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第4章
第120話 交易
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リットン伯爵軍バルカネルビ派遣支隊の実質的指揮官であるジャスティン・リットンは、弟の不始末に腹を立て、将兵のいる前で顔を乗馬用鞭で打った。
「愚か者!
お前は、底なしの阿呆だ。
こやつをココワに連れて行け。
そして、柱につないでおけ!」
クレイグ・リットンは、姉の恐ろしさをよく知っている。心底「殺されるかもしれない」と怯えた。
そして、姉が草原にたむろする正体不明の賊を皆殺しにするであろうことも確信していた。
半田千早は、金の飾緒を付けたきらびやかな軍服の男が、将兵がいる広場で、鬼の形相の若い女性に鞭打たれる瞬間を、デジタル双眼鏡で捉えていた。
三脚を使い、映像も記録している。女性は軍服を着ていないが、乗馬服のような動きやすい服装をしている。スカートではなく、ズボンを履いている。
黒のブーツがピカピカに光っている。半田千早は、泥に汚れた自分の編み上げブーツを見た。
飾緒を付けた男は、何人かに守られるようにその場を去る。
半田千早が呟く。
「指揮官、変わったみたいだよ。
パウラ、司令部に伝えて。
指揮官は若い女、って」
フィー・ニュンは、戦車を擱座させても回収・修理の後、戦力として復帰できることをよく知っていた。
彼女は、バギーLのクルーに、確実に修理不能とするため、火炎瓶を車体に投擲するよう命じた。
バギーLは手早く、即製の火炎瓶を投げつけたが、燃料タンクのガソリンに引火しなかったのか、4輌が爆発を免れた。
この4輌には、イロナ車が徹甲弾と対戦車榴弾を1発ずつ命中させて、どうにか爆発させることに成功する。
救世主の戦車が、意外なほど炎に対して防御力が固いことに、改めて警戒する。
半田千早とミエリキが、味方陣地の方角から爆発音と煙が上がり、心配する。
王女パウラが伝える。
「大丈夫だよ。
戦車を完全に破壊するため、火をつけたって、無線で連絡があった」
双眼鏡のなかでは、乗馬服の女があれこれと指示をしている。
西の爆発音の後は、鞭をへし折った。
半田千早が2人にいう。
「お姉さん、滅茶苦茶怒ってるよ」
ミエリキがだるそうに答える。
「戦車、もう使えないからね。
大損害なんじゃない?」
半田千早が応じる。
「ノイリンだって、戦車12輌を40秒で撃破されたら、指揮官は議会に呼ばれちゃうよ」
王女パウラが尋ねる。
「議会って、怖いところなの?」
半田千早は、双眼鏡から目を離さないが、彼女の問いに答える。
「養父〈とう〉さんなんて、虐められたぁ~、ってよくいっている。
だけど、ほとんどは養父さんが悪いんだけど……」
王女パウラが何かいおうとし、それを半田千早が制した。
「待って、6輪の装甲自動車だ!
いままで、見たことのないタイプ。
砲塔が載っている。主砲は短砲身37ミリの可能性あり」
王女パウラは、半田千早の言葉を無線に向かって復唱した。
王女パウラが半田千早に尋ねる。
「数は?」
「目視する限りでは、3輌。いや4輌目が見えた!」
双眼鏡から目を離して、王女パウラを見る。彼女が無線に「4輌確実」と伝える。
半田千早は様子から、今日中に動き出すと感じていたが、確信が持てず、伝えるべきかを逡巡する。
だが、一応、伝えようと考えた。自ら無線に向かう。
「目標は集結を完了した模様。直ちに攻撃を開始する可能性大!」
フィー・ニュン隊の誰もが緊張している。
バンジェル島は、2つの勢力の動きに神経を尖らせていた。
クマンの大部隊が東に向かったことから、セロが「東に何かある」と察したらしい。
飛行船の発進準備をあわただしくしていると、クマンの間者(諜報員)から連絡があったのだ。
何としてもセロの東進を阻止しようと、かつての王都をプカラ・ホッグで攻撃する作戦が立案されている。
もう1つは、クフラックだ。ツカノ戦闘爆撃機2機を、バンジェル島に進出させてきた。この機種の進出は初めてで、マルカラ中継基地への進出を要求している。同基地は最前線への補給基地だ。
クフラックは、従来から知られているクマン以外に西アフリカに何らかのヒトの勢力があり、それをノイリンが知っていると推測している。
その通りなのだが、ノイリンも詳細を把握しているわけではない。
豊穣の地があるらしい、といった程度でしかない。
クフラックはノイリンの“独占”を阻止するため、ツカノ戦闘爆撃機2機を送り込んできたわけだ。
しかも、片倉幸子が急造した2000メートル滑走路がマルカラ中継基地に隣接して建設されたことも知っていた。
情報源はおそらく、高高度からの航空偵察だろう。
城島由加は、ノイリン機の同行を条件にクフラックからの要求を受け入れた。
ツカノ戦闘爆撃機と同等の性能を発揮できる単発機は、ピラタスとウルヴァリンしかない。アネリアとララが同行することになった。
この戦いはヒトとヒトの争いではあるが、すでに複数の精霊族が協力している。マーニ機のガンナーを務める褐色の精霊族ホティアもそうだし、彼女やララ以外にも数人いる。
城島由加は、好ましいことではないが仕方のないこと、と判断している。
4機の単発機は、後部座席に整備員を乗せ、バンジェル島を午後に飛び立ち、わずか3時間でマルカラ中継基地に到着した。
前日のことだった。
王女パウラは、小鳥の声に混じって虫の羽音が聞こえることを訝っていた。
「虫の羽音じゃない。
チハヤ、飛行機が飛んでいるよ!」
3人は林のなかでは、飛行機を見つけられないと、危険を冒して3方向に散った。
王女パウラは、バルカネルビの西側に3機の小型機が降下していく様子を一瞬だか見た。
王女パウラが最初にバギーSに戻り、ミエリキ、半田千早の順で合流する。
王女パウラが半田千早にいう。
「飛行機、見たよ。プロペラが1つ。あのときの飛行機と同じだと思う」
「白い飛行機だった?」
「うぅん。白い飛行機はいなかった。
黒が3機。
だけど、見たのは一瞬だけ。白い飛行機は、すでに着陸したのかもしれない」
半田千早は、無線に飛びつく。
「敵戦闘機らしき機影発見。3機確実。1機不確実。
計4機の可能性あり」
この無線は、マルカラでも傍受していた。
10分後、ララから連絡が入る。
「離陸したらすぐに教えて、30分で行く」
「ララ、どこにいるの?」
「マルカラ……」
「えっ、どうやって……」
「カタクラさんが、あっという間に滑走路を造ちゃった。
クフラックの戦闘爆撃機もいるから、安心して!」
この無線は、フィー・ニュンの司令部が傍受していた。
昨日は、日没前に攻撃が始まると予測していたが外れた。いまは、日の出とともに攻撃があると考えていたが、日の出から1時間を経過しても作戦発起しない。
その理由がわかった。
リットン伯爵軍は、航空攻撃の準備に手間取っていたのだ。
幸運と不運は紙一重。リットン子爵軍が航空攻撃の準備に手間取っている間に、偶然にもノイリンとクフラックの戦闘爆撃機4機がマルカラまで前日に進出していた。
ツカノ戦闘爆撃機2機とアネリア機ピラタス、ララ機ウルヴァリンの4機は、機関銃以外の武装をしていなかった。
爆撃機や攻撃機としての役目は果たせない。
ツカノ戦闘爆撃機は、応急配備しているノイリンの2機よりも完成した機体だった。両翼内に1挺ずつ12.7ミリ機関銃を装備している。
一方、ピラタスとウルヴァリンは、翼内装備ができず、翼下のハードポイントに機関銃ポッドを懸吊していた。この方式は、空気抵抗が増し、最大速度の低下を招く。
その欠点をエンジンの出力でカバーしている。
フィー・ニュン隊は対空火器を欠いている。7.62ミリ機関銃を対空銃架に載せて、対抗しようとしているが、対空銃架そのものが少ない。
ララは、すでに救世主の単発機と交戦している。その経験から、性能を「最高で時速600キロくらい。航続距離は1000キロ以上。水平旋回性能に優れるけれど、上昇力はそれほどでもない。急降下性能はいいので、時速800キロ程度は出るかもしれない」と分析していた。
