで現代版クレオパトラと思わせるような整った顔をした女性だった。
すると女性はわたしのおでこに指を当て、眉をひそめて独り言をぶつぶつの唱えていた。
「うわ!」っと私が驚いて瞬きをした瞬間。彼女はもう何処にも見当たらなかった。
「え? 何? 今の?」
私は何が起こっているのか理解できず、戸惑いながら辺りを見渡していると、二十メートル程先にフリーマーケットエリアを離れていく、ストーカー男の背中姿を視界に捉えた。
私は奴を写真に収めると言う本来の目的を思い出し、奴の後を追いかける為、足を進めた。
〇
ストーカー男と再びの遭遇。鞄の中にある魔法のハサミ。胸に湧き上がる使命感。失われた記憶の断片。そして消えてしまった謎の女性。このサスペンスとファンタジーが入り混じる不可思議な出来事をもう少しだけ考察し、整理したい気持ちが積もるのだけれども、私には時間が無かった。
ショッピングモールを出る時は既に辺りは暗くなっていた。帰宅する人々のUターンラッシュと重なり、モールの駐車場は車でごった返している。バス停には数多の人々が列を並びバスを待っていた。私もその列の最後尾に恐る恐る並ぶ。
そりゃ怖くもなるよ。列の十列程前にいる図体のデカいあの大男を視界は捕えていたからだ。ストーカー男もバスの到着を今か今かと待っている様子だった。
畜生め。絶対帰り道が一緒な訳がない。きっと奴は今から私を自宅付近に向かい、待ち伏せして私を襲う魂胆なのだろう。どんだけしつこいんだよアイツは。法律が許してくれるなら一思いに、このハサミで刺してしまいたい気分だ。多分法律にも読者にも許してもらえないだろうけれど。
奴を見ているだけで苛立ちのあまり眉間に皺が寄ってしまう。
畜生め。だけど、これはこれで奴を写真に収め、魔法のハサミで絶縁出来るチャンスなのかも知れない。
私は冷静な作戦と準備を練る為、奴が乗るバスを見送り、一本遅いバスに乗車した。
まずは最悪の場合を想定し、いつでも助けを呼べれるように幹久君に連絡だ。
私はバス車内の席に座るとスマホを取り出し、幹久君に現状報告をラインに送った。報告と言っても「ストーカー男が一本先のバスに乗り込むのを見たかもしれない」程度のやんわり書いた文章だけれど。
もし事を細かく状況を伝えてしまったら、また幹久を心配させてしまい、今日の夜にでも再び駆けつけてくれるかも知れない。それはそれで私的には嬉しんだけど、プレゼントを持ってる今来られると流石にマズイし。「どうしてモールに居ってたの?」とか直接聞かれでもしたら、口下手な私の事だ。言い訳が下手でプレゼントを買いに行った事がバレてしまう。人生で初め迎える彼氏の誕生日なんだ。サプライズは絶対成功させたい。まあ、募る言い訳を並べたらキリがないけど、結論から言えば、これ以上幹久君に心配させてしまう事が私としても気が引ける訳なんです。だからこそ、助けを呼ぶ時は緊急の時だけ。
私はラインに打つ文章を控えめで止めた。
優しい幹久君は直ぐに「大丈夫?」返事を返してくれた。私はその返事に「帰り付いたら返信を一本入れます。仕事頑張って」っと一言だけ添えた。
進行方向に見える一本先のバス。その内部の後部座席に座っている奴の後頭部を見つめ、私は深い深呼吸をする。
微かに感じる手の武者震い。下唇を噛めば震えは消えた。私はストーカーの恐怖に打ち勝っていた。幹久君や初美に頼る必要はもうない。このハサミは勇気の源となり、奴と言う恐怖から断ち切る刃に替わっていた。
駅前のバス停に付いたら時が勝負。先に降りる奴がどう出るか分からないけど、きっと私のマンションへ向かうはず。その隙を見計らって奴とのツーショット写真を撮ればいい。それだけで全てが解決する。
座席に座る私の膝は少し怖くて震えている。だけど気持ちだけは前を向いていた。
畜生め……元日本一を舐めんなよ。
〇
時刻は夜八時を回っていた。雲行きが怪しくなっていたのはバスの中から分かっていたけど、最寄りの駅前に到着した時には雨は本降りになっていた。
このままでは幹久君に買ったプレゼントが濡れてしまう。傘を持っていなかった私は、慌てて駅に向かい、ロッカールームに本日買った戦利品の品達を避難させた。
全ての荷物を置いて、スマホ一つだけになった私。これなら何とか走る事が出来る。
筋肉痛の体をほぐすように手短に柔軟体操。そして私は戦闘態勢に入った。
雨の中、奴がいるであろう昨夜と同じ帰路を通る。
すると、さっきまで何とか大丈夫と思えた雨が、まるで熱帯雨林のスコールのように、ゲリラ豪雨化したのだ。
体に降る雨は濡れるなんてもんじゃない。冷たいバケツをぶっ掛けられた気分だ。
なんなよ! 一体!
