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第3章
第七五話 ジブラルタル
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会議と展示会が始まる四日前、金沢がターボビーバーでやって来た。
金沢は今回、農業用トラクターの営業が担当なのだが、前日着のはずが三日早い。
同じ飛行機で、デュランダルはノイリンに戻った。アマリネは残っている。
金沢は到着するなり、俺を誰もいないロワール川河畔に連れ出し、とんでもない話を始めた。見晴らしがよく、盗み聞きは無理だ。
「車輌工場にジブラルタル人が二人いるんですが、その二人からの情報です」
「無線ではいえない?」
「えぇ」
「物資か?」
「察しがいいですね」
「ジブラルタルには五〇年前まで、二万人も住んでいたそうです。
以後、徐々に減り、脱出直前は三五〇人ほどだったそうです。ジブラルタルは事実上、放棄されていたようです。
ですが、かつては二万人が住んでいた街なので、ノックダウンの自動車工場もあったそうです。規模は小さいですが、一〇年ほど前まで工場は維持されていたとか。
潜水艦しか交通の手段がないので、クルマは分解して運んでいたそうです。その組み立て工場と、組み立てきれなかったクルマが大量に残っているらしいです。
一車種だけで、ボディは二タイプ。一トン積みのピックアップと、ライトバンです。
二人の話を総合すると、ダッジWCの改良型のようです。
現在の状況で、一〇〇輌は魅力です!」
「それはそうだが……。
確保できたと仮定しても、どうやって運ぶんだ?」
「クラウスさんが船で運ぶと……」
「クラウスは賛成なのか?」
「えぇ、チェスラクさんとケレネスさんも賛成しています」
俺は、この計画に賛成しないだろうと思う人物の名をあげた。
「サビーナたちは?」
金沢が微笑む。
「サビーナさんも賛成です。セルゲイさんも。修理すれば飛行可能な小型機が三機残されています。
それから、小型機も分解して運んでいたそうで、ボナンザの組み立て工場があります」
俺は藪をつついたようだ。
「ボナンザ?」
金沢が答える。
「ビーチクラフトのボナンザという単発の小型機です。
メンターの原型機ですよ。
アイロスさんも興味を持っていて、もしかすると飛行機の製造ができるかもしれません」
俺は金沢を煽ってみる。
「いっそのこと、ジブラルタルに移住したら?」
「それは無理ですね。
ドラキュロを押さえられない。
ジブラルタが半放棄状態になった理由は、人食いが侵入したからなんです。
ザ・ロック。あの巨大な岩山は海からの防衛には役立つのでしょうが、陸から攻められると脆いのだと思います。大陸側は砂州ですし……。
五〇年前、ドラキュロの大群がジブラルタルを襲った……。
住民の多くは海に逃げ、以後戻らなかったようです」
「それまでは、ジブラルタル付近にドラキュロはいなかったのか……」
「いたようですが、数は少なかったとか。
それと、ジブラルタルには河川と湧水がなく、飲料水は大陸の水源に頼っていたみたいです。川や水路がないので、陸側から侵入するドラキュロを阻止できなかったようです。
水の問題ですが、簡単に陥落した理由〈わけ〉は真水が調達できなくて、籠城を諦めたとか。
ノイリンまで持ってこないと!」
俺は、頭を抱えている。確かに物資は不足している。北地区の人口は一〇〇〇を超えた。しかし、車輌は足りず、ウマや馬車も少ない。食料だって十分じゃない。
充足している物資は……、何もない。
セロと戦わなくてはならない。コムギ一粒、銃弾一発でも貴重だ。
川面を流れる風が冷たい。不快な冷たさだ。
金沢の話も不快だ。
そして、さらに不快な話を始めた。
「クフラックの出品物は何だと思います?
ターボプロップの戦闘機です。
川を下っていく様子を見ていたんですが、機体はエンジンカウルとコックピットだけが覆われていました。
はっきりはしませんが、キャバリエ・マスタングⅢではないかと……」
「キャバリエ・マスタング?」
「えぇ、第二次世界大戦期に開発されたレシプロ戦闘機のノースアメリカンP‐51戦闘機を原形として、大幅に改良されたターボプロップの攻撃機です」
「そんなものを持っていたのか?」
「違うと思います。
新造でしょう。
クフラック製……」
「クフラックは、それでセロと……」
「戦う気だし、他の街にも売りたいんだと……」
「我々もそれを導入したほうがいい……?」
「そこなんですが……。
アイロスさんは、ターボメンターを単座化して、各部を若干強化し、エンジン出力をアップすれば十分に対処可能だといっています」
「ならばそうしよう」
「当面はそれでいいと思いますが……。
ですが、もっと強力な戦闘機が必要になると思います。
機関砲と複数のロケット弾を装備できるパワーのある戦闘機が……
「そんな、本格的な戦争になってしまうのかな」
「誰も望んではいませんが、準備は、少なくとも心の準備は必要でしょう」
展示会は、盛況だった。たくさんの街からヒトが訪れ、精霊族と鬼神族もやって来た。食料、織物、陶磁器、木工製品、金属装飾品、武器、弾薬、何でも出展されていた。
我々も多くの商談を得た。
会議は予定通り二日間続き結論を出せなかったが、これからも話し合いを継続して、力を合わせてセロに対処していくことだけは、合意できた。
ノイリン北地区の人口は一〇〇〇を超え、全体会議という名の直接民主制は無理になった。
それでも、各グループからできるだけ多く参加してもらい、話し合いと意思の決定を継続している。
ジブラルタルからの物資回収について、積極的意見ばかりで、反対はほとんどなかった。
特にジブラルタルからの移住者は、大いに賛成している。脱出直前のジブラルタルの状況は、四階建てのビル二棟のみを使っていたそうで、域内に何があるのかを知っている人物は極めて少ないらしい。
クラウスのグループで働くメンバーからは、五〇〇トン級のフェリーと八〇〇トン級のディーゼル・エレクトリック潜水艦が天然の鍾乳洞を利用した地下港にあるという情報がもたらされた。
どちらもディーゼル・エンジン二基を装備。フェリーはエンジン一基が故障している。
エンジン一基なら五ノットほどの速度で航行できる。潜水艦は無可動状態だが電池は積まれている。充電ができないので、自力航行は不能だそうだ。
フェリーが修理できれば、曳航できるらしい。
