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第6章
06-168 ヌアクショット川
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ヌアクショット川河口付近を探検する西ユーラシア勢力は多い。
この河口は、長く深い入り江だと考えられてきた。海岸から50キロほど上流までは水深があり、大型船でも遡上できるが、この付近で急流となり、カッターボートが着底するほど極端に浅くなる。
この浅瀬は断続的に200キロ続き、河口付近と上流部を完全に分ける。上流を探検するには、船ではなく車輌が必要だった。
半田千早は、ヌアクショット川を遡れば、アトラス山脈東麓・南麓に至ると確信していた。航空機による偵察は行われていないが、偶然の発見はその予測を裏付けている。
彼女は西アフリカに、クマンと湖水地域以外にもヒトのコミュニティがあると推測している。
そして、接触したいと考えている。
花山真弓と里崎杏は、半田千早のたどたどしい日本語に戸惑っていた。だが、彼女の言いたいことは理解できた。
「では、千早さんは私たちに何をして欲しいの?」
「船長、ヌアクショット川の上流を探検するので、車輌を運んで欲しい。
できれば、車輌も貸して欲しい」
花山は、西ユーラシアの寒冷と不作を知っていたが、それと千早の探検が結びつかない。
「千早さん、根本的な疑問なのだけど……。
この時期に、なぜアトラス山脈を調べたいの?
セロの攻勢は近いし、救世主の問題も解決したわけではないし、白魔族とは断続的に交戦中。黒魔族との和平交渉も止まっている。
こんなに不安定なのに、なぜ、アトラス山脈に興味があるの?」
「キャプテン、私は見たんです。
救世主と戦っていたとき、救世主のものでも、西ユーラシア製でもない戦車を……。
きっと、アトラスのヒトたちだったと……」
「ただの興味?」
「違う。
西ユーラシアが西アフリカに進出すれば、早いか遅いかの違いはあっても、いつか接触することになる。
そのとき、不幸な出会いだと、いつまでも不幸が続いちゃう。
偶然の出会いではなく、必然の交流が安全。
だから、私が会いに行く。
父さんは言っていた。
ヒトは、ヒトと、争ってはならない」
里崎杏が即答する。
「それは理想。
ヒトの社会はそういう構造になっていない」
「キャプテン、それはよく知っている。
父さんは、いつも、誰かと、争っていたから……」
花山と里崎、2人のキャプテンは、見合って笑った。
「理想と現実……?」
「キャプテン、父さんは理想を追求するヒトじゃなかった。
理想とはほど遠いヒトだった。
だけど、ヒト同士が争っている余裕はないんだ。
白魔族、黒魔族、それに手長族。
その中でも手長族は厄介だよ。
負けたら、ヒトは根絶やしにされる……」
花山は、この点は腑に落ちていなかった。
「白魔族と黒魔族は……」
「キャプテン(一尉=大尉)、それにキャプテン(船長)。
黒魔族は、はっきりしないけど2系統いるんだ。
トーカと呼ばれる古い種族と、ギガスという新しい種族。
ギガスは危険だけど、トーカは違う。タカくらいの大きさのドラゴンを操るのはトーカで、巨大なドラゴンはギガスが武器にしている。
トーカはアフリカのどこかにいた。そこで、白魔族に遺伝子操作されたヒトを救ったんだ。最古の逃亡黒羊だとされている。
ギガスは西ユーラシアにヒトよりも少しだけ古い時代に移ってきた。
ヒトを捕らえるのではなく、東方の蛮族から奴隷を買っていた。
ギガスはヒトと争いはしたけれど、あれは戦争だった。ニッチをかけた……。寒さに耐えかねた黒魔族が南下してきて、戦いが起こったんだ。
白魔族は、ヒトを食べるんだ。子供を料理して……。
これは受け入れられない。
白魔族は純粋にヒトの敵なんだ。
白魔族は、精霊族や鬼神族の子供も狩っていた。ヒトがこの世界に来る前から……。
だから、精霊族と鬼神族は白魔族を攻めているんだ。意地になっているように感じる。
冷静さを欠いたら、危険だよ。
そんなことじゃなくて……。
何言いたいんだろう?
手長族や白魔族と戦うには、ヒトは団結しなきゃ。救世主やまだ知らないヒトを含めて……。
だから、アトラスに行きたいの。
キャプテンとキャプテンは、どの街にも、どの国にも属していない。
だから、自由に行動できる。
お願い。
協力して」
里崎船長は、少し考える。
「あなたのお母さんは?」
「ママはダメ。
ママは父さんの意志を継いでいる。
ママは父さんよりも偉そうだけど、父さんの考えに沿って動いていたんだ。
だけど、父さんが死んじゃったから、ママは父さんの代わりをしなきゃいけない。
だけど、だけど、ママには父さんのように、未来を見通す感性はないの。
父さんは、どこまで理解していたのか、それはわからないの。偶然かもしれないし、先見の明があっただけかもしれないし、未来を見通す力があったのかもしれないし、超能力者だったのかもしれない。
だけど、父さんの判断は、結果的にいつも正しかった。
私が父さんの代わりになるとは思えないけど、父さんなら先手を打ってアトラスを調べると思う。
そんな気がするの」
花山が微笑む。
「千早さんのお父さんって、誰かに似てるね」
里崎が花山を見詰める。
「香野木さん?
違うと思うよ!
花山さんには悪いけど、そんな偉大なヒトじゃない」
花山が含み笑いをする。
「まぁね。
千早さん、協力します。
ヌアクショット川上流を調べてみましょう」
バンジェル島には、北方低層平原以来のメンバーやプリュールで合流したグループが集まり始めていた。
コーカレイからは、マーニとホティアが移っている。飛行場に隣接して、航空機組立工場とエンジンの製造工場も稼働している。
ノイリンの車輌工場は一部が、コーカレイは全部が移転完了。バイオ燃料工場は、数カ月前に操業開始している。
高等教育機関や研究機関の引っ越しも進んでいる。
「マーニ、ママには内緒。チュールにもね」
「ずるいよ、チハヤ。
自分だけ引っ越しサボるなんて!」
2人の様子は、4つの小さな瞳が見ていた。
半田千早よりも先にマーニが視線を察知する。
「キュッラ!
