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第9章
09-216 不期遭遇
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ディエゴ・スアレス湾には、文明の痕跡が残されていた。最初の調査では、隆太郎が3人の考古学者を運んだ。
初老の考古学者が「海のマチュピチュだ」と表現したが、石造りの街の雰囲気はインカ文明の遺跡によく似ている。
当初、発見されたのは海辺に近い建物の基礎部分だけだったが、やや内陸に2メートルにもなるイネ科の植物に覆われた広大な住居跡を発見した。
現状、この遺跡の規模はわかっていない。また、いつ造られたものなのか、それも不明。オークはヒトの街を利用はしても、居住地を建設したりしない。
なので、この遺跡はヒトが建設したものだと、考古学者たちは判断している。
科学者たちが興奮気味に議論している中で、隆太郎はひどく覚めていた。ヒトの最大脅威は穴居人であり、穴居人がいないなら他の脅威は無視してもいい。
先着していた若い地理学者が隆太郎の隣に来る。
「萱場さん、お茶、飲ませて?」
隆太郎が微笑む。年齢が近いからなのか、この地理学者兼探検家とはウマが合う。
「いいですよ。
翼の下に入りましょう」
隆太郎がポーターに向かう。隆太郎が機内から魔法瓶を取り出す。
軽合金製のマグカップを地理学者が口に運ぶ。
「あの街、ヒトが造ったものだと思う?」
地理学者の唐突な問いに、隆太郎が怪訝な顔をする。
「考古学者と人類学者は、ヒトの遺跡だと断言してますよ」
研究の当事者ではない地理学者は、斜に構えていた。
「200万年あれば、猿人から新人に進化できる。火を知らないホモ・ハビリスが核兵器を持つホモ・サピエンスになるんだ。
ヒト以外の霊長類が、ヒトに似た生物に進化したって不思議じゃないよ。
現段階で、ヒトの遺跡だと断言する根拠はないね」
隆太郎はおもしろく感じた。
「じゃぁ、先生、その説を開陳したら?」
地理学者が「このお茶美味いね」と感心する。
「そんなことしたら、動物学者も議論に参戦してしまう。
もっと、面倒になる。
俺は、マダガスカル島北部海岸の地形を調べたいんだ。余計なことをしたら、それができなくなってしまう……」
隆太郎が提案する。
「明日、海岸に沿って、南に向かいましょう。
有志を募ってみませんか?
燃料はあるので、アントゥンギル湾まで、こいつ単独で行けますよ」
地理学者は、隆太郎の言葉を歓迎する。
「萱場さんのその言葉を待っていたよ」
地理学者の誘いに乗ったのは、移住委員会の調査担当、生存しているヒトに興味がある歴史学者だった。
4人という少数だが、それだけに意志の統一が早く、行動に制約がかかりにくい。
隆太郎の計画は、簡潔だった。
「海岸に沿って南下し、アントゥンギル湾の開口部を見つけたら直行する。
湾の最深部に達したら、着陸できる場所を探して降りる。着陸したら例のヒトの痕跡を探す。
全行程は400キロ、砂浜の海岸に着陸できるし、少し内陸の草原にも降りられる。
その後は周辺を調査する。
で、どうです?」
地理学者は、ある程度論理的な違和感を感じていた。
左手に海岸を見ながら陸側を飛ぶ隆太郎に、地理学者が背後から話しかける。
「萱場さん、モザンビーク海峡は流れが速いんだ。北から南に流れる海流は、200万年後でも変わっていない。
だけど、200万年前よりも数ノット速いようだ。
どうしてだと思う?」
地理学者の質問に、隆太郎は質問で返す。
「どうしてだろうねぇ?」
地理学者は、隆太郎の答えを合いの手と受け取った。
「流量が同じ場合、流路が狭くなると、流れは速くなる」
隆太郎は地理学者の言いたいことがわかった。
「モザンビーク海峡が狭くなっている?」
地理学者が首肯する。
「全体的には広くなっているのだけど、部分的に狭くなっている、と推測できる。アフリカとマダガスカルの間は、開いているけど、なぜか一部が狭くなっていて、ボトルネックができている。
無理がある推測かな?
あるいは、海水の流量が劇的に増えているんじゃないかな。
アフリカ東岸に沿った流れの他に、別の流れが合流しているのかも。
早く、飛行機を飛ばしてほしいよ。
高空から見れば、何がどうなっているのかわかるはずだからね。
俺たちが知っている海岸線とは、異なっている可能性が高いと思うんだ」
隆太郎は彼の説に興味はなかったが、操縦は単純な作業で、暇つぶしがしたかった。
「例えば?」
地理学者が少し考える。
「まったくの専門外なんだが……。
例えば……、アフリカが東西に分裂しているとか……」
脇で聞いていた歴史学者が反応する。
「グレートリフトバレーだっけ?
そこでアフリカが東西に引っ張られているんだろ」
地理学者は、再度考える。
「200万年あれば、分裂はあり得るね。
その可能性はある。いや、高い。
アフリカの沿岸調査は、早急に必要かもしれない」
内陸の離着陸適地に降りる。
地理学者が「バニラと丁子を見つけた」と微笑み、動物学者でもある調査員は「哺乳類がまったくいない。ネズミ1匹も……。大消滅後、マダガスカルはニュージーランド化したんだ。やはり、この島の頂点捕食者は肉食の走鳥で間違いない」と。
動物相は決定的に変化したが、対して植物相は200万年前と大きな変化がない。
両者の関係は、明らかにバランスを欠いていた。
大消滅では、地中と水中の生物と物質は消えなかった。哺乳類には地中に巣を作る種が多いから、小動物を中心に生き残る可能性は大型動物に比べれば高かった。
だが、マダガスカルの特異な動物相は、完全に消滅した。
一方、植物はある程度生き残れた。そして、再生に成功し、新たな動物を呼び込むことに成功する。
空白の動物相において、鳥が地上の覇者となり、飛ばない鳥の島になった。
この過程は、ほぼ確かなのだろう。
隆太郎は、そう考えていた。実際、規模はずっと小さいが房総でも似たようなことがあった。ウサギの爆発的繁殖と大型化。そのウサギを狙うネコの大型化と姿の変容。猫の一部は、上顎犬歯が異常に長くなり、サーベルタイガーを思わせる姿になった。
房総では、イヌは絶滅する。だが、その後、どこからかやって来た。そのときは、すでに体重80キロに達する大型亜種になっていた。
非常に堅牢な体躯で、一時期、タイリクオオカミが侵入してきたが、これを駆逐してしまった。
隆太郎は見聞や自分の体験から、学者たちの仮説は容易に受け入れることができた。
また、文明の痕跡はあるが、ヒトが存在した明確な証拠はまったく見つかっていない。
眼前の金属製ドーム以外は……。
科学者たちには、眼前のドームに興奮していた。
隆太郎は科学者たちが一心不乱にドームの周囲を回っている姿をおもしろそうに眺めている。
隆太郎は、海岸に向かう。動物学者である調査員が同行する。
むさ苦しい男2人で、爽やかな潮風に吹かれる。
すると、2人の学者も追ってきた。
「おい、先生!