この情報はアネリアは知っていたし、クフラックのパイロットにも伝えた。
半田千早は、戦闘機が離陸したら、すぐにララに知らせるつもりだが、それでは間に合わない、と感じていた。
経験から、救世主の戦闘機が60キロ級の爆弾を2発搭載できることを知っている。
全機合計で8発を投下されたら、甚大な被害が出る。クマンの部隊には、塹壕を掘る時間はないだろう。
アネリアは、先手必勝が最善策と考えていた。ララは救世主の戦闘機が離陸したら、空戦によって退けようと考えでいることは理解していた。クフラックのパイロットも同じだ。
この戦法は、ドラゴン相手ならば必然だ。ドラゴンは、いつでも、どこからでも、飛翔できる。ドラゴンを見つけるには、あの自然の摂理を無視した動物が飛んでいなければならない。
しかし、飛行機は違う。どこからでも飛べるわけではないし、滑走路の所在はわかっている。
ならば、飛び立つ前に地上で撃破するほうが簡単だ。200万年前の世界を知っているアネリアだから、そう考えられた。
アネリアがララと2人のクフラックのパイロットにいう。
「私は仕切るつもりはない。
私とララは、これから救世主の滑走路に殴り込みをかける」
ララが驚く。
「殴りこみ?」
アネリアが微笑む。
「飛行機はドラゴンとは違う。空で叩かなくてもいい。滑走路の場所がわかっているのに、地上で破壊しないという選択肢はない。
離陸する前に撃破する。
爆弾はないが、機銃掃射で攻撃する。
掩蔽壕で守られたいた場合は、地上に釘付けにして、地上部隊の滑走路への進出を誘導・支援する」
クフラックの2人のパイロットは顔を見合わせ、そして「OK、やってみよう」と合意した。
バルカネルビの街では、リットン子爵軍の横暴がいつにも増して激しくなっている。
特に将校と古参下士官の行状は、耐え難いものだった。
バンジェル島のヒトがまったく踏み入れていない街の東側では、人の背丈よりも高い場所にロープが架けられれば、そこに絞首刑にされたヒトの亡骸が吊り下げられた。
2階のベランダや街路樹にも。
絞首刑の時間がなければ、銃殺にした。
理由は「敵に便宜を図った」だ。ほとんどはいいがかりだった。
民家に押し入った将校が兵に命じて若い女性を拉致し、トラックに載せていくなど、珍しいことではない。
こういった行為は、フィー・ニュンは把握していない。半田千早も。
半田千早は、バンジェル島に帰還した際、7.62ミリNATO弾仕様のワルサーGew43半自動小銃を入手していた。スコープはなかったが、半田千早はイサイアスの愛銃ウィンチェスターM70から拝借していた。
ロワール川中流域北岸製の輸出用製品だ。この銃は、ミエリキのお気に入りで、実質、彼女の銃になっていた。
街から銃声が聞こえてくる。複数の銃がいっせいに発射される音。
ミエリキが4倍のスコープを覗く。半田千早がいう。
「ミエリキ、そのスコープはイサイアス兄(にい)に返さなくちゃいけないんだよ!」
ミエリキは答えない。ヴルマンの“一度手に入れた武器は手放さない”を実践しようとしているようで、半田千早は気が気でない。
ミエリキが別のことをいう。
「あの銃声、気になるよ」
王女パウラも同じだ。
「私も……」
ミエリキがいう。
「あの塔、見える?」
半田千早が答える。
「火の見の塔でしょ」
その塔は円筒形で灯台に似ていて、15メートルほどの高さがある。塔よりも高い建物はない。
ミエリキが続ける。
「あの塔の上からなら、街の西側全部が見渡せる。一度、登ったんだ。12歳くらいの女の子たちと……。レンガ積みで頑丈なんだ」
王女パウラが尋ねる。
「誰でも登れるの?」
ミエリキが答える。
「うん。
火事を見つけたら、どこが燃えているのか。あの塔に登って確認するんだ。
それと、塔の天辺には鐘がある。火事を見つけたら、鐘を鳴らして知らせるんだ。
だから、誰でも登れる」
半田千早が反対する。
「危険だよ」
ミエリキは決心していた。
「行くよ。銃声が気になる」
王女パウラが同行を希望する。
「私も行く。
護衛が必要よ」
半田千早が考える。
「あの塔は、街の北西の端にある。
塔の下まではバギーで行ける。何かあったら、鐘を鳴らして、すぐに行くから……」
ミエリキは4倍スコープ付きのワルサーGew43半自動小銃を持ち、王女パウラは100連の弾帯2つと、弾帯を取り付けたM60機関銃を抱えて、火の見の塔に徒歩で向かった。
塔のなかには、数人の子供が隠れていた。女の子が泣いている。スカートが破け、足には血糊がある。
子供たちは、顔に迷彩を施したミエリキと王女パウラを見て怯えた。
王女パウラが血糊がある女の子に尋ねる。
「怪我しているの?」
ミエリキが止める。そして、首を横に振った。
王女パウラは寂しい思いはたくさんしたが、生い立ちから虐待されたことなどないし、そういうことがあることも最近まで知らなかった。そして、怒った。
「許せない!
絶対!」
ミエリキは冷静だ。セロになぶり殺しにされたヒトをたくさん見てきたから。セロは、異種であるヒトを陵辱して楽しむ。ヒトが嘆き悲しむ様子が、面白いらしい。
だからといって、犯人を見つけたら、見逃すつもりはない。
女の子を守る男の子がいった。兄だろう。
「セシルを守ってやれなかった……」
別の女の子が声をかける。
「ミエリキお姉ちゃんなの?」
ミエリキが頷き、少女が続ける。
「お姉ちゃん、私たちを守って」
ミエリキがいう。
「みんなでもっと上まで行こう」
8人の少年少女が立ち上がった。
ミエリキは、塔の最上部には上がらなかった。そこには頑丈な鉄製フェンスしかない。展望台は、周囲から丸見えなのだ。
塔には小さな窓がある。窓とはいっても、窓枠やガラスはない。単なる風通しだ。
最上の風通しから街を見下ろす。
広場ではなく、空き地に男や女が横1列に並んでいる。黒い軍服の将校が左右に歩きながら何かをいっている。
将校が指揮する兵が、横隊を作る。兵の数よりも街人のほうが多い。
将校が男ばかりを縦に7人並ばせる。
兵が先頭の男の腹に向けて小銃を撃つ。
3人が倒れる。
倒れるが、3人とも生きている。
将校が拳銃で止めを刺す。
ミエリキのレチクルには、将校の頭が映っている。
引き金を引けば、将校の頭は吹き飛び、2人目の止めは回避される。
だが、8人の子供たちと、ミエリキと王女パウラは、この塔で孤立する。
将校が2人目の腹を泥の付いた靴で踏む。
男が悶え苦しむ。
気付くと男の子が隣にいた。
「あいつだ。セシルに酷いことをしたのは……」
撃ちたいが、撃つことが躊躇われる。距離200メートルで、近すぎるのだ。
1番年上であろう女の子が話しかける。
「セシルの仇を討って」
小さな声だが、凛としてる。8人の16の瞳がミエリキを見詰める。全員が同じ気持ちなのだ。
ミエリキが王女パウラにいう。
「パウラ、戦うよ」
パウラが微笑んだ。
将校の帽子と脳漿が同時に飛び散る。
箱型弾倉の10発がなくなるまで、狙撃を続ける。
年老いた女性が両手で石を持ち上げ、黒服兵の頭上に落とそうとして撃たれる。
その兵をミエリキが撃つ。
王女パウラも1段低い風通しから発射を始める。
M60ならば、この距離でも制圧できる。セシルの兄が、弾帯を手に持ち装弾を手伝う。
ミエリキの正確な狙撃と、王女パウラの弾幕で街人は怪我人を助けて、空き地の最奥に固まる。
射撃は10秒ほどだった。黒服将兵が横たわる。彼らの武器を街人が奪う。
これがバルカネルビの反撃開始となった。
街人は無武装だったわけではない。家畜を野生動物から守るためにも銃は必要だし、草原には2本足で歩くワニもいる。
リットン子爵軍はバルカネルビを無血占領すると、すぐに武器狩りをしている。しかし、街人は2挺あれば、1挺だけを差し出していた。屋根裏から、床下から、壁を剥がして、銃を出す。
そして反撃を始める。
街人の反乱にジャスティン・リットンは慌てた。臆病なネズミが獅子に噛み付いたからだ。
ララはアネリアの左後方を飛んでいる。超低空で、バルカネルビに迫る。
滑走路が見えた!