フェリーと潜水艦はロワール川を遡上できない。この二隻を確保するならば、河口付近に拠点が必要だ。
相当な大事だが、北地区の人々は成し遂げる意思を固めつつある。
態度を保留しているのは、医療班、由加やベルタ、航空班、燃料班だ。
だが、内航であっても海を航行できる輸送船と潜水艦、車輌多数、小型機複数は絶対的な魅力がある。
現在のロワール川は河口から二〇〇キロまでは水深が非常に深い。この地点から上流は、極端に浅くなる。浅くなった地点から内陸側が、二〇〇万年前の陸地で、それよりも川下は海退によって陸地化した一帯だ。
この付近までは、喫水の深い船でも遡上できる。
河口から一五〇キロの平原にフルギア人が白魔族のために建設した街がある。
この街は南岸にあり、フルギア船が接岸する港がある。白魔族が退去した後、誰も住んでいない。
何度か、上空から観察している。
俺は、この街の確保を考えた。ジブラルタルの物資を回収するならば、中継基地が必要になるからだ。
それと、ソーヌ・ローヌ川を下って西地中海に出て、西進してジブラルタルに至るルートも考えられる。こちらの方が数百キロ短いはずだ。
俺は、話し合いの中で、賛否に関係なく、具体的な作戦を考え始めていた。
この世界において、文明を維持することは至難だ。維持したいならば、危険を冒さなくてはならない。
危険を冒すにしても、拙速な行動は、無意味な犠牲を増やすだけだ。準備を整えて行動する必要がある。
ジブラルタルの物資回収に関して、広域の調査が絶対に必要だ。旧ピレネー山脈以西のことは伝承・伝説以上のことはまったくわからないし、ノイリン周辺のことだってよくわかってはいない。
対セロを目的に急速に航空戦力を整備しており、確保した航空機はすべて進空させた。
保有する輸送機は三機で、単発七人乗りのターボビーバー、ブリテンノーマン・アイランダーをターボプロップ化したターボアイランダーは双発八人乗り、それと貨物主体のショート・スカイバンだ。
ターボビーバーは、エアトラクター用のフロートを取り付けて水陸両用に改造している。この機は非常に便利で、もう一機あれば、とまで思わせる。
カンスクの求めで、レシプロのフェネク練習機兼攻撃機四機を売却した。
その資金で、クフラックにデ・ハビランド・カナダのDHC‐3ターボオッターの購入を交渉している。この機体のエンジンは稼働する。
一方、クフラックはノイリンに対して、エンジンレスのプカラ双発復座攻撃機の売却を持ちかけている。
俺は、秋蒔き小麦の収穫が始まる翌年夏までに、大西洋に進出する前進基地の確保が必要だと考えている。
その第一の候補が、河口から一五〇キロ上流にある白魔族の街コーカレイだ。コーカレイという名を使わず、コード名としてトブルクと呼んでいる。
クラウスが密かに上陸・偵察し、無人であることを確認している。戸数三〇ほどの小さな街だが、全戸がレンガ造りの立派な建物で、敷地室内とも広い。街は、幅一五メートルの濠と高さ一二メートルの城壁でドラキュロから守られている。
俺はフルギア人とのトラブルを避けるために、コーカレイの所有を平和裡に移転したいと考えていた。
交渉すべき相手は、本来ならばフルギア皇帝カンビュセスだが、彼は失脚してしまった。現在は、かつて皇宮と呼ばれていたクラシフォン中心の豪邸に住む市井の男でしかない。
やはり、交渉相手は街長クーンだろう。
俺は年末のとても寒い時期に、クーンとの面識が多いクラウス、そして東方蛮族のケレネスを伴って、クーンの私邸を尋ねた。
クラウスが彼の家族構成を調べ、ケレネスが全員分の適切な金額の土産を用意した。儀礼の範囲を超えないよう、それでも喜んでもらえるよう細心の注意をしてくれた。
特にクーンの一八歳になる嫡男には、チェスラクが特別にあつらえたオクタゴンバレルの銃身にクロムメッキを施したレバーアクションライフルを贈った。銃身には装飾彫りを施さなかった。目立ちすぎるからだ。
それでも銃床の木目の美しさと、機関部の真鍮製パネル、鉄製部のシルバーは十分に美しく、かつ機能的だ。
クーンの嫡子の喜びは控えめだったが、一瞬の相貌は街長の嫡子としての威厳を保ってはいなかった。
クーンは感謝してくれた。
「お心遣いに感謝いたします。
過分な土産をいただき、家族一同喜んでおります。
ですが、何故の……」
クラウスが俺を見る。ケレネスが俺の背に右手を当てた。話せと促している。
「クーン様、お願いがあり、まかり越しました。
お会いいただき感謝いたします」
「ノイリン王のご来訪を拒む理由はございません」
「単刀直入に。
フルギア人が白魔族のために建設した街、コーカレイをノイリンに使わせていただきたい」
「また、なぜ?」
「この世界の西の果てにジブラルタルという土地があります。
そこから、ノイリンに逃れてきた人々がいます」
「セロに追われた人々ですね?」
「そうです。
彼らの物資を回収したいのです」
ケレネスが話す。
「兄弟よ。
代価は払う。
コーカレイを買い取りたいが、賃貸でもいい。租借させて欲しいのだ」
「兄弟。
代金を払ってくれるなら、誰も文句はいわないよ。
けれども、セロが攻めてくるんだ。
ノイリンが力を貸してくれなければ、クラシフォンは蹂躙されてしまう。
戦士も、生まれたばかりの赤子も、すべて殺されてしまう。
兄弟。
私の苦境を察して欲しい」
「条約、っていうやつか?」
「あぁ、ノイリンと相互防衛条約、っていうやつを結びたいんだ。
ノイリンがカンスクやアシュカナンと結んだ条件と同じでいい。
条約を結んで、租借の代金を払ってくれ」
「兄弟のいいたいことはわかる。
だが、最近までクラシフォンは敵だったんだぞ。
簡単じゃない」
クラウスがいった。
「いや簡単だよ。
昨日の敵は今日の友だ。
それから、敵の敵は味方だ。
ノイリン王が、いつもそういっている」
クーンが異教徒の商人に向かう。
「クラウス様。
本当にそのように思えると?」
「あぁ、思えるよ。
大丈夫だ。
ハンダと私の国は、大昔にそれを経験している」
俺がクラウスに問う。
「第二次世界大戦とその後の冷戦か?」
「そうだな」
「あんたも俺も実体験じゃない」
「だが、歴史の事実だ」
「それはそうだが……」
「先祖ができたのだから、我々にもできるさ」
「ようし、やってみよう。
五地区のうち、三地区が合同で提案すれば発議できる」
ケレネスがいう。
「西地区は俺が説得しよう。
指導者は兄弟だ」
クラウスがいう。
「あと、一地区がたいへんだな。
