上 下
19 / 234
第1章

第一七話 モンブラン山

しおりを挟む
 俺は、どういうわけか熱弁を振るっていた。「アルプス造山運動は、中生代後期から新生代初期に始まりました。
 転移前ならば、七〇〇〇万年から六〇〇〇万年前のことです。現在は、それに二〇〇万年をプラスすればいいわけです。
 七二〇〇万年前にアフリカ大陸が北上してユーラシア大陸に衝突。その結果として、アルプス一帯が隆起し始めます。
 現在から二六〇万年前には、アフリカ西部とイベリア半島が衝突して、ジブラルタル海峡が閉じ、地中海は激しい乾燥に見舞われます。
 我々の元の時代では、ジブラルタル海峡は開いていましたが、たぶん現在は閉じかけているか、開き始めているか、どちらかなのだと思います。
 ですから、地中海の大半は陸地だと思います。大きな塩湖がいくつかあり、最も西の湖がジブラルタル海峡を通じて、大西洋とつながっている……。しかし、ジブラルタル海峡は、川のような細い水路である可能性もあるんです。
 アルプス造山運動は活発に進行しています。ですから、二〇〇万年間で地形も変わります。
 我々がモンブラン山としている山の姿も、その周囲の環境も二〇〇万年前とは異なります。
 モンブラン山南西麓には、広大な平原が広がっています。
 キャンプからモンブラン山南麓まで、約一五〇キロです。実移動距離は最大でも二〇〇キロ程度です。
 モンブラン山南西の平原の最北には巨大な氷河湖があり、さらにその北は延々と続く氷河、さらに北にはアルプスの山並みが続いています。
 氷河湖南岸には、氷河はありません。豊かな緑の大地が広がっています。
 そして、気温が低いためか、噛みつきもいません。
 少なくとも、姿は見ませんでした。
 古い、といっても何百年も前ではなく、放棄されてから数十年程度の村がいくつかあります。小さくもなく、大きくもない家があり、たぶんヒトが住んだ村です。
 そこに移動しませんか?
 寒い土地ですが、少しの間、落ち着けると思います」
 デュランダルが発言した。
「伝説の北の大地、か?
 豊かな農地、肥えた家畜、希望の大地。
 そういう土地があるとは聞いていた」
 アンティが応じた。
「あぁ、俺の祖先が交易を試みようと、何度も北方に向かったが、誰も帰ってこなかった。
 噛みつきの棲む土地を越えなくてはならないから、誰もたどり着けない」
 デュランダルが俺に向かっていった。
「この状況だ。伝説を信じたい気持ちはわかるが、そこには行けない……」
 相馬が発言。
「伝説については知らないが、氷河湖までは行っているし、戻ってもきた。ルートもわかっているし、行くこと自体は不可能じゃない。
 しかし、夏でも寒冷な土地で、作物が育つのかな?」
 斉木が相馬の疑問を受けた。
「作物は限定されるけど、農業はできる」
 金吾が継いだ。
「氷河湖には魚がいない。たぶん、だけど。水が冷たすぎるんじゃないかな?」
 ディーノが不安げにいった。
「そこには行きたくないが……。
 魚がいる川や池はあるよ」
 片倉が根源的問題を提起する。
「移動するにはトラックが必要。そのトラックは大砲の弾が命中しちゃった……」
 納田が俺の考えと同じことをいう。
「攻めてきた人たちの荷車をもらいましょうよ。
 幅二メートル、長さ三・五メートルはあるから、結構積めるでしょ。三台もらっちゃえば、トラックの代わりになる、と思うんだけど?」
 由加が俺を見た。
「私は納田さんの意見に賛成。戦時賠償ってことで、荷車三台をもらいましょう」
 金沢が辛そうな表情で発言する。まだ、傷が痛むのだ。
「あの荷車にはサスペンションがありますが、車輪は鋼製スポークです。弾性ゴムタイヤじゃないから、早くは走れませんよ」
 珠月が金沢を見た。
「大丈夫よ。どうせ道が悪くて三〇キロくらいしか出せないでしょ」
 片倉が締めに入る。
「北の平原に行くことに反対の人」
 ベルタとアビーが手を上げた。
 アビーが「怖い……」といった。
 シルヴァが「大丈夫、ガンバロウ」っとアビーにいった。
 ベルタとアビーは手を下げた。

