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第5章

第128話 盗賊商人

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 ヒトの噂ほど、あてにならないものはない。同時に、ヒトの噂ほど、注目しなければならないものもない。
 火のないところに煙は立たぬ、とは言うが、火の気がなくても水煙は立ち上る。
 噂は意図せず、また意図して、ヒトの口から湧き出る。
 噂に尾鰭が付いて、とは言うが、尾鰭どころか胴や頭までも付け加えられることもある。

 半田千早が湖水地域の油商人に軽油1キロリットルを商おうとした、という噂は24時間以内に湖水地域のすべてに伝わっていた。
 すでに、燃料は枯渇し始めていて、域内における日用品の通商も滞り始めていた。穀物は運べず、漁には出られず、手紙の配達も遅れていた。
 中部の誰もが“西のヒト”に燃料はあるか、穀物と燃料は交換できるか、と問いたかったが、ココワの油商人組合が恐ろしくて、できなかった。
 救世主の執拗な追及にも燃料のことは、誰もが何も言わなかった。そもそも、何も知らない。いや、知らないふりをしている。誰もが、ある程度のことは知っている。
 湖水地域にもたらされる燃料については、ココワの油商人組合が掌握し、現在はサール家がすべてを仕切っている。
 サール家に楯突いては、大商人から盗人まで、湖水地域で生きていくことはできない。

 翌日、半田千早たちはバマコから23口径76.2ミリ砲搭載型ウルツ4輌を受領して、当日中に戻ってきた。
 これは、中継基地に配備される4輌の装甲車で、4輪のスタグハウンドの後継だった。緊急の更新ではなく、予定の任務だ。
 当日はついでに、精製したバイオディーゼル2キロリットル(ドラム缶10本分)をバマコに移送している。
 品質の確認をするため、燃料班の検査員が空路でバマコにやって来る予定だ。
 品質検査の前に、すでにバマコ、マルカラ、バルカネルビでは車輌用として使っている。使えることは実証済み。

 その翌日、バルカネルビからバマコに向かっていた航空燃料の受領隊が、マルカラに立ち寄り、奇妙な噂を教えてくれた。
「バルカネルビの街人の間では、マルカラで油田が発見されたことになっている。
 商館が否定しているが、否定すればするほど、噂が真実味を帯びてしまうようだ。
 街の役人からも商館に問い合わせがあったらしい。
 商館は当初、ガンビア川河口の油田と混同しているんじゃないかと考えて、マルカラではないが、西のほうで油田が発見されたのは事実、みたいなことを言ったらしい。
 湖水地域のヒトは西アフリカ大西洋沿岸のことなんて、何も知らないから、マルカラ中継基地の少し西に油田が見つかった、と受け取ってしまったんじゃないかな。
 商館の下手な説明が、噂という火に油を注いでしまったんだ。
 そのうち、ここに湖水地域の勘違い商人たちが、押しかけてくるぞ!
 大儲けしろよ!
 強欲商人ども!」
 この隊は「簿外の燃料があるだろう。面白い噂を教えたんだから、少し寄越せ」と言って、予定外の補給をしていった。

 マルカラのバイオ燃料プラントは小規模で、設置と分解は簡単だった。
 より大型のプラントを設置するため、この夕方から分解を始めた。新しいプラントは、2日後に届く予定だ。
 この時点では“ココワの荒っぽい油商”に対して、何となく警戒はしていたが、具体的な防衛策などはまったく考えていなかった。
 そもそも、マルカラは防衛に適した地形ではない。ヒトとヒトとの戦争は、西ユーラシアでは絶えて久しかった。
 もちろん、盗賊はいるし、怨恨や色恋の刃傷沙汰だってある。だが、領土や利権を争っての戦争なんて、やっている余裕は西ユーラシアにはない。
 白と黒の魔族に加えて、セロというニッチが重複する強敵が存在するのだ。
 だから、盗賊の襲撃以上のことなんて、起きるはずはないと、一片の疑いさえ持っていなかった。