幸運だ。
「滑走路に4機!
ラッキー!」とアネリアが無線に叫ぶ。
白い機体が離陸に入る。アネリアはそれを狙ったが、対地速度が速すぎて外してしまう。
地上の整備員たちがクモの子を散らすように、八方に逃げていく。
機関銃弾が燃料容器に命中したらしく、爆発して、炎と黒煙を上げる。
ララとクフラック機2機で、残り3機を地上で破壊。
アネリアは、白い単発機を追った。白い単発機は離陸するとすぐに主脚を格納し、上昇せずに南へ飛んだ。
上昇すれば速度が落ち、旋回して追撃している薄茶と薄緑の2色明細塗装の単発機に追いつかれるからだ。
アネリアはレチクルに白い単発機を捕らえていたが、距離がありすぎて、発射しなかった。
白い単発機が左に急旋回し、それを追う。2回目の旋回で、アネリアの背後に白い単発機が密着してくる。
アネリアは、急上昇から垂直旋回に移る。ララの報告は正しかった。ピラタスの上昇力に追随できない。
ララが白い単発機の背後に迫る。ララが機関銃を発射すると同時に、白い単発機は機体を右に横滑りさせて、射線を外す。
そして、低空を高速で飛行し、戦場からの離脱を図る。
不利と判断したのだ。
この戦いにクフラックのツカノ戦闘爆撃機も参加したからだ。
アネリアは深追いを避け、街のなかに駐留し続けるリットン子爵軍への機銃掃射に移る。
北西の塔が激しい銃撃戦を始めた。狙撃と機関銃による攻撃は、リットン子爵軍を街から追い出す効果がある。
街の人々も蜂起した。
ジャスティン・リットンは、押し出されるように西の草原に向かう。
正体不明の1個小隊を皆殺しにしようと。
グスタフのクジュラは、フィー・ニュンの命を受け、街の東郊外に向かっていた。滑走路の占領とリットン子爵軍の退路を断つためだ。
ジャスティン・リットンは愕然としていた。敵は1個小隊のはずなのに、1個大隊以上もの戦力だ。
これでは勝ち目はない。
「もたついたから、援軍が到着してしまった。昨夕のうちに皆殺しにすればよかった」と悔いたが、こうなっては退路の確保のほうが重要だ。
クジュラは、滑走路で破壊された航空機3機と無傷の車輌多数を鹵獲する。トラックのほか燃料の輸送車もある。
同時に、街を東西に縦貫する大通りの東端を確保する。大通りの東端にバリケードを築き小銃兵を配置する。
それ以外の通りも確保する。
ミエリキと王女パウラは、塔の上から黒服に対する狙撃・銃撃を繰り返している。
子供たちは怯えているが、手を休めたら、この塔が攻められる。
半田千早は、リットン子爵軍が街の北に向かうのではないかと考えた。
そうであれば、この丘に残っていると、リットン子爵軍に見つかる可能性が極めて高い。
移動すべきだが、ミエリキと王女パウラとは連絡ができない。迷ったが、2人との合流を目指して、塔に向かうことにする。
塔の回りは、ただの草地だった。塔が街の端にある理由はすぐにわかった。午前中、陰が西に延びるからだ。塔の影になることを嫌い、街の端に建てたのだ。
そして、塔の周囲に民家は少ない。倉庫や工場のようだ。ほとんどがレンガ造りだ。
半田千早が塔の入口にバギーSを停車させると、王女パウラがすぐに気付いた。
塔を制圧しようと、黒服兵が集まってくる。
半田千早は運転席から銃塔に移動する。ミニガンをヒトに向けて使うことは、人道に反する。
そのことは理解している。しかし、もし使わなかったら、運がよければ簡単に殺され、運が悪ければ陵辱されながら殺される。
半田千早は「正当防衛だよ」と言葉にした。
そして、躊躇いながら発射する。
半田千早の心の内とは異なり、7.62×51ミリNATO弾は、一切の躊躇いなく1分間に3000発が銃身から飛び出す。
横殴りの鉛の雨が、無装甲の黒服兵に降り注ぐ。
ヒトがすべき行いではなかった。運がよければ逃げることができ、不運ならばわずかな肉片だけを残し消えた。
何人かが建設途中のレンガ積みに隠れている。腰の高さほどまでしか積まれていない。
レンガは厚く、銃弾を通しはしない。
そのレンガ壁に向かって半田千早はミニガンを発射。
壁が銃弾で削られ、その場が安全だと信じていた黒服兵を得体のしれない肉塊に変えた。
将兵関係なく、その場から逃げた。
3人は、これから4時間に渡って、街に残留していた黒服将兵と激戦を展開する。
ミエリキが高所から狙撃し、王女パウラが機関銃で銃撃。半田千早は、塔のなかに突入されないよう、入口を守り続けた。
午前中に大勢は決していた。
ジャスティン・リットンは、北に向かって退却を開始。ニジェール川の北岸に沿って東進しようとする。
それをヒサワルの部隊が追撃。リットン子爵軍は、パンク程度の故障でも車輌を捨て、橋のない川では車輌が渡れず、河畔に遺棄した。
ジャスティン・リットン自身、ブーツを泥まみれにしながら逃げた。
湖水地帯全域から兵を集めたので、バルカネルビが蜂起すると、連鎖的にほとんどの街が抵抗運動を始めた。
銃を撃ち、石を投げ、農具で突き刺す。壮絶な戦いが始まる。
すべての戦車を失ったことが致命的であった。銃には抗えても、戦車はどうにもならない。戦車が現れれば、街人はパニックになった。
しかし、戦車はもういない。
街人の反撃が始まった。
湖水地帯全域の戦いは、3日後には完全に終結した。
クジュラの隊は、大量の車輌を鹵獲して大喜びだ。小銃はノイリンから供与されたが、車輌までは受け取れなかったから。
滑走路で撃破した3機の単発機に対して、ノイリンとクフラックの合同調査が行われようとしていると、そこにカラバッシュが割り込んできた。
半田千早にも、フィー・ニュンにも、湖水地帯全体の情勢はわからない。
おそらく、湖水地帯に住む人々にもわからないだろう。
バルカネルビに関しては、街の外にいたリットン子爵軍は北に向かって撤退を開始。故障や地形上の障害によって、次々と車輌を遺棄・放棄した。
クマンの部隊は当初、純粋に追撃行動をとっていたが、途中から遺棄車輌の回収が主要な任務となった。
街のなかにいた部隊は少数だったが、戦車を失ったことを知った街人が攻撃を開始する。捕虜となれば、リットン子爵軍が街人に行った行為と等価の報復があることから、絶望的な抵抗を続ける。
わずかな捕虜は、楽な死に方はできなかった。
フィー・ニュン隊に降伏するリットン子爵軍将兵もいたが、バルカネルビ行政からの要求で、殺害しないことを条件に数人を残して全員を引き渡す。
フィー・ニュンは高級将校数人と軍医1人を捕虜とし、バンジェル島に送る。
フィー・ニュンは、街長との面談に半田千早を副官として同行させた。
「街長様、今回のご不幸、お見舞いもうしあげます」
「司令官閣下、このたびは救世主を追い払っていただき、ありがとうございます。
今後のことなのですが……」
「私たちは、できるだけ早く、数日以内に西に向かって帰還します」
街長は慌てた。フィー・ニュン隊の暴虐は怖いが、救世主が戻ってくることも怖い。フィー・ニュン隊に撤退してもらいたいが、撤退してしまったら救世主が戻ってくる。
リットン子爵軍よりも残虐な部隊である可能性もある。
街長は、用心しながら言葉を発した。
「この街を占領しないのですか?」
フィー・ニュンは声を出して笑った。
「そのような考えはまったくしていません。
私たちは、東に豊饒の土地があるらしい、との報告から、交易を求めて東へ東へと進んできました。
湖水地域に達し、救世主を名乗る盗賊と出くわし、それを退けただけです」
「盗賊……と」
「はい、盗賊です」
街長はフィー・ニュンの言葉を信じてはいなかった。だが、撤退されるのも困る。