 俺たちの行動が決まった。

 斉木はトラクターを失って落ち込んでいるが、そのトラクターから使えそうな部品を取り外していた。
 金沢がそれを手伝い、トゥーレとアマリネも協力している。特に、後輪代わりのオムスビ履帯は貴重だ。
 荷車のシャーシは鋼製で、荷台は木製。サスペンションは板バネ。頑丈な作りだ。
 俺たちは、ダンプローダートラック、農業トラクター、そしてハンバー・ピッグ一台を失った。ハンバー・ピッグは、陽動で東から攻撃を仕掛けたが、白魔族の戦車に徹甲弾でエンジンを撃ち抜かれてしまった。被弾後炎上し、修理は不可能だった。斉木とアンティが乗っていたが、二人は脱出して無事だ。

 猛烈な勢いで、移動の準備が進む。日没までに南の峠の直下まで北上する。

 正午少し前、放棄された蒸気牽引車と荷車を回収するためなのか、バグラーン家の郎党四〇人ほどがやって来た。
 壮年の男一人がキャンプに向かって歩いてくる。
 外部から見たキャンプは惨憺たる状況だが、その内側には活気がある。負傷者はいるが、死者はない。物質的被害は大きいが、人的被害は小さい。
 男は、キャンプ入口の傾斜路の前で止まった。彼の横には、白魔族の戦車が横たわっている。炎上爆発した残骸だ。
 男は「ハンダはいるか? 話がしたい!」と俺を呼んだ。
 由加が「気を付けて」と小声でいった。金吾が拳銃を渡そうとするが、俺はそれを断った。
 傾斜路をゆっくりと歩いて下る。そして、男の前に立った。
「派手にやられたな」
「そうだな」と、俺が答える。
「私はバグラーン家の当主でバルドル三世だ。
 何とか退けたようだが、白魔族の仕置きは堪えただろう?」
 バルドル三世と名乗った男の言葉の意味が、いま一つつかめない。
 戦闘は事実上、我々の圧勝だ。白魔族は戦車四輌と全装軌の装甲車一輌を破壊され、乗員は全員死んだはず。
 何と答えればいいのか、返答に困る。俺が返答に窮している様子を見て、バルドル三世は勝ち誇ったような表情をした。
「どうだろう?
 子供を全員渡せ。そうすれば大人は逃がしてやる。これ以上、白魔族を怒らせるな。
 昨日のことで、白魔族の師団長閣下が直々に来訪されるそうだ」
 俺は何を言えばいいのだろうか?
 まったく、何の言葉も思い浮かばない。だが、何かをいわなくてはならない。
 俺は人間を殺したいと思ったことはない。しかし、何人も殺してきた。殺さなければ、殺されたからだ。
 しかし、漆黒の衣に身を包み、長剣を下げ、腰に二挺の拳銃を差した男を、殺してみたくなった。その衝動は、異常に強かった。それを押さえることは難しそうだった。しかし、押さえなければならない。
「バルドル三世、閣下、でいいのかな?
 俺は、君ほど状況分析能力に劣る人間には会ったことがない」
 俺は俺の左側に転がる焼けた戦車を見た。
「こんな旧式の戦車を持ち出して、何をしようというんだ。哀れみしか感じない。
 旧式戦車を装備する連中を恐れる君たちのひ弱さにも、哀れみを感じる。
 こんなものが一〇〇輌で攻めてきても、どうということはない。
 君たちが崇める白魔族は、俺たちにとっては原始的な武器を振るう蛮族でしかない。
 昨日は幸い誰も怪我をしなかった。だから、君たちを許してやる。ただし、賠償として荷車三台をもらう。
 俺たちの寛大な処置に感謝しなさい」といってしまった。
 旧式でも戦車一〇〇輌で攻められたら、抵抗の術なんてない。
 だが、バルドル三世は顔を真っ赤にして怒っている。
「白魔族は、お前たちを容赦しない。覚悟しておけ!」
 捨て台詞にもなっていない、他力本願な一言を残して去って行った。

 だが、二次攻撃が近いことは察せられた。バルドル三世とのつまらぬ会話も、一定の役には立った。
 一刻も早く、北に向かうべきだ。

 物資のすべてを持ち出したいが、流木を引き上げた丸太は置いていくしかない。立派な丸太を残すことは惜しいが、運ぶ方法がない。

 すべての荷物が積み終わった。テントも畳まれて、トレーラーに積まれた。
 三〇人全員がここにいる。
 全員に乗車する車輌を指定する。車輌の数は一三台。
 ケンちゃん、ちーちゃん、マーニ、テュール、ユウナ、シルヴァ、ワン太郎は、ムンゴ装甲ワゴンに乗る。ショウくんは志願して、斉木が運転するムンゴ装甲トラックの助手席に座ることになった。
 アビーは、俺が運転するタンクローリーだ。
 全員の名が呼ばれ、そして一斉に乗車する。先導は、ベルタが運転するハームリン装甲車。
 全車は、単縦列で北を目指した。