聞いてたね。
誰にもいっちゃダメだよ」
「私も行きたい!」
「ぼくも行きたい!」
もう1人は半田健太だ。
千早は、キュッラと健太にせがまれて、同行することに同意する。
完全に根負けだった。それに、アトラスに戦いを求めていくのではない。よりよい交流・交易が目的だ。安全ではないが、危険でもない。
千早は、キュッラと健太にはいい経験になると思った。
彼女の母は多忙で、2人をかまっている余裕はない。翔太だけで手一杯だ。2人の同行は、母の負担軽減になるとも考えた。
また、アトラス調査チームは、人手が欲しいことも事実。西ユーラシアは、ネコの手どころか、イヌの手も借りたいほど移転作業で忙しいのだ。
キュッラと健太でも、荷物運びくらいはできる。そして、その人手が欲しかった。
花山真弓と里崎杏は、慌てていた。
BK117中型ヘリコプターを用意したのだが、パイロットがいない。結城光二は、小型のMD500キラーエッグとともにバンジェル島に残る。
そこで、感染症から回復したばかりで、特定の任務割り当てがなかったホティアが手を上げる。
彼女は褐色の精霊族で、ベルーガの若年男性は“ダークエルフ”の参加を大歓迎する。
ヒト以外の参加が決まると、ロロカットとヒトが呼ぶ若い男性精霊族が参加を希望した。
彼は、西アフリカ駐留の精霊族から選抜されていた。
精霊族が行くとなると、鬼神族からも参加が希望される。カーリンは若い女性で、精悍かつ知的な顔立ちをしている。
鬼神族なので、頭髪がない。また、性差が大きく、女性は痩躯で身長は平均すると190センチほど。ヒトの長身男性とほぼ同じ程度の体格だ。
精霊族はノイリンで頭髪を整えることが、ある種のステータスになっていた。アグスティナとフローリカ母子が経営するヘアサロンは盛況で、精霊族には特別な存在だった。
その母子の店は、もうノイリンにはない。現在は、バンジェル島にある。
精霊族は原則平等社会だが、霊長類の性なのか厳然とした階級がある。
上位階級出身のロロカットは、アグスティナの店で頭髪を整えている。
美しい銀髪を誇るように見せつけている。
百瀬未咲は来栖早希の一番弟子だが、同時にベルーガ乗員全員が彼女のヘアカットの練習台だった。
男性は否応なく、彼女によって奇抜な頭髪にされていた。ショックを受けた加賀谷哲平が泣き出したこともある。
カーリンが車輌甲板にいる百瀬に声をかける。
「若き学者殿、あれをどう見る」
百瀬が微笑む。
「きれいな髪だね」
「嫌味だ。
我ら頭髪のない種族への当て付けだ」
車輌甲板の最後端にいるロロカットの銀髪が風で揺れる。その後ろ姿は美しい。
「生物の姿は、進化の結果。無駄は多いけど、そこに意味があるんだ。
で、鬼神族は手がきれい。
大きな手、長い指、そしてとてもバランスがいい爪。霊長類の特徴は平爪だけど、鬼神族は特に美しい。
これ、してみる?」
百瀬が、左の中指を見せる。左手中指だけにネイルをしている。
「爪に星が描かれている!」
少しの空き時間を利用して、百瀬はカーリンの左手中指に貝殻とヒトデをあしらったネイルをした。
翌日早朝、ベルーガが停泊する岸壁に鬼神族の行列ができていた。
カーリンが他の鬼神族に見せたからだ。爪に施された芸術は、鬼神族を感動させ、その噂は一晩でバンジェル島全域に広がっていた。
「予定を早めて、出港します」
里崎杏は怒っていた。百瀬未咲にではなく、この世界に。いいことも悪いことも、何が起きるかわからない。
岸壁には、大勢の鬼神族が取り残された。
ベルーガには、花山健昭などの子供たちも乗船している。ベルーガは、クマンにもバンジェル島にも属さない船なので、この船の大人たちは子供を陸に残すことを嫌った。
ただ、航空機関系者を中心に16歳以上の半分はバンジェル島に残っている。
長宗元親は造船技師として、井澤貞之は建築家として、島に残った。
航空機の技術者である土井将馬は、200万年後も同じ仕事に就くとは考えていなかった。
アイロス・オドランをトップとする航空機班は、ターボコブラの製造工場をコーカレイからバンジェル島に移し、量産体制を再構築しようと躍起になっていた。
土井は、この仕事に協力することとなった。
飛行場の片隅にある格納庫では、富士T-1練習機が慎重に分解されている。T-1“初鷹”練習機は、第二次世界大戦後初の国産ジェット機だが、2006年に全機が退役していて、この機は各務原の航空宇宙博物館に展示されていたものだ。
設計資料は200万年後に持ち込んでおり、実機もあることから、この機をモデルにリエンジニアリングによる生産が計画されている。
井澤貞之は片倉幸子に協力して、住宅の建設を行っている。ノイリン北地区とコーカレイからの移住者は1万人程度だが、ノイリン西地区の一部がバンジェル島への移住を打診している。
住宅は、当初計画を超えて必要になりそうだった。
長宗元親は南島を“散歩”と称して、軽トラに乗って探検していた。
バンジェル島は、南島の領有がクマンと合意されているが、開発はもちろん、調査さえ十分ではなかった。
長宗は、南島に奇妙な石組み構造の建造物を見つける。大がかりな施設で、彼にはそれが何かすぐにわかった。
乾ドッグだ。
全長130メートル、全幅50メートルあり、どうにかベルーガを入渠させられる規模だ。この乾ドッグ跡は、バンジェル島と南島を分ける水道に面している。
「こいつを修理するのは、たいへんだぞ」
長宗はそう呟いたが、顔は微笑んでいた。
「こんなところまで来て、俺はまた船を造るのか?