 200万年前からもたらされたカニア原型機の航続距離は、小型輸送ヘリコプターとはいえわずか170キロしかなかった。
 行動半径は、90キロに満たない。
 その対価として、8人までの乗員・乗客を乗せる機内スペースがある。
 ノイリンでは乗員・乗客を6人に減らして、空いた機内スペースの一部に大型の燃料タンクを配置し、航続距離を300キロまで伸ばした。機外燃料タンクと合わせれば、6人搭乗で500キロまで延伸できた。

 マルカラ中継基地の要員は20。装甲トラック1輌とウルツ6輪装甲車が4輌。装甲牽引車と装甲ドーザーが各1輌。
 施設としては、寝起きするためのテント、ドラム缶、基地を囲む有刺鉄線くらいしかない。基地の外にトイレの掘っ立て小屋がある。
 マルカラ燃料製造実験プラントにやって来た農業班は最初は5人だったが、出入りは激しいが20人くらいはいる。
 湖水地域と燃料の関係を探っている半田千早とマーニのグループは、合計すれば10人ほど。
 夜はともかく、昼間ならマルカラ周辺には30から40人ほどの西ユーラシアに人々がいる。日によっては、滑走路があるバマコよりも多い。

 マルカラの位置関係だが、ニジェール川北岸河畔にマルカラ中継基地がある。任務は、輸送隊への燃料補給とマルカラ付近の輸送路防衛。
 マルカラ燃料製造実験プラントは、マルカラ中継基地の北西4キロの内陸にある。実験プラント付近は草原だが、周囲一帯はギニアアブラヤシの林が広がる。密林でもなく、疎林でもない。下草を気にしなければ、奇妙な風景の公園だ。

 早朝、マーニは、顔を洗いに小さな池に向かおうとしていた半田千早を呼び止める。半田千早は、Tシャツに作業ズボン、タオルを肩にかけていた。
「チハヤ、これからバマコにヘリで行く。帰りは、バルカネルビに向かう輸送隊に便乗させてもらう。
 遅くとも、明日には戻るよ」
 半田千早は少し不安になった。
「1人で行くの?」
 マーニは微笑んだ。
「ホティアと一緒だよ。
 心配しないで」
 半田千早は、この一帯は決して安全な土地ではないことを知っている。空を飛び回るマーニよりも、地面を這い回る自分のほうがこの土地に対する危機感が強いと感じていた。ドラキュロはいなくとも、陸棲ワニなど脅威はたくさんある。
「気を付けて」
 マーニは微笑んだだけで、小型輸送ヘリコプターに向かって歩いていった。

 マルカラの燃料製造実験プラントと中継基地は、人寂しいこともあって、相互に連携していた。情報交換だけでなく、労働力についても協力し合っていた。
 中継基地の要員は、残り1週間で交代となり、彼らはバンジェル島に戻れる。
 燃料が豊富なことから、バマコやバルカネルビからは、規定よりも長距離のパトロールが要求される。
 この付近はセロの勢力圏外で、あの動物に襲われる可能性は低い。盗賊に襲われた補給隊はいない。陸棲ワニの襲撃はたびたびあり、初期には犠牲者を出していたが、最近は警戒を厳重にしているので、捕食動物による事故は起きていない。
 つまり、ルート上は比較的安全だった。パトロールも路面状況や、野生動物の動向の観察が主になっていた。

 マーニとホティアは、装甲トラック4輌の小規模な輸送隊に便乗させてもらい、翌日の午後にはマルカラ中継基地に戻った。
 半田千早がバギーSで2人を迎えに行くと、輸送隊の装甲トラック1輌が修理の真っ最中だった。
 輸送隊長に促されて、半田千早が車体の下を覗き込む。
「隊長、ここでの修理は無理だよ。
 ドライブシャフトが歪んじゃっている。
 岩か何かにぶつけたの?」
 隊長は、困惑していた。
「実はバマコの直前で、路外に踏み込んだんだ。そのときに、腹を打った。
 だけど。そのときは……」
 半田千早は、微笑んで隊長を見ていた。
「ここからは、平坦だから牽引していったら。バルカネルビまで」
 隊長は不安そうに装甲トラックを見る。
「立ち往生はしたくない。
 代車はないかな?」
 マルカラ中継基地の指揮官が提案する。
「ポンコツだが、うちのトラックを使うか?」
 輸送隊長は、安堵の表情を見せる。
「そうしてもらえると、ありがたい。
 立ち往生して、ワニに食われたくはないからね」