双眼鏡を貸してくれ!」
隆太郎の動揺した大声を聞いた歴史学者が、彼の貧弱な双眼鏡を渡す。
「何かいる!」
地理学者が海面を捜索する。
「動物じゃない!
先生、遠くにでっかいヤツがいる!
隠れたほうがいい!
見つかったら、ヤバいぞ!」
調査員は、それでも海面を捜索している。
存在が確認されていないクジラを探す。大型の海棲爬虫類ではなく、大型の海獣を確認したかった。
瞬間、彼も気付く。
「ヤバいぞ!
マジで!」
いつもは学者然としている彼が、どこにでもいるお兄さんの口調になっていた。
この時点で、隆太郎は灌木林に向かっていた。どこでもいいから、地形を利用して隠れるつもりだ。
2人は明確に視認していた。
「あれは、空母だ!
航空母艦だ!
信じられない!
強大な軍事国家があるのか!」
灌木の陰から、4人が海上を眺めている。
歴史学者以外、空母についての知識は曖昧だった。
「全通飛行甲板を備えていて、航空機を発着できるようにした特殊な船だ。
大消滅以前に存在した大型の軍艦なんだ」
調査員が問う。
「先生、なんでそんなものが200万年後にあるんだ!」
歴史学者が目を伏せる。
「わからない……」
半田辰也は探検船キヌエティの飛行甲板から沖を見ている。
彼方に白波を見た。
「クソでかいトカゲか……。
15メートルはあるな……」
彼の独り言は、アラセリに聞かれた。
「海はいい。
広いから……」
アラセリの顔立ちは、明らかにチャド湖周辺の出身者だ。白魔族によって、遺伝子操作され、品種改良も行われたヒトたちだが、彼ら個々人に責任があるわけではない。
だが、あからさまではないにしても、差別がある。辰也もそれを知っている。
チャド湖周辺のヒトが他地域で生活していくことは、簡単ではない。しかし、アラセリは、なぜかその道を選んだ。
「ヘンだな。
トカゲは、陸には近付かない、と聞いたが……」
甲板に胡座をかいていた辰也が立ち上がる。
「ワニかもしれない。
ワニは沖には出ないからね」
「脚が鰭化したワニでも、最大は10メートルくらいだと聞いた。
あの航跡はワニのものではないだろう」
ここで辰也は、不審感を抱き、話を続ける。
「トカゲは海面直下を泳ぐことは少ない。ワニだとすれば、航跡が大きすぎる。
では何だ?
未知の動物か?
ワニの新種か?」
アラセリが正論を問う。
「伝説のクジラは?」
辰也が微笑む。
「それは大発見だ」
浜辺で緊張している4人とは対照的に、飛行甲板上の2人はのどかだった。
アフリカに拠点を移したヒトは、ドラキュロの日常的な脅威から逃れることはできたが、基本的な個人装備に変化はなかった。
装弾数の多いレバーアクションライフル、動作確実な6連発リボルバー、弾を撃ちきったあとは刀剣を抜いて最後の戦いをする。
これが、この世界の戦い方であり、アフリカ移住後も変化はない。
アフリカはユーラシアとは海で隔たれているが、ドラキュロが渡海しないという保証はない。可能性は高くないが、低くもない。だから、準備は怠らない。
それに、ユーラシアの存在を無視してはいない。ユーラシアを調べ、ユーラシアを監視している。
奇妙な考えに取り憑かれたカルトもいる。ドラキュロを捕獲して、アフリカに移入しようとした集団がいる。
それと、ドラキュロが渡海できないとする根拠がない。
実際、インド亜大陸の先端に浮かぶセイロン島には、ドラキュロがいる。
この世界のすべては、ドラキュロ次第なのだ。
辰也とアラセリが便乗者用食堂に行くと、花山海斗がいた。
アラセリが海斗に尋ねる。
「カイトの刀だが、柄が長くて両手で扱うのだろう?