 日没までに、南の峠の上り口に達することができなかった。深夜にスタックして、脱出に時間を割かなければならなくなる事態を避けるため、単縦列のまま車間を詰めて夜を明かした。
 この付近は高層湿地なので、ドラキュロが現れる可能性は低い。しかし、油断はできない。
 日の出前に出発の準備を整え、日の出とともに登坂を開始する。
 子供と重傷者にはきつい強行軍だ。生き残ったハンバー・ピッグが臨時の救急車になり、能美、納田、ライマが重傷者二人の看護を交代で担っている。救急車には、金沢とトルクが寝台に横たわる。
 車列の先頭はハームリン、その次がイサイアスとネミッサが操る軽トラだが、ロールバー風のH鋼製フレームで覆われたキャビンは、何とも厳つい。たかだか660CCの排気量だが、他の大排気量車に引けを取らない軽快な走りをしている。
 四輪がオムスビ型履帯となった八トン車の走りはすごい。スタックすることなく、ガンガン走る。その迫力は、装甲車をも圧倒する。

 登坂の途中の小休止で、南を見ると騎馬一〇〇超が早足で北に向かってくる。先頭から五騎目の大柄な男は、漆黒の衣を着ている。ウマも黒馬だ。おそらく、バルドル三世だ。
 バルドル三世は、我々と白魔族との戦闘の結末を理解していなかった。白魔族の戦車は、この世界においては〝無敵〟かもしれない。我々にしても、白魔族の〝戦車〟とは、当初はM1エイブラムスやレオパルト2といった第三世代戦車を思い浮かべ、非常な緊張感を抱いた。
 しかし、現れた装甲戦闘車輌は、一九三〇年代の軽戦車によく似たリベット構造の旧式だった。
 それを見た瞬間、ホッとしたというよりは、唖然としてしまった。
 もちろん、危険な兵器であることは確かだ。しかし、我々とバルドル三世では、同じものを見ても感じ方が違っていたのだろう。
 白魔族の戦車を見て、バルドル三世は恐怖し、我々は微笑んでしまった。
 我々は無用な戦闘を避けるために北を目指しているが、バルドル三世からすれば恐怖で逃げ出した、と感じているのだと思う。
 この認識の差が、俺は近い将来に災いとなる可能性を感じていた。
 由加が俺の横に立った。
「戦車で迎え撃つ?」
「いいや、登ってはこないよ。ドラキュロが怖いだろうから……」
「徹底的に叩くべきだったかも?」
「無用な殺生は気が進まないが、生ぬるい対応は無用な殺生を招くことも事実だ。
 バルドル三世のような男は、彼の身体に教えないと理解できないように思う」
「次は?」
「徹底的にやる」
 由加が俺の顔を見る。
「怖い顔……」
「誰も死なせない。そう誓った……」
 由加は微笑んだ。
 ベルタが「出発!」と声をかける。全員が各車輌に乗る。

 俺たちは〝もし、クルマやトレーラーが壊れて立ち往生したら〟という事態について、話し合っていた。
 安全が確認できない場合、車内から出ず。故障した車輌を後方のクルマが押す。
 安全が確認できる場合は、牽引ロッドを使う。牽引ロッドは全車が装備している。
 しかし、眼前の光景は、そのどちらも可能でないように思う。
 ドラキュロの密度が濃い。ドラキュロは、ヒトを視認しない限り攻撃してこない。その習性を利用する以外、ここを突破する方策はない。
 ウインドウの内側を布や紙で覆い、外部から見えなくした。フロントも最低限の視界にした。
 先頭のハームリンが動き出す。時速三〇キロを維持して、南北の峠に挟まれた高層平原を一四時間かけて突破した。

 高層平原には、青狼が進出していた。青狼の群がいると、その周辺だけドラキュロがいない。
 タイリクオオカミの体重は、二五から五〇キロ程度。身体の大きなオスでも、体重五〇キロを超える個体は少ない。
 一方、青狼は一〇〇キロに達するであろう個体もいる。肩高一二〇センチ、頭胴長二〇〇センチを超えそうな個体もいる。
 この巨獣をドラキュロは恐れている。俺たちも怖いが、ドラキュロよりはマシ。
 そして、トラ。体重五〇〇キロに達しようかという巨体を、しなやかに躍動させる。体毛はライトブラウンに近く、トラ柄の縞はほとんど見えない。
 この巨大トラが一頭いると、直径一〇〇メートル以内からドラキュロがいなくなる。
 青狼と巨大トラを見つけると、迷わず休憩し、一四時間の長丁場を何とか乗り切った。