 荷物を積み替え、東に向かう輸送隊を見送ると、バギーSはマーニとホティアを乗せて、路外と大差ない4キロの道をマルカラ燃料製造実験プラントへと向かった。
 半田千早たちにとっては、いつもと変わらない普通の日常だった。バギーSが大きく揺れると、大げさに悲鳴をあげ、おしゃべりに夢中になりすぎて、振動で舌を噛みそうになった。
 マーニが「お腹すいたね」というと、半田千早は「ラーメン食べたい!」と言った。
 半田千早は、すでにラーメンの味を忘れていた。それに、彼女が食べたことのあるラーメンとは、カップ麺だった。彼女が育った200万年前には、すでに本格的なラーメンは存在していなかった。
 マーニとホティアは、半田千早が食べたいと言うラーメンがどんなものかはっきりとは知らない。
 それでも、3人は大きな声で笑い合った。
 楽しい15分間はあっという間に終わり、マルカラ燃料製造実験プラントに着いた。
 太陽が西の地平線に沈んでいこうとしていた。

 マルカラ中継基地の臨時隊長は、若干22歳のナデートだった。背の低い痩躯だが、発達した筋肉を持つ男だ。
 陽気で楽天家。車輌整備の腕はいいが、銃の腕は人並み。
 ナデートは、車輌の交換に応じた輸送隊が謝礼にと置いていったビールを、日没前に他の隊員7人と飲んだ。日没後は、2人ずつ歩哨に立たなくてはならないからだ。
 8人でゆっくりできる時間は、日没前の20分ほどしかない。
 ウルツ6輪装甲車は、2輌が西のバマコ方面に、2輌が東のバルカネルビ方面にパトロールに向かった。燃料事情がいいマルカラ中継基地は、バマコからバルカネルビまでのほぼ全行程を警備している。
 装甲車がパトロールに出ると、数日は戻らない。その間、マルカラ中継基地の隊員は貧弱な武器で、守り抜かなくてはならなかった。

 ココワの油商人を事実上仕切っているサール家は、マルカラの西で発見された油田を奪取するための部隊を編制した。
 タンカーから油樽を降ろし、1隻に50人、4隻で200人。別にウマを20頭ずつを載せた船を2隻。
 非武装船6隻と船員を含めた総員240による襲撃隊は、深夜にココワを発し、ニジェール川を遡上した。

 ニジェール川は、200万年前のギニアとシエラレオネとの国境付近に源を発する。上流で降った雨は、数日を経て、ようやく中流まで達する。
 数日前、上流部で36時間にわたり豪雨があった。大量の水が中流に押し寄せた。

 ニジェール川は、バルカネルビの数キロ西で分流する。分流すると、1つは北に流れ、もう1つは西に流れていく。湖水地域では、北に向かう本流を北流、西に向かう本流を南流と呼んでいた。
 バルカネルビは南流北岸にあり、ココワは北流が再度西に流れを変える付近の北岸にあった。
 ココワを発した油商人の戦闘部隊は、バルカネルビに駐留する西ユーラシア人に見られることはなかった。

 戦闘部隊は、作戦通りに、バルカネルビの西ユーラシア人の目を避け、分流する前の本流を西に向かった。
 戦闘部隊の船は全速で航行するが、実速度は6ノットしか出なかった。6ノットで250キロを航行すると、22時間30分かかる。
 さらに上流に向かうと、流れは速くなり、実速度は4ノットまで低下した。流れはさらに強くなり、3ノット、2ノットと航行速度を下げていった。
 当初の計画は、深夜1時から2時に上陸し、マルカラ中継基地を襲って、基地の隊員を捕縛。油田のありかを聞き出して、3時から4時に油田を急襲し、守備隊全員を殺して、破壊せずに確保する。
 西ユーラシアの連中に湖水地域の支配者が誰なのか、そしてヒトの頂点に立つのは誰なのかを教えるつもりだった。
 しかし、流れの強さは想定外だった。
 マルカラ中継基地は夜襲する予定だったが、夜明け直前の薄暮攻撃に変更するが、それも間に合わず夜明け後の強襲となってしまった。

 マルカラ中継基地では、すでに朝食を済ませ、今日の輸送隊の到着を待っていた。輸送隊到着は午後の予定で、今夜はマルカラに泊まり、明日早朝出発する。
 それまでは手持ち無沙汰なナデートたちは、ドライブシャフトが損傷しているトラックの修理をすることにしていた。
 4輪のサスペンションにウマをかい、車体を持ち上げて、ドライブシャフトの取り外しまでは終わっていた。
 デファレンシャルギアとドライブシャフトの接合部には、取りあえずボロ布を詰めていた。
 曲がってしまったドライブシャフトはバマコに向かう輸送隊に預け、バマコから交換部品が届く予定だ。

 中継基地はどこもそうだが、周辺よりも少し高い場所に設けていた。
 1人の隊員が小用に立ち、トイレから出て、ズボンを履き直しながら、ニジェール川の川面を眺めていた。
「ナデート、下流から船が来るぞ!」
 ナデートよりも早く、2人が川を見る。
「ナデート、早く来い。
 船が4隻、いや6隻だ。
 物騒な連中が乗っている」
 ナデートが走ってきた。
「湖水地域から来たようだな。
 なぜなんだ?
 物売りじゃないことは確かだし、友好的にも見えない」
 ズボンを履き直し終わった男がナデートの顔を見る。
「どうする?」
 ナデートが全員を見回す。
「ここから離れよう。
 プラントに行くんだ。
 トラックは牽引していく。
 荷物は持てるだけでいい。
 5分で出発する」
 1人が抗った。
「ただ立ち寄っただけなんじゃないか?」
 ナデートがにらむ。
「で、殺されてから、何て言うんだ。
 文句を言うための唇は動かないんだぞ」

 マルカラ中継基地には、修理中の装甲トラック以外に、かなりくたびれた装甲ドーザーと装甲牽引車があった。どちらも基地内での作業に使用していて、長距離を走行する用途ではなかった。
 そのため、機関銃や防盾、運転席のウィンドウ用装甲バイザーなどは撤去されていた。
 装甲ドーザーと装甲牽引車は、基本は同型で、ドーザーブレードの有無が外見の差異であった。

