5 / 8
のち……
しおりを挟む
シーラは、現在非常に困っていた。
先日、王太子殿下との婚約が破棄された。
――はずだ。
公式の場で、婚約破棄を王太子の口から宣言したのだ。
その後にいろいろと……本当にいろいろとあったが、それは私的な場で起きたことで、公式な場の宣言を撤回できるものではないはず。
当事者のシーラが嫌がっているのだ。
婚約破棄を宣言した王太子が、それをなかったことにして、もう一度婚約なんて
「できるわけがないと思うのです」
「そうは思わないけど?」
目の前で呑気に茶をすする王太子を、シーラは睨み付けた。
こいつの前で猫を被る必要がなくなったので、舌打ちをしないまでも、ガラの悪い目つきにはなっているはずだ。
母がこういう表情をしたときは、父がプルプルふるえて涙目になっていたので、相手を黙らせるときに使えるものだと思っていた。
しかし、この表情が有効なのは、父だけなのか。
王太子は、シーラの表情を見て、嬉しそうににっこりと笑った。
「私はね、常に見られている。幼いころからそうだったし、立太子してからはもちろん、一挙手一投足を監視されてきた」
そんなもの、シーラだってそうだ。
貴族として常に自分を律してきた。
王太子妃候補となってからは、それはもう、どこの誰も非の打ちどころが無い令嬢を演じてきた。
嫉妬で嫌味が言えても、シーラよりも王太子妃にふさわしいと言わせないという自負があった。
シーラが黙って彼を見ると、彼も分かっているというように力が抜けたように笑う。
「義務だと思っているよ。ここに生まれた者の義務だ。自分が選んだものじゃないと投げ捨てるほど、私は愚かではない。私の手の中に、どれだけの人間の命運を握っているのか理解している」
貴族の義務。それ以上の王族の義務。
その責任感の中からこぼれ落ちたのが、シーラだ。
婚約者候補だと言われていたシーラのことを、彼は全く見ていなかったし、覚えてさえいなかった。国にその身を捧げるために努力してきた人間に対して、簡単に切り捨てることができる人だ。
理解していると言うだけなら、教育など受けずに、毎日毎晩、布団の中でごろごろしながら言ってやる。
ふんっと鼻で笑ったシーラに、彼は苦笑いを返す。
「私の我がままで、君を切り捨ててしまった。親の庇護があるからという意識があって、君たち令嬢の立場を軽く考えていた。―-改めて詫びよう」
シーラのカップが空になったのを見て、王太子自ずから茶葉を蒸らし、おかわりを注いでくれる。
話し合おうと呼び出されて、通されたのは王太子の完全なる私室。
結婚前どころか、婚約さえしていない男女が私室で二人きりになるのはいかがなものか。
しかも、使用人さえ一人もいない。
「今日は扉の前に警護を立たせてある」
から、大丈夫だと言う。
全く大丈夫じゃない。
反論しようとするシーラを、彼は口をへの字に曲げて留める。
「プライベートな時間まで見られるのは好きではないんだ」
部屋に戻った後からは、侍従など付けず、一人で全てのことをこなしているのだと言う。
そう言われても、シーラにお茶を入れる技術はない。接待用にお菓子や料理を取り分けることはできても、お茶はいれられない。
使用人を呼ぼうとするシーラを手で制して、王太子がお茶の準備をしたときは驚愕の一言につきる。
「仕事を終えて家族と過ごす時間まで、監視をする視線を許す気はない。ドアは少し開けているだろう?こんな茶を注ぐ音さえも聞こえる状態でいかがわしいことなんかしないよ」
聞こえなかったらしそうな言い方だ。
絶対に二人きりになったらだめな人だ。
「私にだって、王太子ではない時間があったっていいはずだ」
シーラにお茶を差し出して、彼はソファーに背を預けてリラックスした姿勢を取る。
「大臣に言いなりの妻。何をしても謝るだけで、何も言い返さないし逆らわない。ただし、その者が見るのは、王太子としての私だ。彼女は私が王太子としてふさわしくない行動を見とがめるだろう。そして、どこかに報告をする。私には直接言わないのに」
滔々と話す言葉を止めて、彼は一度お茶を口に含む。
「という、妻を想像していた」
「どこの密偵ですか」
そんな妻は、シーラだって嫌だ。
どうして夫といるのに諜報のような活動をしなければいけないのだ。
眉間にしわを寄せるシーラを楽しそうに見て、彼は続ける。
「君を見た時の私の印象は、美しく可憐、儚げで夫に付き従う女性だと……今は褒めてないんだ。そんな嬉しそうな顔をしないでくれ」
「は?褒められていましたが」
誉め言葉の途中で遮られて、また不機嫌な表情に戻る。