 北の峠の下降途中で、二回目の夜を迎えた。道らしきルートは狭く、そして路面の状態が悪い。雨が地面を流れる際に深い溝を穿っている。その溝に落ち込むと、簡単には脱出できない。
 だから、用心しながら、ゆっくりと進んだ。峠の周囲には草木が乏しく、雨の浸食を受けやすい。峠というルートは、道として使える程度の線であって、整備された道路ではない。自然がルートを作り、それをヒトを含む動物が利用しているだけなのだ。

 峠の下降に一二時間を要した。ドラキュロの危険が少ないポイントであること以外、一瞬たりとも気の抜けないルートであった。

 峠を下りきると、標高の低い草原に至る。この草原の最北に、アルプスの山々から南に向かって動く氷河の末端が作り出した巨大な湖がある。
 北進する我々の左側には、北に向かって流れる大河がある。西の山脈を源とする多くの小河川が流れ込むが、川の東側は乾燥している。
 この川の水を求めて、多くの動物が集まる。そのなかには、獲物を求めてやって来る肉食獣もいる。北方低層平原には巨大トラはいないようで、例の巨大アメショーと青狼が食物連鎖の頂点にあるようだ。
 ドラキュロは野生動物を襲わない。少なくとも、襲っている様子を見ていない。
 ドラキュロが襲うのは、ヒトと彼らの同属だけのようだ。ヒトがいなければ、共食いで飢えを凌ぐ。それが、ドラキュロの習性だ。
 実に奇妙で、気味の悪い生き物だ。

 起伏はあるが、北方低層平原は平坦で走りやすい。何とか時速二〇キロを維持して、北進を続ける。

 第二次北方調査において、ボンネットに泥の詰まった六輪のウニモグを河原から引っ張り上げていたが、ちょうどそこで日没になった。
 ドラキュロがうろつく草原での夜明かしとなった。
 大人も子供も眠れぬ夜だった。

 ネコ科動物なのに、群を作り集団で狩りをする巨大アメショーが、俺たちの車列の直近に現れた。ここは川面に近い。水を求めてやってきたのだ。
 同時にドラキュロが姿を消す。

 斉木と納田が六輪のウニモグの回収を主張した。
 我々は大型トラックを失っている。その代替となる車輌が眼前にあるのだ。斉木と納田の主張は理解できる。
 しかし、ボンネットのなかには土が詰まっている。そんな状態のクルマを修理できるのか?
 金沢が歩いてきた。背中に突き刺さった木片はすべて除去したそうだが、まだ辛そうだ。「引っ張っていって、修理の方法を考えましょう。大型のシャーシは貴重ですよ」
 金沢の言に従って、八トン車で牽引することになった。我々は稼働しないクルマを二台も抱えることになった。もう一台は工作車だ。

 氷河湖の南岸に達するまで、夜を二回過ごした。
 北に向かうに従い寒冷となり、急速にドラキュロの数が減っていく。最後の夜以降は、一頭も見ない。彼らの生息北限を越えたようだ。

 我々は氷河湖の南岸に沿って、東進していた。
 集落跡はいくつもあり、五棟から一〇棟程度の平屋が集まっている。家の外壁は石造りで、石のつなぎにはコンクリートが使われている。屋根は木造だったらしく、朽ち果てて痕跡すら残っていない。放棄されてから、数十年は経っている。
 必ず、周囲よりも高い丘にあり、集落の周囲には濠らしき痕跡がある。また、氷河湖に流れ込む河川が近くにある。
 おそらく、環濠集落だ。
 石造りの家屋は、ほとんどが三〇から四〇平方メートル程度の床面積しかないが、家屋と家屋はコンクリート壁で囲まれた通路でつながれている。家屋と家屋は軒を接していて、間隔は狭い。まるで、東京二三区内の民家のようだ。

 南から北に流れる小河川をいくつも渡るが、子供、負傷者、そして健康な大人も、体力の限界に近付きつつあった。
 氷河湖南岸から二キロほど南の周囲よりわずかに高い丘に、八棟の集落跡があった。東西南北に三棟が配置され、ほぼ正方形を形成している。集落の周囲に防壁はなく、家屋跡だけが残る。

