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第四章
算術の先生
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机が並び、そこには下は五歳から、上は十四歳までの子供たちが座っていた。
私は一段高い場所に立ち―――途方に暮れた。
孤児院についた途端、院長への挨拶もそこそこにサイードは『学校』だという建物へと赴いた。
そこは子供たちの遊び場になってしまっていた。
飛行機と紙吹雪が宙を舞い、椅子を使って戦い、机で防御する子供たちの中で、疲れたように大人が一人座り込んでいた。
「楽しそうだね」
サイードが一言声をかけた直後の子供たちの動きは見事としか表現のしようがない。
一番大きな子が「戻せ」と声をかけると、大きい子たちが机を並べ、小さな子たちはごみを拾い、あっという間に整然とした教室となった。
「気配を感じてこの状態にできればもっといい。気がつかれないことが重要だ」
何を教えているのかと呆気にとられるが、その言葉を理解する子供は、なるほどというように頷いていた。
座り込んでいたのは職員だったようで、子供を指導しきれていなかったことに非常に恐縮しながら去っていった。
ここの子供たちは、良くも悪くも知恵が働くらしい。
自分にとって有利に働くであろう相手に対しては、『いい子』の面を見せる。
貴族は、彼らにとっては優良株なのだろう。特に、私やサイードのような高位貴族ならば特に。
私は、この孤児院の子供たちの愛想の良い表情しか見たことがなかった。
「触らないで」と言えば触らないし、何かを与えれば、飛び上がるほど喜んでいた。
それは私がきちんと連絡をして、計画の時間より前にも後にも孤児院を訪れたことがないからだろう。
しっかりと準備をされていたということだ。
サイードはこうして突然やってきては、悪知恵……もとい、指導をしていくので一目置かれているのだと後日知った。
「今日は、算術の教師を連れてきた」
そのサイードが、私を連れてきた。
あからさまに浴びせられる奇異の視線。
「これが?」正直な子供の視線がそう語る。アリティになど算術が教えられるのかと。
無理矢理教壇に立たされて、心の準備もないままにこの視線にさらされて平気なほど、私は心臓に毛は生えていないつもりなのだが。
思わず恨めしげな視線をサイードに送ると、楽しそうに笑っていた。
本当に性格が悪い。
今日のこのドレスがまた悪い。派手な頭が悪そうな豪華なドレスだ。
先に着替えたかったと思いながら見回して気がつく。
多分、十歳を超えているであろう数人だけは、表情には出していなかった。
どんな感情が隠されていようとも、それを相手に教えない。同時に、サイードが連れてきた頭の悪い貴族を見定めようともしているのだろうと察した。
私は、一度大きく息を吐き出して、くるりと回って黒板に向かった。
そして、一心不乱に九九を全て黒板に書きつけた。
持ちなれないチョークのせいで結構時間がかかったが、向き直った子供たちは、驚いたように数字を眺めてじっとしていた。
「覚えなさい」
一言いえば、子供たちの視線は私に向かう。
「説明はゆっくりするわ。これをどう使うのかも。それと同時進行で、覚えなさい」
小さな子たちは、初めて見る数字の羅列に目を瞠り、大きな子供ほど、眉間にしわを刻んだ。
「チェズアーレ様……先生は、覚えてらっしゃるのですか」
できるわけがないという思いが含まれた発言に、私は不敵に笑う。
「アリティ先生で結構よ。……これくらい、当然だわ」
そうして、よどみなく九九を一の段から全て口にする。
五の段のあたりからは、適当に数字を並べて書いたくらいに思っていたであろう全員が目も口もポカンと開いていた。
その後ろに控えるサイードとブライアンと侍従までも呆気に取られていたのは痛快だった。
自分的には、どや顔で九九を言い上げる自分が大変恥ずかしいことは棚上げしておこう。
言い終わって、ゆっくりと子供たちの顔を見まわした。
「これができれば、サイードよりも上の地位につけるわ。……狙ってみない?」
サイードの目がさらに見開かれると同時に、ばさっと音がして、一番大きな子のノートが開かれた。
そして、何度も黒板と自分のノートの間で視線をやり取りして、黒板の数字を書きつけていった。
それをみて、全員が我先にと黒板を写し出す。
その書き方を見ながら、覚えの良さそうな子と、こういうのが苦手そうな子を見極める。
書きながら、その数字の並びの規則を導き出して、書くスピードが上がっていく子。いつまでもスピードは変わらないながらも、丁寧に書きつけていく子。