今の言葉は、シーラが狙った通りの最高に妻にしたい女性の姿ではないか。
「―-そんな人が嫌だったんだ。私が王太子から人間に戻る時は、隣に人間がいて欲しかった。実際の君は、傲慢で自尊心が高く、八方美人で……待て待て。今のは褒めている」
「どこがでしょう?さっぱり理解できなかったですわ。愚かな私にもしっかりと理解できるように言っていただけますでしょうか?」
先ほど持ちあげたポットの湯をぶちまけようと構えたまま、シーラは美しく微笑んだ。
王太子はすぐにでも逃げ出せるように腰を少し浮かせたまま、シーラを正面から見た。
「君が、人間だと思える」
先日、王太子殿下との婚約が破棄された。
――はずだ。
公式の場で、婚約破棄を王太子の口から宣言したのだ。
その後にいろいろと……本当にいろいろとあったが、それは私的な場で起きたことで、公式な場の宣言を撤回できるものではないはず。
当事者のシーラが嫌がっているのだ。
婚約破棄を宣言した王太子が、それをなかったことにして、もう一度婚約なんて
「できるわけがないと思うのです」
「そうは思わないけど?」
目の前で呑気に茶をすする王太子を、シーラは睨み付けた。
こいつの前で猫を被る必要がなくなったので、舌打ちをしないまでも、ガラの悪い目つきにはなっているはずだ。
母がこういう表情をしたときは、父がプルプルふるえて涙目になっていたので、相手を黙らせるときに使えるものだと思っていた。
しかし、この表情が有効なのは、父だけなのか。
王太子は、シーラの表情を見て、嬉しそうににっこりと笑った。
「私はね、常に見られている。幼いころからそうだったし、立太子してからはもちろん、一挙手一投足を監視されてきた」
そんなもの、シーラだってそうだ。
貴族として常に自分を律してきた。
王太子妃候補となってからは、それはもう、どこの誰も非の打ちどころが無い令嬢を演じてきた。
嫉妬で嫌味が言えても、シーラよりも王太子妃にふさわしいと言わせないという自負があった。
シーラが黙って彼を見ると、彼も分かっているというように力が抜けたように笑う。
「義務だと思っているよ。ここに生まれた者の義務だ。自分が選んだものじゃないと投げ捨てるほど、私は愚かではない。私の手の中に、どれだけの人間の命運を握っているのか理解している」
貴族の義務。それ以上の王族の義務。
その責任感の中からこぼれ落ちたのが、シーラだ。
婚約者候補だと言われていたシーラのことを、彼は全く見ていなかったし、覚えてさえいなかった。国にその身を捧げるために努力してきた人間に対して、簡単に切り捨てることができる人だ。
理解していると言うだけなら、教育など受けずに、毎日毎晩、布団の中でごろごろしながら言ってやる。
ふんっと鼻で笑ったシーラに、彼は苦笑いを返す。
「私の我がままで、君を切り捨ててしまった。親の庇護があるからという意識があって、君たち令嬢の立場を軽く考えていた。―-改めて詫びよう」
シーラのカップが空になったのを見て、王太子自ずから茶葉を蒸らし、おかわりを注いでくれる。
話し合おうと呼び出されて、通されたのは王太子の完全なる私室。
結婚前どころか、婚約さえしていない男女が私室で二人きりになるのはいかがなものか。
しかも、使用人さえ一人もいない。
「今日は扉の前に警護を立たせてある」
から、大丈夫だと言う。
全く大丈夫じゃない。
反論しようとするシーラを、彼は口をへの字に曲げて留める。
「プライベートな時間まで見られるのは好きではないんだ」
部屋に戻った後からは、侍従など付けず、一人で全てのことをこなしているのだと言う。
そう言われても、シーラにお茶を入れる技術はない。接待用にお菓子や料理を取り分けることはできても、お茶はいれられない。
使用人を呼ぼうとするシーラを手で制して、王太子がお茶の準備をしたときは驚愕の一言につきる。
「仕事を終えて家族と過ごす時間まで、監視をする視線を許す気はない。ドアは少し開けているだろう?こんな茶を注ぐ音さえも聞こえる状態でいかがわしいことなんかしないよ」
聞こえなかったらしそうな言い方だ。
絶対に二人きりになったらだめな人だ。
「私にだって、王太子ではない時間があったっていいはずだ」
シーラにお茶を差し出して、彼はソファーに背を預けてリラックスした姿勢を取る。
「大臣に言いなりの妻。何をしても謝るだけで、何も言い返さないし逆らわない。ただし、その者が見るのは、王太子としての私だ。彼女は私が王太子としてふさわしくない行動を見とがめるだろう。そして、どこかに報告をする。私には直接言わないのに」
滔々と話す言葉を止めて、彼は一度お茶を口に含む。
