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第9章
09-225 アフリカ協力機構
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カルタゴは、いかなる勢力にも属さない完全な中立地だ。ヒトだけでなく、ヒト科全種とヒト属全属が対等の立場で諸問題を話し合う場。
ただし、オーク(白魔族)は除かれる。
この仕組みはうまくいっていた。
だが、ヒトの意見をまとめるアフリカ協力機構は、そうではない。
バンジェル島とクフラック次第で、両者が手を組めば否応なく決まってしまう。両者が対立すれば結果は違うのだが、対立するテーマがある場合、両者は事前に調整してしまう。
だから、いかなる議題についても、両者が公然と対立することはない。
平和裡にヒトの社会を支配している。
覇権は、バンジェル島とクフラックが握っている。
隆太郎の着水は、多くの見物人の眼前で行われた。
水上機があるので、着水は不思議ではない。しかし、この波高では自殺行為だ。
「あの小さなフロートで沈まないのか?」
見物人の疑念は、その場の全員に共通している。
隆太郎の操縦は、極めて巧妙だった。ダブルスロテッドフラップによるSTOL性能を完全に引き出し、水平にゆっくりと落ちるように降下し、胴体後部から着水させ、350メートルほどの滑走で終わった。
その後は船のように海上を走り、船台の端に達すると車輪を出して、傾斜路を上り始める。
その様子を身なりのいい男性が拍手で、賞賛する。
エリシアがコックピットからその男性を見ている。
「あれは、フルギアだね。
フルギアの造船所に上がっちゃったみたいだ」
隆太郎が「まずいのか?」と心配すると、エリシアは「私はね。ブルマンだから」と答える。
フルギアの造船所は、過剰なほどUS-1綾波の乗員乗客を歓待する。
ブルマンの少女に対しても……。
「ブルマンのクソ女もゆっくりしてくれ」
これが、造船所の若い工員が発したエリシアに対する歓迎の言葉だった。
隆太郎には、フルギアとブルマンの区別は付かないが、彼らは違うらしい。
全権交渉担当である鏑木委員は、造船所の豪華な応接室で造船所長と話をする。
「これから、あるところにお連れする。
決して危害を加えない。
カルタゴでの刃傷沙汰は、理由を問わず死罪だからね。
ある人物と会ってもらいたいだけだ」
鏑木委員は、5分ほど豪華な馬車に乗った。
馬車の豪華さを見れば、到着した屋敷の豪華さを想像できる。想像通りの豪華な屋敷だった。
彼が通された部屋は、過美ではないが質素でもない。あまり広くはない。
見事な絹の衣装を着た白髪の男性が入室する。
「お待たせしました」
鏑木委員が椅子から立ち上がる。
「マハジャンガの全権交渉人、鏑木と申します」
「スシャントです。
フルギア皇帝の命を受け、あなたにお出向きいただきました」
「皇帝?」
「皇帝には実権がありません。ですが、皇帝の詔〈みことのり〉なしでは政〈まつりごと〉はピクリとも動きません。
私は皇帝に仕えるもので、政権とは距離があります。ですが、皇帝は政権に意見できます」
「私に御用とは?」
「70年前、1隻の船が時渡りしてきました。
その船が王冠湾の礎〈いしずえ〉となりました。あの船が来なければ、バンジェル島がいまほどの力を持つことはありませんでした。
ご貴殿が何者なのかは存じません。
ですが、今後、ご厚誼をいただきたいのです。
我がフルギアと。
フルギアは、いかなる支援をも惜しみません。
このこと、どうかマハジャンガの指導者にお伝えいただきたいのです」
大きな観音開きのドアが少し開き、室内を覗く目が見える。
スシャントが困り顔をする。それを見透かしたように女の子が入ってくる。
鏑木委員は少し困ったが、ここで土産を出す。
「姫君、お邪魔いたしております。
これは、ささやかな土産です。
どうか、お召し上がりください」
大きなイチゴを見て、少女が驚く。
「こんなに大きなイチゴ、初めて!」
少女の母親らしい女性が飛び込んでくる。
「も、申し訳ございません」
少女は、すでにイチゴをかじっていた。
母親は「申し訳ございません。お許しください」と泣き出しそうな顔をする。
「お孫さんですか?」
一瞬場が凍る。
「恥ずかしながら、末の娘です」
「これは、失礼を……」
エリシアは、ブルマンの領事館にいた。
領事は滅茶苦茶怒っていた。
「そなたは、ブルマンの恥だ!
よりによって、フルギアの造船所に上陸するとは何事!」
ここで怒りすぎた領事は気分が悪くなり、退出する。
だが、エリシアは怒りの渦から解放されなかった。
領事よりも一世代若い副領事が怒り出す。
「そなたは、ブルマンの英雄ミエリキ様の孫であろう!
ミエリキ様があの世でお怒りだぞ!」
エリシアは言い返したかったが、我慢する。祖母の名を出して、責め立てられることには慣れてはいるが、辟易してもいる。
姉は親同士が決めた相手と文句を言わず結婚した。兄は親が決めた通りに家業を継ぎ、親の言い付け通りに無理をしない商売に精を出している。
弟と妹もいい子だ。
だが、エリシアは違う。14歳でかなり年上の男性と駆け落ち。すぐに連れ戻され、ほとぼりが冷めた16歳の直前に出奔して、放浪の旅に出る。
行き着いたのは東の果てのマハジャンガ。
兄姉に祖母の名は必要ないが、エリシアには必要。父母の名では、抑えが効かないからだ。
叱責を聞いているうちに梨々香の言葉を思い出す。彼女は「言葉なんて右から左に流せばいいのよ。私は隆太郎の意見なんて、理解なんてしないよ」と。
真似をするが、どうしても「ミエリキ」の名に脳が反応してしまう。
イライラし始めたときに、女性の声がする。
「もうよい。
エリシアにヘソを曲げられても困る」
背を向けていた人物が、ソファーから立ち上がる。
エリシアは、その人物を知っていた。
公選領主のイブティサだ。ブルマンのトップ。
彼女がテーブルに近付くと、副領事が椅子を引く。公選領主が座る。
「エリシア、聞きたいことがある」
「どんなことでございましょう?