私の祖母は、両手で扱う刀を持つ女戦士と刃を交えたことがあるそうだ。
手強かったと……。
その手練れとは、レムリアで一緒に戦ったそうだ。レムリアの発見後、間もない頃のことのようだ」
辰也が応じる。
「その話だが……。
別件だろうが、ダマスカス鋼の刀を使う救世主の姫の話を聞いた。
祖母からだ。
レムリア人の村を守って、ともに戦ったとか。戦を司る天使のごとき強さだったと……」
海斗の祖母もレムリアに赴いたことがある。
「俺のバァさんもレムリアにいたことがあるらしい。
よくは知らないが……。
蛮族のティターンと戦ったとか」
アラセリもその部族の名を知っていた。
「祖母が戦ったのもティターンだと聞いた」
辰也もティターンの名を知っていた。
「ティターンか……。
選民思想に溺れた野蛮な連中らしい。
俺のバァちゃんもレムリアとは浅くない関係みたいだ。父方、母方、どっちのバァちゃんも蛮族相手に暴れまくったと聞いている」
探検船キヌエティから発進した水陸両用トラックDUKWは、2輌だった。このうち1輌が日没前に戻り、1輌と科学者6人、隊員4人が観測基地に残ることになった。
観測基地ではあるが、金属製の多角形ドームが1棟あるだけ。敷地の囲いさえない。
周辺に人感センサーを配置し、この島で最も危険な恐鳥の接近を探知できるようにする。
安全策はこれだけ。
理由は簡単。ドラキュロと比べたら、恐鳥なんて恐怖の対象にもならないからだ。
探検船キヌエティの抜錨直前、上陸していた科学者たちは、調査範囲を拡大する目的から「ヘリを1機置いていけ」と船長に要求する。
船長は科学者の要求を受け入れ、小型ヘリコプター1機とパイロットと整備士各1人の派遣を了承する。
パイロットは花山海斗、整備士はエリシアが指名される。サリューと海斗が遠く離れることはほとんどなかったが、ここは受け入れるしかなかった。
サリューが整備士となって観測基地に残ると、乗船しているヘリコプターパイロットがいなくなる。
それは、船長が容認しない。
サリューは平気だったが、海斗は不安だった。
全長120メートルある空母が湾外に向かっていく。
確認した限りでは、ヘリコプター1機が島内に向かった。
ヘリコプターが向かった方向に何があるのかわからないし、海岸付近に降りた様子はない。
歴史学者が「何だろうね?」と問い、地理学者が「我々の仲間じゃないよね?」と確認し、移住委員会の調査員が「空母なんて、想定外ですよ」と呻いた。
ポーターを疎林の中に隠したので、絶対に見つかってはいない自信が隆太郎にはあった。
「あの空母、艦橋の前後に大砲を積んでいましたよ」
隆太郎の言葉に誰も応じない。
不安が増し、改めてヒトが危険な生き物であることを再確認しなければならなかった。
大砲があるのだから、戦いがあるのだ。
調査員が「水陸両用車が艦尾から艦内に入るところを見ました。砂浜に轍が残っているはず。たどれば、何をしていたのかわかるかもしれません」と。
全員が学術的ではない好奇心に煽られていた。それは、隆太郎も同じだった。
「先生たち、行ってみよう!」
隆太郎の提案に反対はなかった。
ポーターの擬装を厳にする。
科学者の半分は見張り、半分は個人装備を点検している。リボルバーの弾倉を開いて装弾を確認し、ライフルもチェックする。
そして、見張りと個人装備の確認を交代する。
湾内は穏やかで、白波は海岸付近だけ。
水陸両用車が去っているし、ヘリコプターは飛び去っている。誰もいないはずだが、それでも隆太郎は用心していた。
轍を追うと、科学者たちは科学者らしからぬ行動をする。
戦い慣れしている彼らは、科学者の目ではなく、戦士か猟師の目になっていた。
浜辺から疎林を抜け、草原に至る。2人が先導し、隆太郎が後方を警戒する。
海岸から200メートルほどの草原に観測基地がある。
女性の科学者がDUKWのスタッフに「トイレはどこ」と尋ね、スタッフは無言でスコップを渡す。
女性の科学者が「だよね」と微笑む。
別のDUKWのスタッフが「先生、内陸側じゃなく、海岸側がいいですよ。恐鳥がいないから……」と忠告する。
女性の科学者が海岸側の林に向かって歩き出そうとした瞬間、想定外ものが林から現れた。
先導する2人の科学者は、ヒトの姿を認めて、後方の2人に知らせようと合図した。
だが、4人は女性と目を合わせてしまった。
女性の科学者は、慌てて後退る。
4人の男のうち、1人が「こんにちは」と。
武装した4人の男は、探検船キヌエティのメンバーではない。
女性がスコップを振り上げる。
花山海斗は、男4人が疎林の中から現れた瞬間を見た。
すぐに、ヘリコプターの後席から個人装備を引っ張り出し、ライフルを構える。
双方が驚いていた。
隆太郎たちは海岸近くにヒトがいるとは予測していなかったし、海斗たちは自分たち以外のヒトがマダガスカル島にやって来るとは考えていなかった。
双方が慌て、互いに銃を突き付けあい、何かを叫んでいる。
双方の中間に女性の科学者がいた。
彼女がスコップを捨て、両手を広げて、叫ぶ。
「撃っちゃダメ!
あなたたち、誰なの!
どこから来たの!」
女性の言葉は、隆太郎には聞いたことがないものだった。
ただ、まったく耳慣れしていないわけではない。どことなく、知っている言葉のようにも思う。
海斗は、彼らの言葉を知っていた。
「オハヨウゴザイマス!」
この他はイタダキマスとコンニチハしか知らない。意味は知らない。
隆太郎たちの興奮と警戒は、オハヨウゴザイマスというこの場にふさわしくない言葉で一気に削がれた。
誰も銃口を下げないが、トリガーからは指を離す。
隆太郎は迷ったが、双方の中間に立つ女性に近付いた。
腰のナイフ以外に武器は持っていない。
女性に英語で話しかけてみる。
女性は少し考えたが、言葉を返してきた。
「全部はわからないけど……」
隆太郎の英語力もかなり低いが、彼女の言葉が変形した英語、訛った英語であることは何となくわかる。
「互いに銃口を下げよう」
彼女が頷く。
隆太郎が叫ぶ。
「先生たち、銃を下げてくれ!