 マルカラの燃料製造実験プラントでは、武装集団の“来襲”をまったく察知していなかった。想像の域を超えていて、ドラゴンの大群が来襲したほうが現実味があるほどだ。
 基地から出るはずのない装甲ドーザーと装甲牽引車が、車体を揺らしながら、石囲いの中に入ってきた様子は明らかに異様だった。
 ナデートが装甲牽引車の後部ハッチから出てくる。
「マニニアン、武装した連中が来た。
 湖水地域の襲撃だ!」
 マニニアンは笑っていた。
「ナデート、暇すぎて、幻でも見たのか?」
 半田千早は困惑していた。
「湖水地域のヒトは、暴力的じゃないよ」
 ナデートは落ち着いている。
「船は6隻。うち4隻に各50は乗っていた。総勢200以上、全員武装している。
 2隻でウマを運んできた。とても、友好的とは思えない」
 マニニアンの顔色が変わる。
「撃たれたのか?」
 ナデートはマニニアンを真っ直ぐに見る。
「いいや、撃たれる前に逃げてきた。
 無線機と非常装備を持ち出すだけで、精一杯だった」
 マニニアンは安堵の表情だ。
「賢明な判断だ。
 ヒト同士で殺し合うなんて、愚の骨頂だ」
 マーニがマニニアンとナデートを交互に見る。
「それで、これからどうするの~?」
 マニニアンは少し動揺した。
「俺たちが受けた戦闘訓練なんて、基礎だけだ。盗賊だって、手に余る。
 マルカラ中継基地が武装集団に占領されたことは、ほぼ確実だろう。
 バマコとバルカネルビには、ここから連絡して欲しい。
 輸送隊は、バマコ以東には行けなくなった。
 それと、状況確認は必要だ。
 確実な情報を得ないと……」
 マニニアンが顔を曇らせる。
「中継基地に戻るのは、危険だぞ」
 ナデートは毅然としていた。
「戦闘員としては、大して役に立たないが、基地がどうなったかは確認したい。
 俺たちの根源的な任務だ」
 半田千早が提案する。
「私も一緒に行く」
 すかさず、カルロッタも発言。
「私も行く。
 ノイリンにだけ任せてはおけないし、チハヤばかりが格好いい役を務めるのは気に入らないし……」
 ナデートは喜んだ。
「2人に来てもらえると助かる。
 銃口を向けられて、冷静でいられるか、正直不安だ。
 歩いて行くがいいか?」
 半田千早が頷き、カルロッタも同意した。

 ナデートが「こんなにたくさん弾倉を持つのか?」と問うと、半田千早は「弾倉は標準装備で6。180発。それでも、戦闘になれば十分じゃない」と答える。
 カルロッタはクフラック製7.62×39ミリ弾仕様のガリルを手にしている。
 開発はイスラエルで、基本設計はカラシニコフAK-47だ。非常に堅牢な銃で、ノイリンでも人気がある。ノイリンでは、ポーランド製AK-47であるベリルをベースに開発したが、クフラックのガリルは完全に競合する。
 ノイリンとクフラックの2人の武器商人は、西ユーラシアで最も優秀なアサルトライフルを手にしていた。
 マルカラ中継基地の2人もノイリン製ベリルを手にしている。

 4人は背嚢を背負い、4キロ南東にあるマルカラ中継基地に徒歩で向かった。

 マルカラの燃料製造実験プラントでは、製造した車輌用燃料をバマコに輸送したばかりだった。
 プラントにはドラム缶2ほどの燃料が残っているだけ。
 車輌も装甲トラックが2輌だけ。これに、半田千早のバギーSが加わる。

 マニニアンが全員に伝える。
「バマコとバルカネルビには、伝えた。
 出発してしまった輸送隊は、呼び戻してくれるそうだ。
 パトロール隊は、バマコとマルカラの中間、マルカラとバルカネルビの中間で検問をしてくれる。
 本来なら、勇気を持ってマルカラ中継基地の奪還をすべきなのだろうが、30人に満たない我々に何ができる?
 武器だって、小銃以外、たいしたものがあるわけじゃない。
 ここは見つかってはいないと思う。
 警戒は必要だが、ナデート隊が戻るまでは、ここに留まる。
 連中はウマを運んできたそうだ。
 中継基地がもぬけの殻となれば、周囲を捜索するだろう。
 ここは見つかる。
 時間の問題だ。
 もし、ここが見つかった場合は、逃げる」
 マーニが賛意を表す。
「養父〈おとう〉さんは、ヒトとヒトは争うべきじゃない、と言っている。
 無意味な戦いは避けるべき。
 私はマニニアン隊長の決断を支持する」
 ララがホティアと並んで、大きく頷く。
「私はヒトではないが、ノイリンの住民だ。発言の権利はあると思う。
 私は、ヒト同士の争いを見たくない」
 ホティアがララの発言を引き継ぐ。
「隊長、逃げるのはいいけど、どこに行くの。
 バマコ、それともバルカネルビ?」
 マニニアンは、目を閉じ、数秒間黙った。そして意を決するように、笑った。
「我々は、現在、非常に困難な状況にある。トラックは1輌が故障。燃料は、稼働全車を満タンにできるが、予備燃料はほとんどない。路外では、200キロ程度が走行可能な距離だろう。
 バマコやバルカネルビに後退すればいいのか?
 それで、ノイリンの住民としての責務を果たしたことになるのか?
 俺は違うと思う。
 非常時なので、やむを得ず、北に向かおう」
 全員が「え!」と声を出した。
 マニニアンが全員を睥睨する。
「俺は、明日のために、アフリカの植生を調べたい!」
 全員が呆れる。マニニアンの魂胆がわかったのだ。彼は、禁止されているニジェール川沿いから離れることを、この攻撃を利用して破ろうとしているのだ。
 マニニアンは行動計画を立案していた。
「いったん北に向かい、大きな弧を描くようにマルカラに戻ってくる。
 マルカラを見捨てず、誰も死なない」
 マーニが悪戯っぽく微笑んでいる。
「ねぇ、隊長~。
 どれくらい北に行くの?」
 マニニアンは即答した。
「100キロ。4日で戻ってくる。
 4日あれば、奪還作戦が発動しているはずだ。我々は、奪還部隊と呼応できる」
 マーニは、マニニアンのご都合主義的退避作戦が気に入った。