因果としか言いようがないな」
加賀谷真理もヌアクショット川調査隊には参加しなかった。
彼女は、ノイリンが製造する装甲車輌を2輌購入する交渉を担当している。
ノイリン製とコーカレイ製の装甲車輌は実質同型で、主力の車輌はM24チャーフィー軽戦車のシャーシをベースにしていた。
サスペンションは2輪連動型のボギー式で、横置きコイルスプリングで懸架される。俗に日本式とも言われ、単純だが地形との連動が良好だ。第二次世界大戦期の九五式軽戦車や九七式中戦車が採用していた形式と同じだ。
エンジンとトランスミッションは車体後部にあり、車体最後部の起動輪を駆動する。
砲塔は、イギリス製FV101スコーピオン軽戦車と同系。
加賀谷真理は、この車体にM42ダスターの連装40ミリ機関砲をバラして、単装の40ミリ機関砲搭載戦闘車を2輌作ろうとしている。
この計画は、花山真弓と里崎杏も了承している。
この危険な世界で生きていくには、彼らが持ち込んだ武器だけでは不十分だと感じていたからだ。
実際、決定的に不足していた自動小銃などを購入している。
ヌアクショット川上流調査は、2つの方法が考えられていた。1つは装軌車輌で上流に向かい、もう1つは水深が浅い200キロを陸路で越え、水深が深くなった地点からは複合艇を使う方法だ。複合艇は、トレーラーに載せて陸路を運ぶ。
どちらにしても航空偵察が必要で、この任務のためにBK117中型ヘリコプターを搭載している。
ベルーガは、可能な限り多くの車輌を積んできた。装甲車輌を偏重してもいない。悪路走破に適したショートボディの2トントラックや3トンダンプ、4駆のワンボックスバンとワゴンもある。
だが、装甲車輌や建設機械が占有するスペースが大きいため、日常の足になりそうな車輌は選択が難しかった。
結局、200万年後において、陸上での移動手段として最も有効と思われたランドクルーザーは諦めなくてはならなかった。
少数なら問題なく積めるが、乗り物は多数を必要としている。
そこで、ベルーガのメンバーは、軽トラック10輌、軽のワンボックスバン5輌、同ワゴン1輌、ジムニー1輌、ハスラー1輌の計18輌を積んできた。
軽トラック10輌の内訳は、冷凍冷蔵車2輌、パネルバン2輌、平ボディのトラック6輌だ。
全車が同一メーカー製だが、これは部品の共有を願ってのことだった。
ジムニーは10歳代前半の男の子たち用、ハスラーは同女の子たち用、と彼ら彼女らは主張している。
その他、原付スクーターも積んできた。
なるべく、新しい年式、走行距離の少ないクルマを選んだが、新車同様とは言いがたい。
バンジェル島の飛行場では、軽トラは運用開始から3日目には必要不可欠な輸送車になっていた。ヒトを運ぶし、荷物も運ぶ。
本土の“お屋敷”では、ジムニーとハスラーはクマンのヒトたちから垂涎の的になっている。
スクーターは、街中を走るには最適な移動手段だった。
ベルーガのメンバーは、浮いていたし、目立ってもいた。
各種非装甲車輌と建設機械を降ろしたベルーガは、ヌアクショット川の河口から50キロ遡っていた。
これ以上は遡上できない。
投錨し、装甲輸送車の揚陸準備を始めている。
ベルーガ船内では、意見が割れていた。
重武装を主張する納田優奈と軽武装での探検を希望する半田千早との議論は、平行線のままだった。
納田優奈はアトラス人との接触だけでなく、創造主(白魔族=オーク)やセロ(手長族)との遭遇を念頭に置いている。
一方、半田千早はアトラス人との平和的な接触を果たすには、重火器を持たないほうがいいと主張。
2人の議論は、延々と続いていた。
里崎杏船長は、2人の議論には一致点が見出せないと感じている。ならば、自分が折衷案ではない、新案を提示する以外にないと判断している。
「優奈さん、千早さん。
2人の議論はもっともだと思う。
けど……、もう少し余裕を持って考えたら」
納田の目尻が上がる。
「どういうことです?」
「千早さん。
アトラス人が平和的だとは断言できないでしょ。
ならば、準備はしておくべきね。
千早さんによると、アトラス人は戦車を持っている。とするならば、戦うことがあるということ。
誰とだろう?
セロと?
オークと?
ヒトと?
アトラス人の状況もわかっていないし、好戦的なのか、平和を愛するのか、それすらわかっていない。
言葉が通じるかさえ、わからないでしょ。
ならば、準備は必要。
でも、明らかに武装していたら、相手も警戒する。警戒だけではすまないかも。
2輌の装甲輸送車と装甲トレーラーだけで行きましょう。84ミリ無反動砲と110ミリ対戦車弾を持って、ね。
RPG-7も。
十分ではないけど、戦車が現れても最低限の対処ができると思う」
千早が不信の目を向ける。
「まるで、船長が同行するみたいな言い方ですね」
「千早さん、私は同行なんてしない。
私が指揮を執る。
これからも優奈さんと対立しそうだし」
納田優奈が困り顔をする。
「千早と仲が悪いわけじゃないの」
ヌアクショット川の両岸は、木々が岸部近くまで生い茂っていた。川に沿って陸路を遡上するには、ここでの上陸は適当ではなかった。
しかし、ベルーガでは、これ以上の遡上は不可能。下流には草原と接している川岸があるが、陸路では広大な森を迂回しなければならず、結果として100キロ以上も川から離れなければならない。
方向を見失うことはないが、迂回を重ねれば走行距離が増し、燃料の消費が増える。河床を走り、水深があれば浮航するほうがいい。
装甲輸送車の軽合金製車体は74式自走105ミリりゅう弾砲をベースにしているが、浮航キットがなくても水上航行ができるようになっている。
専用の装軌式トレーラーには荷物を満載しても浮航能力がある。
装甲輸送車は、浅瀬は河床を走り、深みは浮航してヌアクショット川を遡上している。
この調査隊のメンバーは16人。
隊長は里崎杏船長が強引に引き受け、彼女以外の隊員はすべてバンジェル島のメンバーだった。
半田千早、納田優奈、ミルシェも参加している。キュッラと城島健太、精霊族のロロカット、鬼神族のカーリンも同行する。
アトラス山脈東麓にある巨大湖は、アトラス湖と呼ばれている。水面積70万平方キロ超、沿岸の総距離は3000キロを軽く超えると推測している。
ヌアクショット川の源流がアトラス湖であり、河口から源流まで2000キロ以上ある、と推定している。
だから、陸路で向かうことは簡単ではなかったし、空路なら往復3000キロ以上の航続距離がある飛行艇か水上機が必要だった。
そんな飛行機は、200万年後には存在しない。
半田千早は西サハラ海に向かうにあたって、交易品に何を選べばいいのか悩んだ。塩や燃料は確実に需要があるが、今回の探検では多くを積んでは行けない。
いろいろと思案したが、小数でも交易品として価値がありそうなものは銃だった。コーカレイ製のボルトアクション小銃を30挺用意する。
この銃は、毎度お馴染み九九式狙撃銃のコピー品で、7.62×51ミリNATO弾を使用する。オリジナルからの変更点は多いが、15発固定弾倉化されている点が外観上もっとも異なる。
西ユーラシアでは、もっとも安価なライフルでもある。
里崎杏は半田千早の選択に眉をひそめたが、同時にこの世界では銃は生存に必要不可欠な道具であることも理解しつつあった。
それでもドラキュロを見ていない里崎が、銃の必要性を十分に理解しているとは言いがたい。
河口から1500キロまでは両岸の地形がやや険しいこともあり、川の流れに沿って進む。1500キロ地点からは、両岸が草原になったので、東岸に上陸して川から離れて北上する。
400キロ進むと東に丘陵地が見えてきた。丘陵地には低木が散見できる。湖沼が点在し、緑豊かな美しい土地だ。
「擬装したほうがいいんじゃない」
朝食前の納田優奈の一言は、半田千早は当然だと思った。そろそろ人界に達するかもしれず、無用な流血を防ぐためにも、できるだけ不期遭遇は避けたい。
「里崎キャプテン、車体を擬装しましょう。
枝で車体を覆えば、茂みに見えます。発見される可能性が減り、こちらが先に発見すれば、無用な接触を避けられます」
「千早さん、そのほうがいいの?」
「えぇ、疎林というか、木立の多い草原では、突然、出会ってしまうことが多いのです。
そうすると、互いに驚き、互いに警戒し、互いに武器を持ちだして……」
「なるほどね。
意図せず、殺し合う?」
「はい」
「任せます。
朝食を済ませ、車体を擬装してから出発しましょう」
バンジェル島には、北島、南島、西島と呼ぶ隣接する島がある。
バンジェル島自体、アフリカ西岸から5キロしか離れていない。
最も近いのは南島で、約1キロ。北島は、北西5キロにある。真西にある西島とは約25キロの距離がある。
バンジェル島、北島、南島の3島は、それぞれ600平方キロ前後の面積がある。この面積は淡路島に近い。
西島は最大で、佐渡島に匹敵する900平方キロ弱ある。
4島の面積を合計すると、2600平方キロにもなり、神奈川県や佐賀県の面積を超える。200万年前の国家ならルクセンブルクとほぼ同じ。
バンジェル島司令官城島由加は、バンジェル島と南島を領有している。
だが、この2島だけでは如何ともしがたい状況が、生まれつつあった。
ピレネー山脈よりも南、イベリア半島の森に住む褐色の精霊族各部族は、他の精霊族とは行動を共にせず、ヒトの街であるコーカレイとの連帯を希望している。
コーカレイは、ノイリン北地区が開いた飛び地勢力圏だが、フルギアやヴルマンも少なくない。北方人もいるし、北方人との縁が深い異教徒もいる。
西ユーラシアは寒冷から抜け出せないでいるが、地球全体は温暖化の傾向を示している。いずれ、西ユーラシアも暖かくなる。
特に心配されていることが、急激な温暖化だ。
そうなれば、ドラキュロがライン川を一気に越えてくる。これは、ヒトの力では止められない。その前に脱出しなければならないし、ドラキュロのアフリカ進出を阻止しなければならない。
これは、ヒトだけの問題ではなく、ヒトから進化した精霊族や鬼神族にも言えることだし、道具を使う大型類人猿である森のヒトにも当てはまる。黒魔族と白魔族も同様だ。
ドラキュロは、直立二足歩行するすべての生き物を攻撃するからだ。
唯一の例外は、有袋類であるカンガルーの仲間に対してで、ヒトの類縁と認識しないらしい。
平均気温が1℃から2℃上昇すれば、ドラキュロは活性化する。そして、ライン川を越えようとする。
それは、ヒトにとって地獄の門が開くことに等しい。
コーカレイ総督デュランダルからバンジェル島司令官城島由加に届いた至急電は、イベリア半島の褐色の精霊族全体がバンジェル島への移住を希望する、という驚愕すべき内容だった。
全部族となれば、推定で20万から30万にもなる。
もちろん、ヒトの移住希望者もいる。バンジェル島と南島だけでは、受け入れできない可能性がある。
城島由加は焦っていた。
彼女は、最愛の長子である半田千早が固執するアトラス山脈東麓などどうでもよかった。
この河口は、長く深い入り江だと考えられてきた。海岸から50キロほど上流までは水深があり、大型船でも遡上できるが、この付近で急流となり、カッターボートが着底するほど極端に浅くなる。
この浅瀬は断続的に200キロ続き、河口付近と上流部を完全に分ける。上流を探検するには、船ではなく車輌が必要だった。
半田千早は、ヌアクショット川を遡れば、アトラス山脈東麓・南麓に至ると確信していた。航空機による偵察は行われていないが、偶然の発見はその予測を裏付けている。
彼女は西アフリカに、クマンと湖水地域以外にもヒトのコミュニティがあると推測している。
そして、接触したいと考えている。
花山真弓と里崎杏は、半田千早のたどたどしい日本語に戸惑っていた。だが、彼女の言いたいことは理解できた。
「では、千早さんは私たちに何をして欲しいの?」
「船長、ヌアクショット川の上流を探検するので、車輌を運んで欲しい。
できれば、車輌も貸して欲しい」
花山は、西ユーラシアの寒冷と不作を知っていたが、それと千早の探検が結びつかない。
「千早さん、根本的な疑問なのだけど……。
この時期に、なぜアトラス山脈を調べたいの?