ビビって撃つなよ!」
恐怖から発射してしまうほど、肝の据わっていない科学者たちではない。彼らは、穴居人との接触でも冷静に対処できるだけの場数を踏んでいる。
科学者たちが警戒しながらも、銃口を下に向ける。
女性の科学者が「撃っちゃダメよ!」と叫び、続けて「話し合いましょう!」と。
海斗は正体不明の相手に対して無条件に警戒を解くほど、育ちはよくない。
だが、無用な殺生は避けたい。
同時に彼は命令する立場にない。
しかし、行動はできる。彼は、黙って銃口を下げた。ほぼ同時にエリシアも同じ行動をし、科学者たちとDUKWのスタッフも警戒しながらも銃口を地面に向ける。
女性と話し込んでいた地理学者が3人まで戻ってきた。
「探検船の乗員たちと科学者だそうだ。
マダガスカル島を調べているらしい。
バンジェルという島だか街だか国だかのヒトたちらしい」
隆太郎が「先生は何を聞かれた?」と尋ねると、地理学者は「どこから来たかと?」と答え、隆太郎は「何て答えた?」と問いを重ねる。
「土佐の高知から来たと伝えた。
そうしたら、高知の場所を聞かれたよ。
一応、遠くだと答えておいた」
隆太郎は機内から背負い式の携帯無線機を出し、状況をマハジャンガに伝える。無線は暗号化されている。
マハジャンガでは、200万年後のヒトと接触したことに驚き、また空母の存在に慌て、至急救援を送ると返してきた。
海斗は、上陸隊の隊長が無線で探検船キヌエティに状況を知らせたことを知っていた。
ただ、キヌエティ側は、どこかの街か国がマダガスカル島に調査隊を送ったか、科学者有志の探検隊か何かだろうと、重要視しなかった。
船長は、アントゥンギル湾に引き返す判断をしなかった。
海斗は不信感を募らせていた。
言葉がまったく通じないのではなく、相互に少しの理解ができる。こういったことは、アトラス山脈東麓や湖水地域ではあったことだし、救世主との意思疎通も手間がかかる。
だから、他地域のヒトかもしれないのだが、しかし「オハヨウゴザイマス」をなぜ知っているのか?
そこが疑問だった。
エリシアが海斗に話しかける。
「祖母が、オハヨウゴザイマス、コンニチハ、オヤスミナサイ、アリガトウゴザイマス、イタダキマスという言葉をよく使っていた。
祖母の友だちが教えてくれたって……」
海斗は怪訝な目でエリシアを見る。
「お婆さんって?」
エリシアが答える。
「ミエリキお婆ちゃんは、王冠湾のパイロットだった。プロペラがない双発輸送機を飛ばしていた。
パイロットを引退したあとは、ブルマンの政治家になった。
私のお爺ちゃんは、王冠湾のヒトだった。
どういう仕事をしていたのかは知らない」
王冠湾と聞いて、彼女とは無縁ではないと思ったが、祖父母の話をする気にはなれなかった。
ほら吹きの孫と思われるのも嫌だった。
マハジャンガでは燃料をかき集めて、2機のベル412の離陸準備を進める。
アントゥンギル湾までは、片道370キロある。ベル412では往復するには航続距離が足りないので、1機に復路用の燃料を積み込んだ。
海斗たちは、隆太郎たちに対して徐々に不信感を増していった。
彼らはどこから来たのか、アフリカを知っているのに、なぜレムリアを知らないのか?
まったく理解できない。
赤道以北アフリカのヒトではないのではないか?
海斗は科学者たちの会話を側聞していて、そう感じ始めていた。
確認の方法はある。
この世界の誰もが知っている脅威。
ドラキュロだ。
ヒトを見たら確実に襲ってくる、恐ろしい生き物。生き物ではなく、生物の仕組みを利用した機械だという学者もいる。
噛みつき、ヒト食い、いろいろな呼び方があるが、ヒトに似たヒトを食う生き物のことなら知っているはずだ。
隆太郎は調査員とともにポーターから離れなかった。
2人に海斗とエリシアが近付いてくる。
海斗が話しかける。
「あんたたちの土地には、ヒト食いはいるのか?」
いると答えれば、赤道以北アフリカのヒトではない。
隆太郎はマハジャンガを基準に答える。
「穴居人のこと?
いや、いない……」
ヒト食いと尋ねたら、すぐに答えが返ってきた。彼らはドラキュロを穴居人と呼ぶらしい。初めて聞く呼び方だ。
ドラキュロを知っているが、同時に彼らの勢力圏にはいないと答えた。どうにも判断できない。
2人の男は、明らかに動揺している。
隆太郎が「オークを知っているか?」と尋ねると、海斗が「知っている。白魔族のことだ。連中は不死の軍団の領域に踏み込んでしまい徹底的に叩かれた」と教える。
海斗と隆太郎の会話は、微妙にすれ違っている。
海斗の不信感は増していたが、その根源が何かはよくわからない。
エリシアも「話がかみ合っていない」と疑問視している。決定的なことは、セロを知らないこと。
だが、レムリアや湖水地域ではセロは広くは知られていない。これも疑いの決定打にはならない。
疑念、違和感、どこか釈然としない感じはあるのだが、彼らからなぜそう感じるのか、という明確な理由がわからなかった。
太陽が沈む。
海斗たちは、予定通りにキャンプの準備を始める。
正体が判然としないヒトたちは、疎林の中で休むが、海斗たちが焚き火を囲んでいると酒を持ってやって来た。
海斗とエリシアは若年であることを理由に酒を辞退したが、実際は警戒しているから飲まないことにした。
そのことは、上陸隊の隊長と科学者のリーダーからも命じられた。
「異常があれば、迷わず撃て」
焚き火を囲んで、双方とも他愛のない話題を肴にして酒を飲む。
エリシアがブルマンやフルギアに伝わる裏の歴史を話し出す。唐突ではなく、ヒトはなぜアフリカに渡ったのかが話題になったからだ。
「半田隼人という陰の実力者がいた。
私は、母方の祖父母からそう教えられた。
ヒトは総意で移住を決めたのではなく、半田隼人がアフリカに移住することを決め、ヒトをそう仕向けたのだ、と。
ヒト食いの脅威から逃れるためだ。
だが、彼は志半ばで何者かに暗殺されてしまう。
彼の意志を継いだのは、香野木恵一郎という人物だった。
香野木は黒魔族との講和を成し遂げ、ヒトだけでなく、鬼神族や精霊族、黒魔族と半龍族をも移住に成功させたんだ。
私たちが現在、こうしていられるのは、偉大な2人の先人がいたからだ。
半田隼人と香野木恵一郎は、鬼神族は英雄十傑、精霊族は聖十二使徒に列している。
黒魔族は永遠の指導者の称号を与え、半龍族は龍魂という最高位の尊称を授けている。
2人への感謝が薄いのは、ヒトだけらしい。
いいや、東方フルギアは神と同列にしているし、ブルマンとフルギアでは聖人だ」
花山海斗は、エリシアの口から祖父の名が出たことに驚いていた。
しかも、ほら吹き以外の称号を聞くとは思わなかった。
そして、翌日昼前、もっと驚くものを見る。
見たことがあるヘリコプターが飛んできたのだ。
初老の考古学者が「海のマチュピチュだ」と表現したが、石造りの街の雰囲気はインカ文明の遺跡によく似ている。
当初、発見されたのは海辺に近い建物の基礎部分だけだったが、やや内陸に2メートルにもなるイネ科の植物に覆われた広大な住居跡を発見した。
現状、この遺跡の規模はわかっていない。また、いつ造られたものなのか、それも不明。オークはヒトの街を利用はしても、居住地を建設したりしない。
なので、この遺跡はヒトが建設したものだと、考古学者たちは判断している。
科学者たちが興奮気味に議論している中で、隆太郎はひどく覚めていた。ヒトの最大脅威は穴居人であり、穴居人がいないなら他の脅威は無視してもいい。
先着していた若い地理学者が隆太郎の隣に来る。
「萱場さん、お茶、飲ませて?」
隆太郎が微笑む。年齢が近いからなのか、この地理学者兼探検家とはウマが合う。
「いいですよ。
翼の下に入りましょう」
隆太郎がポーターに向かう。隆太郎が機内から魔法瓶を取り出す。
軽合金製のマグカップを地理学者が口に運ぶ。
「あの街、ヒトが造ったものだと思う?」
地理学者の唐突な問いに、隆太郎が怪訝な顔をする。
「考古学者と人類学者は、ヒトの遺跡だと断言してますよ」
研究の当事者ではない地理学者は、斜に構えていた。
「200万年あれば、猿人から新人に進化できる。火を知らないホモ・ハビリスが核兵器を持つホモ・サピエンスになるんだ。
ヒト以外の霊長類が、ヒトに似た生物に進化したって不思議じゃないよ。
現段階で、ヒトの遺跡だと断言する根拠はないね」
隆太郎はおもしろく感じた。
「じゃぁ、先生、その説を開陳したら?」
地理学者が「このお茶美味いね」と感心する。
「そんなことしたら、動物学者も議論に参戦してしまう。
もっと、面倒になる。
俺は、マダガスカル島北部海岸の地形を調べたいんだ。余計なことをしたら、それができなくなってしまう……」
隆太郎が提案する。
「明日、海岸に沿って、南に向かいましょう。
有志を募ってみませんか?
燃料はあるので、アントゥンギル湾まで、こいつ単独で行けますよ」
地理学者は、隆太郎の言葉を歓迎する。
「萱場さんのその言葉を待っていたよ」
地理学者の誘いに乗ったのは、移住委員会の調査担当、生存しているヒトに興味がある歴史学者だった。
4人という少数だが、それだけに意志の統一が早く、行動に制約がかかりにくい。
隆太郎の計画は、簡潔だった。
「海岸に沿って南下し、アントゥンギル湾の開口部を見つけたら直行する。
湾の最深部に達したら、着陸できる場所を探して降りる。着陸したら例のヒトの痕跡を探す。
全行程は400キロ、砂浜の海岸に着陸できるし、少し内陸の草原にも降りられる。
その後は周辺を調査する。
で、どうです?」
地理学者は、ある程度論理的な違和感を感じていた。
左手に海岸を見ながら陸側を飛ぶ隆太郎に、地理学者が背後から話しかける。
「萱場さん、モザンビーク海峡は流れが速いんだ。北から南に流れる海流は、200万年後でも変わっていない。
だけど、200万年前よりも数ノット速いようだ。
どうしてだと思う?」
地理学者の質問に、隆太郎は質問で返す。
「どうしてだろうねぇ?」
地理学者は、隆太郎の答えを合いの手と受け取った。
「流量が同じ場合、流路が狭くなると、流れは速くなる」
隆太郎は地理学者の言いたいことがわかった。
「モザンビーク海峡が狭くなっている?」
地理学者が首肯する。
「全体的には広くなっているのだけど、部分的に狭くなっている、と推測できる。アフリカとマダガスカルの間は、開いているけど、なぜか一部が狭くなっていて、ボトルネックができている。
無理がある推測かな?
あるいは、海水の流量が劇的に増えているんじゃないかな。
アフリカ東岸に沿った流れの他に、別の流れが合流しているのかも。
早く、飛行機を飛ばしてほしいよ。
高空から見れば、何がどうなっているのかわかるはずだからね。
俺たちが知っている海岸線とは、異なっている可能性が高いと思うんだ」
隆太郎は彼の説に興味はなかったが、操縦は単純な作業で、暇つぶしがしたかった。
「例えば?」
地理学者が少し考える。
「まったくの専門外なんだが……。
例えば……、アフリカが東西に分裂しているとか……」
脇で聞いていた歴史学者が反応する。
「グレートリフトバレーだっけ?
そこでアフリカが東西に引っ張られているんだろ」
地理学者は、再度考える。
「200万年あれば、分裂はあり得るね。
その可能性はある。いや、高い。
アフリカの沿岸調査は、早急に必要かもしれない」
内陸の離着陸適地に降りる。
地理学者が「バニラと丁子を見つけた」と微笑み、動物学者でもある調査員は「哺乳類がまったくいない。ネズミ1匹も……。大消滅後、マダガスカルはニュージーランド化したんだ。やはり、この島の頂点捕食者は肉食の走鳥で間違いない」と。
動物相は決定的に変化したが、対して植物相は200万年前と大きな変化がない。
両者の関係は、明らかにバランスを欠いていた。
大消滅では、地中と水中の生物と物質は消えなかった。哺乳類には地中に巣を作る種が多いから、小動物を中心に生き残る可能性は大型動物に比べれば高かった。
だが、マダガスカルの特異な動物相は、完全に消滅した。
一方、植物はある程度生き残れた。そして、再生に成功し、新たな動物を呼び込むことに成功する。
空白の動物相において、鳥が地上の覇者となり、飛ばない鳥の島になった。
この過程は、ほぼ確かなのだろう。
隆太郎は、そう考えていた。実際、規模はずっと小さいが房総でも似たようなことがあった。ウサギの爆発的繁殖と大型化。そのウサギを狙うネコの大型化と姿の変容。猫の一部は、上顎犬歯が異常に長くなり、サーベルタイガーを思わせる姿になった。
房総では、イヌは絶滅する。だが、その後、どこからかやって来た。そのときは、すでに体重80キロに達する大型亜種になっていた。
非常に堅牢な体躯で、一時期、タイリクオオカミが侵入してきたが、これを駆逐してしまった。
隆太郎は見聞や自分の体験から、学者たちの仮説は容易に受け入れることができた。
また、文明の痕跡はあるが、ヒトが存在した明確な証拠はまったく見つかっていない。
眼前の金属製ドーム以外は……。
科学者たちには、眼前のドームに興奮していた。
隆太郎は科学者たちが一心不乱にドームの周囲を回っている姿をおもしろそうに眺めている。
隆太郎は、海岸に向かう。動物学者である調査員が同行する。
むさ苦しい男2人で、爽やかな潮風に吹かれる。
すると、2人の学者も追ってきた。
「おい、先生!