ご領主様」
公選領主が微笑む。
「マハジャンガには、飛行機はどれほどあるのだ?」
エリシアは、どう答えるか少し考える。
「ご覧になりました飛行艇。
修理中ですが、4発の空飛ぶタンカー。
双発の大型輸送機。
単発の練習機。
8人から16人が乗れる双発機が10機以上。
20人乗りと48人乗りの旅客輸送機は製造途上にあります。
全機ターボプロップです。
それ以外にも固定翼機があり、回転翼機も多いです。修理中ですが、機体の前後に大直径のローターがある巨大なヘリコプターには驚きました。
つい最近ですが、単発単座戦闘機が完成しています」
公選領主は一瞬だが瞑目する。
「淀みなく答えたな。
真実であろう。
飛行機を製造できると言ったな。大型の貨物輸送機はないのか?
2000キロから3000キロ飛べる大型機があれば、購入したいのだ」
エリシアは、ブルマンの航空における立場の弱さを知っていた。
「アイランダーとスカイバンだけ……」
「そうだ。
どちらも1500キロほどが限界。
私はここに来るまでに、給油のために1回着陸している。
航続距離延長の改造はできるが、それをすればクマンのように追加の販売がされない恐れがある」
エリシアが少し考える。
「エンペラーエアとエンジェルエアには、機体の後部横に大きく開く貨物ドアがあります。貨物の積み込みにはフォークリフトが必要ですが、かなりの積載ができると思います。
特筆すべきは航続距離で、最大で3500キロも飛べるんです。キャビンが与圧できるので、高空を快適に飛行できます」
公選領主が少し考える。
「ブルマンは買えるか?」
「どうでしょうか?
以前、キングエア350はフルギア金貨1万6600枚だと聞きました」
「キングエア?」
「16人乗りの輸送機で、エンジン込みの売価で、その金額だと……。
マハジャンガでのキングエアは、洋上哨戒機に使われています」
公選領主が即答する。
「安いな。
買えるぞ。
どうすればよい?」
エリシアは、戸惑っていた。
「わかりません。
カブラギ全権とお話しください」
「あいわかった。
すぐにここに招かれよ。
副領事、クルマでも馬車でもよい。目立たぬ乗り物を用意せよ」
エリシアは、フルギアが用意した宿舎に向かった。領事館からは誰も同行しない。フルギアに動きを悟られないためだ。
馬車も乗用ながら短軸の質素なもの。
鏑木委員は、疲れ果てて戻る。フルギアとの接触は、彼に強烈な精神的疲労を与えた。
エリシアが「カブラギのおっちゃんは?」と問うと、鏑木委員はソファーに寝転んだまま「ここだよ~」と返事をする。
エリシアは息を吸い、大きく吐く。
「カブラギ全権、ブルマンの領主がすぐに会いたいって」
「領主?」
「ブルマンのトップだよ。
各領の領主が、ブルマン全体の領主を選ぶんだ。だから、公選領主と呼ばれている。
その公選領主が全権に会いたいって。
すぐに!」
鏑木委員が立ち上がると、エリシアは「リュウタロウにも行ってもらったほうがいいよ。飛行機のことは、リュウタロウが詳しいから……」と。
この時点で、会談内容は航空機に関する事柄であることが確定していた。
鏑木全権と隆太郎は、質素な単軸馬車に乗り、ずいぶんと遠回りをさせられたあと、目立たない民家に連れていかれた。
ごく普通の民家のごく普通のリビングで、ブルマンとマハジャンガの最初の会談が行われた。エリシアは同行していない。
軽く挨拶をしてから、隆太郎が切り出す。
「領主閣下は、飛行機に興味があるとか……」
鏑木全権は、眼前の若い女性が獰猛などと評されるブルマンの指導者であることに驚く。
しかも、鏑木全権の主観では、相当な美人だ。隆太郎がたぶらかされないか、心配している。
若い妻に徹底的に束縛されているのだから、簡単に暴発するはずだ。機会があれば……。
「貴国には、3000キロ以上飛行できる双発機があると聞きました。
複数機の購入ができないか、お尋ねをしたいのです」
「すぐに売れるような機はありませんが……」
「少しは待ちます」
隆太郎が鏑木全権を見ると、彼は小さく頷いた。商談を進めろと……。
バランスを考えると、モデル200系は残したい。売るならモデル350系だ。これからは、新造機がロールアウトしてくる。
「乗客16人乗りの低翼機はいかがでしょう?
航続性能は3500キロ以上です」
「カヤバ殿、価格は?」
「フルギア金貨2万枚」
「2割値引きせぬか?