子供たちの机を回りながら、顔を覗き込んで名前とその特性を覚えていった。
私は一段高い場所に立ち―――途方に暮れた。
孤児院についた途端、院長への挨拶もそこそこにサイードは『学校』だという建物へと赴いた。
そこは子供たちの遊び場になってしまっていた。
飛行機と紙吹雪が宙を舞い、椅子を使って戦い、机で防御する子供たちの中で、疲れたように大人が一人座り込んでいた。
「楽しそうだね」
サイードが一言声をかけた直後の子供たちの動きは見事としか表現のしようがない。
一番大きな子が「戻せ」と声をかけると、大きい子たちが机を並べ、小さな子たちはごみを拾い、あっという間に整然とした教室となった。
「気配を感じてこの状態にできればもっといい。気がつかれないことが重要だ」
何を教えているのかと呆気にとられるが、その言葉を理解する子供は、なるほどというように頷いていた。
座り込んでいたのは職員だったようで、子供を指導しきれていなかったことに非常に恐縮しながら去っていった。
ここの子供たちは、良くも悪くも知恵が働くらしい。
自分にとって有利に働くであろう相手に対しては、『いい子』の面を見せる。
貴族は、彼らにとっては優良株なのだろう。特に、私やサイードのような高位貴族ならば特に。
私は、この孤児院の子供たちの愛想の良い表情しか見たことがなかった。
「触らないで」と言えば触らないし、何かを与えれば、飛び上がるほど喜んでいた。
それは私がきちんと連絡をして、計画の時間より前にも後にも孤児院を訪れたことがないからだろう。
しっかりと準備をされていたということだ。
サイードはこうして突然やってきては、悪知恵……もとい、指導をしていくので一目置かれているのだと後日知った。
「今日は、算術の教師を連れてきた」
そのサイードが、私を連れてきた。
あからさまに浴びせられる奇異の視線。
「これが?」正直な子供の視線がそう語る。アリティになど算術が教えられるのかと。
無理矢理教壇に立たされて、心の準備もないままにこの視線にさらされて平気なほど、私は心臓に毛は生えていないつもりなのだが。
思わず恨めしげな視線をサイードに送ると、楽しそうに笑っていた。
本当に性格が悪い。
今日のこのドレスがまた悪い。派手な頭が悪そうな豪華なドレスだ。
先に着替えたかったと思いながら見回して気がつく。
多分、十歳を超えているであろう数人だけは、表情には出していなかった。
どんな感情が隠されていようとも、それを相手に教えない。同時に、サイードが連れてきた頭の悪い貴族を見定めようともしているのだろうと察した。
私は、一度大きく息を吐き出して、くるりと回って黒板に向かった。
そして、一心不乱に九九を全て黒板に書きつけた。
持ちなれないチョークのせいで結構時間がかかったが、向き直った子供たちは、驚いたように数字を眺めてじっとしていた。
「覚えなさい」
一言いえば、子供たちの視線は私に向かう。
「説明はゆっくりするわ。これをどう使うのかも。それと同時進行で、覚えなさい」
小さな子たちは、初めて見る数字の羅列に目を瞠り、大きな子供ほど、眉間にしわを刻んだ。
「チェズアーレ様……先生は、覚えてらっしゃるのですか」
できるわけがないという思いが含まれた発言に、私は不敵に笑う。
「アリティ先生で結構よ。……これくらい、当然だわ」
そうして、よどみなく九九を一の段から全て口にする。
五の段のあたりからは、適当に数字を並べて書いたくらいに思っていたであろう全員が目も口もポカンと開いていた。
その後ろに控えるサイードとブライアンと侍従までも呆気に取られていたのは痛快だった。
自分的には、どや顔で九九を言い上げる自分が大変恥ずかしいことは棚上げしておこう。
言い終わって、ゆっくりと子供たちの顔を見まわした。
「これができれば、サイードよりも上の地位につけるわ。……狙ってみない?」
サイードの目がさらに見開かれると同時に、ばさっと音がして、一番大きな子のノートが開かれた。
そして、何度も黒板と自分のノートの間で視線をやり取りして、黒板の数字を書きつけていった。
それをみて、全員が我先にと黒板を写し出す。
その書き方を見ながら、覚えの良さそうな子と、こういうのが苦手そうな子を見極める。
書きながら、その数字の並びの規則を導き出して、書くスピードが上がっていく子。いつまでもスピードは変わらないながらも、丁寧に書きつけていく子。
子供たちの机を回りながら、顔を覗き込んで名前とその特性を覚えていった。
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