ある女教師の憂鬱

翠乃古鹿

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噂の女教師④

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 駅前のロータリーから改札口近くの自動販売機まで、大勢の人たちが行き交う中を自分は全裸で歩いたのか……。
 携帯のカメラが向けられた中を、よろめくように歩いた記憶が蘇った。
 この駅を利用する人たちの携帯に、知子の恥ずかしい写真が収められている……。
 それも、ここだけではない。
 交差点での露出も、衆人環視の中での排尿行為にもカメラが向けられていた。
(いったい、どれほどの人が、知子の写真を撮ったのかしら……)
 取り返しのつかない、ゾクッとする恐怖が知子を捕えた。
 毎日の通勤で何気なく見ていた光景が、一変して毒を含んだように感じた。
 すれ違う人たちが夢で見たような蔑みと侮蔑の目を向けているようで、知子は足早にその場を離れた。
 シャッターを開け始めた商店街を抜け、十分ほど歩いた閑静な住宅街の一画に、知子の勤める高校がある。
 朝の早い時間のためか、登校する生徒たちは未だまばらだ。
 授業が始まる前に、朝一番で事務室や用務員室を廻り、お土産を配ることにした。
「あら、ありがとう。お土産なんて気を使わなくていいのに」
 にこやかな顔で土産を受け取ったベテラン事務員の女性が、
「皆さん、綱島先生からお土産頂いたわよ。後でご相伴に預かりましょう」
 と、嬉しそうに土産の包みを掲げた。
 他の用務員の人たちも立って挨拶する中、彼女は知子に顔を近づけると、
「お友達の結婚式だったんでしょ? 綱島先生はまだなの? 何だったら、いい人を紹介するわよ。ホホホ」
 と、冗談とも本気ともつかない口調で言った。彼女がいるだけで職場が明るくなるような、話好きで気のいい中年女性だが、お節介なのがたまに傷だ。
「ありがとうございます。でも、まだ仕事の方が楽しいいので。結婚を考えるようになったら、梶ケ谷さんにお願いするかも」
 知子は軽く頭を下げ、明るく受け流して退室すると、開け放したドアの向こうから、ドキッとする会話が聞こえてきた。
「先週の金曜日、駅のロータリーの前で、裸の女が現れたそうよ」
「そうそう、全裸で自販機の缶ジュースを買っていたそうよ。やあね、暖かくなると変なのが出て」
「近くのお店の知り合いがその変態女を見たそうなんだけど、おたくの所の美人先生に似ていたぞ、なんて言われちゃったわよ」
「美人先生って、誰のこと?」
「さあ? 綱島先生とか、鷺沼先生とか?」
「その人の話の感じだと、綱島先生のことかなって思ったんだけど……」
「馬鹿ね、そんな事あるわけないじゃない」
「そうよね、男って皆んなスケベだから。綱島先生だったかもしれないって、いやらしい男の願望よ。ホホホ」
 思っていた以上に早く噂話が広がっているようだ。
 駅前に現れた変態女が、もしかして知子ではないかと疑った人がいたことに戦慄した。
 知子は逃げるようにして立ち去り、用務員室に向かった。
 途中の廊下で二人の用務員が話をしている見かけて、知子は思わず足を止めた。
「……だから、そういう話は、生徒たちがいる前でするんじゃない」
 普段はニコニコとして温厚な初老の用務員が、若い部下に厳しい顔を向けていた。
「すみません。生徒たちの噂話が聞こえたもんで、つい……でも江田さん俺、見たんですよ。素っ裸の女が交差点を渡っているのを。噂になっている駅前の変態女と、同じ女じゃないかと思って。その女……」
 若い用務員は何かを言いかけたが、知子の姿を見て口をつぐんだ。
「あっ、おはようございます、綱島先生」
 用務員の江田も知子に気づき、いつもの温厚な顔に戻って挨拶した。
「お、おはようございます。すみません、お二人の話を中断させてしまって。今、用務員室に行こうとした所で……あの……お土産を渡そうと思って……」
「おや、ありがとうございます。気を使ってもらって恐縮です。ご旅行でしたか?」
「いえ、友人の結婚式に呼ばれて、出席したものですから……」
「ああ、そうだったんですね。それで先週お休みを」
「大したものじゃないですけど……皆さんで分けてください」
 知子は江田に土産を渡すと、挨拶もそこそこに職員室に戻った。
 帰り際の背中から、
「……だから、それは他人の空似だって言っただろう。長津田の見間違えさ」
 という江田の声が聞こえた。
 交差点で素っ裸の女を見たと言っていた若い長津田の目に、その変態女は知子だと見透かされたような気がして、顔を合わせるのが恐ろしく感じたのだ。
 彼らの前でスカートを捲り上げ、女の割れ目に食い込んだ、下着とは言えない紐状の衣裳を見せて、その変態女は知子ですと言ったら、二人はいったいどんな顔をするのか、見てみたい……。
 そんな衝動に駆られた自分が怖い。
 一度火のついた、浅ましく淫らな思いに、知子の身体は熱く火照っていた。
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