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前編

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その日、アンは滅茶苦茶酔っていた。

普段はあまり外食をしないのだが、この日だけは、家の近くの酒場で、一人で酒を傾けていた。
年頃の女性が一人で酒屋で呑んでいれば、少しばかり柄が悪い者が寄ってきても仕方がない。
しかし、声をかけようと近寄ってきた男たちは、アンの様子を見て、そっと立ち去っていく。
「なんなのよ。私の何が悪かったっての?ありえない。あの能無しくされハゲ!爆発しやがれってんだ!!どんだけ私が助けてやったと思ってんのよ?それで恩をあだで返しやがって絶対に許さないんだから」
べろべろに酔って、周りには聞き取れないが、ぶつぶつと文句を言っているのだ。話しかけたら最後、なんだかんだと因縁をつけられて絡まれること請け合いだ。
関わったら面倒な人だと、遠巻きにされていた。

そこに、空気を読まない……というか、そんな暗い人間をまるッと無視した女性集団が、アンの隣のテーブルで大きな声で、最近聞いたばかりだという恋バナを始めた。
「このお芝居見た!?もう、すんごく素敵なのよ!」
「もう、見たに決まってるでしょ!流行りよ流行り!」
きゃぴきゃぴと知っていると言い合いながらも、あらすじを楽しげに話している。
それは、庶民には想像することしかできない夢のお城での物語。
一つの恋物語を、まるで見てきたかのように女性は語りだす。
王女と騎士の物語だ。
ある日、心優しい王女は孤児院へ贈り物を届けるために出かけた。
しかし、途中の深い森で、盗賊と遭遇してしまったのだ。
王女を護衛していた騎士は、自分の身を顧みずに戦い、王女を守った。
王女は無事だったが、騎士は、腕を痛め、二度と剣を握れない体になってしまった。
美しい涙を流し謝る王女に、騎士は言った。
「あなたが無事ならば、私は何もいらない」
王女は、彼の言葉に心打たれ、彼に恋をした。
王女を守った騎士を、王も歓迎し、二人の結婚が盛大に執り行われるのである。

「けっ。なあにが結婚だ。孤児院に行く途中の深い森ってどこだよ。護衛は一人だけかよ」

隣の席の女性たちが感動し、憧れている物語を聞きながら、アンは文句をたらたら垂れ流していた。
幸い、アンの言葉は不明瞭で、女性たちはそもそも聞く気もないので全く気が付かれなかった。気が付かれていたら、女性たちに囲まれて面倒なことになっていたはずだ。
アンは別に恋物語が嫌いなわけではない。
むしろ好きだ。
胸キュンの恋物語には、まだまだ憧れる年だ。
なんでもない時ならば、ステキねえと呟いて、ため息を吐いたって良いくらいだ。
ただ、今日はなんにでも難癖をつけて、どれでもけなしてしまいたい気分なだけだ。


たった一年だけ勤めた治療院を首になってしまったのだ。
「クビってなに!?クビ、クビ?こんなに出来の良い私があ!?」
突然大きな声をあげたアンに、数人がびくっと肩を揺らし、そっと離れていく。
そんなことにも気が付かず、アンはぐちぐちとまたグラスを傾けた。

アンの仕事は治療師のサポートだ。
患者に話を聞き、患部を治療師に提示する。そして、治療師が何もしなくていいように、「こうこうこのように悪いと申しております」と、治療師に伝える役目だ。
治療師は手をかざし、伝えた患部に力を流し込んで治療を行う。
そして、治療が終わった患者からアンが代金をいただき、毎日まとめて治療師にお渡しする。そのうちの数枚が、アンが受け取れるお金になる。
だが、アンが担当する治療師は腕が悪かった。
頭や胸の痛みを訴える患者が楽になって帰っていくことはない。怪我をした患者は、出血が止まった程度の治療で終わる。骨折など、とんでもない。「大けがだ。大変だ。これは私の手に負えるけがではない」と散々、患者の不安だけを煽って、放り出す。
だから、治療が終わったと治療師が言えば、その後にアンが治療してあげていたのだ。
そうでもしなければ、患者が減る。患者だって、折角金を払うならば、治癒できる治療師にかかりたいと思うのは当然だ。
患者が減れば、アンの収入が減る。
それは嫌だと、内緒で治療行為を行っていた。