そうしてくれるなら、もう1機買う」
2機買うと言われ、隆太郎が少し慌てる。
「もう1機は14人乗りですが……」
「16人乗りは2機ないのか?」
「16人乗りを用意しましょう。
1機で2万枚、2機で3万6000枚でいかがでしょう。
機は、最優先で仕上げます。早ければ、1カ月後には引き渡しが可能です」
鏑木全権が慌てる。エンジンがあるのか不安なのだ。
隆太郎は他機用のエンジンを流用すれば、早期に仕上げられると計算している。
「それは嬉しいのだが……。
貴国は困らぬのか?」
「マハジャンガでは、2種類のターボプロップを製造しています。量は少ないですが……。
機体も2機種を新造できます。
短期的には困りますが、中長期的にはどうということはありません。
領主閣下が早くとご希望ならば、マハジャンガはそれに応えるだけです」
「業腹だな」
「他にご要望があれば……」
「機体の塗色は望めるのか?」
「ご希望があれば……」
「なら、連絡員を派遣する。
そのものと話すがよい」
「承知いたしました。
お買い上げ、ありがとうございます」
フルギアとのざっくりとした友好よりも、ブルマンのはっきりとした商談のほうが、マハジャンガには都合がよかった。
しかし、これで終わらなかった。
その夜、日付が変わる時刻に、宿舎に若い男性が現れる。どうしても隆太郎に目通りしたいと。
彼はクマンの使者で、ブルマンがマハジャンガから飛行機を買ったと知り、クマンにも提供してほしいと懇願される。
しかも、彼は帰国に同行するという。
クマンの使者がマハジャンガ行きを決めたと聞き、ブルマンも使者を同行派遣すると言い出す。
鏑木全権は呆気にとられ、隆太郎は慌てている。
「まさか、飛行機が売れるとはねぇ」
鏑木全権の言葉は、全員の思いと一致していた。
ブルマンとクマンの使者は、外交全般を担当するのではなく、航空機のみの連絡要員であり、同時に実機を調査する任務も負っていた。
2人ともパイロットで、飛行時間は8000時間を超える。
カルタゴには1週間滞在したが、フルギア、ブルマン、北方人、クマン、湖水地域などは世辞もあるだろうが友好的だった。
バンジェル島やクフラックも表向きは、親切そうだが、世辞が慇懃すぎて見かけだけのようだ。
精霊族と鬼神族は、ヒトと違って世辞は言わない。交易には遠すぎると言われてしまった。
マハジャンガに戻ると、鏑木全権の「キングエアが2機売れた」で大騒ぎになる。
何を売ったのか、売った穴をどう埋めるのか、エンジンの製造計画はどう修正するのか、問題が噴出する。
だが、正式契約の前に調査をするため、ベテランパイロットが送り込まれたことは、買い手が本気であることを示している。
しかも、買い手の候補は、ブルマンとクマン。
飛行場の格納庫では、C-130ハーキュリーズに驚き、エンペラーエアに驚嘆し、P-3Cオライオンを見て呆然とする2人の男性がいた。
彼らは戦闘機には興味がなく、長距離を飛行できる輸送機を欲していた。
ブルマンとクマンの要求は少し異なるが、総合すると、乗員2、乗客20または貨物2トンから3トン、航続距離3000キロ、価格はフルギア金貨1万5000枚程度を望んでいる。
キングエア350は保有する2機がブルマンに売約予定で、クマンには新造のエンペラーエアを薦めていた。
モデル90、100、200は、売却する意志はない。
しかし、何かを売らなければ、マハジャンガは立ち行かなくなる。
わかったことがある。
バンジェル島やクフラックは、ブルマンとクマンに燃料タンクの容積を減じて、飛行距離を抑えたモンキーモデルを売りつけている。
両国は現在、アイランダー、スカイバン、ツインオッターの3機種を運行しており、その中でもツインオッターを主力にしていた。
スカイバンは原型機とは異なり、双垂直尾翼が単垂直尾翼となり、胴体が延長されている。
アイランダーは10人、ツインオッターは20人、スカイバンは30人乗りというクラス分けになっている。
飛行機としては、ツインオッターの評価が高い。
その点、キングエア350の乗客16は中途半端なのだが、それでも購入の意志は変わらない。
飛行場隣接の航空機工場では、キングエア350の改造中で、作業風景を見学してもらい、機体の全長が18メートルあるエンペラーエアの製造も見てもらった。
この頃、航空機工場では製造機種についての議論があった。
ビーチクラフト製の双発ビジネス機を長期間に渡り維持・整備・改造してきた経験から、キングエアの製造が可能なほどの技術的蓄積があった。
200万年後に運んできた機種はキングエアの各モデルだけだが、ボナンザ、ツインボナンザ、クイーンエア、バロンなども200万年前は保有していたし、外せる部品はすべて運んできた。
ならば、ラインナップ上のバランスがいいキングエアのモデル200シリーズを製造するほうが将来性があるのではないか、との意見だ。
350の製造を進言していたチームとしては容認できない意見だった。
この意見が先鋭化する前に、隆太郎は手を打った。
本来、隆太郎の仕事ではないのだが……。
航空機工場の各チームのトップが集まる会議に、隆太郎はオブザーバーという名の行司役を押し付けられていた。
ヘリコプターのチームは安定していて、続々とベル206の修復・再就役を進めている。
固定翼機はそうではなく、非常に不安定だ。
キングエアの製造チーム長が口角に泡を作る前に、本来は発言権のない隆太郎が切り出した。
「航空機に関しては、バンジェル島よりもクフラックのほうが優位にあるみたいだね。
戦闘爆撃機はスーパーツカノ、双発攻撃機は双発双胴のブロンコ、輸送機はツインオッターと優秀機が揃っている。
対してバンジェル島は、戦闘爆撃機はターボコブラ、双発攻撃機は単胴のプカラ、輸送機は10人乗りと30人乗りがあるけど、どれもパッとしない。
市場性があるのは、競合がない双発双胴の大型輸送機だけ……」
会議室は、沈黙が支配する。この重い空気に負けず、隆太郎は声を出す。