「交易とのことですが、何をお求めですか?」
フィー・ニュンは端的に答える。
「主に穀物です。コムギ、オオムギ、豆類、トウモロコシ、何でも」
「何故……」
フィー・ニュンは偽りを伝えることはしなかった。
「西に向かうと海に達します。
その沿岸には、クマンという国があります。その国は現在、ヒトとは異なるセロというヒトに似た生き物の攻撃を受けています。
私たちは北から来ました。北にもヒトが住む地域があります。
私たちは交易を求めてクマンを訪れましたが、ここでセロとの戦いに巻き込まれました。
北の土地は寒冷に襲われており、年々作物の生育が悪化しています。
不足する穀物を補うためクマンとの交易を目指したのですが、クマンにもその余裕はありません。
そんなとき、湖水地帯のことを知ったのです。
まもなく冬。
厳しい冬がやって来ます。
それまでに、穀物が必要なのです」
街長は考えた。
「奪おうとは、……思わないのですか?」
フィー・ニュンは躊躇わずに答えた。
「そんな考えはありません」
「しかし、この状況、何か要求はありますよね」
「交易の拠点とするため、大きめの建物をお貸しください。賃料は金でよければ……。
それと、救世主が造った滑走路とその周辺をお貸しください。これも金での支払いで、同意いただきたいのですが……」
「貸せと……」
「はい」
「賃料は?」
「法外でなければ、応じます」
街長は、椅子に深く腰掛けた。
「何と……も。
救世主とは大違いで、どうお答えすべきか……。
私には家族がいないので、救世主に目を付けられても脅されようがないので、臨時の街長になった小商いの商人です。
街の有力者たちと相談しますので、数日の猶予をください」
フィー・ニュンが席を立とうとすると、半田千早が発言を求めた。
「あの。
ごめんなさい。
私はノイリンの銃商の娘で、チハヤともうします。
実は、トウモロコシと小銃との交換で商談が調っています。
街長様、商人同士の商いも、まだダメですか?」
街長は考えた。
「そこまでは、街が介入することではないでしょう。
小さな商売は、ご自由に」
街長は勘違いしていた。少女が大量のトウモロコシを買い付けたなど、想像もできなかったからだ。
半田千早とミエリキによる、強引ななし崩し的交易の実績作りが始まる。
街長が提示した“商館”の候補は、どれも立派な建物だった。そして、街の中心からは外れた郊外にあった。豪商の別邸が多い。
商館は事実上の大使館となる。できるだけ、街の中心に近いほうがいい。
商館の選定担当となった半田千早は、塔で保護した子供たちに「街の真ん中で大きい空き家はないかな」と尋ねる。
そして、見つけた。小さな公園並みに広い庭。十分な規模の建物。ヒトの背丈ほどの石塀。
それは、営業していない娼館であった。
半田千早は、街長との面会を求めた。
「街の繁華街から程近い場所に、営業していない娼館があります……」
「チハヤさん、存じておりますよ」
「街長様、その娼館をお貸しいただけないでしょうか?」
「娼館とは、どのような店かご存知か?」
「知っています。ですが、立地、建物の広さ、敷地面積、そのすべてが理想的なのです。
どうか、ご尽力いただけないでしょうか?」
「あの店は、ある両替商が愛妾に営ませていたと聞いています。
その両替商ですが、このたびの戦で家族ともども殺されてしまいました。
妾は生きておりますが、そのものには何の権利もないはず。妾のことですが、好ましい人物ではありません。
今次戦役の後始末として、持ち主のいなくなった建物と財産は、一時的に街役場が管理することとなりました。
ですから、お貸しすることは難しくはありません。
ですが、チハヤさん、娼館ですよ。
外聞も悪い……」
「かまいません。
私たちは、そういったことは気にしません。
商家の立派な別宅よりも、実用本位で判断させてください」
「ふむ……。
いいでしょう。
早速手続きをしましょう」
王女パウラは、半田千早とミエリキと抱き合い別れを惜しんだ。
「2人といたいけど、セロとの戦いが始まるから、私はクマンに帰らないと……」
半田千早が答える。
「わかっているよ。
そのときは、私とミエリキも行くよ」
王女パウラは1週間をかけて、クマンの人々にトラックの運転を教えた。
鹵獲した車輌のすべてをクマンに持ち帰るためだ。
西アフリカ沿岸地域では、カザマンス川以南を確保する“王女派”と以北を支配する“マルクス派”に分かれている。
抗争状態にはなっていないが、危険な兆候であることに変わりはない。
王女パウラは王家再興を目指してはいないし、グズタフのマルクスは領土的野心などまったくない。
だが、北と南では文化の違いもあり、王女パウラとグスタフのマルクスは北クマンと南クマンに分けたほうがいい、と考えていた。
だが、緩やかな連邦制を考える王女パウラ派と完全分離を主張するマルクス派には意見の相違があった。
王女パウラは内戦を避けるため、マルクスとの会談に臨む。
16歳の少女と齢を重ねて老人となった男による、国の運命を決める歴史的な会談だ。
片倉幸子による娼館の大改装が始まる。といっても、内装だけだが……。
館は中央に玄関ホール、左右に翼廊があり、右翼1階と2階は賭場で3階は酒場、左翼1階から3階までは娼伎の部屋(生活と営業の部屋)だった。
建物の構造はシンプルで、使える家具は残し、それ以外は廃棄、内装を最低限のみ変え、娼館を商館にわずか3日で変身させた。
右翼は病院と学校、左翼は来訪者の宿泊所と親を亡くした子供たちの部屋になった。
厩〈うまや〉はガレージになった。
保護した子供は20人ほどだったが、商館の設置1週間後には30人を超えてしまった。
商館長は、臨時にアクムスと決まった。アクムスは「保護者のいない子供は無条件に何人でも受け入れる」と宣言。
商館の庭を開放し、子供たちの遊び場とした。
半田千早は、商館設置の礼に街長の私邸を訪ねる。
「街長様、商館が開設できました。
ありがとうございます」
挨拶を済ませ、辞去しようとすると、女中頭が声をかけてきた。
「チハヤ様、あの薪はどこで購入できるのですか?」
街長が咎める目で女中頭を見る。
「まもなく、ノイリンから届きます。
当面は、商館で売ろうかなと」
女中頭は、主の目に少し怯えながらいった。
「荷馬車、1輌分欲しいのですが……」
半田千早が微笑む。
「それでは、その分を荷が入りましたらお届けします」
燃料の搾りかすである藻を固めた薪がまた売れた。
相馬悠人が激怒している。
湖水地帯との交易が可能になったのだが、空路の場合、カナリア諸島から1800キロ、バンジェル島から1550キロ。250キロしか違わないのだ。
これでは、カナリア諸島を手に入れたクフラックに出し抜かれてしまう。ノイリンが対抗するには、金がかかる道路の整備しかない。
それで、彼は怒っている。
「予算はどうするんだ!」と。
半田千早は、街長に呼び出される。
今日は街役場に向かう。
街長が「戦車すべてを西に移動させるという話しがありますが、本当ですか!」と問われ、半田千早が「はい、お約束したとおり、撤退を始めています」と答える。
街長がいう。
「それは困ります。
戦車は、残って欲しいのです。
戦車があれば、救世主は攻めてきません」
半田千早はどうすべきか考えたが、即答はしなかった。
「養父さんに相談しよう」
今年の冬は乗り切れそうだが、その先は……。湖水地帯を守るには、戦車が必要なことを半田千早はよく理解していた。
「愚か者!