東南地区か西南地区が賛成してくれるといいんだが……」
俺がクーンにいう。
「クラシフォンとの相互防衛条約は、ノイリンの総意が必要です。
ですが、租借の料金の支払いや武器の援助については北地区の一存でできます。
条約締結までは時間を要しますが、北地区の一存でできることもたくさんあります。
友好の実績を積み重ねましょう。
早急に」
クーンが頷く。
「武器の援助はありがたい。街人すべてが感謝するでしょう。
援助以外にも、租借の代金で武器を売っていただけますか?」
俺は、クーンの考えを悟った。
「街長殿は、武器購入の資金確保と武器売却の確約を名目にしてコーカレイの租借に応じ、さらに武器の援助を求めるつもりなのですね」
クーンは頷いた。
ノイリン北地区がロワール川下流域への進出拠点にするという名目で、コーカレイの租借交渉が始まったことが、ノイリン全域とクラシフォンに知れ渡った。
クーンは、武器の購入、特に高射砲の購入に租借代金が使えると、街の有力者たちを説得している。
武器の購入資金に困っていたクラシフォンは、クーンの案におおよそ賛成に傾いている。
だが、最近まで大帝国の皇都であったクラシフォンにとって、他国からの武器の購入は抵抗ないものの、軍事援助は心情的に受け入れがたかった。
この援助だが、農業の生産技術と農機の提供援助に変わっていっている。
これは、完全に想定外だった。
クラシフォンとの相互防衛条約は、簡単には表に出せなかった。
当然だ。
俺が店番をしていると、男が一人で尋ねてきた。入店直後に客ではないことがわかった。
店には客が一人いて、その客が品を見定めている間、その男は一言も発しなかった。
客が店を出ると、俺は店外まで見送り、閉店にする。
男は、東地区の新指導者フェルミンという二〇代の男だ。一度も話したことはない。顔は、彼が新指導者となって初めて知った。顔立ちからヨーロッパ系の新参者であることは確かだが、それ以上のことはわからない。
「ハンダさんですね」
俺はフェルミンの言葉に頷く。
「初めてお目にかかります。
東地区のフェルミンです」
「知っている……」
「お話がしたくて、うかがいました」
「用件は……」
「東地区は孤立しています」
「自業自得だ」
「その通りです」
「セロを招き入れた」
「はい。
いい訳になりますが、私たちDとEの住民は何も知らなかったのです」
「いい訳でしかないな」
「その通りです。
それを正そうとしました」
「やったことは虐殺だ」
「はい。
当初、あのようになるとは考えていませんでした。四〇〇人が死に、一〇〇人が地区外に逃れました」
「地区外に逃れたAとBの住民は、移った地区でたいへんな状況にある。
意図的に階級を作り、階級を固定化して大多数の住民を搾取し、食料や物資を独占しようとした。
その報いを受けている。
ノイリンにはいられない」
「これからの東地区は、平等にするつもりです。
ですが、どの地区も力を貸してはくれません。
当然です」
「北地区に力を貸せと……」
「お願いできませんか?」
「図々しい頼みだ」
「その通りですが、いまの東地区にできることならば、どんな代償でも払います」
「ならば、一つ頼みがある」
「……どんなことですか?」
フェルミンの声音には、異常なほどの緊張があった。フェルミンは他地区の有力者にも、同じような頼み事をして、突っぱねられるか、無理難題で返されるかしている。
そのことは、俺も知っていた。
「クラシフォンとの相互防衛条約の発議に賛成してもらいたい。
発議後、反対に回ってもかまわない。
発議にだけ、賛成してくれ」
「それは!」
「東地区にとっては、危険な賭であることはわかる。
フルギアとの関係を疑われるからね。
だが、これが北地区の条件だ。
発議後、どう判断するかは東地区の自由だ。
反対に回ってもかまわない」
「わかりました。
発議に賛成します。
その代わり……」
「普通の付き合いはするよ」
クラシフォン、アシュカナン、カンスク、ノイリンの四街が軍事同盟を結べば、この一帯の情勢は大きく変わる。
その数日後、東地区に大きな変化があった。ジブラルタル出身で、東南地区や西南地区に散った一〇〇人ほどが、東地区に集団で移ったのだ。
東地区にとっては人口減少を補う目的があり、ジブラルタルの人々には言葉が通じる東地区での居住は利があった。
クラシフォンとの相互防衛条約締結は、ジブラルタルの物資回収と表裏一体であり、以後、北地区は東地区との関係を強化していくことになる。
クラシフォンとの相互防衛条約の発議は簡単ではない。
ノイリンでは、クラシフォン=フルギア帝国との認識が強いからだ。
俺は、用心しながら根回しを続けるしかなかった。
ノイリンの輸送機で、ジブラルタル間を無給油で往復できる機体はない。航続距離だけならば、エアトラクターが辛うじて往復できる。
中間地点に中継基地があれば、この問題は解決するが、それをすればジブラルタルの物資は争奪戦になる。
そのことを相馬が気にしている。
店番の交代時、相馬が俺に声をかけてきた。
「本気でジブラルタルの物資を回収するつもりですか?」
「相馬さんは反対?」
「反対とかではなく、非現実的というか……」
「確かにねぇ、現実的じゃないよね」
「半田さんは、それをしないと、先がないと考えている……」
「相馬さんもでしょ」
「半田さん。
二〇〇万年後が、こんな世界だとは思っていなかったんですよ」
「だけど、逃げられない……」
「そうですね。
ならば、最大限、努力しないと。
だから、ベルタさんやフィーさんもあからさまに反対しないんだと思います。
反対意見が、はばかられるんです」
「由加も反対みたいなんだ……。
しかし、この非現実的な計画を完遂しなければ、未来がないことも知っている……。
セロは強大な敵だから……。
で、ウルリカの意見は?」
「ウルリカは、ぶっ飛んでますよ。
セロの本拠地を攻めるべきだと……」
「正論過ぎて、反論できないな」
「それだけじゃぁ、ないんですよ」
「……?」
「ウルリカは、ジブラルタルの輸送機を買い取って、セロの本拠地を爆撃すべきだと……。こちらの牙が敵の喉に届くことを教えるべきだと……」
俺は驚いていた。
ウルリカがそんなことを考えていることに……。
夜、ベッドの中でウルリカの考えを、由加に話す。
由加の反応は意外だった。
「敵の本拠地を攻撃できないで、敵がおとなしくなってくれると期待する根拠は?」
「……」
「太平洋戦争で、日本が負けた本質的な理由は?」
「経済格差だろう。一〇対一だった。
日本はアメリカの一〇分の一だった」
「それは、理由の一つね。
本質は、日本にワシントンDCを攻略する戦略的概念が欠如していたこと。
日本はワシントンDCを攻略できないことを知っていたけれど、戦いを始めてしまった。
私の考えだけど……」
「セロの法王庁を爆撃しろ、と?」
「そうね。
その手段は確保しておかないと……」
俺は、完全に萎えていた。
由加の考えは、俺を大いにビビらせた。
由加は具体的な計画の一端を話した。ベルタ、サビーナ、フィー・ニュンなど、多数が関与しているらしい。
ジブラルタルの双発輸送機二機を買い取り、一機を爆撃機に、一機を空中給油機に改造する計画だ。
イベリア半島の西端から離陸し、大西洋を横断して、セロの中心地を爆撃する。総距離一万五〇〇〇キロに達する作戦だ。
荒唐無稽だ。
航空班は、ポーランド製PZL‐130オルリク四機の主翼に二〇ミリ機関砲を懸吊させ、攻撃機にした。
ターボフェネクも同様に、二〇ミリ機関砲のポッドを備えた。
これで、六機が常時配備できようになったが、通常は練習機として使用している。二機のエアトラクターもあるが、こちらは農業機として活躍している。斉木が手放さない。
練習機専用には、ターボメンター四機を使っている。それでも練習機は足りない。ノイリン製ターボメンターの試作に入っているが、進空までの道のりは遠い。
セロはヒトの拠点を破壊できるが、ヒトはセロの心臓部に迫れない。
この現実は、現時点では対処不能で、セロとの戦いにおいてヒトは決定的に不利だ。
この絶対的不利を肝に銘じて、戦うべきだ。
夜の食堂は、子供たちの遊び場だ。デュランダルに男の子が群がっている。この偉丈夫は、誰に対しても優しい。
二一時を過ぎると、年長の子供も部屋に戻る。それが決まりだが、戻りたがらない子供もいる。そういう場合は、強い強制はしない。
子供が何人か残っているが、今夜はチェスラクやケレネスも飲んでいる。
由加に因果を含まされている俺が、セロの本拠地を叩けない人の不利をそれとなく解く。
今夜の話し相手は相馬だった。
「相馬さん、引っかかっていることがあるんですよ」
「セロのことですか?」
「えぇ」
「ウルリカがセロを恐れていて……」
「誰でもそうですよ」
「駆除、といわれちゃうとね……。
ヒトをゴキブリ扱いしてって!
怒りはあるけど……。
ですが、確かに、黒と白の魔族とは違う怖さがありますね」
「リアルな話なんですが……。
ノイリンが攻められたでしょ。
でも、我々はセロの心臓部を攻撃できないわけで……」
「そのことは、考えています。
話はそれるんですが、ざっと、セロの飛行船を調べたんです。古い滑走路の南の残骸を……。
よくできていますよ。浮体の骨格は、炭素系繊維製の大圏構造でした」
「大圏構造?」
「籠ですよ。
竹籠と同じで、外側の編んだフレームだけで強度を確保しているんです。だがら、浮体の内部には構造強度用の梁がないんです。
浮体内部は完全な空洞になっています。これならば強靭だし、外部からの応力にも変形することはないし、そして軽いわけです。
製造は大変でしょうが、長持ちするので、相当期間使用できます。ライフサイクルコストは、悪くないかも」
「外側フレームがハニカム構造だとは気付いていたけど……。
チラッと見ただけで……。
興味はあったんだけど……」
「半田さんは、いろいろと忙しかったから、仕方ないですよ。
でも、調査チームを作って、本格的に調べましょうよ」
「賛成だ。
迂闊だったよ」
「で、話を戻します。
こちらの牙が獲物の喉に届かない件ですよね」
食堂は静かだ。誰もが相馬の話に聞き耳を立てている。
相馬は続けた。
「皆さんがジブラルタルの貨物船、フェリーに興味があることは知っています。
でも、私は潜水艦に興味があったんですよ。
その潜水艦を実際に見たことがあるのは、私が調べた限りでは、ジブラルタルのヒトのうち二人だけ。
ほとんどのヒトは、そんなものがあることさえ知らないんです。
で、その潜水艦ですが、物資の輸送用です。船型は、第二次世界大戦期のような水上での航行性が重視されている〝水上船型〟らしいです。
理由なんですが、大西洋の赤道付近以外は、潜水する必要がないからで、航海のほとんどは水上航行が原則だそうです。
赤道付近は低気圧が常時居座っているので、一〇〇〇キロ近くをほぼ潜行したまま航行しなければならないとか。
安全潜行深度は一二〇メートルで、水中速力は最大八ノット。水中は二ノットで連続一〇〇〇キロ。
推進はディーゼルエンジンで発電して、二次電池に蓄電し、その電力でモーターを回す仕組みです。
その電池ですが、全固体セラミック電池です。
完全に輸送用で、魚雷やミサイルは積んでいないそうです。
セイルは船体の前方にあって、後方には背の高い角ばった荷室がある変わった形状をしています。
この潜水艦によって、食料から航空機まで運んでいたわけです。大きな機械は分解して……」
俺は相馬が潜水艦の話を始めたことにかなり驚いていた。
それに、俺たちの牙がセロの喉に届かないこととの関連性が理解できなかった。
金吾がいった。
「その潜水艦で北アメリカの東岸に忍び寄って、一発ぶっ放すんですね?」
「そのとおり、敵が空から攻めてくるならば、こちらは海中から迫ればいいわけで……」
金沢が発言。
「無誘導でいいので、巡航ロケット弾がいい。PT6をターボジェットに改造して、二〇〇キロも飛んでくれれば、海岸から離れているから潜水艦は安全だし、発射したロケット弾は敵地のどこかに落ちる。景気よく爆発してくれれば、それでいいと思うんだけど……」
ディーノが問う。
「どうやって、水中から発射するの?」
金沢が答える。
「浮上して撃てばいいと思います。
伊号四〇〇型潜水艦と同じですよ」
ディーノが??の顔つきなので、金沢がノートパソコンの画面を見せ、デュランダルたちも覗き込む。
伊四〇一の艦首カタパルト上にフロートをつけた晴嵐特殊攻撃機が載っている画像を見て、全員が頷く。まだ、起きている子供たち数人が手を叩く。
俺は激しく動揺している。
相馬、金沢、金吾の発想に、誰も否をいわない。
由加やベルタも沈黙している。この沈黙は、保留ではない。一定の賛意を表している。
とするならば、やるべきことが多くなる。
ジブラルタル出身者もこの場に幾人かいるが、彼らは協力の姿勢を示している。
斉木を見る。
斉木が俺を見て、ニッと笑った。
計画を具体化せよ、と促しているのだ。
俺は、とんでもなく大掛かりなプロジェクトを抱え込みそうな雰囲気に目眩がしそうだった。
金沢は今回、農業用トラクターの営業が担当なのだが、前日着のはずが三日早い。
同じ飛行機で、デュランダルはノイリンに戻った。アマリネは残っている。
金沢は到着するなり、俺を誰もいないロワール川河畔に連れ出し、とんでもない話を始めた。見晴らしがよく、盗み聞きは無理だ。
「車輌工場にジブラルタル人が二人いるんですが、その二人からの情報です」
「無線ではいえない?」
「えぇ」
「物資か?」
「察しがいいですね」
「ジブラルタルには五〇年前まで、二万人も住んでいたそうです。
以後、徐々に減り、脱出直前は三五〇人ほどだったそうです。ジブラルタルは事実上、放棄されていたようです。
ですが、かつては二万人が住んでいた街なので、ノックダウンの自動車工場もあったそうです。規模は小さいですが、一〇年ほど前まで工場は維持されていたとか。
潜水艦しか交通の手段がないので、クルマは分解して運んでいたそうです。その組み立て工場と、組み立てきれなかったクルマが大量に残っているらしいです。
一車種だけで、ボディは二タイプ。一トン積みのピックアップと、ライトバンです。
二人の話を総合すると、ダッジWCの改良型のようです。
現在の状況で、一〇〇輌は魅力です!」
「それはそうだが……。
確保できたと仮定しても、どうやって運ぶんだ?」
「クラウスさんが船で運ぶと……」
「クラウスは賛成なのか?」
「えぇ、チェスラクさんとケレネスさんも賛成しています」
俺は、この計画に賛成しないだろうと思う人物の名をあげた。
「サビーナたちは?」
金沢が微笑む。
「サビーナさんも賛成です。セルゲイさんも。修理すれば飛行可能な小型機が三機残されています。
それから、小型機も分解して運んでいたそうで、ボナンザの組み立て工場があります」
俺は藪をつついたようだ。
「ボナンザ?」
金沢が答える。
「ビーチクラフトのボナンザという単発の小型機です。
メンターの原型機ですよ。
アイロスさんも興味を持っていて、もしかすると飛行機の製造ができるかもしれません」
俺は金沢を煽ってみる。
「いっそのこと、ジブラルタルに移住したら?」
「それは無理ですね。
ドラキュロを押さえられない。
ジブラルタが半放棄状態になった理由は、人食いが侵入したからなんです。
ザ・ロック。あの巨大な岩山は海からの防衛には役立つのでしょうが、陸から攻められると脆いのだと思います。大陸側は砂州ですし……。
五〇年前、ドラキュロの大群がジブラルタルを襲った……。
住民の多くは海に逃げ、以後戻らなかったようです」
「それまでは、ジブラルタル付近にドラキュロはいなかったのか……」
「いたようですが、数は少なかったとか。
それと、ジブラルタルには河川と湧水がなく、飲料水は大陸の水源に頼っていたみたいです。川や水路がないので、陸側から侵入するドラキュロを阻止できなかったようです。
水の問題ですが、簡単に陥落した理由〈わけ〉は真水が調達できなくて、籠城を諦めたとか。
ノイリンまで持ってこないと!」
俺は、頭を抱えている。確かに物資は不足している。北地区の人口は一〇〇〇を超えた。しかし、車輌は足りず、ウマや馬車も少ない。食料だって十分じゃない。
充足している物資は……、何もない。
セロと戦わなくてはならない。コムギ一粒、銃弾一発でも貴重だ。
川面を流れる風が冷たい。不快な冷たさだ。
金沢の話も不快だ。
そして、さらに不快な話を始めた。
「クフラックの出品物は何だと思います?
ターボプロップの戦闘機です。
川を下っていく様子を見ていたんですが、機体はエンジンカウルとコックピットだけが覆われていました。
はっきりはしませんが、キャバリエ・マスタングⅢではないかと……」
「キャバリエ・マスタング?」
「えぇ、第二次世界大戦期に開発されたレシプロ戦闘機のノースアメリカンP‐51戦闘機を原形として、大幅に改良されたターボプロップの攻撃機です」
「そんなものを持っていたのか?」
「違うと思います。
新造でしょう。
クフラック製……」
「クフラックは、それでセロと……」
「戦う気だし、他の街にも売りたいんだと……」
「我々もそれを導入したほうがいい……?」
「そこなんですが……。
アイロスさんは、ターボメンターを単座化して、各部を若干強化し、エンジン出力をアップすれば十分に対処可能だといっています」
「ならばそうしよう」
「当面はそれでいいと思いますが……。
ですが、もっと強力な戦闘機が必要になると思います。
機関砲と複数のロケット弾を装備できるパワーのある戦闘機が……
「そんな、本格的な戦争になってしまうのかな」
「誰も望んではいませんが、準備は、少なくとも心の準備は必要でしょう」
展示会は、盛況だった。たくさんの街からヒトが訪れ、精霊族と鬼神族もやって来た。食料、織物、陶磁器、木工製品、金属装飾品、武器、弾薬、何でも出展されていた。
我々も多くの商談を得た。
会議は予定通り二日間続き結論を出せなかったが、これからも話し合いを継続して、力を合わせてセロに対処していくことだけは、合意できた。
ノイリン北地区の人口は一〇〇〇を超え、全体会議という名の直接民主制は無理になった。
それでも、各グループからできるだけ多く参加してもらい、話し合いと意思の決定を継続している。
ジブラルタルからの物資回収について、積極的意見ばかりで、反対はほとんどなかった。
特にジブラルタルからの移住者は、大いに賛成している。脱出直前のジブラルタルの状況は、四階建てのビル二棟のみを使っていたそうで、域内に何があるのかを知っている人物は極めて少ないらしい。
クラウスのグループで働くメンバーからは、五〇〇トン級のフェリーと八〇〇トン級のディーゼル・エレクトリック潜水艦が天然の鍾乳洞を利用した地下港にあるという情報がもたらされた。
どちらもディーゼル・エンジン二基を装備。フェリーはエンジン一基が故障している。
エンジン一基なら五ノットほどの速度で航行できる。潜水艦は無可動状態だが電池は積まれている。充電ができないので、自力航行は不能だそうだ。
フェリーが修理できれば、曳航できるらしい。
フェリーと潜水艦はロワール川を遡上できない。この二隻を確保するならば、河口付近に拠点が必要だ。
相当な大事だが、北地区の人々は成し遂げる意思を固めつつある。
態度を保留しているのは、医療班、由加やベルタ、航空班、燃料班だ。
だが、内航であっても海を航行できる輸送船と潜水艦、車輌多数、小型機複数は絶対的な魅力がある。
現在のロワール川は河口から二〇〇キロまでは水深が非常に深い。この地点から上流は、極端に浅くなる。浅くなった地点から内陸側が、二〇〇万年前の陸地で、それよりも川下は海退によって陸地化した一帯だ。
この付近までは、喫水の深い船でも遡上できる。
河口から一五〇キロの平原にフルギア人が白魔族のために建設した街がある。
この街は南岸にあり、フルギア船が接岸する港がある。白魔族が退去した後、誰も住んでいない。
何度か、上空から観察している。
俺は、この街の確保を考えた。ジブラルタルの物資を回収するならば、中継基地が必要になるからだ。
それと、ソーヌ・ローヌ川を下って西地中海に出て、西進してジブラルタルに至るルートも考えられる。こちらの方が数百キロ短いはずだ。
俺は、話し合いの中で、賛否に関係なく、具体的な作戦を考え始めていた。
この世界において、文明を維持することは至難だ。維持したいならば、危険を冒さなくてはならない。
危険を冒すにしても、拙速な行動は、無意味な犠牲を増やすだけだ。準備を整えて行動する必要がある。
ジブラルタルの物資回収に関して、広域の調査が絶対に必要だ。旧ピレネー山脈以西のことは伝承・伝説以上のことはまったくわからないし、ノイリン周辺のことだってよくわかってはいない。
対セロを目的に急速に航空戦力を整備しており、確保した航空機はすべて進空させた。
保有する輸送機は三機で、単発七人乗りのターボビーバー、ブリテンノーマン・アイランダーをターボプロップ化したターボアイランダーは双発八人乗り、それと貨物主体のショート・スカイバンだ。
ターボビーバーは、エアトラクター用のフロートを取り付けて水陸両用に改造している。この機は非常に便利で、もう一機あれば、とまで思わせる。
カンスクの求めで、レシプロのフェネク練習機兼攻撃機四機を売却した。
その資金で、クフラックにデ・ハビランド・カナダのDHC‐3ターボオッターの購入を交渉している。この機体のエンジンは稼働する。
一方、クフラックはノイリンに対して、エンジンレスのプカラ双発復座攻撃機の売却を持ちかけている。
俺は、秋蒔き小麦の収穫が始まる翌年夏までに、大西洋に進出する前進基地の確保が必要だと考えている。
その第一の候補が、河口から一五〇キロ上流にある白魔族の街コーカレイだ。コーカレイという名を使わず、コード名としてトブルクと呼んでいる。
クラウスが密かに上陸・偵察し、無人であることを確認している。戸数三〇ほどの小さな街だが、全戸がレンガ造りの立派な建物で、敷地室内とも広い。街は、幅一五メートルの濠と高さ一二メートルの城壁でドラキュロから守られている。
俺はフルギア人とのトラブルを避けるために、コーカレイの所有を平和裡に移転したいと考えていた。
交渉すべき相手は、本来ならばフルギア皇帝カンビュセスだが、彼は失脚してしまった。現在は、かつて皇宮と呼ばれていたクラシフォン中心の豪邸に住む市井の男でしかない。
やはり、交渉相手は街長クーンだろう。
俺は年末のとても寒い時期に、クーンとの面識が多いクラウス、そして東方蛮族のケレネスを伴って、クーンの私邸を尋ねた。
クラウスが彼の家族構成を調べ、ケレネスが全員分の適切な金額の土産を用意した。儀礼の範囲を超えないよう、それでも喜んでもらえるよう細心の注意をしてくれた。
特にクーンの一八歳になる嫡男には、チェスラクが特別にあつらえたオクタゴンバレルの銃身にクロムメッキを施したレバーアクションライフルを贈った。銃身には装飾彫りを施さなかった。目立ちすぎるからだ。
それでも銃床の木目の美しさと、機関部の真鍮製パネル、鉄製部のシルバーは十分に美しく、かつ機能的だ。
クーンの嫡子の喜びは控えめだったが、一瞬の相貌は街長の嫡子としての威厳を保ってはいなかった。
クーンは感謝してくれた。
「お心遣いに感謝いたします。
過分な土産をいただき、家族一同喜んでおります。
ですが、何故の……」
クラウスが俺を見る。ケレネスが俺の背に右手を当てた。話せと促している。
「クーン様、お願いがあり、まかり越しました。
お会いいただき感謝いたします」
「ノイリン王のご来訪を拒む理由はございません」
「単刀直入に。
フルギア人が白魔族のために建設した街、コーカレイをノイリンに使わせていただきたい」
「また、なぜ?」
「この世界の西の果てにジブラルタルという土地があります。
そこから、ノイリンに逃れてきた人々がいます」
「セロに追われた人々ですね?」
「そうです。
彼らの物資を回収したいのです」
ケレネスが話す。
「兄弟よ。
代価は払う。
コーカレイを買い取りたいが、賃貸でもいい。租借させて欲しいのだ」
「兄弟。
代金を払ってくれるなら、誰も文句はいわないよ。
けれども、セロが攻めてくるんだ。
ノイリンが力を貸してくれなければ、クラシフォンは蹂躙されてしまう。
戦士も、生まれたばかりの赤子も、すべて殺されてしまう。
兄弟。
私の苦境を察して欲しい」
「条約、っていうやつか?」
「あぁ、ノイリンと相互防衛条約、っていうやつを結びたいんだ。
ノイリンがカンスクやアシュカナンと結んだ条件と同じでいい。
条約を結んで、租借の代金を払ってくれ」
「兄弟のいいたいことはわかる。
だが、最近までクラシフォンは敵だったんだぞ。
簡単じゃない」
クラウスがいった。
「いや簡単だよ。
昨日の敵は今日の友だ。
それから、敵の敵は味方だ。
ノイリン王が、いつもそういっている」
クーンが異教徒の商人に向かう。
「クラウス様。
本当にそのように思えると?」
「あぁ、思えるよ。
大丈夫だ。
ハンダと私の国は、大昔にそれを経験している」
俺がクラウスに問う。
「第二次世界大戦とその後の冷戦か?」
「そうだな」
「あんたも俺も実体験じゃない」
「だが、歴史の事実だ」
「それはそうだが……」
「先祖ができたのだから、我々にもできるさ」
「ようし、やってみよう。
五地区のうち、三地区が合同で提案すれば発議できる」
ケレネスがいう。
「西地区は俺が説得しよう。
指導者は兄弟だ」
クラウスがいう。
「あと、一地区がたいへんだな。
東南地区か西南地区が賛成してくれるといいんだが……」
俺がクーンにいう。
「クラシフォンとの相互防衛条約は、ノイリンの総意が必要です。
ですが、租借の料金の支払いや武器の援助については北地区の一存でできます。
条約締結までは時間を要しますが、北地区の一存でできることもたくさんあります。
友好の実績を積み重ねましょう。
早急に」
クーンが頷く。
「武器の援助はありがたい。街人すべてが感謝するでしょう。
援助以外にも、租借の代金で武器を売っていただけますか?」
俺は、クーンの考えを悟った。
「街長殿は、武器購入の資金確保と武器売却の確約を名目にしてコーカレイの租借に応じ、さらに武器の援助を求めるつもりなのですね」
クーンは頷いた。
ノイリン北地区がロワール川下流域への進出拠点にするという名目で、コーカレイの租借交渉が始まったことが、ノイリン全域とクラシフォンに知れ渡った。
クーンは、武器の購入、特に高射砲の購入に租借代金が使えると、街の有力者たちを説得している。
武器の購入資金に困っていたクラシフォンは、クーンの案におおよそ賛成に傾いている。
だが、最近まで大帝国の皇都であったクラシフォンにとって、他国からの武器の購入は抵抗ないものの、軍事援助は心情的に受け入れがたかった。
この援助だが、農業の生産技術と農機の提供援助に変わっていっている。
これは、完全に想定外だった。
クラシフォンとの相互防衛条約は、簡単には表に出せなかった。
当然だ。
俺が店番をしていると、男が一人で尋ねてきた。入店直後に客ではないことがわかった。
店には客が一人いて、その客が品を見定めている間、その男は一言も発しなかった。
客が店を出ると、俺は店外まで見送り、閉店にする。
男は、東地区の新指導者フェルミンという二〇代の男だ。一度も話したことはない。顔は、彼が新指導者となって初めて知った。顔立ちからヨーロッパ系の新参者であることは確かだが、それ以上のことはわからない。
「ハンダさんですね」
俺はフェルミンの言葉に頷く。
「初めてお目にかかります。
東地区のフェルミンです」
「知っている……」
「お話がしたくて、うかがいました」
「用件は……」
「東地区は孤立しています」
「自業自得だ」
「その通りです」
「セロを招き入れた」
「はい。
いい訳になりますが、私たちDとEの住民は何も知らなかったのです」
「いい訳でしかないな」
「その通りです。
それを正そうとしました」
「やったことは虐殺だ」
「はい。
当初、あのようになるとは考えていませんでした。四〇〇人が死に、一〇〇人が地区外に逃れました」
「地区外に逃れたAとBの住民は、移った地区でたいへんな状況にある。
意図的に階級を作り、階級を固定化して大多数の住民を搾取し、食料や物資を独占しようとした。
その報いを受けている。
ノイリンにはいられない」
「これからの東地区は、平等にするつもりです。
ですが、どの地区も力を貸してはくれません。
当然です」
「北地区に力を貸せと……」
「お願いできませんか?」
「図々しい頼みだ」
「その通りですが、いまの東地区にできることならば、どんな代償でも払います」
「ならば、一つ頼みがある」
「……どんなことですか?」
フェルミンの声音には、異常なほどの緊張があった。フェルミンは他地区の有力者にも、同じような頼み事をして、突っぱねられるか、無理難題で返されるかしている。
そのことは、俺も知っていた。
「クラシフォンとの相互防衛条約の発議に賛成してもらいたい。
発議後、反対に回ってもかまわない。
発議にだけ、賛成してくれ」
「それは!」
「東地区にとっては、危険な賭であることはわかる。
フルギアとの関係を疑われるからね。
だが、これが北地区の条件だ。
発議後、どう判断するかは東地区の自由だ。
反対に回ってもかまわない」
「わかりました。
発議に賛成します。
その代わり……」
「普通の付き合いはするよ」
クラシフォン、アシュカナン、カンスク、ノイリンの四街が軍事同盟を結べば、この一帯の情勢は大きく変わる。
その数日後、東地区に大きな変化があった。ジブラルタル出身で、東南地区や西南地区に散った一〇〇人ほどが、東地区に集団で移ったのだ。
東地区にとっては人口減少を補う目的があり、ジブラルタルの人々には言葉が通じる東地区での居住は利があった。
クラシフォンとの相互防衛条約締結は、ジブラルタルの物資回収と表裏一体であり、以後、北地区は東地区との関係を強化していくことになる。
クラシフォンとの相互防衛条約の発議は簡単ではない。
ノイリンでは、クラシフォン=フルギア帝国との認識が強いからだ。
俺は、用心しながら根回しを続けるしかなかった。
ノイリンの輸送機で、ジブラルタル間を無給油で往復できる機体はない。航続距離だけならば、エアトラクターが辛うじて往復できる。
中間地点に中継基地があれば、この問題は解決するが、それをすればジブラルタルの物資は争奪戦になる。
そのことを相馬が気にしている。
店番の交代時、相馬が俺に声をかけてきた。
「本気でジブラルタルの物資を回収するつもりですか?」
「相馬さんは反対?」
「反対とかではなく、非現実的というか……」
「確かにねぇ、現実的じゃないよね」
「半田さんは、それをしないと、先がないと考えている……」
「相馬さんもでしょ」
「半田さん。
二〇〇万年後が、こんな世界だとは思っていなかったんですよ」
「だけど、逃げられない……」
「そうですね。
ならば、最大限、努力しないと。
だから、ベルタさんやフィーさんもあからさまに反対しないんだと思います。
反対意見が、はばかられるんです」
「由加も反対みたいなんだ……。
しかし、この非現実的な計画を完遂しなければ、未来がないことも知っている……。
セロは強大な敵だから……。
で、ウルリカの意見は?」
「ウルリカは、ぶっ飛んでますよ。
セロの本拠地を攻めるべきだと……」
「正論過ぎて、反論できないな」
「それだけじゃぁ、ないんですよ」
「……?」
「ウルリカは、ジブラルタルの輸送機を買い取って、セロの本拠地を爆撃すべきだと……。こちらの牙が敵の喉に届くことを教えるべきだと……」
俺は驚いていた。
ウルリカがそんなことを考えていることに……。
夜、ベッドの中でウルリカの考えを、由加に話す。
由加の反応は意外だった。
「敵の本拠地を攻撃できないで、敵がおとなしくなってくれると期待する根拠は?」
「……」
「太平洋戦争で、日本が負けた本質的な理由は?」
「経済格差だろう。一〇対一だった。
日本はアメリカの一〇分の一だった」
「それは、理由の一つね。
本質は、日本にワシントンDCを攻略する戦略的概念が欠如していたこと。
日本はワシントンDCを攻略できないことを知っていたけれど、戦いを始めてしまった。