「という、妻を想像していた」
「どこの密偵ですか」
そんな妻は、シーラだって嫌だ。
どうして夫といるのに諜報のような活動をしなければいけないのだ。
眉間にしわを寄せるシーラを楽しそうに見て、彼は続ける。
「君を見た時の私の印象は、美しく可憐、儚げで夫に付き従う女性だと……今は褒めてないんだ。そんな嬉しそうな顔をしないでくれ」
「は?褒められていましたが」
誉め言葉の途中で遮られて、また不機嫌な表情に戻る。
今の言葉は、シーラが狙った通りの最高に妻にしたい女性の姿ではないか。
「―-そんな人が嫌だったんだ。私が王太子から人間に戻る時は、隣に人間がいて欲しかった。実際の君は、傲慢で自尊心が高く、八方美人で……待て待て。今のは褒めている」
「どこがでしょう?さっぱり理解できなかったですわ。愚かな私にもしっかりと理解できるように言っていただけますでしょうか?」
先ほど持ちあげたポットの湯をぶちまけようと構えたまま、シーラは美しく微笑んだ。
王太子はすぐにでも逃げ出せるように腰を少し浮かせたまま、シーラを正面から見た。
「君が、人間だと思える」
71
お気に入りに追加
2,586
あなたにおすすめの小説
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
猿以下の下半身野郎は要りません
ひづき
恋愛
夫の膝の上に、年若いメイドが乗っている。
鋼の女と揶揄される公爵夫人はこの時を待っていた。
離婚するのに必要な証拠が揃う、この時を。
貴方の人生に私が要らないように、私にも、我が家にも、貴方は要りません。
※設定ゆるゆるです
※男尊女卑社会
【完結】用済みと捨てられたはずの王妃はその愛を知らない
千紫万紅
恋愛
王位継承争いによって誕生した後ろ楯のない無力な少年王の後ろ楯となる為だけに。
公爵令嬢ユーフェミアは僅か10歳にして大国の王妃となった。
そして10年の時が過ぎ、無力な少年王は賢王と呼ばれるまでに成長した。
その為後ろ楯としての価値しかない用済みの王妃は廃妃だと性悪宰相はいう。
「城から追放された挙げ句、幽閉されて監視されて一生を惨めに終えるくらいならば、こんな国……逃げだしてやる!」
と、ユーフェミアは誰にも告げず城から逃げ出した。
だが、城から逃げ出したユーフェミアは真実を知らない。
ボロボロに傷ついた令嬢は初恋の彼の心に刻まれた
ミカン♬
恋愛
10歳の時に初恋のセルリアン王子を暗殺者から庇って傷ついたアリシアは、王家が責任を持ってセルリアンの婚約者とする約束であったが、幼馴染を溺愛するセルリアンは承知しなかった。
やがて婚約の話は消えてアリシアに残ったのは傷物令嬢という不名誉な二つ名だけだった。
ボロボロに傷ついていくアリシアを同情しつつ何も出来ないセルリアンは冷酷王子とよばれ、幼馴染のナターシャと婚約を果たすが互いに憂いを隠せないのであった。
一方、王家の陰謀に気づいたアリシアは密かに復讐を決心したのだった。
2024.01.05 あけおめです!後日談を追加しました。ヒマつぶしに読んで頂けると嬉しいです。
フワっと設定です。他サイトにも投稿中です。
結婚式の日取りに変更はありません。
ひづき
恋愛
私の婚約者、ダニエル様。
私の専属侍女、リース。
2人が深い口付けをかわす姿を目撃した。
色々思うことはあるが、結婚式の日取りに変更はない。
2023/03/13 番外編追加
【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。
【完結・全7話】「困った兄ね。」で済まない事態に陥ります。私は切っても良いと思うけど?
BBやっこ
恋愛
<執筆、投稿済み>完結
妹は、兄を憂う。流れる噂は、兄のもの。婚約者がいながら、他の女の噂が流れる。
嘘とばかりには言えない。まず噂される時点でやってしまっている。
その噂を知る義姉になる同級生とお茶をし、兄について話した。
近づいてくる女への警戒を怠る。その手管に嵌った軽率さ。何より婚約者を蔑ろにする行為が許せない。
ざまあみろは、金銭目当てに婚約者のいる男へ近づく女の方へ
兄と義姉よ、幸せに。
愛する人の手を取るために
碧水 遥
恋愛
「何が茶会だ、ドレスだ、アクセサリーだ!!そんなちゃらちゃら遊んでいる女など、私に相応しくない!!」
わたくしは……あなたをお支えしてきたつもりでした。でも……必要なかったのですね……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる