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第1章

第一〇話 噛みつき

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 二人の捕虜には水と食事を与え、体力の回復を待ち、チクタン村の北辺で放免した。
 彼らのウマと武器は没収した。一人は西に向かい、もう一人は南に向かって歩いて行った。

 拳銃とライフルが各一〇挺。ウマが一四頭。これが戦利品のすべてだ。
 拳銃は二種類。形状がS&W M10に似たハンドエジェクト、S&Wスコフィールドと同じ機構のトップブレイク。二種ともシングルアクション。機構は堅牢で、動作は確実。
 使用弾薬はすべて四四口径だ。
 ルサリィは拳銃弾の必要数を確保し、トップブレイクを一挺自分のものにした。
 そして、俺にリボルバーを返した。
 我々は、トップブレイクの拳銃二挺とレバーアクションのライフル二挺を残し、ウマを含めたそれ以外を売却することにした。

 意外なことに、ルサリィはウマの扱いに不慣れで、ウマについては全員がどうしたものかと頭を抱えた。結局、ネイ村の有力者、ヴィーザルを頼ることにした。

 俺と斉木、そしてルサリィが軽トラでネイ村に赴き、ヴィーザルに面会を求めた。
 一時間半ほど待たされたが、首尾よく面会できた。
 ヴィーザルは、我々とデリング一家の顛末をよく知っていた。
 そして「貴方たちのような子供連れの旅人が、デリングに対抗できようとは到底思えなかった」と率直な感想を述べた。
 また、その後のことを教えてくれた。
「デリングの屋敷では、長男と長女の婿が争ったらしいのです。
 長女の婿が金貨を持ち逃げしようとし、それを取り返そうと長男が銃で狙ったとか。
 ところが、空中で何かが爆発して、婿は両足首を残して、他の身体は赤い霧になったそうです。その後、何回も爆発が起き、屋敷は阿鼻叫喚の地獄と化し、逃げ切れた郎党はごくわずか。
 屋敷を遠巻きにチクタンの村人が集まっていて、逃げてきた郎党を捕らえては棒や農具で滅多打ちにした……と。
 同じ時刻、デリングの店に女丈夫が現れ、デリングの長女を立ち上がれぬほど殴ったそうです。
 女丈夫はすぐに立ち去りましたが、長女は村人にリンチされ、片足を大木の枝に縛られ、逆さ吊りにされました。
 長男が長女を助けようとしたらしいですが、村人に見つかり手足の骨を砕かれた……。
 何とも凄惨な結末になりました。
 デリングは人の恨みを甘く見ていた……」
 ヴィーザルは言葉を切った。
「ネイやカーダングの人々は、貴方たちが第二のデリング一家になるのでは……、と恐れています」
 ヴィーザルの不安はもっともだ。
 斉木が答える。
「不安はごもっとも。貴方たちがそうしろというのなら、我々はこの地を去りましょう。
 ただ、我々は、テュールとマーニの兄妹を助けたかっただけ。他意はありません。
 兄妹が我々とともにいたいとすれば、ご許可いただけますか」
「それが真に二人の意思ならば」とヴィーザルが答える。
 俺が本題に入る。今日のルサリィの通訳は的確なようだ。
「実は、デリングさんが我々のキャンプを訪れた際、ウマ一四頭と銃器多数を忘れて帰られた。それらは、危険なので回収してあります」
「ものはいいようですな」
「はい。
 ところが、それらを返すべきデリングさんが亡くなられた……」
 ヴィーザルは、俺を得体の知れない化け物を見るような眼で凝視する。
「貴方の話は滅茶苦茶だ!」
「いやいや。現状はその通りでしょう。
 で、返却先がない拾得物を処分したい……。
 端的にいえば、ウマ一四頭と銃器多数の売却先を教えて欲しいのです」
 ヴィーザルの後ろに控える身なりのいい男が、耳打ちする。
「女性の方、お名前は?」
 少しルサリィが動揺する。
「ルサリィ……」
「ルサリィさん、貴方のお仲間に伝えて欲しい。もう、たくさんなんです。ヒト同士の争いは!」
 ルサリィが何かをいっている。少し興奮しているのか、早口でまったく聞き取れない。ルサリィの話は、一〇分を超えた。
 そして、沈黙。
 ルサリィが俺たちに、「東の状況を話した。ヴィーザルさんは、我々の素性を勘違いしている」
 番頭らしい男がいった。
「主人に代わりまして、うかがいます。
 貴方たちは西方からの旅人ではないのですか?」
 ルサリィが即答する。
「もう一度同じことをいう。東からやって来た。噛みつきを逃れて……」
 番頭が続けて、「アルビジョアの人々とは異なり……」
「アルビジョアのことは、この地に来て初めて知った。私はもっと東から来た」
 そして、彼女は腰のガンベルトから拳銃を抜き、それをテーブルに載せた。
 ヴィーザルは銃を一瞥して、「確かに東方製。まだ、東方に人が残っていたとは……」
 ルサリィが一言。
「私が暮らした一帯では、西に向かった人々は次々に噛みつきの餌食になり、砦を築いて残った人々は飢えて死んだ。
 私が知る限り、もう誰も残ってはいない……」
 俺と斉木は絶句していた。俺たちが想像しているよりも、ヒトは追い詰められているのだ。
 俺は、ルサリィに「西のヒトと、東のヒトはどこが違うのか」と尋ねた。
 ルサリィも知らないようだ。ルサリィが自分の質問として、ヴィーザルにそれを尋ねた。
 ヴィーザルの答えは明確だった。
「東方に移動した人たちは、五〇〇年前にやって来た人たちです。
 複数の車輌を伴って〝ゲート〟からの脱出に成功した数少ないグループでしたが、強い信仰心がありました。
 彼らの信じる神への信仰を強要し、我々の先祖と揉めて、追い出されるように遙か東方に移動していったのです。
 西へ向かった人々は、八〇〇年前に大挙して現れました。その数二〇〇〇人。
 彼らは、初期の移住者が開けたトンネルを抜け、荷物を背負って徒歩でやって来たのです。
 彼らは間違ってこの世界に来たようです。
 そして、我々の先祖が開墾した土地を奪おうとして撃退され、西へ逃げました。
 西に逃げた彼らは、噛みつきに追われて白魔族の土地に入り込み、彼らの耕地を奪おうとして追い払われ、さらに西に向かったのです。
 我々もそうですが、白魔族、精霊族、鬼神族などは、噛みつきとの戦闘で、戦いにおいては精強。元の世界からわずかな武器を持ってやって来て、他人の土地を奪おうとしても、それは土台無理というもの。
 西方の草原に定住したときには、二〇〇人か三〇〇人しか生き残れなかったとか。
 そして、一〇〇年前にアルビジョアがやって来ました。ですが、数年でほぼすべてが死んだはず。
 現在、アルビジョアを名乗る連中は、ただの山賊です。勢力は脅威となるほど大きいですが……」
 ルサリィが俺たちに、「信仰のことなど、聞いたことがない。東には神に祈るヒトなんていなかった。
 神に祈ったところで、噛みつきは襲ってくる。神に祈るときは、食われる直前だけだ」といい、同じことをヴィーザルにも伝えた。 俺は、神という人知を超えた存在は、噛みつきという実在する食物連鎖の頂点に君臨する生物の前では完全に無力で、その存在意義がなくなったのだと感じた。
 神とは、地球の支配者たるヒトが、己の行動を制約するために生み出した、想像上の超自然的存在。だが、この世界では、ヒトは地球の支配者ではない。したがって、ヒトに神は必要ない。
 ヴィーザルは、「確かに、神に祈ったところで、どんな神でも噛みつきをどうにかできるものではない、それは事実ですよ」とルサリィに答えた。
 ヴィーザルは、「西に移動した人々は、何かと問題を起こしたのです。
 我々に戦争を仕掛けてみたり、他の種族の土地を侵略したりと……。
 結局は戦いに敗れて、数十人が住む小さな村が残るのみだと聞いています。噛みつきが襲えば、ひとたまりもないような……。
 我々の生存のために、滅びて欲しい人たちです。
 貴方たちが、その西方に逃れた人々の末裔では、と疑ったのです」
 ヴィーザルが続ける。
「御用向きの件ですが、ウマ一四頭と銃器の売却先を紹介しましょう。
 ウマは健康であれば、相応の値になるでしょう。どちらも信頼できる売り先です」

 銃器は紹介してもらった商人に持ち込んで、買い取ってもらった。ウマは、専業の商人が俺たちの砦に引き取りにやって来た。
 俺たちの手元に、かなりの枚数の金貨が残った。表に人物の横顔肖像、裏にシカに似た動物が描かれている。南アフリカで発行されていた、クルーガーランド金貨に極似している。

 俺はドラキュロ=噛みつきの正体を知りたかった。
 俺には、どうしてもホモ・サピエンスからドラキュロが生まれたとは考えられなかった。だが、身体的形態はホモ・サピエンスに近い。ホモ属が一属一種であった以上、ホモ・サピエンスからの進化と受け止めなくてはならない。
 だが、そうは思えない。
 俺の考えは斉木にも伝えていた。

 俺たちは、ネイの村役場から恒久的な建物の建設を許可された。つまり、木や石の家を建ててもいいそうだ。
 片倉の指揮の下、引き上げた流木を材料にしてログハウスを造る。
 斉木の圃場も規模は小さいが完成しつつある。
 ネイの村役場は、おおむね俺たちに好意的。カーダングの街役場は中立。チクタンの人々は非常に警戒している。

 俺たちの砦の南に、西にあるバイヌン地域からドラキュロに追われた移住者がキャンプを設営した。

 俺はルサリィを伴って、ヴィーザルを何度か尋ねた。
 用向きは古い記録の閲覧だ。ヴィーザルの祖先は一〇〇〇年前まで遡る古い家系で、当時の記録を残していると噂されている。
 しかし、ヴィーザル自身は古い記録を見たことがないという。
 閲覧を拒否しないどころか、彼自身も興味があるらしい。
 そして、俺が見たものは、ガラスのケースに収められた触れば崩れるほど筐体が劣化したノートパソコンだった。
 何度かの観察の後、一枚のSDカードをパソコンから引き抜いた。

 これが俺のノートパソコンで認識した。
 奇跡だ!
 その場で、全ファイルをコピーし、SDカードを返却した。
 そして、我々は一〇〇〇年前の調査結果を知ることとなる。

 ヒトが生活する領域についても、正確か否かは別にして、おおよそのことがわかった。
 俺たちの砦は、この一帯でヒトが住む土地の北辺にあたる。
 この丘陵地は、扇状に広がりながら南に向かって標高を下げながら開けていく。そして、砂漠に至る。その砂漠は、南北最大三七〇〇キロ、東西最大六〇〇〇キロに達する。
 この砂漠を越えようと試みた探検家は複数いるが、戻ってきたものは誰もいない。
 山岳地帯を越えて、東に六〇〇キロ進むと、平原がある。この付近以東が〝東方〟と呼ばれている。
 砂漠の縁を西に三〇〇キロ進むと、その付近以西が〝西方〟だ。
 そして、俺たちがいる場所は、地元では〝中央平原〟と呼ばれている。最大幅一七〇キロ、最大長三六〇キロという狭い土地だ。
 これが、この付近で生活するヒトが統べる大地のすべて。
 そしてドラキュロは北東方向から、徐々に生息域を広げ、四〇〇年前には中央平原を包囲した。その包囲網は狭まりつつあり、人口は一五〇年ほど前から減少に転じたとされる。
 現在の総人口は三〇万人程度とされているが、正確な統計はない。
 五〇〇年前までは、各地への探検が盛んに行われたが、現在はドラキュロの生息密度が高く、ほぼ不可能。
 ヒトは実質的に檻のなかで生きている。

 ヒトに似た直立歩行の動物は、知られている限り五種いる。
 ヒト、ドラキュロ、精霊族、鬼神族、白魔族。
 精霊族は、俺たちが目撃した長身痩躯のヒトに似た生物。鬼神族は、やはり俺たちが遭遇した禿な巨体。白魔族は、身長一二〇センチの小柄な生物で高度な機械文明を持つらしい。
 精霊族と鬼神族とは、かつては交易もあった。しかし、現在はドラキュロの生息域拡大のため、交流はできない。
 白魔族のことは、よくわかっていないらしい。
 このほかに〝森の人〟がいる。大型の類人猿のようだ。身長三メートル、体重三〇〇から五〇〇キロ。新生代第四紀更新世前期に東アジアに生息していた霊長類最大のギガントピテクスに似ている。簡単な農耕を行い、火を使うという。
 精霊族、鬼神族は、北方大山脈の北西に住んでいる。彼らもドラキュロの侵入に苦慮しているらしい。白魔族の本拠地は不明だが、南にあるようだ。
 我々の現在地は、北方大山脈の南側。
 海岸線が元の時代とまったく一致せず、地球上の位置は不明。ただ、ユーラシア大陸のどこからしい。
 北方大山脈をアルプスだとする説もあるようだが、特徴的なマッターホルン山やモンブラン山がないらしい。地殻変動で崩れた可能性があるが……。その他、カフカス山脈説、天山山脈説、カラコルム山脈説などがある。
 どちらにしても、何もわからない。

 昼食後、歩哨は金吾と金沢の二人。歩哨は無線をONにして、俺の話を聞いている。
 歩哨二人を除く、全員が建設工事用単管パイプで作った天幕の下にいる。

「斉木先生の協力を得て、一〇〇〇年前、俺たちよりも一年早くこの世界にやって来た人たちの調査・研究の結果を解析できた」
 俺は言葉を切った。
「主にドラキュロのことについてだ」
 俺はもう一度、言葉を切った。
「一〇〇〇年前の人たちも、当然だがドラキュロの遺伝子解析の必要性を知っていた。
 しかし、設備がなくできなかった。
 だから、彼らの出した結論は、状況証拠の積み重ねだ。
 ドラキュロは哺乳動物で、生まれると二年で性成熟する。つまり、子供が産めるようになる。オスが生まれる確率は新生児の一〇パーセントで、生まれる個体の九〇パーセントはメス。妊娠期間は五カ月。
 性成熟したメスは、約三〇カ月間に一度に二頭、計一〇頭の子を産む。そして、性転換して生殖能力のないオスになる。
 個体の寿命は約六年。つまり、二四カ月で性成熟し、約三〇カ月間子を産み、残りの一八カ月間は獲物をただ襲う。
 だが、一八カ月では殺戮に限界がある。だから、ヒトは絶滅しなかった。それと、ヒトに似た動物以外は襲わないらしい。ヒト形だけを獲物とすることは不可解ではあるが、カナダオオヤマネコはカンジキウサギだけを獲物にするので、自然界に例がないわけではない。でも、やはり不自然だね。
 ドラキュロの個体数が増えれば、ヒトとドラキュロの数のバランスが崩れる。とにかく、繁殖力が強い。個体のほとんどがメスで、そのメスが一〇頭の子を産み、そのほとんどが性成熟するのだから。
 また、非常に不合理な生物でもある。
 通常、生物は子孫を残すために何かを体内に摂取して、それをエネルギーに変換する。生物は一般に、寿命がつきるまで生殖能力を失わないが、例外がある。その例外の典型がヒトだ。
 この点のみ、ドラキュロはヒトに近い。
 性転換したオスは群れを作り、眼にしたすべてのヒトと近縁種を食い尽くす。弱った同属も食う。
 俺たちがドラキュロと呼んでいる生き物は、メスからオスに性転換した個体だ。
 哺乳類であり、霊長類であることは間違いないようだが、一般に哺乳類は性転換しない。
 つまり、ドラキュロはかなり特殊な生物なんだ。大型霊長類にしては短い妊娠期間、性成熟の早さも特殊。
 そこで、一〇〇〇年前の研究者たちが導いた結論は、進化によって生まれた生物じゃない。ホモ・サピエンス滅亡後、新たなホモ属が生まれ、その動物が文明を築き、そして作り出した生物。
 作った理由は、兵器とするため。二〇〇万年もあったのだから、文明を築くヒトの仲間が現れても不思議じゃない。
 ということだ」
 俺は、少ししゃべり疲れた。ちーちゃんのおしゃべりパワーが欲しい。
 一休みのために水を飲んだ。
「荒唐無稽な話だが、そうと断じられるほど、ドラキュロは特殊な動物なんだ」
 俺はもう一息ついた。
 誰も質問しない。
「ドラキュロの習性だが、捕食行動を行うのは、繁殖期を終え性転換したオスのみ。
 繁殖能力のある一頭のオスが、二〇〇から三〇〇頭のメスを従えるハーレムを作る。
 繁殖能力がある生まれながらのオスとメスは、巣を定めると死ぬまで移動しない。
 性転換して繁殖能力のないオスとなった個体は、一部が餌の確保のためにハーレムに残るが、他は移動し続けながら捕食行動を続ける。
 移動距離は一日二〇キロ、一八カ月で一万キロを超える。
 ハーレムは複数あると推測され、繁殖力のあるオスが生まれると、そのオスは新たなハーレムを作るために少数のメスを伴って移動する。オス一頭、メス一〇頭であれば、三〇カ月で一〇〇頭が生まれる。わずか三〇カ月で、一〇倍の個体数になるんだ。
 そして、餌がつきない限り、永遠に繁殖し続ける」
 ドラキュロは、駆除の方法がない史上最悪の害獣だ!
 金吾が無線で質問する。
「繁殖能力のあるオスの寿命は?」
「それは、はっきりしないらしいが、二〇年から三〇年くらいはあると推測していた」
 金沢が「弱点は?」と、少し怒気を含めた声音で尋ねる。
「天敵は、青狼と犬歯猫。ブルーウルフは、片倉さんに怒鳴られると遠吠えをやめる、あの巨大なオオカミ」
 何人かが笑う。
「犬歯猫は当初、スミロドンのような上顎犬歯の発達した大型のネコ科動物だと思っていたけれど、画像を見る限り体重二〇〇キロ級のアメリカンショートヘアだね。
 体毛の模様はアメショーそのものだし、犬歯もそれほど長いわけではない。
 そして、ヒトによくなれるらしい」
 ケンちゃんが、「ネコちゃん飼いたい!」と発言。全員が笑う。
「乾燥を好み、水を嫌う。膝以上の水深があれば、渡らないそうだ。
 水は飲まず、水分は獲物の体液で補充する。これは、弱点ではないね。
 最低気温氷点下五度以下に下がる湿潤な気候では生きられない。
 そして、この条件をこの一帯は満たしている。この一帯の人たちが温暖な南に進出しないのは、これが理由らしい。
 北方大山脈以北の沿岸部もこの条件に当てはまる。
 出口側〝ゲート〟は、北方大山脈に付随する山脈の南麓西端付近にある。本格的な北方大山脈は〝ゲート〟から一五〇キロ北にある。
 金沢くんたちが見た〝ゲート〟北側の草原は、山脈南麓の一部に広がる広大な盆地のような地形らしい。
 一〇〇〇年前はそこに、鬼神族が住んでいたそうだ。
 草原にあった石組みの城壁は、鬼神族が造ったものだろう」
 片倉が発言した。
「ここにいれば安全なの?」
 俺は答えに窮し、一瞬絶句した。
「安全じゃない。
 地球は温暖化と乾燥化に向かっている。そう遠くないうちに、ここもドラキュロが住める環境になる。
 準備を調えて、南の砂漠を越えるか、ドラキュロの生息地を突破して北に向かうしかない」