双眼鏡を貸してくれ!」
隆太郎の動揺した大声を聞いた歴史学者が、彼の貧弱な双眼鏡を渡す。
「何かいる!」
地理学者が海面を捜索する。
「動物じゃない!
先生、遠くにでっかいヤツがいる!
隠れたほうがいい!
見つかったら、ヤバいぞ!」
調査員は、それでも海面を捜索している。
存在が確認されていないクジラを探す。大型の海棲爬虫類ではなく、大型の海獣を確認したかった。
瞬間、彼も気付く。
「ヤバいぞ!
マジで!」
いつもは学者然としている彼が、どこにでもいるお兄さんの口調になっていた。
この時点で、隆太郎は灌木林に向かっていた。どこでもいいから、地形を利用して隠れるつもりだ。
2人は明確に視認していた。
「あれは、空母だ!
航空母艦だ!
信じられない!
強大な軍事国家があるのか!」
灌木の陰から、4人が海上を眺めている。
歴史学者以外、空母についての知識は曖昧だった。
「全通飛行甲板を備えていて、航空機を発着できるようにした特殊な船だ。
大消滅以前に存在した大型の軍艦なんだ」
調査員が問う。
「先生、なんでそんなものが200万年後にあるんだ!」
歴史学者が目を伏せる。
「わからない……」
半田辰也は探検船キヌエティの飛行甲板から沖を見ている。
彼方に白波を見た。
「クソでかいトカゲか……。
15メートルはあるな……」
彼の独り言は、アラセリに聞かれた。
「海はいい。
広いから……」
アラセリの顔立ちは、明らかにチャド湖周辺の出身者だ。白魔族によって、遺伝子操作され、品種改良も行われたヒトたちだが、彼ら個々人に責任があるわけではない。
だが、あからさまではないにしても、差別がある。辰也もそれを知っている。
チャド湖周辺のヒトが他地域で生活していくことは、簡単ではない。しかし、アラセリは、なぜかその道を選んだ。
「ヘンだな。
トカゲは、陸には近付かない、と聞いたが……」
甲板に胡座をかいていた辰也が立ち上がる。
「ワニかもしれない。
ワニは沖には出ないからね」
「脚が鰭化したワニでも、最大は10メートルくらいだと聞いた。
あの航跡はワニのものではないだろう」
ここで辰也は、不審感を抱き、話を続ける。
「トカゲは海面直下を泳ぐことは少ない。ワニだとすれば、航跡が大きすぎる。
では何だ?
未知の動物か?
ワニの新種か?」
アラセリが正論を問う。
「伝説のクジラは?」
辰也が微笑む。
「それは大発見だ」
浜辺で緊張している4人とは対照的に、飛行甲板上の2人はのどかだった。
アフリカに拠点を移したヒトは、ドラキュロの日常的な脅威から逃れることはできたが、基本的な個人装備に変化はなかった。
装弾数の多いレバーアクションライフル、動作確実な6連発リボルバー、弾を撃ちきったあとは刀剣を抜いて最後の戦いをする。
これが、この世界の戦い方であり、アフリカ移住後も変化はない。
アフリカはユーラシアとは海で隔たれているが、ドラキュロが渡海しないという保証はない。可能性は高くないが、低くもない。だから、準備は怠らない。
それに、ユーラシアの存在を無視してはいない。ユーラシアを調べ、ユーラシアを監視している。
奇妙な考えに取り憑かれたカルトもいる。ドラキュロを捕獲して、アフリカに移入しようとした集団がいる。
それと、ドラキュロが渡海できないとする根拠がない。
実際、インド亜大陸の先端に浮かぶセイロン島には、ドラキュロがいる。
この世界のすべては、ドラキュロ次第なのだ。
辰也とアラセリが便乗者用食堂に行くと、花山海斗がいた。
アラセリが海斗に尋ねる。
「カイトの刀だが、柄が長くて両手で扱うのだろう?