私の考えだけど……」
「セロの法王庁を爆撃しろ、と?」
「そうね。
その手段は確保しておかないと……」
俺は、完全に萎えていた。
由加の考えは、俺を大いにビビらせた。
由加は具体的な計画の一端を話した。ベルタ、サビーナ、フィー・ニュンなど、多数が関与しているらしい。
ジブラルタルの双発輸送機二機を買い取り、一機を爆撃機に、一機を空中給油機に改造する計画だ。
イベリア半島の西端から離陸し、大西洋を横断して、セロの中心地を爆撃する。総距離一万五〇〇〇キロに達する作戦だ。
荒唐無稽だ。
航空班は、ポーランド製PZL‐130オルリク四機の主翼に二〇ミリ機関砲を懸吊させ、攻撃機にした。
ターボフェネクも同様に、二〇ミリ機関砲のポッドを備えた。
これで、六機が常時配備できようになったが、通常は練習機として使用している。二機のエアトラクターもあるが、こちらは農業機として活躍している。斉木が手放さない。
練習機専用には、ターボメンター四機を使っている。それでも練習機は足りない。ノイリン製ターボメンターの試作に入っているが、進空までの道のりは遠い。
セロはヒトの拠点を破壊できるが、ヒトはセロの心臓部に迫れない。
この現実は、現時点では対処不能で、セロとの戦いにおいてヒトは決定的に不利だ。
この絶対的不利を肝に銘じて、戦うべきだ。
夜の食堂は、子供たちの遊び場だ。デュランダルに男の子が群がっている。この偉丈夫は、誰に対しても優しい。
二一時を過ぎると、年長の子供も部屋に戻る。それが決まりだが、戻りたがらない子供もいる。そういう場合は、強い強制はしない。
子供が何人か残っているが、今夜はチェスラクやケレネスも飲んでいる。
由加に因果を含まされている俺が、セロの本拠地を叩けない人の不利をそれとなく解く。
今夜の話し相手は相馬だった。
「相馬さん、引っかかっていることがあるんですよ」
「セロのことですか?」
「えぇ」
「ウルリカがセロを恐れていて……」
「誰でもそうですよ」
「駆除、といわれちゃうとね……。
ヒトをゴキブリ扱いしてって!
怒りはあるけど……。
ですが、確かに、黒と白の魔族とは違う怖さがありますね」
「リアルな話なんですが……。
ノイリンが攻められたでしょ。
でも、我々はセロの心臓部を攻撃できないわけで……」
「そのことは、考えています。
話はそれるんですが、ざっと、セロの飛行船を調べたんです。古い滑走路の南の残骸を……。
よくできていますよ。浮体の骨格は、炭素系繊維製の大圏構造でした」
「大圏構造?」
「籠ですよ。
竹籠と同じで、外側の編んだフレームだけで強度を確保しているんです。だがら、浮体の内部には構造強度用の梁がないんです。
浮体内部は完全な空洞になっています。これならば強靭だし、外部からの応力にも変形することはないし、そして軽いわけです。
製造は大変でしょうが、長持ちするので、相当期間使用できます。ライフサイクルコストは、悪くないかも」
「外側フレームがハニカム構造だとは気付いていたけど……。
チラッと見ただけで……。
興味はあったんだけど……」
「半田さんは、いろいろと忙しかったから、仕方ないですよ。
でも、調査チームを作って、本格的に調べましょうよ」
「賛成だ。
迂闊だったよ」
「で、話を戻します。
こちらの牙が獲物の喉に届かない件ですよね」
食堂は静かだ。誰もが相馬の話に聞き耳を立てている。
相馬は続けた。
「皆さんがジブラルタルの貨物船、フェリーに興味があることは知っています。
でも、私は潜水艦に興味があったんですよ。
その潜水艦を実際に見たことがあるのは、私が調べた限りでは、ジブラルタルのヒトのうち二人だけ。
ほとんどのヒトは、そんなものがあることさえ知らないんです。
で、その潜水艦ですが、物資の輸送用です。船型は、第二次世界大戦期のような水上での航行性が重視されている〝水上船型〟らしいです。
理由なんですが、大西洋の赤道付近以外は、潜水する必要がないからで、航海のほとんどは水上航行が原則だそうです。
赤道付近は低気圧が常時居座っているので、一〇〇〇キロ近くをほぼ潜行したまま航行しなければならないとか。
安全潜行深度は一二〇メートルで、水中速力は最大八ノット。水中は二ノットで連続一〇〇〇キロ。
推進はディーゼルエンジンで発電して、二次電池に蓄電し、その電力でモーターを回す仕組みです。
その電池ですが、全固体セラミック電池です。
完全に輸送用で、魚雷やミサイルは積んでいないそうです。
セイルは船体の前方にあって、後方には背の高い角ばった荷室がある変わった形状をしています。
この潜水艦によって、食料から航空機まで運んでいたわけです。大きな機械は分解して……」
俺は相馬が潜水艦の話を始めたことにかなり驚いていた。
それに、俺たちの牙がセロの喉に届かないこととの関連性が理解できなかった。
金吾がいった。
「その潜水艦で北アメリカの東岸に忍び寄って、一発ぶっ放すんですね?」
「そのとおり、敵が空から攻めてくるならば、こちらは海中から迫ればいいわけで……」
金沢が発言。
「無誘導でいいので、巡航ロケット弾がいい。PT6をターボジェットに改造して、二〇〇キロも飛んでくれれば、海岸から離れているから潜水艦は安全だし、発射したロケット弾は敵地のどこかに落ちる。景気よく爆発してくれれば、それでいいと思うんだけど……」
ディーノが問う。
「どうやって、水中から発射するの?」
金沢が答える。
「浮上して撃てばいいと思います。
伊号四〇〇型潜水艦と同じですよ」
ディーノが??の顔つきなので、金沢がノートパソコンの画面を見せ、デュランダルたちも覗き込む。
伊四〇一の艦首カタパルト上にフロートをつけた晴嵐特殊攻撃機が載っている画像を見て、全員が頷く。まだ、起きている子供たち数人が手を叩く。
俺は激しく動揺している。
相馬、金沢、金吾の発想に、誰も否をいわない。
由加やベルタも沈黙している。この沈黙は、保留ではない。一定の賛意を表している。
とするならば、やるべきことが多くなる。
ジブラルタル出身者もこの場に幾人かいるが、彼らは協力の姿勢を示している。
斉木を見る。
斉木が俺を見て、ニッと笑った。
計画を具体化せよ、と促しているのだ。
俺は、とんでもなく大掛かりなプロジェクトを抱え込みそうな雰囲気に目眩がしそうだった。
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