「ブルマンとクマンは、ツインオッターの同級機を求めている。
我々の持ちものとしては、エンペラーエアがこれにあたる。
いまは、キングエアよりもエンペラーエアを優先させるべきじゃないのかな。
ツインオッターの競合として、エンペラーエアを売り込む。
幸いにも、機械工場がギャレットの量産に漕ぎ着けた。マハジャンガが売れるものは、いまは飛行機しかない。そして、客がいる。ならば、作って売るしかない。
すべてを後回しにしても、乗客20人乗りのエンペラーエアに集中することが賢明な判断だと思う。
外部の意見だけど……」
隆太郎は航空機工場の事情を勘案して、キングエアは哨戒と人員輸送、エンペラーエアは外販用と棲み分けをすることで、調和を取ろうとした。
ただ、哨戒にも機内スペースがあるエンペラーエアのほうが向いている。
現状を考えると、キングエア350の立ち位置は難しい。むしろ、乗客8人乗りのキングエア90と乗客14人乗りのモデル200ほうが差別化しやすい。
一方、マハジャンガに必要な飛行機は、少し違っている。
マダガスカル全域を掌握するには、道がないのだから空飛ぶトラックが必要だった。
4トン積みがあればいいが、現状ではあれもほしいこれもほしいは不可能だ。2トン積みでも我慢できる。
それだと、C-130ハーキュリーズは大きすぎる。もう少し小型の大開口ドアがある貨物輸送機がほしい。
隆太郎が自宅に帰ると、梨々香とサクラが出迎えてくれる。風呂に入り、食卓に着く。非常に疲れているが、笑顔を忘れない。
隆太郎の動揺は、直接的に2人に伝播するからだ。
カルタゴの街の話などをしていたら、梨々香が唐突に「飛行機、売れたんだよね。よかったぁ~」と声を張った。
だが、そんな簡単なことではなかった。
隆太郎は、梨々香の言葉にやや過剰に反応する。
「売れたことはよかった。
ようやく、収入が得られる。
だけど……」
梨々香が不安になる。
「心配事?」
隆太郎は、頭が冷える。
「あぁ。
ヒトの世界は、バンジェル島とクフラックが仕切っているんだ。
上品な言葉を使えば、覇権を握っている……。経済力ではフルギアとクマンが拮抗するけれど、両国とも人口が多いからね。1人あたりの経済力では、バンジェル島とクフラックは抜きん出ているんだ。
高度な技術は、この2国が握っている。飛行機の製造は、実質的に2国以外は難しい。
その状況で、マハジャンガは、ブルマンとクマンに飛行機を販売するんだ。
何が起きると思う?
何が起こるかはわからないが、バンジェル島とクフラックは黙ってはいない。
ヒトの社会という小さな池に、とんでもなくデカイ石が投げ込むようなものだ。
何も起きないわけがない」
セロの空爆をつぶさに見ていたサクラが「戦争とかヤダよう」と泣きそうになる。
隆太郎は銃を撃ち合う戦争はないがだろうが、激しく陰湿な対立はあるかもしれないと、覚悟していた。
「大丈夫。
ヒト同士の戦争にはならない」
キングエア350の試乗は、好評だった。ブルマンとクマンの購入意思は、かなり高まった。
しかし、ブルマンとクマンのパイロットは「実機を試乗してから購入の諾否を決める」と用心深い。
それなりの理由がありそうなことは、容易に想像できる。
最初に動いたのはクマンだった。
練習機にしているセスナ172についての問い合わせが正式にあったのだ。
しかし、セスナ172の製造予定はない。
「売り物はありません」とは言いたくない。
輸送機の練習機なら、並列複座機がいい。
クマンから「可能なら2機の購入を希望する」との伝達があった。
正直、航空機工場は困った。これ以上の開発案件は担えない。
それに、セスナの機体は過去に製造したことがない。
誰かが「もしクマンが買ってくれるなら、うちが作らなくてもいいんじゃないか?」と航空機工場スタッフらしからぬ発言をする。
確かに、リソースが足りないのだから、その判断は現実的だ。
それと、ライカミングやコンチネンタルの空冷水平対向エンジンは手持ちが少ない。
ブルマンは、練習機に関してはアトラス山脈東麓から導入したと説明した。複葉のレシプロ機だそうだ。
「主翼の外翼は羽布張りだ。
練習機はできるだけ安い機がいい」
練習機の販売は現時点では難しいが、そういった需要があることもわかった。
飛行機以外にも売れるものがあるかもしれない。需要を探らなければならない。
そんなことを、誰もが考え始めていた。
ブルマンとクマンの購入交渉役はベテランパイロットだが、彼らも操縦訓練を絶やすことはできない。
2人は通常、1日おきにキングエア90で飛行訓練を行っていた。双発練習機として、特定の機が充当されている。
マハジャンガのパイロットたちは、そんなこんなで2人と接触することが多く、いろいろな話題を仕入れていた。
クマンは湖水地域との連携を模索しているが、その間にバンジェル島が割り込んできて、妨害されてしまう、とか。
ブルマンがクフラックからツインオッター3機のノックダウン権を高額を支払って取得したが、クフラックはエンジンの販売を拒否した、とか。
結果、過大な取引条件を突き付けられて、バンジェル島からエンジンを購入した、とか。
バンジェル島とクフラックの意向を気にせず、独立独歩なのはアトラス山脈東麓と救世主だけ、とか。
同じような話しは、花山海斗や半田辰也からも聞かされている。
ヒトの社会がバンジェル島とクフラックの強い影響下にあることはわかるが、両国は傍若無人に振る舞い、武力をちらつかせて他国に干渉しているわけではない。
ただ、巧妙で阿漕〈あこぎ〉な干渉をしていることは事実。
造船所は、建造可能な最大となる全長65メートルのPRP貨物船を竣工させていた。
ヴィクトリア湖との交易に使う予定だったが、途中の河川の幅が狭いうえに蛇行がひどく、2隻も建造したのに使い勝手が悪すぎた。
このことから、東アフリカ内陸海路を経由して地中海世界に向かう船とすることに決まった。
完成したキングエアは分解して、この船で2機ずつ運ぶ。