 ナデート隊は、迂回しながらマルカラ中継基地に近付いていた。

 半田千早は片膝をついて、双眼鏡を覗いている。
「ドラム缶を運び出している」
 同じ姿勢で、やはり双眼鏡を目にあてたナデートも同じ光景を見ていた。
「あぁ、空のドラム缶を、なぜ……」
 半田千早はその理由を知っていた。
「湖水地域の燃料容器は、木製の樽なんだ。木樽で原油や軽油を運んでいる。ガソリンは、陶製の壺で運ぶこともある。
 私たちが使っている金属製の燃料缶は、木樽や陶器と比べたら軽くて丈夫。内容物の変質もしにくい。
 だから、湖水地域の人々は欲しがるんだ」
 ナデートが半田千早を見る。
「そういうことは、バルカネルビで調べたのか?」
 半田千早は、双眼鏡から目を離さない。
「うん」
 ナデートが再び双眼鏡を覗く。
「損害は……。
 空のドラム缶94と、引き倒されたテントか……。
 船6と兵200以上で襲撃して、戦果がそれだけじゃ、納得はしないだろうな」
 半田千早は、ナデートの問いに答えなかった。ナデートは、半田千早が同意したものと受け取った。
 カルロッタとベランジュは、周囲を警戒している。4人が潜む窪地は、マルカラ中継基地から200メートルほど北にある。
 見つからぬようにはしているが、見つかりにくい場所ではない。
 ナデートが3人を窪地の中心に集める。
「俺は、連中の会話を聞きたい。
 1人で基地の直近まで近付く。
 3人はここから掩護してくれ」
 ベランジュが気色ばむ。
「隊長、危険だ。
 俺たちは英雄じゃない。
 隊長は、いつもそう言っているじゃないか。
 それに、あと少しでバンジェル島に戻れる。あえて危険を冒す必要はない」
 ナデートがベランジュの肩に手を置く。
「すまないな、相棒。
 襲撃の意図がわかれば、対策は立てやすい。ただの整備屋にだって、できることはある」
 カルロッタがナデートを見詰める。
「私が掩護につく」
 ナデートがカルロッタの提案をはねつけた。
「命令に従ってくれ。
 ここで、待つんだ。
 1人のほうが見つかりにくい。
 それに、この付近はよく知っている」