――違法であることは知っている。

治療師は、幼いころから専門の学校に通い、治療師たる力を磨き、専門の知識を持っていなければ治療師にはなれない。
例え、治療師になれる力を持っていても、学んでおらず、資格を持っていない人間が使うことはできないのだ。
勝手に治療を行って、何かをどうかしたら、何かがどうにかなって、大変なことになってしまうかもしれないからだそうだ。
――さっぱり理解できない。
治せればいいんじゃないか?と思うが、そんなに単純ではないのだと、偉い人たちは言う。
きちんと学べば、そこは理解できるようになるのかもしれないが、アンが担当する治療師もよく分かっていないようで、教えてくれなかった。
今のところ、アンが治療しても大変なことになっていない。
アンは学校には行けていない。
大家族のちょうど真ん中あたりに生まれて、愛されてないことはないが、愛されたかと言えば、それも微妙な……という微妙な順番だった。
治療師が学ぶ高額な学校に通わせてもらえる訳もない。
だけど、いつの間にか、何の知識もないが、勝手に治療が行えた。息をするように自然にその力はアンの手の中にあった。
勝手に治療院を覗いて、待っている患者さんに話しかけて文字を教えてもらった。
そうして、働ける年になって、自然に、その治療院に雇われたのだ。
何の学もない自分をあっさりと雇ってもらって、最初はとても喜んだ。
だけど、すぐにその理由が分かった。
そこの治療師は腕が悪いわりにプライドが高く、「まだ治療が終わっていないようですが」とサポーターが言おうものなら、即解雇。お茶が冷めたのに取り替えないと理由で解雇。何か気に入らないと解雇。
幼いアンがちょろちょろしていても、気にする余裕がないほど人がころころと入れ替わり、関係ないのに勝手に子供が入り込んでも気にされないような場所だった。
そんなこんなで、サポートとして求人に応える人間がいなくなっただけだ。
そこに、アンがちょうどいい具合に納まった。
だが、アンはもっていた方だと思う。
いつもニコニコして、治療師を誉めそやしていれば、大抵のことはうまくいく。
小さな頃から、この治療師を見て学んだ無駄なスキルだ。
彼は、褒めまくって、甲斐甲斐しく世話を焼けば、他のことはほぼ気にしない。
だから、治療師に治療を施してもらった後に治療しているのだからバレないだろうと思っていた。

――なのに。
一人の患者が、「もう、最初から彼女の治療だけで良いのですが」ともらしてしまった。
治療師の前に座る時間が無駄だと思ったのだろう。
まあ、この治療師、自分が治療することの素晴らしさを偉そうに語り、患者に感謝の言葉を求める。感謝しないことには治療を行わないし、始まらない。
早くして欲しいという態度を取ろうものなら、さらに説教は長くなる。
そんな悪評があるにも拘らず、患者が少しずつ増えていたのは、アンの腕がいいからだ。
その患者も、目の前の治療師には何もしてもらっていないのにという不満があって漏らしてしまったのだろう。
実際無駄なのだ。
分かっているけれど!
そんなことを言われたら、隠し通せない。
しかも、一人じゃなかった。
だったら自分も、自分もと、その時に待っていた患者全員が手をあげた。
「どういうことだ?」
治療師はぷるぷると両手を震わせながらアンを見上げた。
「分かんないです!」
アンはにっこりと笑った。
「クビだ」
――躊躇など全くなかった。

そうして、アンは酒場で涙にくれることになったのだった。

だが、持ち金がそろそろ尽きる。
そういうところは、酔ってもしっかりしていた。
アンはふらりと立ち上がって勘定をしてから家路についた。
明日から、雇ってくれるところを探さなくてはならない。
しかも、治療師からの紹介状は見込めない。なんなら、あの男はアンの不名誉なうわさを流すかもしれない。
まあ、違法なことをしていたことは、噂というか事実なので痛いところだ。
そうすれば、この街にはいられない。
先行きの不安さに、アンは長いため息を吐いた。

「お嬢ちゃん。ずいぶん酔っ払ったなあ。送ってやろうか?」
そうして、泣きっ面に蜂というか、自業自得というか……酔った女性が夜道を一人で歩いているのだ。しかも、ぶつぶつと呪詛をまき散らすのを治めて、とぼとぼと落ち込んで歩いているという風情付き。
そりゃ、絡まれるだろう。
アンと同じく酔っ払いの男に声をかけられた。
「結構です」
頭の奥の方でまずいと思いながらも、酔った勢いというやつか、アンはふんと鼻を鳴らした。
男は不快気に目を細め、アンの肩を掴んだ。
「そう言うなよ。寂しいんだろ?もっと可愛くしてれば、優しくしてやっから」
ぞわっと背筋を寒気が這いあがり、逃げようともがくが、男の力は強い。
アンは、ちらっと後ろを振り返り、
「あ!」
と叫んだ。
案の定、男はそちらを気にする。
その隙にさっと腕から逃れ、走ろうとしたが……足がもつれてしまった。
吞みすぎた。
あんまりの自分のバカさ加減に泣けてくる。
「おいおい。追いかけっこかあ?」
アンがこけたのを見ながら、嬉し気に悠々と男は歩いて近づいてくる。
手に石を握る。だが、道の真ん中に落ちている石など、小さくて殺傷力はない。
あとは、大声を出すしか方法がない。
……こんな場所で酔っ払いから酔っ払いを助けてくれる人が現れるかどうかは別として。
そう思って、アンが思い切り息を吸ったとき。
「俺の連れに何か用か?」
低い声が通りに響いた。
誰もいないと思っていたところの、まさかの助けにアンは力が抜けて、立ち上がろうとしていた体をもう一度地面につけた。
「ああん?」
逆に男は、折角の愉しみを邪魔されて、不機嫌に声の主を睨み付ける。
そこには、ものすごいイケメンが立っていた。

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