お前は、底なしの阿呆だ。
こやつをココワに連れて行け。
そして、柱につないでおけ!」
クレイグ・リットンは、姉の恐ろしさをよく知っている。心底「殺されるかもしれない」と怯えた。
そして、姉が草原にたむろする正体不明の賊を皆殺しにするであろうことも確信していた。
半田千早は、金の飾緒を付けたきらびやかな軍服の男が、将兵がいる広場で、鬼の形相の若い女性に鞭打たれる瞬間を、デジタル双眼鏡で捉えていた。
三脚を使い、映像も記録している。女性は軍服を着ていないが、乗馬服のような動きやすい服装をしている。スカートではなく、ズボンを履いている。
黒のブーツがピカピカに光っている。半田千早は、泥に汚れた自分の編み上げブーツを見た。
飾緒を付けた男は、何人かに守られるようにその場を去る。
半田千早が呟く。
「指揮官、変わったみたいだよ。
パウラ、司令部に伝えて。
指揮官は若い女、って」
フィー・ニュンは、戦車を擱座させても回収・修理の後、戦力として復帰できることをよく知っていた。
彼女は、バギーLのクルーに、確実に修理不能とするため、火炎瓶を車体に投擲するよう命じた。
バギーLは手早く、即製の火炎瓶を投げつけたが、燃料タンクのガソリンに引火しなかったのか、4輌が爆発を免れた。
この4輌には、イロナ車が徹甲弾と対戦車榴弾を1発ずつ命中させて、どうにか爆発させることに成功する。
救世主の戦車が、意外なほど炎に対して防御力が固いことに、改めて警戒する。
半田千早とミエリキが、味方陣地の方角から爆発音と煙が上がり、心配する。
王女パウラが伝える。
「大丈夫だよ。
戦車を完全に破壊するため、火をつけたって、無線で連絡があった」
双眼鏡のなかでは、乗馬服の女があれこれと指示をしている。
西の爆発音の後は、鞭をへし折った。
半田千早が2人にいう。
「お姉さん、滅茶苦茶怒ってるよ」
ミエリキがだるそうに答える。
「戦車、もう使えないからね。
大損害なんじゃない?」
半田千早が応じる。
「ノイリンだって、戦車12輌を40秒で撃破されたら、指揮官は議会に呼ばれちゃうよ」
王女パウラが尋ねる。
「議会って、怖いところなの?」
半田千早は、双眼鏡から目を離さないが、彼女の問いに答える。
「養父〈とう〉さんなんて、虐められたぁ~、ってよくいっている。
だけど、ほとんどは養父さんが悪いんだけど……」
王女パウラが何かいおうとし、それを半田千早が制した。
「待って、6輪の装甲自動車だ!
いままで、見たことのないタイプ。
砲塔が載っている。主砲は短砲身37ミリの可能性あり」
王女パウラは、半田千早の言葉を無線に向かって復唱した。
王女パウラが半田千早に尋ねる。
「数は?」
「目視する限りでは、3輌。いや4輌目が見えた!」
双眼鏡から目を離して、王女パウラを見る。彼女が無線に「4輌確実」と伝える。
半田千早は様子から、今日中に動き出すと感じていたが、確信が持てず、伝えるべきかを逡巡する。
だが、一応、伝えようと考えた。自ら無線に向かう。
「目標は集結を完了した模様。直ちに攻撃を開始する可能性大!」
フィー・ニュン隊の誰もが緊張している。
バンジェル島は、2つの勢力の動きに神経を尖らせていた。
クマンの大部隊が東に向かったことから、セロが「東に何かある」と察したらしい。
飛行船の発進準備をあわただしくしていると、クマンの間者(諜報員)から連絡があったのだ。
何としてもセロの東進を阻止しようと、かつての王都をプカラ・ホッグで攻撃する作戦が立案されている。
もう1つは、クフラックだ。ツカノ戦闘爆撃機2機を、バンジェル島に進出させてきた。この機種の進出は初めてで、マルカラ中継基地への進出を要求している。同基地は最前線への補給基地だ。
クフラックは、従来から知られているクマン以外に西アフリカに何らかのヒトの勢力があり、それをノイリンが知っていると推測している。
その通りなのだが、ノイリンも詳細を把握しているわけではない。
豊穣の地があるらしい、といった程度でしかない。
クフラックはノイリンの“独占”を阻止するため、ツカノ戦闘爆撃機2機を送り込んできたわけだ。
しかも、片倉幸子が急造した2000メートル滑走路がマルカラ中継基地に隣接して建設されたことも知っていた。
情報源はおそらく、高高度からの航空偵察だろう。
城島由加は、ノイリン機の同行を条件にクフラックからの要求を受け入れた。
ツカノ戦闘爆撃機と同等の性能を発揮できる単発機は、ピラタスとウルヴァリンしかない。アネリアとララが同行することになった。
この戦いはヒトとヒトの争いではあるが、すでに複数の精霊族が協力している。マーニ機のガンナーを務める褐色の精霊族ホティアもそうだし、彼女やララ以外にも数人いる。
城島由加は、好ましいことではないが仕方のないこと、と判断している。
4機の単発機は、後部座席に整備員を乗せ、バンジェル島を午後に飛び立ち、わずか3時間でマルカラ中継基地に到着した。
前日のことだった。
王女パウラは、小鳥の声に混じって虫の羽音が聞こえることを訝っていた。
「虫の羽音じゃない。
チハヤ、飛行機が飛んでいるよ!」
3人は林のなかでは、飛行機を見つけられないと、危険を冒して3方向に散った。
王女パウラは、バルカネルビの西側に3機の小型機が降下していく様子を一瞬だか見た。
王女パウラが最初にバギーSに戻り、ミエリキ、半田千早の順で合流する。
王女パウラが半田千早にいう。
「飛行機、見たよ。プロペラが1つ。あのときの飛行機と同じだと思う」
「白い飛行機だった?」
「うぅん。白い飛行機はいなかった。
黒が3機。
だけど、見たのは一瞬だけ。白い飛行機は、すでに着陸したのかもしれない」
半田千早は、無線に飛びつく。
「敵戦闘機らしき機影発見。3機確実。1機不確実。
計4機の可能性あり」
この無線は、マルカラでも傍受していた。
10分後、ララから連絡が入る。
「離陸したらすぐに教えて、30分で行く」
「ララ、どこにいるの?」
「マルカラ……」
「えっ、どうやって……」
「カタクラさんが、あっという間に滑走路を造ちゃった。
クフラックの戦闘爆撃機もいるから、安心して!」
この無線は、フィー・ニュンの司令部が傍受していた。
昨日は、日没前に攻撃が始まると予測していたが外れた。いまは、日の出とともに攻撃があると考えていたが、日の出から1時間を経過しても作戦発起しない。
その理由がわかった。
リットン伯爵軍は、航空攻撃の準備に手間取っていたのだ。
幸運と不運は紙一重。リットン子爵軍が航空攻撃の準備に手間取っている間に、偶然にもノイリンとクフラックの戦闘爆撃機4機がマルカラまで前日に進出していた。
ツカノ戦闘爆撃機2機とアネリア機ピラタス、ララ機ウルヴァリンの4機は、機関銃以外の武装をしていなかった。
爆撃機や攻撃機としての役目は果たせない。
ツカノ戦闘爆撃機は、応急配備しているノイリンの2機よりも完成した機体だった。両翼内に1挺ずつ12.7ミリ機関銃を装備している。
一方、ピラタスとウルヴァリンは、翼内装備ができず、翼下のハードポイントに機関銃ポッドを懸吊していた。この方式は、空気抵抗が増し、最大速度の低下を招く。
その欠点をエンジンの出力でカバーしている。
フィー・ニュン隊は対空火器を欠いている。7.62ミリ機関銃を対空銃架に載せて、対抗しようとしているが、対空銃架そのものが少ない。
ララは、すでに救世主の単発機と交戦している。その経験から、性能を「最高で時速600キロくらい。航続距離は1000キロ以上。水平旋回性能に優れるけれど、上昇力はそれほどでもない。急降下性能はいいので、時速800キロ程度は出るかもしれない」と分析していた。
この情報はアネリアは知っていたし、クフラックのパイロットにも伝えた。
半田千早は、戦闘機が離陸したら、すぐにララに知らせるつもりだが、それでは間に合わない、と感じていた。