これでは私が大丈夫でも流石にスマホがマズイかもしれない。私は途中コンビニが見えたので、一時避難するように店内に入った。そして、雑誌コーナーで本を物色するフリをして、外を覗き、あのストーカー男がいないか確認する。
すると三十メートル先、顔がはっきり見えないが、ずっと雨の中、傘も差さず立ち止まっている男がいた。窓ガラスが外との寒暖差で曇って見えにくいが、紺色の服装をしている事だけは、はっきりとわかる。雨の雫を含んだ窓ガラスは奴を膨らまして映し出す。これでは距離感と大きさがよく分からないけど、そこから見える男は左右に顔を動かし、間違いなく誰かを探している様子だった。きっとあの男に違いないと私は確信した。
よし! とやる気を入魂した私。いざという時に武器にもなるビニール傘を購入し、恐る恐るコンビニを出た。
その男はこちらに気付いたのか。数十メートル距離を保ちながら私の後をついてきた。
やはりあの男だ。
すでに私の脳内は怒りと恐怖でぐちゃぐちゃにかき混ざっていた。アドレナリンの蛇口は全開に開き、心臓の鼓動は柔道の試合をしているかのように夥しく脈を打っている。
だが、夜の雨は冷たく、私を頭を冷静にさせた。
今までの私と違うんだ。心は百戦錬磨の殺し屋の気分だった。
今まで私を散々恐怖に貶め、ノコノコ付いて来やがって。絶対許さない。
私の強い意志は行動に出た。
〇
昨夜と同じ帰り道。私は大通りから一本の裏路地に曲がった。そしてネットフェンスに傘を開いたまま引っかけ、奴に気付かれないように、もう一本の道を曲がり、身を隠した。
男は私が見えなくなったのか、辺りを見渡して探している。
男はさっきまで私が差していた傘がある事に気を取られ、その傘を手に取り、静止していた。
作戦通り、今がチャンスだ。
私はポケットに閉まっていたスマホを取り出し、カメラを連射モードし、ビニール傘を取っている奴を背景に自撮りを決行する。
数多に降る雨粒に打たれながらも、私は精一杯伸ばした右手でシャッターボタンを押した。
パシャパシャ!
私はすぐにスマホの連続写真を確認した。写真は正直微妙な写真だった。私にピントが合っているが、雨の雫がレンズに掛かっているし、奴が手に持ったビニール傘が間に入ってしまった為、顔にピントが合わず顔がはっきり映っていない。
これでじゃあ駄目かもしれない。
私が再度撮影をしようとレンズを向けると、奴はこちらに気付きゆっくりと近づいてきていた。
やばい! これ以上は無理!
その場を逃げたい一心だった私は。豪雨の中、はち切れんばかりに腕を振り、精一杯の速度で逃げた。
大通りの繫華街に戻った私は、奴を巻く為、遠回りして自宅マンションを目指した。
とりあえず、奴とのツーショット画像は何とか収めれたんだ。これで良しとしよう。
もう奴と二度と出くわしたくない。私は迂回に迂回を繰り返し、三十分程時間を掛けて自宅に辿り着いた。お掛け玄関を開ける頃には泥沼から顔を出したムツゴロウのようにずぶ濡れていたけど。
〇
自宅の部屋に着くとすぐさま服を脱ぎ。再度画像を確認する。
正直、もう男とさえ認識が出来るか分からないくらいの画像だった。
不安が募りながら画像を見つめていると、ふと記憶の断片が蘇る。
「顔とかはっきり映らなくても大丈夫、その男と言う存在を収めれば大丈夫だから」
誰との会話か思い出せないけど、その記憶のお陰で私はこの写真で大丈夫と安堵する事が出来た。
そして体に纏わりつく不安をシャワーで洗い流す。
これで救われるんだ。とっと終わらせよう。
体を洗い終え、部屋着に着替えると、すぐさま先ほど撮った画像をワイファイでプリンターに飛ばし、四枚同じの画像を印刷する。
そして断絶バサミに指を通し、力を入れた。
「これで、あいつとはおさらばね」
私は四枚重なった写真の二人を絶つようにハサミを入れた。
切れ味の良いハサミは男と私を分断するように写真を分断する。
不安、恐怖、そして悪夢との断絶。ハサミで切れた写真が視界に入った瞬間。止めどない安心感が湧いて来た。余りの喜しさにずに、自然と笑みが零れた。
「これでもう大丈夫。どんなもんだい! 私だってやろうと思えば出来るんだ!」
〇
雨の中。紺色の作務依を羽織った男はネットフェンスに引っかっていた尚子のビニール傘を差し、見失った尚子を探しながら途方に暮れていた。
「この傘、今度届ければ……いいかな?」
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無事帰りつけたと安堵した幹久は、そのまま黙っておこうと返事を返すのを止め、そのまま職場に戻ろうと再び歩きだした。
すると再び幹久のスマホが鳴り。別の人物からの着信が入った。
幹久は通話のボタンを押した。
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幹久は慌てた様子で声の主の下へと向かった。
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