 由加とベルタが、「ここならば守りやすい」といった。
 俺たちはここを当面の拠点とすることに決めた。
 すでに夕暮れが迫っていたが、機材を下ろしてキャンプの準備を始めた。今夜も車内泊だが、温かい食事を屋外で作り食べることにした。大きな焚き火をする。
 ディーゼル発電機は、ダブルキャブトラック(二号車)の荷台に積んでいた。
 これを八トン車のクレーンで吊り上げ降ろし、発電を始める。今夜はたっぷり電気を使う。今夜だけの贅沢だ。

 翌朝、俺は四時に起床した。見張りのイサイアスとアビーが東西から俺を視認する。
 金沢がすでに起きていた。背中が痛くて、眠れないという。
 ライマも起きていた。水汲みに行くというので、アビーに護衛を頼んだ。
 アビーの代わりの見張りに、金沢が立つ。
斉木が起きてきた。手には木刀代わりの棒きれが握られている。彼はこれで、毎朝素振りをする。
 ウルリカが起きてきた。そして、大人たちが続々と寝床から這いだして、冷たい空気のなかで、それぞれがすべきことを始める。

 俺は当分昇ってはこない朝日を探して、東を見詰めていた。彼方に雪をいただく山脈が見える。
 剣聖デュランダルが、俺の右横に立った。
「貴殿は何をしようとしているのか……?」
 詰問ではなく、単純な問いのように感じた。「わかりません。ただ、守るべきものを守りたい。それだけです」
「そうですか」
 デュランダルは深いため息を含めて、そういった。そして、続ける。
「では、取りあえずは何を?」
 今度は現実的な質問だ。
「まず、周辺を調べましょう。
 安全かどうか。そして、役に立つ何かを探しましょう」
 デュランダルは、微笑んで頷いた。

 相馬が氷河湖の調査に向かう。ウルリカが補佐したいといい、ちーちゃんとマーニがどうしても「一緒に行きたい」といい出し、チュール、ショウくん、ユウナちゃんも同行することになった。
 子供たちは、用足し以外で車外に出ることを許されず、氷河湖を見ていなかった。
 斉木と納田は南に、俺とデュランダルは南西へ、アンティとイサイアスは東に向かう。
 日の出とともに出発し、正午までに戻ることを約した。
 他は、周辺の警戒とキャンプの設営だ。

 俺とデュランダルは、荷を下ろしたダンプで南西に向かった。ダンプの荷はミニショベルだったので、荷卸しは簡単だった。降ろしたのは片倉だが……。
 デュランダルは、四〇歳を少し過ぎた偉丈夫だ。だが、少し疲れた感じがする。酒が抜けていないというか、精神を病んでいるようにも思う。
 唯々諾々とウルリカに付いてきた理由は、「どうでもいい」という投げやりな雰囲気を感じる。
 だが、信頼できないわけではない。すべきことはする男だと信じたい。
 俺たち二人は、他愛のない世間話をしながら、あてのない探索を続けていた。
 用心しながら進んでいたが、二メートルを超えるイネ科の草のなかに潜んでいた車輌の側面に衝突しかけた。
 衝突まで、一〇センチの距離さえ残されていなかった。
 俺とデュランダルは相当に焦った。
 デュランダルがキャビンを出て、荷台によじ登る。
「大きなクルマだ。鉄箱のような形をしている」と俺に教える。
 俺は「バックするぞ!」と荷台のデュランダルに声をかける。
 キャビンから出た。
 八輪の大型装甲車だ。
 俺はデュランダルに、「周囲を走って、履帯で草を倒そう」と声がけすると、彼は頷いた。
 八輪装甲車の周囲を走り、四つの履帯で草をなぎ倒す。
 そして、全容を現したのは、全長七・五メートルに達する旧ソ連系の八輪装甲車だ。
 砲塔がなく、機関銃などの武器は付いていない。車体上面にハッチが五個、車体後部に観音開きの乗降ドア、運転席と助手席にドアがあるが、すべて閉じている。
 後部乗降ドアを開けると、かなり大きなダンボール箱が満載。一つを取り出すと、大きさの割には軽い。開けると、なんとトイレットペーパーだ。
 それをダンプの荷台に放り込み、後部乗降ドアを閉める。
 デュランダルが車体から少し離れて、ベレッタM59自動小銃を構える。運転席側ドアは後方に向かって開く。
 俺はタイヤによじ登って、ドアノブに手をかけ、一気に引いた。重くて動かない。もう一度試す。
 開いた。一瞬、デュランダルが銃を激しく動かして照準する。その様子に、地面に落ちた俺は拳銃を抜いた。
 運転席と助手席には何もなかった。誰も乗っていない。垂直に突っ立ったステアリングがあるだけだ。
「運転手はどうした?」とデュランダルがいった。
「たぶん……」
「噛みつきか?」
 デュランダルの声音に怒気が混じっている。「ハンダ、どうする?」
「牽引して戻りましょう」
「私は運転できない」
「牽引ロッドでつないで引っ張れば、付いてきますよ。ここで、二人で荷の載せ替えをするよりも楽でしょ」
「このクルマは重くないのか?」
「よくわかりませんが、一五トンはあるでしょう」
「牽引はできるのか?」
「まぁ、やってみましょうよ」
 俺は八輪装甲車の車輪のロックを解除し、牽引ロッドをつないだ。
 動き出すまではエンジンを吹かしたが、一度動くとこのデカ物はおとなしく付いてきた。
 ゆっくり、そしてよろよろと走り、一一時少し過ぎにキャンプに戻った。