経験から、救世主の戦闘機が60キロ級の爆弾を2発搭載できることを知っている。
全機合計で8発を投下されたら、甚大な被害が出る。クマンの部隊には、塹壕を掘る時間はないだろう。
アネリアは、先手必勝が最善策と考えていた。ララは救世主の戦闘機が離陸したら、空戦によって退けようと考えでいることは理解していた。クフラックのパイロットも同じだ。
この戦法は、ドラゴン相手ならば必然だ。ドラゴンは、いつでも、どこからでも、飛翔できる。ドラゴンを見つけるには、あの自然の摂理を無視した動物が飛んでいなければならない。
しかし、飛行機は違う。どこからでも飛べるわけではないし、滑走路の所在はわかっている。
ならば、飛び立つ前に地上で撃破するほうが簡単だ。200万年前の世界を知っているアネリアだから、そう考えられた。
アネリアがララと2人のクフラックのパイロットにいう。
「私は仕切るつもりはない。
私とララは、これから救世主の滑走路に殴り込みをかける」
ララが驚く。
「殴りこみ?」
アネリアが微笑む。
「飛行機はドラゴンとは違う。空で叩かなくてもいい。滑走路の場所がわかっているのに、地上で破壊しないという選択肢はない。
離陸する前に撃破する。
爆弾はないが、機銃掃射で攻撃する。
掩蔽壕で守られたいた場合は、地上に釘付けにして、地上部隊の滑走路への進出を誘導・支援する」
クフラックの2人のパイロットは顔を見合わせ、そして「OK、やってみよう」と合意した。
バルカネルビの街では、リットン子爵軍の横暴がいつにも増して激しくなっている。
特に将校と古参下士官の行状は、耐え難いものだった。
バンジェル島のヒトがまったく踏み入れていない街の東側では、人の背丈よりも高い場所にロープが架けられれば、そこに絞首刑にされたヒトの亡骸が吊り下げられた。
2階のベランダや街路樹にも。
絞首刑の時間がなければ、銃殺にした。
理由は「敵に便宜を図った」だ。ほとんどはいいがかりだった。
民家に押し入った将校が兵に命じて若い女性を拉致し、トラックに載せていくなど、珍しいことではない。
こういった行為は、フィー・ニュンは把握していない。半田千早も。
半田千早は、バンジェル島に帰還した際、7.62ミリNATO弾仕様のワルサーGew43半自動小銃を入手していた。スコープはなかったが、半田千早はイサイアスの愛銃ウィンチェスターM70から拝借していた。
ロワール川中流域北岸製の輸出用製品だ。この銃は、ミエリキのお気に入りで、実質、彼女の銃になっていた。
街から銃声が聞こえてくる。複数の銃がいっせいに発射される音。
ミエリキが4倍のスコープを覗く。半田千早がいう。
「ミエリキ、そのスコープはイサイアス兄(にい)に返さなくちゃいけないんだよ!」
ミエリキは答えない。ヴルマンの“一度手に入れた武器は手放さない”を実践しようとしているようで、半田千早は気が気でない。
ミエリキが別のことをいう。
「あの銃声、気になるよ」
王女パウラも同じだ。
「私も……」
ミエリキがいう。
「あの塔、見える?」
半田千早が答える。
「火の見の塔でしょ」
その塔は円筒形で灯台に似ていて、15メートルほどの高さがある。塔よりも高い建物はない。
ミエリキが続ける。
「あの塔の上からなら、街の西側全部が見渡せる。一度、登ったんだ。12歳くらいの女の子たちと……。レンガ積みで頑丈なんだ」
王女パウラが尋ねる。
「誰でも登れるの?」
ミエリキが答える。
「うん。
火事を見つけたら、どこが燃えているのか。あの塔に登って確認するんだ。
それと、塔の天辺には鐘がある。火事を見つけたら、鐘を鳴らして知らせるんだ。
だから、誰でも登れる」
半田千早が反対する。
「危険だよ」
ミエリキは決心していた。
「行くよ。銃声が気になる」
王女パウラが同行を希望する。
「私も行く。
護衛が必要よ」
半田千早が考える。
「あの塔は、街の北西の端にある。
塔の下まではバギーで行ける。何かあったら、鐘を鳴らして、すぐに行くから……」
ミエリキは4倍スコープ付きのワルサーGew43半自動小銃を持ち、王女パウラは100連の弾帯2つと、弾帯を取り付けたM60機関銃を抱えて、火の見の塔に徒歩で向かった。
塔のなかには、数人の子供が隠れていた。女の子が泣いている。スカートが破け、足には血糊がある。
子供たちは、顔に迷彩を施したミエリキと王女パウラを見て怯えた。
王女パウラが血糊がある女の子に尋ねる。
「怪我しているの?」
ミエリキが止める。そして、首を横に振った。
王女パウラは寂しい思いはたくさんしたが、生い立ちから虐待されたことなどないし、そういうことがあることも最近まで知らなかった。そして、怒った。
「許せない!
絶対!」
ミエリキは冷静だ。セロになぶり殺しにされたヒトをたくさん見てきたから。セロは、異種であるヒトを陵辱して楽しむ。ヒトが嘆き悲しむ様子が、面白いらしい。
だからといって、犯人を見つけたら、見逃すつもりはない。
女の子を守る男の子がいった。兄だろう。
「セシルを守ってやれなかった……」
別の女の子が声をかける。
「ミエリキお姉ちゃんなの?」
ミエリキが頷き、少女が続ける。
「お姉ちゃん、私たちを守って」
ミエリキがいう。
「みんなでもっと上まで行こう」
8人の少年少女が立ち上がった。
ミエリキは、塔の最上部には上がらなかった。そこには頑丈な鉄製フェンスしかない。展望台は、周囲から丸見えなのだ。
塔には小さな窓がある。窓とはいっても、窓枠やガラスはない。単なる風通しだ。
最上の風通しから街を見下ろす。
広場ではなく、空き地に男や女が横1列に並んでいる。黒い軍服の将校が左右に歩きながら何かをいっている。
将校が指揮する兵が、横隊を作る。兵の数よりも街人のほうが多い。
将校が男ばかりを縦に7人並ばせる。
兵が先頭の男の腹に向けて小銃を撃つ。
3人が倒れる。
倒れるが、3人とも生きている。
将校が拳銃で止めを刺す。
ミエリキのレチクルには、将校の頭が映っている。
引き金を引けば、将校の頭は吹き飛び、2人目の止めは回避される。
だが、8人の子供たちと、ミエリキと王女パウラは、この塔で孤立する。
将校が2人目の腹を泥の付いた靴で踏む。
男が悶え苦しむ。
気付くと男の子が隣にいた。
「あいつだ。セシルに酷いことをしたのは……」
撃ちたいが、撃つことが躊躇われる。距離200メートルで、近すぎるのだ。
1番年上であろう女の子が話しかける。
「セシルの仇を討って」
小さな声だが、凛としてる。8人の16の瞳がミエリキを見詰める。全員が同じ気持ちなのだ。
ミエリキが王女パウラにいう。
「パウラ、戦うよ」
パウラが微笑んだ。
将校の帽子と脳漿が同時に飛び散る。
箱型弾倉の10発がなくなるまで、狙撃を続ける。
年老いた女性が両手で石を持ち上げ、黒服兵の頭上に落とそうとして撃たれる。
その兵をミエリキが撃つ。
王女パウラも1段低い風通しから発射を始める。
M60ならば、この距離でも制圧できる。セシルの兄が、弾帯を手に持ち装弾を手伝う。
ミエリキの正確な狙撃と、王女パウラの弾幕で街人は怪我人を助けて、空き地の最奥に固まる。
射撃は10秒ほどだった。黒服将兵が横たわる。彼らの武器を街人が奪う。
これがバルカネルビの反撃開始となった。
街人は無武装だったわけではない。家畜を野生動物から守るためにも銃は必要だし、草原には2本足で歩くワニもいる。
リットン子爵軍はバルカネルビを無血占領すると、すぐに武器狩りをしている。しかし、街人は2挺あれば、1挺だけを差し出していた。屋根裏から、床下から、壁を剥がして、銃を出す。
そして反撃を始める。
街人の反乱にジャスティン・リットンは慌てた。臆病なネズミが獅子に噛み付いたからだ。
ララはアネリアの左後方を飛んでいる。超低空で、バルカネルビに迫る。
滑走路が見えた!