この航海は、必ず風雨を起こす。そよ風と小雨か、暴風雨になるのか、そこはわからないが必ず何かが起こる。
その前に、ブルマンとクマンのそれぞれの中心都市を直接訪問する必要がある。
そのための外交要員として、鏑木委員は萱場隆太郎をオブザーバーではなく、正規のメンバーに加えようとしていた。
ただし、オーク(白魔族)は除かれる。
この仕組みはうまくいっていた。
だが、ヒトの意見をまとめるアフリカ協力機構は、そうではない。
バンジェル島とクフラック次第で、両者が手を組めば否応なく決まってしまう。両者が対立すれば結果は違うのだが、対立するテーマがある場合、両者は事前に調整してしまう。
だから、いかなる議題についても、両者が公然と対立することはない。
平和裡にヒトの社会を支配している。
覇権は、バンジェル島とクフラックが握っている。
隆太郎の着水は、多くの見物人の眼前で行われた。
水上機があるので、着水は不思議ではない。しかし、この波高では自殺行為だ。
「あの小さなフロートで沈まないのか?」
見物人の疑念は、その場の全員に共通している。
隆太郎の操縦は、極めて巧妙だった。ダブルスロテッドフラップによるSTOL性能を完全に引き出し、水平にゆっくりと落ちるように降下し、胴体後部から着水させ、350メートルほどの滑走で終わった。
その後は船のように海上を走り、船台の端に達すると車輪を出して、傾斜路を上り始める。
その様子を身なりのいい男性が拍手で、賞賛する。
エリシアがコックピットからその男性を見ている。
「あれは、フルギアだね。
フルギアの造船所に上がっちゃったみたいだ」
隆太郎が「まずいのか?」と心配すると、エリシアは「私はね。ブルマンだから」と答える。
フルギアの造船所は、過剰なほどUS-1綾波の乗員乗客を歓待する。
ブルマンの少女に対しても……。
「ブルマンのクソ女もゆっくりしてくれ」
これが、造船所の若い工員が発したエリシアに対する歓迎の言葉だった。
隆太郎には、フルギアとブルマンの区別は付かないが、彼らは違うらしい。
全権交渉担当である鏑木委員は、造船所の豪華な応接室で造船所長と話をする。
「これから、あるところにお連れする。
決して危害を加えない。
カルタゴでの刃傷沙汰は、理由を問わず死罪だからね。
ある人物と会ってもらいたいだけだ」
鏑木委員は、5分ほど豪華な馬車に乗った。
馬車の豪華さを見れば、到着した屋敷の豪華さを想像できる。想像通りの豪華な屋敷だった。
彼が通された部屋は、過美ではないが質素でもない。あまり広くはない。
見事な絹の衣装を着た白髪の男性が入室する。
「お待たせしました」
鏑木委員が椅子から立ち上がる。
「マハジャンガの全権交渉人、鏑木と申します」
「スシャントです。
フルギア皇帝の命を受け、あなたにお出向きいただきました」
「皇帝?」
「皇帝には実権がありません。ですが、皇帝の詔〈みことのり〉なしでは政〈まつりごと〉はピクリとも動きません。
私は皇帝に仕えるもので、政権とは距離があります。ですが、皇帝は政権に意見できます」
「私に御用とは?」
「70年前、1隻の船が時渡りしてきました。
その船が王冠湾の礎〈いしずえ〉となりました。あの船が来なければ、バンジェル島がいまほどの力を持つことはありませんでした。
ご貴殿が何者なのかは存じません。
ですが、今後、ご厚誼をいただきたいのです。
我がフルギアと。
フルギアは、いかなる支援をも惜しみません。
このこと、どうかマハジャンガの指導者にお伝えいただきたいのです」
大きな観音開きのドアが少し開き、室内を覗く目が見える。
スシャントが困り顔をする。それを見透かしたように女の子が入ってくる。
鏑木委員は少し困ったが、ここで土産を出す。
「姫君、お邪魔いたしております。
これは、ささやかな土産です。
どうか、お召し上がりください」
大きなイチゴを見て、少女が驚く。
「こんなに大きなイチゴ、初めて!」
少女の母親らしい女性が飛び込んでくる。
「も、申し訳ございません」
少女は、すでにイチゴをかじっていた。
母親は「申し訳ございません。お許しください」と泣き出しそうな顔をする。
「お孫さんですか?」
一瞬場が凍る。
「恥ずかしながら、末の娘です」
「これは、失礼を……」
エリシアは、ブルマンの領事館にいた。
領事は滅茶苦茶怒っていた。
「そなたは、ブルマンの恥だ!
よりによって、フルギアの造船所に上陸するとは何事!」
ここで怒りすぎた領事は気分が悪くなり、退出する。
だが、エリシアは怒りの渦から解放されなかった。
領事よりも一世代若い副領事が怒り出す。
「そなたは、ブルマンの英雄ミエリキ様の孫であろう!
ミエリキ様があの世でお怒りだぞ!」
エリシアは言い返したかったが、我慢する。祖母の名を出して、責め立てられることには慣れてはいるが、辟易してもいる。
姉は親同士が決めた相手と文句を言わず結婚した。兄は親が決めた通りに家業を継ぎ、親の言い付け通りに無理をしない商売に精を出している。
弟と妹もいい子だ。
だが、エリシアは違う。14歳でかなり年上の男性と駆け落ち。すぐに連れ戻され、ほとぼりが冷めた16歳の直前に出奔して、放浪の旅に出る。
行き着いたのは東の果てのマハジャンガ。
兄姉に祖母の名は必要ないが、エリシアには必要。父母の名では、抑えが効かないからだ。
叱責を聞いているうちに梨々香の言葉を思い出す。彼女は「言葉なんて右から左に流せばいいのよ。私は隆太郎の意見なんて、理解なんてしないよ」と。
真似をするが、どうしても「ミエリキ」の名に脳が反応してしまう。
イライラし始めたときに、女性の声がする。
「もうよい。
エリシアにヘソを曲げられても困る」
背を向けていた人物が、ソファーから立ち上がる。
エリシアは、その人物を知っていた。
公選領主のイブティサだ。ブルマンのトップ。
彼女がテーブルに近付くと、副領事が椅子を引く。公選領主が座る。
「エリシア、聞きたいことがある」
「どんなことでございましょう?