私の祖母は、両手で扱う刀を持つ女戦士と刃を交えたことがあるそうだ。
手強かったと……。
その手練れとは、レムリアで一緒に戦ったそうだ。レムリアの発見後、間もない頃のことのようだ」
辰也が応じる。
「その話だが……。
別件だろうが、ダマスカス鋼の刀を使う救世主の姫の話を聞いた。
祖母からだ。
レムリア人の村を守って、ともに戦ったとか。戦を司る天使のごとき強さだったと……」
海斗の祖母もレムリアに赴いたことがある。
「俺のバァさんもレムリアにいたことがあるらしい。
よくは知らないが……。
蛮族のティターンと戦ったとか」
アラセリもその部族の名を知っていた。
「祖母が戦ったのもティターンだと聞いた」
辰也もティターンの名を知っていた。
「ティターンか……。
選民思想に溺れた野蛮な連中らしい。
俺のバァちゃんもレムリアとは浅くない関係みたいだ。父方、母方、どっちのバァちゃんも蛮族相手に暴れまくったと聞いている」
探検船キヌエティから発進した水陸両用トラックDUKWは、2輌だった。このうち1輌が日没前に戻り、1輌と科学者6人、隊員4人が観測基地に残ることになった。
観測基地ではあるが、金属製の多角形ドームが1棟あるだけ。敷地の囲いさえない。
周辺に人感センサーを配置し、この島で最も危険な恐鳥の接近を探知できるようにする。
安全策はこれだけ。
理由は簡単。ドラキュロと比べたら、恐鳥なんて恐怖の対象にもならないからだ。
探検船キヌエティの抜錨直前、上陸していた科学者たちは、調査範囲を拡大する目的から「ヘリを1機置いていけ」と船長に要求する。
船長は科学者の要求を受け入れ、小型ヘリコプター1機とパイロットと整備士各1人の派遣を了承する。
パイロットは花山海斗、整備士はエリシアが指名される。サリューと海斗が遠く離れることはほとんどなかったが、ここは受け入れるしかなかった。
サリューが整備士となって観測基地に残ると、乗船しているヘリコプターパイロットがいなくなる。
それは、船長が容認しない。
サリューは平気だったが、海斗は不安だった。
全長120メートルある空母が湾外に向かっていく。
確認した限りでは、ヘリコプター1機が島内に向かった。
ヘリコプターが向かった方向に何があるのかわからないし、海岸付近に降りた様子はない。
歴史学者が「何だろうね?」と問い、地理学者が「我々の仲間じゃないよね?」と確認し、移住委員会の調査員が「空母なんて、想定外ですよ」と呻いた。
ポーターを疎林の中に隠したので、絶対に見つかってはいない自信が隆太郎にはあった。
「あの空母、艦橋の前後に大砲を積んでいましたよ」
隆太郎の言葉に誰も応じない。
不安が増し、改めてヒトが危険な生き物であることを再確認しなければならなかった。
大砲があるのだから、戦いがあるのだ。
調査員が「水陸両用車が艦尾から艦内に入るところを見ました。砂浜に轍が残っているはず。たどれば、何をしていたのかわかるかもしれません」と。
全員が学術的ではない好奇心に煽られていた。それは、隆太郎も同じだった。
「先生たち、行ってみよう!」
隆太郎の提案に反対はなかった。
ポーターの擬装を厳にする。
科学者の半分は見張り、半分は個人装備を点検している。リボルバーの弾倉を開いて装弾を確認し、ライフルもチェックする。
そして、見張りと個人装備の確認を交代する。
湾内は穏やかで、白波は海岸付近だけ。
水陸両用車が去っているし、ヘリコプターは飛び去っている。誰もいないはずだが、それでも隆太郎は用心していた。
轍を追うと、科学者たちは科学者らしからぬ行動をする。
戦い慣れしている彼らは、科学者の目ではなく、戦士か猟師の目になっていた。
浜辺から疎林を抜け、草原に至る。2人が先導し、隆太郎が後方を警戒する。
海岸から200メートルほどの草原に観測基地がある。
女性の科学者がDUKWのスタッフに「トイレはどこ」と尋ね、スタッフは無言でスコップを渡す。
女性の科学者が「だよね」と微笑む。
別のDUKWのスタッフが「先生、内陸側じゃなく、海岸側がいいですよ。恐鳥がいないから……」と忠告する。
女性の科学者が海岸側の林に向かって歩き出そうとした瞬間、想定外ものが林から現れた。
先導する2人の科学者は、ヒトの姿を認めて、後方の2人に知らせようと合図した。
だが、4人は女性と目を合わせてしまった。
女性の科学者は、慌てて後退る。
4人の男のうち、1人が「こんにちは」と。
武装した4人の男は、探検船キヌエティのメンバーではない。
女性がスコップを振り上げる。
花山海斗は、男4人が疎林の中から現れた瞬間を見た。
すぐに、ヘリコプターの後席から個人装備を引っ張り出し、ライフルを構える。
双方が驚いていた。
隆太郎たちは海岸近くにヒトがいるとは予測していなかったし、海斗たちは自分たち以外のヒトがマダガスカル島にやって来るとは考えていなかった。
双方が慌て、互いに銃を突き付けあい、何かを叫んでいる。
双方の中間に女性の科学者がいた。
彼女がスコップを捨て、両手を広げて、叫ぶ。
「撃っちゃダメ!
あなたたち、誰なの!
どこから来たの!」
女性の言葉は、隆太郎には聞いたことがないものだった。
ただ、まったく耳慣れしていないわけではない。どことなく、知っている言葉のようにも思う。
海斗は、彼らの言葉を知っていた。
「オハヨウゴザイマス!」
この他はイタダキマスとコンニチハしか知らない。意味は知らない。
隆太郎たちの興奮と警戒は、オハヨウゴザイマスというこの場にふさわしくない言葉で一気に削がれた。
誰も銃口を下げないが、トリガーからは指を離す。
隆太郎は迷ったが、双方の中間に立つ女性に近付いた。
腰のナイフ以外に武器は持っていない。
女性に英語で話しかけてみる。
女性は少し考えたが、言葉を返してきた。
「全部はわからないけど……」
隆太郎の英語力もかなり低いが、彼女の言葉が変形した英語、訛った英語であることは何となくわかる。
「互いに銃口を下げよう」
彼女が頷く。
隆太郎が叫ぶ。
「先生たち、銃を下げてくれ!
ビビって撃つなよ!」
恐怖から発射してしまうほど、肝の据わっていない科学者たちではない。彼らは、穴居人との接触でも冷静に対処できるだけの場数を踏んでいる。
科学者たちが警戒しながらも、銃口を下に向ける。
女性の科学者が「撃っちゃダメよ!」と叫び、続けて「話し合いましょう!」と。
海斗は正体不明の相手に対して無条件に警戒を解くほど、育ちはよくない。
だが、無用な殺生は避けたい。
同時に彼は命令する立場にない。
しかし、行動はできる。彼は、黙って銃口を下げた。ほぼ同時にエリシアも同じ行動をし、科学者たちとDUKWのスタッフも警戒しながらも銃口を地面に向ける。
女性と話し込んでいた地理学者が3人まで戻ってきた。
「探検船の乗員たちと科学者だそうだ。
マダガスカル島を調べているらしい。
バンジェルという島だか街だか国だかのヒトたちらしい」
隆太郎が「先生は何を聞かれた?」と尋ねると、地理学者は「どこから来たかと?」と答え、隆太郎は「何て答えた?」と問いを重ねる。
「土佐の高知から来たと伝えた。
そうしたら、高知の場所を聞かれたよ。
一応、遠くだと答えておいた」
隆太郎は機内から背負い式の携帯無線機を出し、状況をマハジャンガに伝える。無線は暗号化されている。
マハジャンガでは、200万年後のヒトと接触したことに驚き、また空母の存在に慌て、至急救援を送ると返してきた。
海斗は、上陸隊の隊長が無線で探検船キヌエティに状況を知らせたことを知っていた。
ただ、キヌエティ側は、どこかの街か国がマダガスカル島に調査隊を送ったか、科学者有志の探検隊か何かだろうと、重要視しなかった。
船長は、アントゥンギル湾に引き返す判断をしなかった。
海斗は不信感を募らせていた。
言葉がまったく通じないのではなく、相互に少しの理解ができる。こういったことは、アトラス山脈東麓や湖水地域ではあったことだし、救世主との意思疎通も手間がかかる。
だから、他地域のヒトかもしれないのだが、しかし「オハヨウゴザイマス」をなぜ知っているのか?