幸運だ。
「滑走路に4機!
ラッキー!」とアネリアが無線に叫ぶ。
白い機体が離陸に入る。アネリアはそれを狙ったが、対地速度が速すぎて外してしまう。
地上の整備員たちがクモの子を散らすように、八方に逃げていく。
機関銃弾が燃料容器に命中したらしく、爆発して、炎と黒煙を上げる。
ララとクフラック機2機で、残り3機を地上で破壊。
アネリアは、白い単発機を追った。白い単発機は離陸するとすぐに主脚を格納し、上昇せずに南へ飛んだ。
上昇すれば速度が落ち、旋回して追撃している薄茶と薄緑の2色明細塗装の単発機に追いつかれるからだ。
アネリアはレチクルに白い単発機を捕らえていたが、距離がありすぎて、発射しなかった。
白い単発機が左に急旋回し、それを追う。2回目の旋回で、アネリアの背後に白い単発機が密着してくる。
アネリアは、急上昇から垂直旋回に移る。ララの報告は正しかった。ピラタスの上昇力に追随できない。
ララが白い単発機の背後に迫る。ララが機関銃を発射すると同時に、白い単発機は機体を右に横滑りさせて、射線を外す。
そして、低空を高速で飛行し、戦場からの離脱を図る。
不利と判断したのだ。
この戦いにクフラックのツカノ戦闘爆撃機も参加したからだ。
アネリアは深追いを避け、街のなかに駐留し続けるリットン子爵軍への機銃掃射に移る。
北西の塔が激しい銃撃戦を始めた。狙撃と機関銃による攻撃は、リットン子爵軍を街から追い出す効果がある。
街の人々も蜂起した。
ジャスティン・リットンは、押し出されるように西の草原に向かう。
正体不明の1個小隊を皆殺しにしようと。
グスタフのクジュラは、フィー・ニュンの命を受け、街の東郊外に向かっていた。滑走路の占領とリットン子爵軍の退路を断つためだ。
ジャスティン・リットンは愕然としていた。敵は1個小隊のはずなのに、1個大隊以上もの戦力だ。
これでは勝ち目はない。
「もたついたから、援軍が到着してしまった。昨夕のうちに皆殺しにすればよかった」と悔いたが、こうなっては退路の確保のほうが重要だ。
クジュラは、滑走路で破壊された航空機3機と無傷の車輌多数を鹵獲する。トラックのほか燃料の輸送車もある。
同時に、街を東西に縦貫する大通りの東端を確保する。大通りの東端にバリケードを築き小銃兵を配置する。
それ以外の通りも確保する。
ミエリキと王女パウラは、塔の上から黒服に対する狙撃・銃撃を繰り返している。
子供たちは怯えているが、手を休めたら、この塔が攻められる。
半田千早は、リットン子爵軍が街の北に向かうのではないかと考えた。
そうであれば、この丘に残っていると、リットン子爵軍に見つかる可能性が極めて高い。
移動すべきだが、ミエリキと王女パウラとは連絡ができない。迷ったが、2人との合流を目指して、塔に向かうことにする。
塔の回りは、ただの草地だった。塔が街の端にある理由はすぐにわかった。午前中、陰が西に延びるからだ。塔の影になることを嫌い、街の端に建てたのだ。
そして、塔の周囲に民家は少ない。倉庫や工場のようだ。ほとんどがレンガ造りだ。
半田千早が塔の入口にバギーSを停車させると、王女パウラがすぐに気付いた。
塔を制圧しようと、黒服兵が集まってくる。
半田千早は運転席から銃塔に移動する。ミニガンをヒトに向けて使うことは、人道に反する。
そのことは理解している。しかし、もし使わなかったら、運がよければ簡単に殺され、運が悪ければ陵辱されながら殺される。
半田千早は「正当防衛だよ」と言葉にした。
そして、躊躇いながら発射する。
半田千早の心の内とは異なり、7.62×51ミリNATO弾は、一切の躊躇いなく1分間に3000発が銃身から飛び出す。
横殴りの鉛の雨が、無装甲の黒服兵に降り注ぐ。
ヒトがすべき行いではなかった。運がよければ逃げることができ、不運ならばわずかな肉片だけを残し消えた。
何人かが建設途中のレンガ積みに隠れている。腰の高さほどまでしか積まれていない。
レンガは厚く、銃弾を通しはしない。
そのレンガ壁に向かって半田千早はミニガンを発射。
壁が銃弾で削られ、その場が安全だと信じていた黒服兵を得体のしれない肉塊に変えた。
将兵関係なく、その場から逃げた。
3人は、これから4時間に渡って、街に残留していた黒服将兵と激戦を展開する。
ミエリキが高所から狙撃し、王女パウラが機関銃で銃撃。半田千早は、塔のなかに突入されないよう、入口を守り続けた。
午前中に大勢は決していた。
ジャスティン・リットンは、北に向かって退却を開始。ニジェール川の北岸に沿って東進しようとする。
それをヒサワルの部隊が追撃。リットン子爵軍は、パンク程度の故障でも車輌を捨て、橋のない川では車輌が渡れず、河畔に遺棄した。
ジャスティン・リットン自身、ブーツを泥まみれにしながら逃げた。
湖水地帯全域から兵を集めたので、バルカネルビが蜂起すると、連鎖的にほとんどの街が抵抗運動を始めた。
銃を撃ち、石を投げ、農具で突き刺す。壮絶な戦いが始まる。
すべての戦車を失ったことが致命的であった。銃には抗えても、戦車はどうにもならない。戦車が現れれば、街人はパニックになった。
しかし、戦車はもういない。
街人の反撃が始まった。
湖水地帯全域の戦いは、3日後には完全に終結した。
クジュラの隊は、大量の車輌を鹵獲して大喜びだ。小銃はノイリンから供与されたが、車輌までは受け取れなかったから。
滑走路で撃破した3機の単発機に対して、ノイリンとクフラックの合同調査が行われようとしていると、そこにカラバッシュが割り込んできた。
半田千早にも、フィー・ニュンにも、湖水地帯全体の情勢はわからない。
おそらく、湖水地帯に住む人々にもわからないだろう。
バルカネルビに関しては、街の外にいたリットン子爵軍は北に向かって撤退を開始。故障や地形上の障害によって、次々と車輌を遺棄・放棄した。
クマンの部隊は当初、純粋に追撃行動をとっていたが、途中から遺棄車輌の回収が主要な任務となった。
街のなかにいた部隊は少数だったが、戦車を失ったことを知った街人が攻撃を開始する。捕虜となれば、リットン子爵軍が街人に行った行為と等価の報復があることから、絶望的な抵抗を続ける。
わずかな捕虜は、楽な死に方はできなかった。
フィー・ニュン隊に降伏するリットン子爵軍将兵もいたが、バルカネルビ行政からの要求で、殺害しないことを条件に数人を残して全員を引き渡す。
フィー・ニュンは高級将校数人と軍医1人を捕虜とし、バンジェル島に送る。
フィー・ニュンは、街長との面談に半田千早を副官として同行させた。
「街長様、今回のご不幸、お見舞いもうしあげます」
「司令官閣下、このたびは救世主を追い払っていただき、ありがとうございます。
今後のことなのですが……」
「私たちは、できるだけ早く、数日以内に西に向かって帰還します」
街長は慌てた。フィー・ニュン隊の暴虐は怖いが、救世主が戻ってくることも怖い。フィー・ニュン隊に撤退してもらいたいが、撤退してしまったら救世主が戻ってくる。
リットン子爵軍よりも残虐な部隊である可能性もある。
街長は、用心しながら言葉を発した。
「この街を占領しないのですか?」
フィー・ニュンは声を出して笑った。
「そのような考えはまったくしていません。
私たちは、東に豊饒の土地があるらしい、との報告から、交易を求めて東へ東へと進んできました。
湖水地域に達し、救世主を名乗る盗賊と出くわし、それを退けただけです」
「盗賊……と」
「はい、盗賊です」
街長はフィー・ニュンの言葉を信じてはいなかった。だが、撤退されるのも困る。