ご領主様」
公選領主が微笑む。
「マハジャンガには、飛行機はどれほどあるのだ?」
エリシアは、どう答えるか少し考える。
「ご覧になりました飛行艇。
修理中ですが、4発の空飛ぶタンカー。
双発の大型輸送機。
単発の練習機。
8人から16人が乗れる双発機が10機以上。
20人乗りと48人乗りの旅客輸送機は製造途上にあります。
全機ターボプロップです。
それ以外にも固定翼機があり、回転翼機も多いです。修理中ですが、機体の前後に大直径のローターがある巨大なヘリコプターには驚きました。
つい最近ですが、単発単座戦闘機が完成しています」
公選領主は一瞬だが瞑目する。
「淀みなく答えたな。
真実であろう。
飛行機を製造できると言ったな。大型の貨物輸送機はないのか?
2000キロから3000キロ飛べる大型機があれば、購入したいのだ」
エリシアは、ブルマンの航空における立場の弱さを知っていた。
「アイランダーとスカイバンだけ……」
「そうだ。
どちらも1500キロほどが限界。
私はここに来るまでに、給油のために1回着陸している。
航続距離延長の改造はできるが、それをすればクマンのように追加の販売がされない恐れがある」
エリシアが少し考える。
「エンペラーエアとエンジェルエアには、機体の後部横に大きく開く貨物ドアがあります。貨物の積み込みにはフォークリフトが必要ですが、かなりの積載ができると思います。
特筆すべきは航続距離で、最大で3500キロも飛べるんです。キャビンが与圧できるので、高空を快適に飛行できます」
公選領主が少し考える。
「ブルマンは買えるか?」
「どうでしょうか?
以前、キングエア350はフルギア金貨1万6600枚だと聞きました」
「キングエア?」
「16人乗りの輸送機で、エンジン込みの売価で、その金額だと……。
マハジャンガでのキングエアは、洋上哨戒機に使われています」
公選領主が即答する。
「安いな。
買えるぞ。
どうすればよい?」
エリシアは、戸惑っていた。
「わかりません。
カブラギ全権とお話しください」
「あいわかった。
すぐにここに招かれよ。
副領事、クルマでも馬車でもよい。目立たぬ乗り物を用意せよ」
エリシアは、フルギアが用意した宿舎に向かった。領事館からは誰も同行しない。フルギアに動きを悟られないためだ。
馬車も乗用ながら短軸の質素なもの。
鏑木委員は、疲れ果てて戻る。フルギアとの接触は、彼に強烈な精神的疲労を与えた。
エリシアが「カブラギのおっちゃんは?」と問うと、鏑木委員はソファーに寝転んだまま「ここだよ~」と返事をする。
エリシアは息を吸い、大きく吐く。
「カブラギ全権、ブルマンの領主がすぐに会いたいって」
「領主?」
「ブルマンのトップだよ。
各領の領主が、ブルマン全体の領主を選ぶんだ。だから、公選領主と呼ばれている。
その公選領主が全権に会いたいって。
すぐに!」
鏑木委員が立ち上がると、エリシアは「リュウタロウにも行ってもらったほうがいいよ。飛行機のことは、リュウタロウが詳しいから……」と。
この時点で、会談内容は航空機に関する事柄であることが確定していた。
鏑木全権と隆太郎は、質素な単軸馬車に乗り、ずいぶんと遠回りをさせられたあと、目立たない民家に連れていかれた。
ごく普通の民家のごく普通のリビングで、ブルマンとマハジャンガの最初の会談が行われた。エリシアは同行していない。
軽く挨拶をしてから、隆太郎が切り出す。
「領主閣下は、飛行機に興味があるとか……」
鏑木全権は、眼前の若い女性が獰猛などと評されるブルマンの指導者であることに驚く。
しかも、鏑木全権の主観では、相当な美人だ。隆太郎がたぶらかされないか、心配している。
若い妻に徹底的に束縛されているのだから、簡単に暴発するはずだ。機会があれば……。
「貴国には、3000キロ以上飛行できる双発機があると聞きました。
複数機の購入ができないか、お尋ねをしたいのです」
「すぐに売れるような機はありませんが……」
「少しは待ちます」
隆太郎が鏑木全権を見ると、彼は小さく頷いた。商談を進めろと……。
バランスを考えると、モデル200系は残したい。売るならモデル350系だ。これからは、新造機がロールアウトしてくる。
「乗客16人乗りの低翼機はいかがでしょう?
航続性能は3500キロ以上です」
「カヤバ殿、価格は?」
「フルギア金貨2万枚」
「2割値引きせぬか?