 相馬たちはすでに戻っており、子供たちは高峰モンブラン山、彼方に見える氷河の終端となる氷壁、氷河が砕けて湖面に漂う無数の氷山、そして氷河が押し出されて砕ける様を見て、非常に興奮していた。
 相馬は俺に近付き、「跡で全員に報告しますが、氷河の崩落で巨大な波、津波のようなものができます。地形をよく調べましたが、その波は湖岸から一・二キロまで押し寄せた痕跡がありました。
 ここは、安全だと思います」
 俺は相馬の観察眼を信頼していた。相馬の隣にいたウルリカが相馬の顔を見ている。デュランダルが、その波について質問しているが、湖沼しか知らない彼らに津波の恐ろしさは理解不能だ。
 相馬がデュランダルの言葉を遮り、唐突に話を変えた。
「途中で、温泉を見つけました。結構、温かいお湯でしたよ」
 俺は、「それは大発見だ。場所は?」と返した。
「キャンプのすぐ近くです。ポンプで汲み上げれば、お湯が引けますよ」
 すでに、片倉が温泉浴場建設計画を立案しているらしい。
 温泉の発見で、誰もが陽気になっている。

 アンティとイサイアスは、一二時直前になって戻ってきた。
 二人は、農業トラクターに似た車輌を発見したという。使用した車輌が軽トラだったため、牽引はできなかったが、バケットが付いていたという。
 午後、俺と数人で、確認に向かうことになった。

 俺たちは、モンブラン山の麓でようやく落ち着いた精神状態になりつつあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-

半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。

異世界で農業を -異世界編-

半道海豚
SF
地球温暖化が進んだ近未来のお話しです。世界は食糧難に陥っていますが、日本はどうにか食糧の確保に成功しています。しかし、その裏で、食糧マフィアが暗躍。誰もが食費の高騰に悩み、危機に陥っています。 そんな世界で自給自足で乗り越えようとした男性がいました。彼は農地を作るため、祖先が残した管理されていない荒れた山に戻ります。そして、異世界への通路を発見するのです。異常気象の元世界ではなく、気候が安定した異世界での農業に活路を見出そうとしますが、異世界は理不尽な封建制社会でした。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

暑苦しい方程式

空川億里
SF
 すでにアルファポリスに掲載中の『クールな方程式』に引き続き、再び『方程式物』を書かせていただきました。  アメリカのSF作家トム・ゴドウィンの短編小説に『冷たい方程式』という作品があります。  これに着想を得て『方程式物』と呼ばれるSF作品のバリエーションが数多く書かれてきました。  以前私も微力ながら挑戦し『クールな方程式』を書きました。今回は2度目の挑戦です。  舞台は22世紀の宇宙。ぎりぎりの燃料しか積んでいない緊急艇に密航者がいました。  この密航者を宇宙空間に遺棄しないと緊急艇は目的地の惑星で墜落しかねないのですが……。

ビットフレンド~気狂いAIさん

WTF
SF
ある日パソコンを立ち上げると青色のツインテールが気怠そうにオペレーディングソフトを立ち上げていた シナリオ版との若干の違いがあります。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ある事実を隠した能力者

Nori
SF
ある特殊能力を得た主人公はほぼ全ての事ができる。 主人公はヒロインと出会って能力を成長させていく物語です。 主人公は過去に最強を求めて…

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

処理中です...