 ドラキュロ以外の質問もあった。
 片倉が、「この中央平原以外に、ヒトはいないの?」と問うた。
 この疑問は、俺と斉木にもあった。中央平原の人々は、異口同音に「中央平原から出た人々は、東方と西方に向かった人たちだけ」という。八〇〇年前と五〇〇年前にこの世界にやって来た人々だ。
 しかし、鍋の内側の様子では、もっと頻繁にこの世界にやって来た人たちがいたはず。そのすべてが中央平原に留まったとは考えにくい。
 北の平原に向かった人たちも多かったのではないか?
 仮にドラキュロに抗することができなかったとしても、中央平原以外への進出を考えた人々がいないわけがない。
 元の世界では一年数カ月でも、ここでは一千数百年なのだ。
 斉木が答える。
「片倉さんの質問の答えだけど、正確にはわからない。だけど、五年前にやって来た人には会った。
 彼は部品屋をカーダングの南郊外で営んでいた。二号車のラジエーターを探していて、出会ったんだ。
 彼が出口の〝ゲート〟を出たとき、鍋のなかには五〇〇人以上いたそうだ。その後も増え続けて、二カ月後には七〇〇人を超えたとか。
 それほどの長期間、鍋にいた理由だが、脱出用のクレーンヘリを組み立てていたらしい。重量物を吊り上げるための、大型ヘリコプターだ。
 それを使って、車輌を含む物資のほとんどを運び出したとか。
 ドラキュロには何度も襲われたが、当時は現在ほどは頭数が多くなく、何とか撃退できたそうだ。
 部品屋の彼を含めて、全員が北を目指し、遺跡のようになっていた無人の古い街を見つけ、そこに一時期住むことにしたという。
 だが、ドラキュロの大群に襲われ、ごく少数が生き残り、南に追われて逃げて、中央平原にたどり着き、少数が救われたそうだ。
 七〇〇人が四家族一二人になった、といっていた。
 彼は短波の受信機を持っていて、モールス信号を拾っている。彼自身はモールス信号を解さないが、中央平原以外の遠く離れた二カ所にヒトが生存していて、通信しているのではないか、と推測していた」
 由加が、質問する。
「ドラキュロがいない土地はないの?」
 それには、俺が答えた。
「それを考えたのだが、可能性のある条件は一つ。
 他の陸地から隔絶された海洋上にあること。太平洋、大西洋、インド洋の真ん中の島とか。
 その条件で一定の面積がある陸地は、マダガスカルとニュージーランドだ。
 マダガスカルはアフリカまで四〇〇キロのモザンビーク海峡で隔たれている。マダガスカル島は、大陸移動の影響で六五〇〇万年前にはゴンドワナ大陸から分離していた。
 元々は、インド亜大陸とアフリカ大陸とに挟まれた一帯だったらしい。
 他の陸地から隔絶しているので、真猿類は生息していない。シファカ、インドリ、キツネザルといった原猿類ばかりだ。
 アイアイもマダガスカル島の固有種だ」
 アイアイと聞いて、ちーちゃんとケンちゃんが反応した。二人が小声で歌っている。
「だから、マダガスカル島にはドラキュロは渡れない。
 ニュージーランドは、オーストラリアまで二〇〇〇キロ、南極まで二六〇〇キロ離れている。
 この島には、ヒトが家畜を連れてくるまで、コウモリ以外の哺乳類はいなかった。
 ここにもドラキュロは進出できない。
 あとは、太洋の只中にある島々だ。ハワイ、セーシェル、モルジブとか」
 納田が、手を上げた。
「日本は、四方が海だけど」
「いま、俺たちが地球上のどこにいるのか、正確にはわからない。
 だけど、一〇〇〇年前のヒトたちが各地を探検しているのだけど、北方大山脈の北側は草原で、さらにその北は氷の大地らしい。また、北方大山脈自体が氷河に覆われている。
 大陸に巨大な氷床が発達しているんだ。
 とするならば、海面準変動が起きていて、海水準が下がる海退になっている可能性が高い。更新世の後期、元の世界の一万年ほど前は海水準が一二〇メートルくらい下がっていた。
 同じ規模の海退が起きているとすれば、北海道、サハリン、ユーラシア大陸は陸続きで、本州、四国、九州は一つの島、津軽海峡と対馬海峡は川のようになっている可能性がある。そして、陸続きにならなかったという保障はない。
 だから、ドラキュロが進出している可能性があるんだ」
 無線を介して金吾が、「オーストラリアは?」と尋ねた。
「オーストラリアは、他の大陸との接触は少ないけれど、更新世後期にはウェーバー線を挟んで、わずかな海峡が残るのみだった。
 この時代は、オーストラリアとニューギニアはサフルランドという一つの大陸で、その西に、タイ、マレー半島、ボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島、そしてフィリピンの一部の島々を一つにしたスンダランドという陸地があった。もちろん、スンダランドはユーラシア大陸の一部だ。
 オーストラリアにドラキュロが進出していない可能性はあるが、日本列島と同じで確実性はない」
 能美が核心を突く。
「私たちは、どうすればいいの?」
 俺と斉木は互いに顔を見た。斉木が答えた。
「もう少し、調べないと何とも……。
 ただ、この中央平原は、あと数年か遅くとも数十年でドラキュロに侵食される。
 気候が温暖化していて、すでに南部中央平原はドラキュロの生息環境に適している。
 こればかりは、どうにも……」
 俺は斉木の話を引き取った。
「今後は、ドラキュロの生息域の確認。そして、中央平原の地球上の位置が重要だと思う。それによって、今後の行動が決まってくる」と述べた。
 異論はなかった。異論のしようがないのだ。何もわからないのだから。
 しかし、何がわからないのか、それは明確になりつつあった。
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