そうしてくれるなら、もう1機買う」
2機買うと言われ、隆太郎が少し慌てる。
「もう1機は14人乗りですが……」
「16人乗りは2機ないのか?」
「16人乗りを用意しましょう。
1機で2万枚、2機で3万6000枚でいかがでしょう。
機は、最優先で仕上げます。早ければ、1カ月後には引き渡しが可能です」
鏑木全権が慌てる。エンジンがあるのか不安なのだ。
隆太郎は他機用のエンジンを流用すれば、早期に仕上げられると計算している。
「それは嬉しいのだが……。
貴国は困らぬのか?」
「マハジャンガでは、2種類のターボプロップを製造しています。量は少ないですが……。
機体も2機種を新造できます。
短期的には困りますが、中長期的にはどうということはありません。
領主閣下が早くとご希望ならば、マハジャンガはそれに応えるだけです」
「業腹だな」
「他にご要望があれば……」
「機体の塗色は望めるのか?」
「ご希望があれば……」
「なら、連絡員を派遣する。
そのものと話すがよい」
「承知いたしました。
お買い上げ、ありがとうございます」
フルギアとのざっくりとした友好よりも、ブルマンのはっきりとした商談のほうが、マハジャンガには都合がよかった。
しかし、これで終わらなかった。
その夜、日付が変わる時刻に、宿舎に若い男性が現れる。どうしても隆太郎に目通りしたいと。
彼はクマンの使者で、ブルマンがマハジャンガから飛行機を買ったと知り、クマンにも提供してほしいと懇願される。
しかも、彼は帰国に同行するという。
クマンの使者がマハジャンガ行きを決めたと聞き、ブルマンも使者を同行派遣すると言い出す。
鏑木全権は呆気にとられ、隆太郎は慌てている。
「まさか、飛行機が売れるとはねぇ」
鏑木全権の言葉は、全員の思いと一致していた。
ブルマンとクマンの使者は、外交全般を担当するのではなく、航空機のみの連絡要員であり、同時に実機を調査する任務も負っていた。
2人ともパイロットで、飛行時間は8000時間を超える。
カルタゴには1週間滞在したが、フルギア、ブルマン、北方人、クマン、湖水地域などは世辞もあるだろうが友好的だった。
バンジェル島やクフラックも表向きは、親切そうだが、世辞が慇懃すぎて見かけだけのようだ。
精霊族と鬼神族は、ヒトと違って世辞は言わない。交易には遠すぎると言われてしまった。
マハジャンガに戻ると、鏑木全権の「キングエアが2機売れた」で大騒ぎになる。
何を売ったのか、売った穴をどう埋めるのか、エンジンの製造計画はどう修正するのか、問題が噴出する。
だが、正式契約の前に調査をするため、ベテランパイロットが送り込まれたことは、買い手が本気であることを示している。
しかも、買い手の候補は、ブルマンとクマン。
飛行場の格納庫では、C-130ハーキュリーズに驚き、エンペラーエアに驚嘆し、P-3Cオライオンを見て呆然とする2人の男性がいた。
彼らは戦闘機には興味がなく、長距離を飛行できる輸送機を欲していた。
ブルマンとクマンの要求は少し異なるが、総合すると、乗員2、乗客20または貨物2トンから3トン、航続距離3000キロ、価格はフルギア金貨1万5000枚程度を望んでいる。
キングエア350は保有する2機がブルマンに売約予定で、クマンには新造のエンペラーエアを薦めていた。
モデル90、100、200は、売却する意志はない。
しかし、何かを売らなければ、マハジャンガは立ち行かなくなる。
わかったことがある。
バンジェル島やクフラックは、ブルマンとクマンに燃料タンクの容積を減じて、飛行距離を抑えたモンキーモデルを売りつけている。
両国は現在、アイランダー、スカイバン、ツインオッターの3機種を運行しており、その中でもツインオッターを主力にしていた。
スカイバンは原型機とは異なり、双垂直尾翼が単垂直尾翼となり、胴体が延長されている。
アイランダーは10人、ツインオッターは20人、スカイバンは30人乗りというクラス分けになっている。
飛行機としては、ツインオッターの評価が高い。
その点、キングエア350の乗客16は中途半端なのだが、それでも購入の意志は変わらない。
飛行場隣接の航空機工場では、キングエア350の改造中で、作業風景を見学してもらい、機体の全長が18メートルあるエンペラーエアの製造も見てもらった。
この頃、航空機工場では製造機種についての議論があった。
ビーチクラフト製の双発ビジネス機を長期間に渡り維持・整備・改造してきた経験から、キングエアの製造が可能なほどの技術的蓄積があった。
200万年後に運んできた機種はキングエアの各モデルだけだが、ボナンザ、ツインボナンザ、クイーンエア、バロンなども200万年前は保有していたし、外せる部品はすべて運んできた。
ならば、ラインナップ上のバランスがいいキングエアのモデル200シリーズを製造するほうが将来性があるのではないか、との意見だ。
350の製造を進言していたチームとしては容認できない意見だった。
この意見が先鋭化する前に、隆太郎は手を打った。
本来、隆太郎の仕事ではないのだが……。
航空機工場の各チームのトップが集まる会議に、隆太郎はオブザーバーという名の行司役を押し付けられていた。
ヘリコプターのチームは安定していて、続々とベル206の修復・再就役を進めている。
固定翼機はそうではなく、非常に不安定だ。
キングエアの製造チーム長が口角に泡を作る前に、本来は発言権のない隆太郎が切り出した。
「航空機に関しては、バンジェル島よりもクフラックのほうが優位にあるみたいだね。
戦闘爆撃機はスーパーツカノ、双発攻撃機は双発双胴のブロンコ、輸送機はツインオッターと優秀機が揃っている。
対してバンジェル島は、戦闘爆撃機はターボコブラ、双発攻撃機は単胴のプカラ、輸送機は10人乗りと30人乗りがあるけど、どれもパッとしない。
市場性があるのは、競合がない双発双胴の大型輸送機だけ……」
会議室は、沈黙が支配する。この重い空気に負けず、隆太郎は声を出す。
「ブルマンとクマンは、ツインオッターの同級機を求めている。
我々の持ちものとしては、エンペラーエアがこれにあたる。
いまは、キングエアよりもエンペラーエアを優先させるべきじゃないのかな。
