どちらと結婚するのですか

ざっく

文字の大きさ
上 下
34 / 35
第四章

算術の先生

しおりを挟む
 机が並び、そこには下は五歳から、上は十四歳までの子供たちが座っていた。
 私は一段高い場所に立ち―――途方に暮れた。

 孤児院についた途端、院長への挨拶もそこそこにサイードは『学校』だという建物へと赴いた。
 そこは子供たちの遊び場になってしまっていた。
 飛行機と紙吹雪が宙を舞い、椅子を使って戦い、机で防御する子供たちの中で、疲れたように大人が一人座り込んでいた。
 「楽しそうだね」
 サイードが一言声をかけた直後の子供たちの動きは見事としか表現のしようがない。
 一番大きな子が「戻せ」と声をかけると、大きい子たちが机を並べ、小さな子たちはごみを拾い、あっという間に整然とした教室となった。
 「気配を感じてこの状態にできればもっといい。気がつかれないことが重要だ」
 何を教えているのかと呆気にとられるが、その言葉を理解する子供は、なるほどというように頷いていた。
 座り込んでいたのは職員だったようで、子供を指導しきれていなかったことに非常に恐縮しながら去っていった。
 ここの子供たちは、良くも悪くも知恵が働くらしい。
自分にとって有利に働くであろう相手に対しては、『いい子』の面を見せる。
 貴族は、彼らにとっては優良株なのだろう。特に、私やサイードのような高位貴族ならば特に。
 私は、この孤児院の子供たちの愛想の良い表情しか見たことがなかった。
 「触らないで」と言えば触らないし、何かを与えれば、飛び上がるほど喜んでいた。
 それは私がきちんと連絡をして、計画の時間より前にも後にも孤児院を訪れたことがないからだろう。
 しっかりと準備をされていたということだ。
 サイードはこうして突然やってきては、悪知恵……もとい、指導をしていくので一目置かれているのだと後日知った。

 「今日は、算術の教師を連れてきた」
 そのサイードが、私を連れてきた。
 あからさまに浴びせられる奇異の視線。
 「これが?」正直な子供の視線がそう語る。アリティになど算術が教えられるのかと。
 無理矢理教壇に立たされて、心の準備もないままにこの視線にさらされて平気なほど、私は心臓に毛は生えていないつもりなのだが。
 思わず恨めしげな視線をサイードに送ると、楽しそうに笑っていた。
 本当に性格が悪い。
 今日のこのドレスがまた悪い。派手な頭が悪そうな豪華なドレスだ。
 先に着替えたかったと思いながら見回して気がつく。
多分、十歳を超えているであろう数人だけは、表情には出していなかった。
 どんな感情が隠されていようとも、それを相手に教えない。同時に、サイードが連れてきた頭の悪い貴族を見定めようともしているのだろうと察した。

 私は、一度大きく息を吐き出して、くるりと回って黒板に向かった。
 そして、一心不乱に九九を全て黒板に書きつけた。
 持ちなれないチョークのせいで結構時間がかかったが、向き直った子供たちは、驚いたように数字を眺めてじっとしていた。
 「覚えなさい」
 一言いえば、子供たちの視線は私に向かう。
 「説明はゆっくりするわ。これをどう使うのかも。それと同時進行で、覚えなさい」
 小さな子たちは、初めて見る数字の羅列に目を瞠り、大きな子供ほど、眉間にしわを刻んだ。
 「チェズアーレ様……先生は、覚えてらっしゃるのですか」
 できるわけがないという思いが含まれた発言に、私は不敵に笑う。
 「アリティ先生で結構よ。……これくらい、当然だわ」
 そうして、よどみなく九九を一の段から全て口にする。
 五の段のあたりからは、適当に数字を並べて書いたくらいに思っていたであろう全員が目も口もポカンと開いていた。
 その後ろに控えるサイードとブライアンと侍従までも呆気に取られていたのは痛快だった。
 自分的には、どや顔で九九を言い上げる自分が大変恥ずかしいことは棚上げしておこう。

 言い終わって、ゆっくりと子供たちの顔を見まわした。
 「これができれば、サイードよりも上の地位につけるわ。……狙ってみない?」
 サイードの目がさらに見開かれると同時に、ばさっと音がして、一番大きな子のノートが開かれた。
 そして、何度も黒板と自分のノートの間で視線をやり取りして、黒板の数字を書きつけていった。
 それをみて、全員が我先にと黒板を写し出す。
 その書き方を見ながら、覚えの良さそうな子と、こういうのが苦手そうな子を見極める。
 書きながら、その数字の並びの規則を導き出して、書くスピードが上がっていく子。いつまでもスピードは変わらないながらも、丁寧に書きつけていく子。
 子供たちの机を回りながら、顔を覗き込んで名前とその特性を覚えていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

彼女は彼の運命の人

豆狸
恋愛
「デホタに謝ってくれ、エマ」 「なにをでしょう?」 「この数ヶ月、デホタに嫌がらせをしていたことだ」 「謝ってくだされば、アタシは恨んだりしません」 「デホタは優しいな」 「私がデホタ様に嫌がらせをしてたんですって。あなた、知っていた?」 「存じませんでしたが、それは不可能でしょう」

ある国の王の後悔

黒木メイ
恋愛
ある国の王は後悔していた。 私は彼女を最後まで信じきれなかった。私は彼女を守れなかった。 小説家になろうに過去(2018)投稿した短編。 カクヨムにも掲載中。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

私だけが赤の他人

有沢真尋
恋愛
 私は母の不倫により、愛人との間に生まれた不義の子だ。  この家で、私だけが赤の他人。そんな私に、家族は優しくしてくれるけれど……。 (他サイトにも公開しています)

【完結】それぞれの贖罪

夢見 歩
恋愛
タグにネタバレがありますが、 作品への先入観を無くすために あらすじは書きません。 頭を空っぽにしてから 読んで頂けると嬉しいです。

幼馴染

ざっく
恋愛
私にはすごくよくできた幼馴染がいる。格好良くて優しくて。だけど、彼らはもう一人の幼馴染の女の子に夢中なのだ。私だって、もう彼らの世話をさせられるのはうんざりした。

処理中です...