セロの攻勢は近いし、救世主の問題も解決したわけではないし、白魔族とは断続的に交戦中。黒魔族との和平交渉も止まっている。
こんなに不安定なのに、なぜ、アトラス山脈に興味があるの?」
「キャプテン、私は見たんです。
救世主と戦っていたとき、救世主のものでも、西ユーラシア製でもない戦車を……。
きっと、アトラスのヒトたちだったと……」
「ただの興味?」
「違う。
西ユーラシアが西アフリカに進出すれば、早いか遅いかの違いはあっても、いつか接触することになる。
そのとき、不幸な出会いだと、いつまでも不幸が続いちゃう。
偶然の出会いではなく、必然の交流が安全。
だから、私が会いに行く。
父さんは言っていた。
ヒトは、ヒトと、争ってはならない」
里崎杏が即答する。
「それは理想。
ヒトの社会はそういう構造になっていない」
「キャプテン、それはよく知っている。
父さんは、いつも、誰かと、争っていたから……」
花山と里崎、2人のキャプテンは、見合って笑った。
「理想と現実……?」
「キャプテン、父さんは理想を追求するヒトじゃなかった。
理想とはほど遠いヒトだった。
だけど、ヒト同士が争っている余裕はないんだ。
白魔族、黒魔族、それに手長族。
その中でも手長族は厄介だよ。
負けたら、ヒトは根絶やしにされる……」
花山は、この点は腑に落ちていなかった。
「白魔族と黒魔族は……」
「キャプテン(一尉=大尉)、それにキャプテン(船長)。
黒魔族は、はっきりしないけど2系統いるんだ。
トーカと呼ばれる古い種族と、ギガスという新しい種族。
ギガスは危険だけど、トーカは違う。タカくらいの大きさのドラゴンを操るのはトーカで、巨大なドラゴンはギガスが武器にしている。
トーカはアフリカのどこかにいた。そこで、白魔族に遺伝子操作されたヒトを救ったんだ。最古の逃亡黒羊だとされている。
ギガスは西ユーラシアにヒトよりも少しだけ古い時代に移ってきた。
ヒトを捕らえるのではなく、東方の蛮族から奴隷を買っていた。
ギガスはヒトと争いはしたけれど、あれは戦争だった。ニッチをかけた……。寒さに耐えかねた黒魔族が南下してきて、戦いが起こったんだ。
白魔族は、ヒトを食べるんだ。子供を料理して……。
これは受け入れられない。
白魔族は純粋にヒトの敵なんだ。
白魔族は、精霊族や鬼神族の子供も狩っていた。ヒトがこの世界に来る前から……。
だから、精霊族と鬼神族は白魔族を攻めているんだ。意地になっているように感じる。
冷静さを欠いたら、危険だよ。
そんなことじゃなくて……。
何言いたいんだろう?
手長族や白魔族と戦うには、ヒトは団結しなきゃ。救世主やまだ知らないヒトを含めて……。
だから、アトラスに行きたいの。
キャプテンとキャプテンは、どの街にも、どの国にも属していない。
だから、自由に行動できる。
お願い。
協力して」
里崎船長は、少し考える。
「あなたのお母さんは?」
「ママはダメ。
ママは父さんの意志を継いでいる。
ママは父さんよりも偉そうだけど、父さんの考えに沿って動いていたんだ。
だけど、父さんが死んじゃったから、ママは父さんの代わりをしなきゃいけない。
だけど、だけど、ママには父さんのように、未来を見通す感性はないの。
父さんは、どこまで理解していたのか、それはわからないの。偶然かもしれないし、先見の明があっただけかもしれないし、未来を見通す力があったのかもしれないし、超能力者だったのかもしれない。
だけど、父さんの判断は、結果的にいつも正しかった。
私が父さんの代わりになるとは思えないけど、父さんなら先手を打ってアトラスを調べると思う。
そんな気がするの」
花山が微笑む。
「千早さんのお父さんって、誰かに似てるね」
里崎が花山を見詰める。
「香野木さん?
違うと思うよ!
花山さんには悪いけど、そんな偉大なヒトじゃない」
花山が含み笑いをする。
「まぁね。
千早さん、協力します。
ヌアクショット川上流を調べてみましょう」
バンジェル島には、北方低層平原以来のメンバーやプリュールで合流したグループが集まり始めていた。
コーカレイからは、マーニとホティアが移っている。飛行場に隣接して、航空機組立工場とエンジンの製造工場も稼働している。
ノイリンの車輌工場は一部が、コーカレイは全部が移転完了。バイオ燃料工場は、数カ月前に操業開始している。
高等教育機関や研究機関の引っ越しも進んでいる。
「マーニ、ママには内緒。チュールにもね」
「ずるいよ、チハヤ。
自分だけ引っ越しサボるなんて!」
2人の様子は、4つの小さな瞳が見ていた。
半田千早よりも先にマーニが視線を察知する。
「キュッラ!
聞いてたね。
誰にもいっちゃダメだよ」
「私も行きたい!」
「ぼくも行きたい!」
もう1人は半田健太だ。
千早は、キュッラと健太にせがまれて、同行することに同意する。
完全に根負けだった。それに、アトラスに戦いを求めていくのではない。よりよい交流・交易が目的だ。安全ではないが、危険でもない。
千早は、キュッラと健太にはいい経験になると思った。
彼女の母は多忙で、2人をかまっている余裕はない。翔太だけで手一杯だ。2人の同行は、母の負担軽減になるとも考えた。
また、アトラス調査チームは、人手が欲しいことも事実。西ユーラシアは、ネコの手どころか、イヌの手も借りたいほど移転作業で忙しいのだ。
キュッラと健太でも、荷物運びくらいはできる。そして、その人手が欲しかった。
花山真弓と里崎杏は、慌てていた。
BK117中型ヘリコプターを用意したのだが、パイロットがいない。結城光二は、小型のMD500キラーエッグとともにバンジェル島に残る。
そこで、感染症から回復したばかりで、特定の任務割り当てがなかったホティアが手を上げる。
彼女は褐色の精霊族で、ベルーガの若年男性は“ダークエルフ”の参加を大歓迎する。
ヒト以外の参加が決まると、ロロカットとヒトが呼ぶ若い男性精霊族が参加を希望した。
彼は、西アフリカ駐留の精霊族から選抜されていた。
精霊族が行くとなると、鬼神族からも参加が希望される。カーリンは若い女性で、精悍かつ知的な顔立ちをしている。
鬼神族なので、頭髪がない。また、性差が大きく、女性は痩躯で身長は平均すると190センチほど。ヒトの長身男性とほぼ同じ程度の体格だ。
精霊族はノイリンで頭髪を整えることが、ある種のステータスになっていた。アグスティナとフローリカ母子が経営するヘアサロンは盛況で、精霊族には特別な存在だった。
その母子の店は、もうノイリンにはない。現在は、バンジェル島にある。
精霊族は原則平等社会だが、霊長類の性なのか厳然とした階級がある。
上位階級出身のロロカットは、アグスティナの店で頭髪を整えている。
美しい銀髪を誇るように見せつけている。
百瀬未咲は来栖早希の一番弟子だが、同時にベルーガ乗員全員が彼女のヘアカットの練習台だった。
男性は否応なく、彼女によって奇抜な頭髪にされていた。ショックを受けた加賀谷哲平が泣き出したこともある。
カーリンが車輌甲板にいる百瀬に声をかける。
「若き学者殿、あれをどう見る」
百瀬が微笑む。
「きれいな髪だね」
「嫌味だ。
我ら頭髪のない種族への当て付けだ」
車輌甲板の最後端にいるロロカットの銀髪が風で揺れる。その後ろ姿は美しい。
「生物の姿は、進化の結果。無駄は多いけど、そこに意味があるんだ。
で、鬼神族は手がきれい。
大きな手、長い指、そしてとてもバランスがいい爪。霊長類の特徴は平爪だけど、鬼神族は特に美しい。
これ、してみる?」
百瀬が、左の中指を見せる。左手中指だけにネイルをしている。
「爪に星が描かれている!」
少しの空き時間を利用して、百瀬はカーリンの左手中指に貝殻とヒトデをあしらったネイルをした。
翌日早朝、ベルーガが停泊する岸壁に鬼神族の行列ができていた。
カーリンが他の鬼神族に見せたからだ。爪に施された芸術は、鬼神族を感動させ、その噂は一晩でバンジェル島全域に広がっていた。
「予定を早めて、出港します」
里崎杏は怒っていた。百瀬未咲にではなく、この世界に。いいことも悪いことも、何が起きるかわからない。
岸壁には、大勢の鬼神族が取り残された。
ベルーガには、花山健昭などの子供たちも乗船している。ベルーガは、クマンにもバンジェル島にも属さない船なので、この船の大人たちは子供を陸に残すことを嫌った。
ただ、航空機関系者を中心に16歳以上の半分はバンジェル島に残っている。
長宗元親は造船技師として、井澤貞之は建築家として、島に残った。
航空機の技術者である土井将馬は、200万年後も同じ仕事に就くとは考えていなかった。
アイロス・オドランをトップとする航空機班は、ターボコブラの製造工場をコーカレイからバンジェル島に移し、量産体制を再構築しようと躍起になっていた。
土井は、この仕事に協力することとなった。
飛行場の片隅にある格納庫では、富士T-1練習機が慎重に分解されている。T-1“初鷹”練習機は、第二次世界大戦後初の国産ジェット機だが、2006年に全機が退役していて、この機は各務原の航空宇宙博物館に展示されていたものだ。
設計資料は200万年後に持ち込んでおり、実機もあることから、この機をモデルにリエンジニアリングによる生産が計画されている。
井澤貞之は片倉幸子に協力して、住宅の建設を行っている。ノイリン北地区とコーカレイからの移住者は1万人程度だが、ノイリン西地区の一部がバンジェル島への移住を打診している。
住宅は、当初計画を超えて必要になりそうだった。
長宗元親は南島を“散歩”と称して、軽トラに乗って探検していた。
バンジェル島は、南島の領有がクマンと合意されているが、開発はもちろん、調査さえ十分ではなかった。
長宗は、南島に奇妙な石組み構造の建造物を見つける。大がかりな施設で、彼にはそれが何かすぐにわかった。
乾ドッグだ。
全長130メートル、全幅50メートルあり、どうにかベルーガを入渠させられる規模だ。この乾ドッグ跡は、バンジェル島と南島を分ける水道に面している。
「こいつを修理するのは、たいへんだぞ」
長宗はそう呟いたが、顔は微笑んでいた。
「こんなところまで来て、俺はまた船を造るのか?
因果としか言いようがないな」
加賀谷真理もヌアクショット川調査隊には参加しなかった。
彼女は、ノイリンが製造する装甲車輌を2輌購入する交渉を担当している。
ノイリン製とコーカレイ製の装甲車輌は実質同型で、主力の車輌はM24チャーフィー軽戦車のシャーシをベースにしていた。
サスペンションは2輪連動型のボギー式で、横置きコイルスプリングで懸架される。俗に日本式とも言われ、単純だが地形との連動が良好だ。第二次世界大戦期の九五式軽戦車や九七式中戦車が採用していた形式と同じだ。
エンジンとトランスミッションは車体後部にあり、車体最後部の起動輪を駆動する。
砲塔は、イギリス製FV101スコーピオン軽戦車と同系。
加賀谷真理は、この車体にM42ダスターの連装40ミリ機関砲をバラして、単装の40ミリ機関砲搭載戦闘車を2輌作ろうとしている。
この計画は、花山真弓と里崎杏も了承している。
この危険な世界で生きていくには、彼らが持ち込んだ武器だけでは不十分だと感じていたからだ。
実際、決定的に不足していた自動小銃などを購入している。
ヌアクショット川上流調査は、2つの方法が考えられていた。1つは装軌車輌で上流に向かい、もう1つは水深が浅い200キロを陸路で越え、水深が深くなった地点からは複合艇を使う方法だ。複合艇は、トレーラーに載せて陸路を運ぶ。
どちらにしても航空偵察が必要で、この任務のためにBK117中型ヘリコプターを搭載している。
ベルーガは、可能な限り多くの車輌を積んできた。装甲車輌を偏重してもいない。悪路走破に適したショートボディの2トントラックや3トンダンプ、4駆のワンボックスバンとワゴンもある。
だが、装甲車輌や建設機械が占有するスペースが大きいため、日常の足になりそうな車輌は選択が難しかった。
結局、200万年後において、陸上での移動手段として最も有効と思われたランドクルーザーは諦めなくてはならなかった。
少数なら問題なく積めるが、乗り物は多数を必要としている。
そこで、ベルーガのメンバーは、軽トラック10輌、軽のワンボックスバン5輌、同ワゴン1輌、ジムニー1輌、ハスラー1輌の計18輌を積んできた。
軽トラック10輌の内訳は、冷凍冷蔵車2輌、パネルバン2輌、平ボディのトラック6輌だ。
全車が同一メーカー製だが、これは部品の共有を願ってのことだった。
ジムニーは10歳代前半の男の子たち用、ハスラーは同女の子たち用、と彼ら彼女らは主張している。
その他、原付スクーターも積んできた。
なるべく、新しい年式、走行距離の少ないクルマを選んだが、新車同様とは言いがたい。
バンジェル島の飛行場では、軽トラは運用開始から3日目には必要不可欠な輸送車になっていた。ヒトを運ぶし、荷物も運ぶ。
本土の“お屋敷”では、ジムニーとハスラーはクマンのヒトたちから垂涎の的になっている。
スクーターは、街中を走るには最適な移動手段だった。
ベルーガのメンバーは、浮いていたし、目立ってもいた。
各種非装甲車輌と建設機械を降ろしたベルーガは、ヌアクショット川の河口から50キロ遡っていた。
これ以上は遡上できない。
投錨し、装甲輸送車の揚陸準備を始めている。
ベルーガ船内では、意見が割れていた。
重武装を主張する納田優奈と軽武装での探検を希望する半田千早との議論は、平行線のままだった。
納田優奈はアトラス人との接触だけでなく、創造主(白魔族=オーク)やセロ(手長族)との遭遇を念頭に置いている。
一方、半田千早はアトラス人との平和的な接触を果たすには、重火器を持たないほうがいいと主張。
2人の議論は、延々と続いていた。
里崎杏船長は、2人の議論には一致点が見出せないと感じている。ならば、自分が折衷案ではない、新案を提示する以外にないと判断している。
「優奈さん、千早さん。
2人の議論はもっともだと思う。
けど……、もう少し余裕を持って考えたら」
納田の目尻が上がる。
「どういうことです?」
「千早さん。
アトラス人が平和的だとは断言できないでしょ。
ならば、準備はしておくべきね。
千早さんによると、アトラス人は戦車を持っている。とするならば、戦うことがあるということ。
誰とだろう?
セロと?
オークと?
ヒトと?