ツインオッターの競合として、エンペラーエアを売り込む。
幸いにも、機械工場がギャレットの量産に漕ぎ着けた。マハジャンガが売れるものは、いまは飛行機しかない。そして、客がいる。ならば、作って売るしかない。
すべてを後回しにしても、乗客20人乗りのエンペラーエアに集中することが賢明な判断だと思う。
外部の意見だけど……」
隆太郎は航空機工場の事情を勘案して、キングエアは哨戒と人員輸送、エンペラーエアは外販用と棲み分けをすることで、調和を取ろうとした。
ただ、哨戒にも機内スペースがあるエンペラーエアのほうが向いている。
現状を考えると、キングエア350の立ち位置は難しい。むしろ、乗客8人乗りのキングエア90と乗客14人乗りのモデル200ほうが差別化しやすい。
一方、マハジャンガに必要な飛行機は、少し違っている。
マダガスカル全域を掌握するには、道がないのだから空飛ぶトラックが必要だった。
4トン積みがあればいいが、現状ではあれもほしいこれもほしいは不可能だ。2トン積みでも我慢できる。
それだと、C-130ハーキュリーズは大きすぎる。もう少し小型の大開口ドアがある貨物輸送機がほしい。
隆太郎が自宅に帰ると、梨々香とサクラが出迎えてくれる。風呂に入り、食卓に着く。非常に疲れているが、笑顔を忘れない。
隆太郎の動揺は、直接的に2人に伝播するからだ。
カルタゴの街の話などをしていたら、梨々香が唐突に「飛行機、売れたんだよね。よかったぁ~」と声を張った。
だが、そんな簡単なことではなかった。
隆太郎は、梨々香の言葉にやや過剰に反応する。
「売れたことはよかった。
ようやく、収入が得られる。
だけど……」
梨々香が不安になる。
「心配事?」
隆太郎は、頭が冷える。
「あぁ。
ヒトの世界は、バンジェル島とクフラックが仕切っているんだ。
上品な言葉を使えば、覇権を握っている……。経済力ではフルギアとクマンが拮抗するけれど、両国とも人口が多いからね。1人あたりの経済力では、バンジェル島とクフラックは抜きん出ているんだ。
高度な技術は、この2国が握っている。飛行機の製造は、実質的に2国以外は難しい。
その状況で、マハジャンガは、ブルマンとクマンに飛行機を販売するんだ。
何が起きると思う?
何が起こるかはわからないが、バンジェル島とクフラックは黙ってはいない。
ヒトの社会という小さな池に、とんでもなくデカイ石が投げ込むようなものだ。
何も起きないわけがない」
セロの空爆をつぶさに見ていたサクラが「戦争とかヤダよう」と泣きそうになる。
隆太郎は銃を撃ち合う戦争はないがだろうが、激しく陰湿な対立はあるかもしれないと、覚悟していた。
「大丈夫。
ヒト同士の戦争にはならない」
キングエア350の試乗は、好評だった。ブルマンとクマンの購入意思は、かなり高まった。
しかし、ブルマンとクマンのパイロットは「実機を試乗してから購入の諾否を決める」と用心深い。
それなりの理由がありそうなことは、容易に想像できる。
最初に動いたのはクマンだった。
練習機にしているセスナ172についての問い合わせが正式にあったのだ。
しかし、セスナ172の製造予定はない。
「売り物はありません」とは言いたくない。
輸送機の練習機なら、並列複座機がいい。
クマンから「可能なら2機の購入を希望する」との伝達があった。
正直、航空機工場は困った。これ以上の開発案件は担えない。
それに、セスナの機体は過去に製造したことがない。
誰かが「もしクマンが買ってくれるなら、うちが作らなくてもいいんじゃないか?」と航空機工場スタッフらしからぬ発言をする。
確かに、リソースが足りないのだから、その判断は現実的だ。
それと、ライカミングやコンチネンタルの空冷水平対向エンジンは手持ちが少ない。
ブルマンは、練習機に関してはアトラス山脈東麓から導入したと説明した。複葉のレシプロ機だそうだ。
「主翼の外翼は羽布張りだ。
練習機はできるだけ安い機がいい」
練習機の販売は現時点では難しいが、そういった需要があることもわかった。
飛行機以外にも売れるものがあるかもしれない。需要を探らなければならない。
そんなことを、誰もが考え始めていた。
ブルマンとクマンの購入交渉役はベテランパイロットだが、彼らも操縦訓練を絶やすことはできない。
2人は通常、1日おきにキングエア90で飛行訓練を行っていた。双発練習機として、特定の機が充当されている。
マハジャンガのパイロットたちは、そんなこんなで2人と接触することが多く、いろいろな話題を仕入れていた。
クマンは湖水地域との連携を模索しているが、その間にバンジェル島が割り込んできて、妨害されてしまう、とか。
ブルマンがクフラックからツインオッター3機のノックダウン権を高額を支払って取得したが、クフラックはエンジンの販売を拒否した、とか。
結果、過大な取引条件を突き付けられて、バンジェル島からエンジンを購入した、とか。
バンジェル島とクフラックの意向を気にせず、独立独歩なのはアトラス山脈東麓と救世主だけ、とか。
同じような話しは、花山海斗や半田辰也からも聞かされている。
ヒトの社会がバンジェル島とクフラックの強い影響下にあることはわかるが、両国は傍若無人に振る舞い、武力をちらつかせて他国に干渉しているわけではない。
ただ、巧妙で阿漕〈あこぎ〉な干渉をしていることは事実。
造船所は、建造可能な最大となる全長65メートルのPRP貨物船を竣工させていた。
ヴィクトリア湖との交易に使う予定だったが、途中の河川の幅が狭いうえに蛇行がひどく、2隻も建造したのに使い勝手が悪すぎた。
このことから、東アフリカ内陸海路を経由して地中海世界に向かう船とすることに決まった。
完成したキングエアは分解して、この船で2機ずつ運ぶ。
この航海は、必ず風雨を起こす。そよ風と小雨か、暴風雨になるのか、そこはわからないが必ず何かが起こる。
その前に、ブルマンとクマンのそれぞれの中心都市を直接訪問する必要がある。
そのための外交要員として、鏑木委員は萱場隆太郎をオブザーバーではなく、正規のメンバーに加えようとしていた。
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