そこが疑問だった。
エリシアが海斗に話しかける。
「祖母が、オハヨウゴザイマス、コンニチハ、オヤスミナサイ、アリガトウゴザイマス、イタダキマスという言葉をよく使っていた。
祖母の友だちが教えてくれたって……」
海斗は怪訝な目でエリシアを見る。
「お婆さんって?」
エリシアが答える。
「ミエリキお婆ちゃんは、王冠湾のパイロットだった。プロペラがない双発輸送機を飛ばしていた。
パイロットを引退したあとは、ブルマンの政治家になった。
私のお爺ちゃんは、王冠湾のヒトだった。
どういう仕事をしていたのかは知らない」
王冠湾と聞いて、彼女とは無縁ではないと思ったが、祖父母の話をする気にはなれなかった。
ほら吹きの孫と思われるのも嫌だった。
マハジャンガでは燃料をかき集めて、2機のベル412の離陸準備を進める。
アントゥンギル湾までは、片道370キロある。ベル412では往復するには航続距離が足りないので、1機に復路用の燃料を積み込んだ。
海斗たちは、隆太郎たちに対して徐々に不信感を増していった。
彼らはどこから来たのか、アフリカを知っているのに、なぜレムリアを知らないのか?
まったく理解できない。
赤道以北アフリカのヒトではないのではないか?
海斗は科学者たちの会話を側聞していて、そう感じ始めていた。
確認の方法はある。
この世界の誰もが知っている脅威。
ドラキュロだ。
ヒトを見たら確実に襲ってくる、恐ろしい生き物。生き物ではなく、生物の仕組みを利用した機械だという学者もいる。
噛みつき、ヒト食い、いろいろな呼び方があるが、ヒトに似たヒトを食う生き物のことなら知っているはずだ。
隆太郎は調査員とともにポーターから離れなかった。
2人に海斗とエリシアが近付いてくる。
海斗が話しかける。
「あんたたちの土地には、ヒト食いはいるのか?」
いると答えれば、赤道以北アフリカのヒトではない。
隆太郎はマハジャンガを基準に答える。
「穴居人のこと?
いや、いない……」
ヒト食いと尋ねたら、すぐに答えが返ってきた。彼らはドラキュロを穴居人と呼ぶらしい。初めて聞く呼び方だ。
ドラキュロを知っているが、同時に彼らの勢力圏にはいないと答えた。どうにも判断できない。
2人の男は、明らかに動揺している。
隆太郎が「オークを知っているか?」と尋ねると、海斗が「知っている。白魔族のことだ。連中は不死の軍団の領域に踏み込んでしまい徹底的に叩かれた」と教える。
海斗と隆太郎の会話は、微妙にすれ違っている。
海斗の不信感は増していたが、その根源が何かはよくわからない。
エリシアも「話がかみ合っていない」と疑問視している。決定的なことは、セロを知らないこと。
だが、レムリアや湖水地域ではセロは広くは知られていない。これも疑いの決定打にはならない。
疑念、違和感、どこか釈然としない感じはあるのだが、彼らからなぜそう感じるのか、という明確な理由がわからなかった。
太陽が沈む。
海斗たちは、予定通りにキャンプの準備を始める。
正体が判然としないヒトたちは、疎林の中で休むが、海斗たちが焚き火を囲んでいると酒を持ってやって来た。
海斗とエリシアは若年であることを理由に酒を辞退したが、実際は警戒しているから飲まないことにした。
そのことは、上陸隊の隊長と科学者のリーダーからも命じられた。
「異常があれば、迷わず撃て」
焚き火を囲んで、双方とも他愛のない話題を肴にして酒を飲む。
エリシアがブルマンやフルギアに伝わる裏の歴史を話し出す。唐突ではなく、ヒトはなぜアフリカに渡ったのかが話題になったからだ。
「半田隼人という陰の実力者がいた。
私は、母方の祖父母からそう教えられた。
ヒトは総意で移住を決めたのではなく、半田隼人がアフリカに移住することを決め、ヒトをそう仕向けたのだ、と。
ヒト食いの脅威から逃れるためだ。
だが、彼は志半ばで何者かに暗殺されてしまう。
彼の意志を継いだのは、香野木恵一郎という人物だった。
香野木は黒魔族との講和を成し遂げ、ヒトだけでなく、鬼神族や精霊族、黒魔族と半龍族をも移住に成功させたんだ。
私たちが現在、こうしていられるのは、偉大な2人の先人がいたからだ。
半田隼人と香野木恵一郎は、鬼神族は英雄十傑、精霊族は聖十二使徒に列している。
黒魔族は永遠の指導者の称号を与え、半龍族は龍魂という最高位の尊称を授けている。
2人への感謝が薄いのは、ヒトだけらしい。
いいや、東方フルギアは神と同列にしているし、ブルマンとフルギアでは聖人だ」
花山海斗は、エリシアの口から祖父の名が出たことに驚いていた。
しかも、ほら吹き以外の称号を聞くとは思わなかった。
そして、翌日昼前、もっと驚くものを見る。
見たことがあるヘリコプターが飛んできたのだ。
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