 ナデートは、地形の特徴を完璧に把握していた。窪地や地割れを利用して、マルカラ中継基地の西側から近付き、基地直近の窪地に身を隠した。
 半田千早が会ったという、ココワの油商人を探した。
 マルカラ中継基地を占領した武装勢力は、全員が同じ銃を装備しているが、服装に統一性はなかった。
 山賊にも見えるが、軍隊のように統率されている。
 まず、武器を観察する。金属部分の多い長銃を全員が持ち、腰のベルトには同系と思われる短銃を差している。
 半田千早から説明を受けた金属薬莢を使用する単発銃であることは間違いなさそうだ。
 軽砲のようなもの。駄載できる砲は3門を確認。
 半田千早が会ったという油商人は、何度も“油田”という単語を発している。基地内の文書類を集めさせているようだが、整備記録簿や物品の搬入・搬出伝票くらいしかない。
 かなり、イラついているようだが、余裕も垣間見える。
 油商人が周囲にいる何人かを集めた。ナデートとは、数メートルしか離れていない。声ははっきりと聞こえる。
 ナデートは擬装用の枯れ草をつけた身を丸くして、聞き耳を立てた。
「近くに油田があるはずだ。
 必ず探し出せ。
 それと、チハヤという娘は生きたまま捕らえろ。
 儂が直々にしつけてやる」
 男たちの下卑た笑いが聞こえる。ナデートは、油商人が発した“しつけ”という言葉の意味を本能的に察し、体内に満ちていく怒りを封じることに苦労した。
 番頭の話は続く。
「ヒトに似た生き物のうち、肌が褐色の娘は希望通り我が息子に与える。
 その他は好きにしろ」
 褐色の肌の娘とは、ホティアのことだ。ナデートは、ベリルを乱射したい衝動を抑えつけた。
 油商人は繰り返した。
「油田は必ずある。
 探し出せ!」
 油商人が集めたのは、小隊長クラスだろう、とナデートは推測した。
 彼らが解散すると、ナデートは往路に使ったルートをたどって、戻る。
 その途中。
「小隊長殿!
 奇妙な轍が、北に向かっています!」
 ナデートは「履帯痕が見つかったな」と独り言を発した。

 ナデートが戻ると、窪地の3人は明確に安堵の表情を浮かべる。
 ベランジュがナデートの肩をつかみ、何度も揺する。
「どうだった?」
 ナデートは、端的に答える。
「履帯の跡が見つかった。
 すぐに追っ手が出るだろう。
 連中は油田を探している」
 カルロッタが「油田?」と言い、ナデートは「マニニアンたちが油田を発見したと思っているんだ」と。

 ベランジュの先導で、4人はマルカラの燃料製造実験プラントに向かった。

 マルカラの燃料製造実験プラントでは、溶接機を使って厚さ5ミリの鉄板を8角形に組み立て、即製の機関銃塔を作っていた。
 故障している装甲トラックのMG3機関銃を装甲牽引車に、バギーSが積んでいたM60機関銃を装甲ドーザーに取り付けた。
 車体側の旋回レールへの取り付けに手間取ったが、マルカラ中継基地隊員の工作技術は極めて高く、あり合わせの材料ながら、どうにか装甲車らしくなった。
 故障している装甲トラックは、プラントの機材を積んで、森の中に隠す。
 燃料などの物資を積んだ装甲トラック2輌、バギーS、装甲ドーザー、装甲牽引車の5輌で、28人が北に向かう。
 何人かは、装甲トラックの荷台に乗ることになる。

 ナデートが戻ると、彼はマニニアンに呼吸を整えることさえせずに意見を告げる。
「ここを出よう。
 連中は履帯の跡を追ってくる」
 マニニアンは、その前に知りうる情報をバマコに伝えたかった。
「バマコに詳細を伝えたい」
 ナデートはそうは考えなかった。
「学者先生。
 連中はまともじゃない。
 俺たちとは違う。
 まずは逃げよう」
 マニニアンは同意した。

 装甲トラック1輌はダブルキャブで、この車輌に無線を積んでいた。
 マルカラ中継基地の無線は、装甲牽引車に積んだことから、車体後部兵員室には通信士とプラス1人が乗れる程度のスペースしかない。
 結局、隊員の多くが装甲トラックの荷台に乗ることになる。非装甲の荷台では危険すぎるので、荷台側面のアオリに5ミリの鉄板をボルト止めした。天井には、有孔鉄板を張った。
 食料は多くなく、燃料のことも考慮すると、行動可能な期間は最大7日となった。