「交易とのことですが、何をお求めですか?」
フィー・ニュンは端的に答える。
「主に穀物です。コムギ、オオムギ、豆類、トウモロコシ、何でも」
「何故……」
フィー・ニュンは偽りを伝えることはしなかった。
「西に向かうと海に達します。
その沿岸には、クマンという国があります。その国は現在、ヒトとは異なるセロというヒトに似た生き物の攻撃を受けています。
私たちは北から来ました。北にもヒトが住む地域があります。
私たちは交易を求めてクマンを訪れましたが、ここでセロとの戦いに巻き込まれました。
北の土地は寒冷に襲われており、年々作物の生育が悪化しています。
不足する穀物を補うためクマンとの交易を目指したのですが、クマンにもその余裕はありません。
そんなとき、湖水地帯のことを知ったのです。
まもなく冬。
厳しい冬がやって来ます。
それまでに、穀物が必要なのです」
街長は考えた。
「奪おうとは、……思わないのですか?」
フィー・ニュンは躊躇わずに答えた。
「そんな考えはありません」
「しかし、この状況、何か要求はありますよね」
「交易の拠点とするため、大きめの建物をお貸しください。賃料は金でよければ……。
それと、救世主が造った滑走路とその周辺をお貸しください。これも金での支払いで、同意いただきたいのですが……」
「貸せと……」
「はい」
「賃料は?」
「法外でなければ、応じます」
街長は、椅子に深く腰掛けた。
「何と……も。
救世主とは大違いで、どうお答えすべきか……。
私には家族がいないので、救世主に目を付けられても脅されようがないので、臨時の街長になった小商いの商人です。
街の有力者たちと相談しますので、数日の猶予をください」
フィー・ニュンが席を立とうとすると、半田千早が発言を求めた。
「あの。
ごめんなさい。
私はノイリンの銃商の娘で、チハヤともうします。
実は、トウモロコシと小銃との交換で商談が調っています。
街長様、商人同士の商いも、まだダメですか?」
街長は考えた。
「そこまでは、街が介入することではないでしょう。
小さな商売は、ご自由に」
街長は勘違いしていた。少女が大量のトウモロコシを買い付けたなど、想像もできなかったからだ。
半田千早とミエリキによる、強引ななし崩し的交易の実績作りが始まる。
街長が提示した“商館”の候補は、どれも立派な建物だった。そして、街の中心からは外れた郊外にあった。豪商の別邸が多い。
商館は事実上の大使館となる。できるだけ、街の中心に近いほうがいい。
商館の選定担当となった半田千早は、塔で保護した子供たちに「街の真ん中で大きい空き家はないかな」と尋ねる。
そして、見つけた。小さな公園並みに広い庭。十分な規模の建物。ヒトの背丈ほどの石塀。
それは、営業していない娼館であった。
半田千早は、街長との面会を求めた。
「街の繁華街から程近い場所に、営業していない娼館があります……」
「チハヤさん、存じておりますよ」
「街長様、その娼館をお貸しいただけないでしょうか?」
「娼館とは、どのような店かご存知か?」
「知っています。ですが、立地、建物の広さ、敷地面積、そのすべてが理想的なのです。
どうか、ご尽力いただけないでしょうか?」
「あの店は、ある両替商が愛妾に営ませていたと聞いています。
その両替商ですが、このたびの戦で家族ともども殺されてしまいました。
妾は生きておりますが、そのものには何の権利もないはず。妾のことですが、好ましい人物ではありません。
今次戦役の後始末として、持ち主のいなくなった建物と財産は、一時的に街役場が管理することとなりました。
ですから、お貸しすることは難しくはありません。
ですが、チハヤさん、娼館ですよ。
外聞も悪い……」
「かまいません。
私たちは、そういったことは気にしません。
商家の立派な別宅よりも、実用本位で判断させてください」
「ふむ……。
いいでしょう。
早速手続きをしましょう」
王女パウラは、半田千早とミエリキと抱き合い別れを惜しんだ。
「2人といたいけど、セロとの戦いが始まるから、私はクマンに帰らないと……」
半田千早が答える。
「わかっているよ。
そのときは、私とミエリキも行くよ」
王女パウラは1週間をかけて、クマンの人々にトラックの運転を教えた。
鹵獲した車輌のすべてをクマンに持ち帰るためだ。
西アフリカ沿岸地域では、カザマンス川以南を確保する“王女派”と以北を支配する“マルクス派”に分かれている。
抗争状態にはなっていないが、危険な兆候であることに変わりはない。
王女パウラは王家再興を目指してはいないし、グズタフのマルクスは領土的野心などまったくない。
だが、北と南では文化の違いもあり、王女パウラとグスタフのマルクスは北クマンと南クマンに分けたほうがいい、と考えていた。
だが、緩やかな連邦制を考える王女パウラ派と完全分離を主張するマルクス派には意見の相違があった。
王女パウラは内戦を避けるため、マルクスとの会談に臨む。
16歳の少女と齢を重ねて老人となった男による、国の運命を決める歴史的な会談だ。
片倉幸子による娼館の大改装が始まる。といっても、内装だけだが……。
館は中央に玄関ホール、左右に翼廊があり、右翼1階と2階は賭場で3階は酒場、左翼1階から3階までは娼伎の部屋(生活と営業の部屋)だった。
建物の構造はシンプルで、使える家具は残し、それ以外は廃棄、内装を最低限のみ変え、娼館を商館にわずか3日で変身させた。
右翼は病院と学校、左翼は来訪者の宿泊所と親を亡くした子供たちの部屋になった。
厩〈うまや〉はガレージになった。
保護した子供は20人ほどだったが、商館の設置1週間後には30人を超えてしまった。
商館長は、臨時にアクムスと決まった。アクムスは「保護者のいない子供は無条件に何人でも受け入れる」と宣言。
商館の庭を開放し、子供たちの遊び場とした。
半田千早は、商館設置の礼に街長の私邸を訪ねる。
「街長様、商館が開設できました。
ありがとうございます」
挨拶を済ませ、辞去しようとすると、女中頭が声をかけてきた。
「チハヤ様、あの薪はどこで購入できるのですか?」
街長が咎める目で女中頭を見る。
「まもなく、ノイリンから届きます。
当面は、商館で売ろうかなと」
女中頭は、主の目に少し怯えながらいった。
「荷馬車、1輌分欲しいのですが……」
半田千早が微笑む。
「それでは、その分を荷が入りましたらお届けします」
燃料の搾りかすである藻を固めた薪がまた売れた。
相馬悠人が激怒している。
湖水地帯との交易が可能になったのだが、空路の場合、カナリア諸島から1800キロ、バンジェル島から1550キロ。250キロしか違わないのだ。
これでは、カナリア諸島を手に入れたクフラックに出し抜かれてしまう。ノイリンが対抗するには、金がかかる道路の整備しかない。
それで、彼は怒っている。
「予算はどうするんだ!」と。
半田千早は、街長に呼び出される。
今日は街役場に向かう。
街長が「戦車すべてを西に移動させるという話しがありますが、本当ですか!」と問われ、半田千早が「はい、お約束したとおり、撤退を始めています」と答える。
街長がいう。
「それは困ります。
戦車は、残って欲しいのです。
戦車があれば、救世主は攻めてきません」
半田千早はどうすべきか考えたが、即答はしなかった。
「養父さんに相談しよう」
今年の冬は乗り切れそうだが、その先は……。湖水地帯を守るには、戦車が必要なことを半田千早はよく理解していた。
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