アトラス人の状況もわかっていないし、好戦的なのか、平和を愛するのか、それすらわかっていない。
言葉が通じるかさえ、わからないでしょ。
ならば、準備は必要。
でも、明らかに武装していたら、相手も警戒する。警戒だけではすまないかも。
2輌の装甲輸送車と装甲トレーラーだけで行きましょう。84ミリ無反動砲と110ミリ対戦車弾を持って、ね。
RPG-7も。
十分ではないけど、戦車が現れても最低限の対処ができると思う」
千早が不信の目を向ける。
「まるで、船長が同行するみたいな言い方ですね」
「千早さん、私は同行なんてしない。
私が指揮を執る。
これからも優奈さんと対立しそうだし」
納田優奈が困り顔をする。
「千早と仲が悪いわけじゃないの」
ヌアクショット川の両岸は、木々が岸部近くまで生い茂っていた。川に沿って陸路を遡上するには、ここでの上陸は適当ではなかった。
しかし、ベルーガでは、これ以上の遡上は不可能。下流には草原と接している川岸があるが、陸路では広大な森を迂回しなければならず、結果として100キロ以上も川から離れなければならない。
方向を見失うことはないが、迂回を重ねれば走行距離が増し、燃料の消費が増える。河床を走り、水深があれば浮航するほうがいい。
装甲輸送車の軽合金製車体は74式自走105ミリりゅう弾砲をベースにしているが、浮航キットがなくても水上航行ができるようになっている。
専用の装軌式トレーラーには荷物を満載しても浮航能力がある。
装甲輸送車は、浅瀬は河床を走り、深みは浮航してヌアクショット川を遡上している。
この調査隊のメンバーは16人。
隊長は里崎杏船長が強引に引き受け、彼女以外の隊員はすべてバンジェル島のメンバーだった。
半田千早、納田優奈、ミルシェも参加している。キュッラと城島健太、精霊族のロロカット、鬼神族のカーリンも同行する。
アトラス山脈東麓にある巨大湖は、アトラス湖と呼ばれている。水面積70万平方キロ超、沿岸の総距離は3000キロを軽く超えると推測している。
ヌアクショット川の源流がアトラス湖であり、河口から源流まで2000キロ以上ある、と推定している。
だから、陸路で向かうことは簡単ではなかったし、空路なら往復3000キロ以上の航続距離がある飛行艇か水上機が必要だった。
そんな飛行機は、200万年後には存在しない。
半田千早は西サハラ海に向かうにあたって、交易品に何を選べばいいのか悩んだ。塩や燃料は確実に需要があるが、今回の探検では多くを積んでは行けない。
いろいろと思案したが、小数でも交易品として価値がありそうなものは銃だった。コーカレイ製のボルトアクション小銃を30挺用意する。
この銃は、毎度お馴染み九九式狙撃銃のコピー品で、7.62×51ミリNATO弾を使用する。オリジナルからの変更点は多いが、15発固定弾倉化されている点が外観上もっとも異なる。
西ユーラシアでは、もっとも安価なライフルでもある。
里崎杏は半田千早の選択に眉をひそめたが、同時にこの世界では銃は生存に必要不可欠な道具であることも理解しつつあった。
それでもドラキュロを見ていない里崎が、銃の必要性を十分に理解しているとは言いがたい。
河口から1500キロまでは両岸の地形がやや険しいこともあり、川の流れに沿って進む。1500キロ地点からは、両岸が草原になったので、東岸に上陸して川から離れて北上する。
400キロ進むと東に丘陵地が見えてきた。丘陵地には低木が散見できる。湖沼が点在し、緑豊かな美しい土地だ。
「擬装したほうがいいんじゃない」
朝食前の納田優奈の一言は、半田千早は当然だと思った。そろそろ人界に達するかもしれず、無用な流血を防ぐためにも、できるだけ不期遭遇は避けたい。
「里崎キャプテン、車体を擬装しましょう。
枝で車体を覆えば、茂みに見えます。発見される可能性が減り、こちらが先に発見すれば、無用な接触を避けられます」
「千早さん、そのほうがいいの?」
「えぇ、疎林というか、木立の多い草原では、突然、出会ってしまうことが多いのです。
そうすると、互いに驚き、互いに警戒し、互いに武器を持ちだして……」
「なるほどね。
意図せず、殺し合う?」
「はい」
「任せます。
朝食を済ませ、車体を擬装してから出発しましょう」
バンジェル島には、北島、南島、西島と呼ぶ隣接する島がある。
バンジェル島自体、アフリカ西岸から5キロしか離れていない。
最も近いのは南島で、約1キロ。北島は、北西5キロにある。真西にある西島とは約25キロの距離がある。
バンジェル島、北島、南島の3島は、それぞれ600平方キロ前後の面積がある。この面積は淡路島に近い。
西島は最大で、佐渡島に匹敵する900平方キロ弱ある。
4島の面積を合計すると、2600平方キロにもなり、神奈川県や佐賀県の面積を超える。200万年前の国家ならルクセンブルクとほぼ同じ。
バンジェル島司令官城島由加は、バンジェル島と南島を領有している。
だが、この2島だけでは如何ともしがたい状況が、生まれつつあった。
ピレネー山脈よりも南、イベリア半島の森に住む褐色の精霊族各部族は、他の精霊族とは行動を共にせず、ヒトの街であるコーカレイとの連帯を希望している。
コーカレイは、ノイリン北地区が開いた飛び地勢力圏だが、フルギアやヴルマンも少なくない。北方人もいるし、北方人との縁が深い異教徒もいる。
西ユーラシアは寒冷から抜け出せないでいるが、地球全体は温暖化の傾向を示している。いずれ、西ユーラシアも暖かくなる。
特に心配されていることが、急激な温暖化だ。
そうなれば、ドラキュロがライン川を一気に越えてくる。これは、ヒトの力では止められない。その前に脱出しなければならないし、ドラキュロのアフリカ進出を阻止しなければならない。
これは、ヒトだけの問題ではなく、ヒトから進化した精霊族や鬼神族にも言えることだし、道具を使う大型類人猿である森のヒトにも当てはまる。黒魔族と白魔族も同様だ。
ドラキュロは、直立二足歩行するすべての生き物を攻撃するからだ。
唯一の例外は、有袋類であるカンガルーの仲間に対してで、ヒトの類縁と認識しないらしい。
平均気温が1℃から2℃上昇すれば、ドラキュロは活性化する。そして、ライン川を越えようとする。
それは、ヒトにとって地獄の門が開くことに等しい。
コーカレイ総督デュランダルからバンジェル島司令官城島由加に届いた至急電は、イベリア半島の褐色の精霊族全体がバンジェル島への移住を希望する、という驚愕すべき内容だった。
全部族となれば、推定で20万から30万にもなる。
もちろん、ヒトの移住希望者もいる。バンジェル島と南島だけでは、受け入れできない可能性がある。
城島由加は焦っていた。
彼女は、最愛の長子である半田千早が固執するアトラス山脈東麓などどうでもよかった。
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