 全員がダブルキャブの周囲に集まり、ナデートのバマコへの通信を聞いている。
「マルカラ中継基地を襲った武装集団は、湖水地域の人々であることは確かだ。
 襲撃者の1人は、チハヤと面識がある、ココワの油商人だ。
 彼らは、我々がマルカラ周辺で油田を発見したと勘違いしている。
 我々を捕らえて、油田のありかを吐かせるつもりだ。
 中継基地隊員はプラントの隊員と行動を共にしている。
 プラントは放棄し、現在は北15キロの地点にいる。履帯痕を追跡されており、理由と状況から執拗だと推測している。
 我々は、さらに北に向かい、西に方向を変え、徐々に南に移動する。追跡を振り切れればいいが、路外を走行するので、無理だろう。
 連中はまともじゃない。
 凶悪というか……。
 チハヤとホティアを捕らえて、……レイプ……、すると言っていた。
 交戦となった場合、捕虜にはならない」

 マニニアンは呆然としていた。ベランジュは、アオリを殴った。
 ララとカルロッタは怯えていた。

 ナデートは、マニニアンの行動計画に賛成した。それは、マニニアンの思惑とは無関係だった。
「マニニアンの案に賛成だ。北に向かったほうがいい。湖水地域では、あまりニジェール川から離れて内陸に踏み込むことはないようだ。
 東や西に向かうよりは、追跡を諦める可能性がある。
 追跡を受けながら、弧を描くように、ニジェール川に戻るという案もいいと思う。
 場合によっては、我々による積極的な待ち伏せ攻撃もありえる」
 半田千早は攻撃に反対だった。
「十分な装備がない。
 中継基地隊員の半分はボルトアクションだし、ボディアーマーはない。
 プラントの隊員は、予備の弾倉をほとんど持っていない。戦える装備じゃない」

 半田千早、16歳。
 すでに多くの戦いを経験していた。

 半田千早は、現実的な提案をした。
「敵は、騎馬で追ってくる。路外は平坦に見えても、窪地や動物の巣穴、雨で浸食された亀裂など、たくさんの障害がある。
 装輪車にとっては、厳しい旅になる。
 だけど、私たちには装甲ドーザーと牽引車があるから、たいていの障害物は乗り越えられる。
 路外で厳しい旅を強いられることは、敵も同じ。
 私たちに地の利はないけど、敵にもない。この点は互角。
 私たちはできるだけ、敵を北に誘引して、長距離を引きずり回して、疲弊させ、可能ならば攻撃する。
 敵が元気なうちは、手を出さない」
 マニニアンがナデートを見る。
「どう思う?」
 ナデートが顎を掻く。
「走るだけなら、俺たちにもできそうだ」
 半田千早は、2人を交互に見た。
「敵を誘引するには、2つの要素がいる。
 確実に追跡させることと、時々は敵に姿を見せてやること。
 履帯の跡で、確実に追跡させられる。
 姿を見せるのは、私の仕事。
 私とオルカで、敵を挑発してやる」
 マニニアンが不安そうな目で半田千早を見る。
「2人で大丈夫か?」
 半田千早は、危険な任務なので逡巡した。
「通信士がいるとありがたいけど……」
 マニニアンが叫ぶ。
「ドク!」
 衛生隊員のヴェインが走ってくる。
「チハヤたちと同じクルマに乗れ。
 おまえは小柄だから、あのちっこいクルマに乗れるだろう」
 半田千早が心配する。
「ドクが私たちと一緒じゃ、衛生隊員がいなくなっちゃうよ」
 ナデートが微笑む。
「俺たちのドクがいる」

 28人が乗る5輌は、大地に明確なタイヤ痕と履帯痕を残して、北に向かった。
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